富士川游著述選 第五巻  講録  東京 中山文化研究所発行  刊行の辞  回顧すれば、不可思議なる因縁で約三十年前私は図らずも富士川先生に面晤の機を得、それ以来多年大いなる力の下に指導啓発せられたのである。偶々、大正十三年中山文化研究所の綜合機関創設と共に児童教養研究所、女性文化研究所其他の各分科機関整備充実に当り、先生は私の希望を容れられて、特に女性文化研究所々長として、女性の文化生活上科学知識の普及並に精神生活の信念確立に関する重要問題の研究指導に当られ、其後文化研究所長として之を主宰せられ、昨昭和十五年十一月六日高齢七十六歳を以つて逝去せられる時まで、その該博なる科学的知識と、深遠なる宗教的思索とを以つて、本所創設の使命遂行のために熱心尽瘁せられたのであつた。  先生は常に、真の文化の根帯に欠くべからざるものは宗教的信念なりと唱道せられた。然るに宗教に就いての一般的理解が識者の間に於いてすら皆無に近いか、或は極めて幼稚であり、又甚だ歪曲せられて居ることを遺憾とせられ、先生の後半生は殆どその全力を真の宗教的信念の普及に傾到せられたのであつた。就中、文化研究所に於いて婦人精神文化等の講座を順次に開催せられ、宗教の本質に就いて、或は科学と宗教、或は哲学と宗教との関係について諄々と説述せられ、以つて宗教の真髄を闡明することに力められたのであつた。さうして一面「釈尊の教」「親鸞聖人の宗教」「弥陀教」「倫理と宗教」「宗教生活」「迷信の研究」等の論者を公にせられ、又雑誌「精神文化」及び「法爾」等には毎月その宗教的思索と体驗とを載せられたのである。  今や曠古未曾有の難局に際會し、国民思想の昏迷は識者の最も深き憂とするところ、殊に、大東亜建設の重責を有する我が国民の精神生活にゆるぎなき信念を確立しなければならぬといふことは、心あるものの齊しく考へておるところである。この時に方り、真実なる宗教的信念を確立し、正しき情操の涵養に力めて国民の感情を醇化することは蓋し最も喫緊の要務である。今こそまことに富士川先生の如き透徹せる宗教的信念に生くる指導者を要望すること最も大なるの秋である。隨つて私は常に先生の矍鑠《かくしやく》さと其の高潔なる風格とを以つて更に長く後進を薫陶せられむことを切に願つてゐたのであるが、今やその希望は空しくなつた次第である。仍つて其の遺稿遺文を輯めて之を世に公にすることは本研究所本来の目的達成に資する所以なりと信ずる。幸にして、深遠なる教義を平易に閘明せられたる先生の珠玉の文字は累積してゐるので、夫等の内から代表的なりと思はるるものを選びて上梓し、其の芳躅を永へに遺し、千載の後なほ真実の道を伝へ、これを求むるものの指針たらしめむとし、敢て之を公刊して江湖に薦むる所以である。  昭和十六年四月下浣  中山文化研究所所主  富士川游著述選 第五巻  目次  唯信鈔文意講話  第一講  第二講  第四講  第五講  第六講  第七講  第八講  第九講  第十講  大乗起信論講話  第一講  第二講  第三講  第五講  第六講  第七講  第八講  第九講  第十講  第十一講  第十二講  第十三講  第十四講  第十五講  第十六講  菜根譚講話  菜根譚  道徳棲守  朴魯疎狂  君子心事  志行高潔  進徳修行の砥石  喜神  至人是常  天地寂然・受用・心神養得  独坐観心  得意と不遇  志採気節  身後的恩澤  謙譲  矜と悔  独り任ぜず  真仏真道  意見と聴明  施恩  心地乾淨  口頭の禅  心体光明  善路と悪根  幸福禍災  天理と人欲  心の虚実  貪私  内外二賊  放過と落空  己を舍つ  天に対して身を慎む  円満寛平の心  逆境と順境  生命の尊重  まゐらせ心  短を以て短を攻む  美醜汚潔  人情の通患  信と疑と  利害得夫  命を立つ  道義に隱る。  人情の刻薄  俗に混じ俗に汚されず  晩年精神百倍せよ  健康の徳  苦樂  小民畏敬  忙者自促  夢中の夢  塵中の塵  蝸牛角上の争  出世の道  聖境自ら臻る  無念無想  我を以て物を転ず  執相破相  心と境  物外に超ゆ  禍福超越  観心齊物  喜寂厭喧  念想  嗜欲ゆ天機  富貴思貧賤  迹用と神用  泉石膏肓  不誇独醒  延促と寛窄  知足  冷心  無過は功  自心を降せ  進徳修道  真の憂樂  疑を処せず  偽善  幻迹と真境  苦節独行  欲路と理路  滿を求めず  念頭の濃淡  志一動気  処世の法  種の真趣味  三分の侠気  忘と不忘  物欲  外観尊重  回光返照  苦樂練磨  天の真吾  仕上る  智巧不足恃  智巧無益  正気と真心  一歩を讓る  隨縁素位  淫邪の淵藪  雲電風燈  初心を原ぬ  貧賎其行  知多言之躁  小人と君子  奢と儉・能と拙  真廉と大巧  天の機緘  後悔  祖宗の徳澤  人心の一真  善悪の隱顕  萬事皆薬石  行を謹しむ  勤倹の意義  真文章  苦中の樂  富貴名譽  近思録講話  はしがき  道体類  喜怒哀樂  性善・下愚・自暴自棄  分を尽す  不仁  性善  真実無妄  仁  性即理  心の善悪  萬物の一源  為学類  志と学と  実践躬行  学の道  己れに求めよ  外物に累さる。  私心に蔽はる  聖人の喜怒  怒の情  聖賢の言  無用贅言  主敬守義  蘊蓄  省身修徳  学問修業  獲を後にす  致知類  思を致す  理に通ず  近思  舊見を溜ふ  成敗を料る  読書と正心  存養類  言語飲食  下学上達  交戦の驗  心を定む  独を慎む  敬以直内  形体怠惰  克己類  養心  克己復禮  義理と客気  他山の石  舍己從人  不仁を悪む  仁の道  仁を輔  家道類  余力学文  剛立の人  親心を安ず  出処類  尊徳樂道  自守  正道にて合ふ  防慮の道  正に安んず  其位を出でず  泰然処理  自己の分  義と利  計窮力屈  治体類  天下を治む  覇者の事  其所を得る。  民を養ふ  三綱正しからず  人君の仁不仁  能く守る  教学類  君子の徳  聖人の道  憤?  材を尽す  安詳恭敬  正に帰す  政事類  誠意感得  好悪の私情  自守  少しく過ぐ  己を正しくす  誠意の交通  法令に安んず  從容義に就く  世務に通ず  怠惰と羞縮  治法類  其道を尽す  法あるべし  警戒類  過を聞く  盛なる時に戒む  天下の至公  剛は欲に屈せず  過は類に於てす  道を知る。  経に反る  観聖賢類  堯舜湯武  孔子・顔子・孟子  唯信鈔文意講話  本篇は、昭和五年八月より昭和六年五月まで、大阪婦人精神文化研究會に於て、親鸞聖人の「唯信鈔文意」を講本として講話せられたるものの速記録を、編纂者が整理してここに上梓するものである。本稿は「唯信鈔文意」の言葉を一字洩らさず講話せられたものではないのであつて、大体順序を追つてはあるが、故先生が任意に拔萃して説明して居られるのは教、特に宗教の真髄をこれによつて閘明せむと試みられたのであらうと思ふ。  第一講  親鸞聖人の書かれたもので、漢文で書かれたものは澤山ありますが、仮名まじりに誰にもわかるやうに書かれたものが四つあります。その中でこの「唯信鈔文意」が一番後に出来たものでありまして、最も晩年の八十五歳の年の八月の十九日に書いたといふことが裏にあとがきがしてあります。これから後には「正像末和讃」といふものが出来ましただけで、その他の澤山の御著述は皆これより以前に出来たのであります。大体人間の考へといふものは、二十四五歳位から三十歳位までに、新しい考へを出す人ならば新しい考へをする、新しい仕事をする人ならば大体その頃にやるわけでありまして、その頃にしなければ、後には大したことはしないのであります。ところが、人間の考への纒るといふことは、だんだんと年をとらなければいけないのでありまして、幾ら偉い人でも、その考へは若い時に出来たにしても、それを仕上げるといふことには、年の功が必要なのであります。大抵八十歳位から後まで生きて居つて考へをいはれたものが、考へとしては纏つたものであります。随分立派な考へを出す人でも、それが五十歳か六十歳で死ぬると、その考へはうまく纏つて居ない。宗教は殊にさうであります。釈尊が八十歳、法然上人が八十歳、親鸞聖人が九十歳まで生きて居られた。先づ八十歳以下の人の言つたことは駄目だと思ふのであります。偉い人には若くて偉い人がありますが、しかし宗教といふものは学問ではない、考へではない、而してそれをよく纏めることが必要であります。それで親鸞聖人の書物でも、五十歳から六十歳の間に作られた書物もありますけれど、それとこれとを較べてみますると大変な差でありまして、この「唯信鈔文意」は著しくよく纏つて居るのであります。そこでこれについてお話をしたならば、親鸞聖人の宗教といふものがよくおわかりにならうと思ふのであります。  「唯信鈔文意」と申すのは、「唯信鈔」と申す書物の中に引いてある文句を文といふ、これは主に善導大師の文句が引いてある、その「唯信鈔」に引いてある文の、「意」といふのは講釈、即ち説明といふ意味であります。「唯信鈔」と申す書物は、法然上人のお弟子で、安居院聖覚法印といふ人の作られたものであります。親鸞聖人を法然上人に導いた人だと言はれて居る人であります。それはどうか判りませぬが、しかしながら聖覚法印といふお方は、親鸞聖人が非常に信用せられた人であります。親鸞聖人と同じく法然上人の弟子でありまして、この人の作られた「唯信鈔」といふものをよく読め、宗教の意味がわからない人が多いから、どうかこの「唯信鈔」を読めといふ手紙が屡々関東の人々のところに行つて居るのであります。考へて見まするのに「唯信鈔」の中に書いてある文は別段講釈をしてありませぬから、そこで親鸞聖人がその中の文だけを講釈をされたのであらうと思ふのであります。「唯信鈔」といふ書物も矢張り仮名で書いてあります。それでその文章はさうむつかしいことはないのでありますけれども、その中に引いてある文は何等講釈をしてありませぬので、それを講釈されたものと思ひます。  先づ最初にその講釈の前書があります。その前書は、「唯信鈔」といふものは、どんな意のものかといふことの講釈であります。  「唯信鈔といふは、唯はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり。」  これは親鸞聖人の癖といつてよろしいのでありまして、説明をするのにあちらからも説明をし、こちらからも説明をし、一とつことを何遍でもいひかへすのが常であります。ここにも亦ひどくいひかへしてある。  「ただこのことひとつ」といふのは、唯という字はもつぱら、もつぱらといふのは他のものを少しも交へず、ただこのことひとつを選びとるといふ意味であります。澤山を並べることはいけない、その中を一とつよりとる。それを唯といふ、このこと一とつと限つて二つ並べることを嫌ふといふ意味であります。これまで屡々お話をした通ほりに、雜行雜修自力の心を捨てて、二心なくただ弥陀一仏に帰し、ただ弥陀の本願をたのむ、他力をたのむ、一心一向にたのむ、さういふことをいふのだといふ意味でありませう。  「また唯はひとりといふところなり。」  ひとりといふのは他に助くるものもなく、一緒に連れ合ふものもなく、世の中といふものはただ自分一人であるといふ意味であります。一人で生れて一人で死ぬのでありますから、世の中はただ自分一人、それ故に人を見合せずに、この助かることのない我が身を本として現れて来るところの仏の本願を、我が身一人に受取る、「唯はひとりといふこころなり」と言つて、唯といふは、専ら一生懸命に二心なくやるといふ意味であり、更に又唯は自分一人が引受けなくてはならないといふ意味であると言はれるのであります。  「信はうたがふところなきなり。」  一体信という字には二つ意味がありまして、一とつは嘘のないこと、普通に信といふのはそれであります。仁義禮智信といふ信はそれでありまして、誠であつて嘘のないことをいふのであります。もう一とつは、疑はず信ずることであります。「信はうたがふこころなきなり」であります。それ故に信には誠といふ意味もありますけれども、ここでは今一とつの意味の、疑はずに信ずることであります。即ち仏の本願は至心信樂欲生、心を誠にして信樂して我が国に生れんと欲するものを助けるといふのであります。この、「信は疑ふ心なきなり」といふのは信樂をいふのであります。信樂といふのは二心なく深く信じて疑はず、それ故に信樂といふのだといふ講釈を親鸞聖人がして居られますから、それをはつきりされるやうに、信心は如来の御誓を聞いて疑ふ心のないことをいふのだと、かう言はれるのであります。  「虚仮はなれたるところなり。」  即ち信は虚仮はなれたる心、偽りを離れたる心なのであります。  「虚はむなしといふ、仮はかりなりといふ、虚は実ならぬをいふ、仮は真ならぬをいふなり。」  繰り返し繰り返し嘘偽りから離れてといふ意味を説明をして居られるのであります。  「本願他力をたのみて自力をすつるをいふなり。」  そこで結局どういふことをいふのかといふと、仏の本願をたのみて自力を捨てることをいふのだ、自力をすつるといふことは、我が力をたのみにすることをやめるといふ意味であります。これは親鸞聖人の手紙に、  「自力とまふすことは、わが身をたのみ、わがはからいのこころをもて身口意のみだれごころをつくろひ、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふを自力とまふすなり。」  とあります。自分の力をはたらかして、自分の力をたのみにして行くことを自力といふ、それを捨てる、本願をたのむといふのは、本願を疑はずにそれを信ずることを申すのである。それ故に、本願他力をたのみて自力をすつるといふことは別々の事柄ではないのであります。「これを唯信といふ、」それをただ信ずるといふ、結局唯信といふことは、唯といふことは専であり、一人であるから、それ故に二心を起さないで阿弥陀仏による、それも人をたのみにするのでなしに、自分一人で、我々は自力のはたらきが強いからそれを離れて仏の他力をたのむのだ、それを唯信といふ。  「鈔はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり」  「鈔」といふのは引抜くことをいふ、拔萃をすることをいふ、すぐれたるといふのはよいところ、それを抜き出して集めることを「鈔」といふのであります。  「このゆへに唯信鈔といふなり。」それ故に、経文の中に唯信について書いてあるよい言葉を拔き集めて、それを書物にしたのだから「唯信鈔」といふ。  「また唯信はこれ他力の信心のほかに、余のことならばずとなり。すなはち本弘誓願なるがゆへなればなり。」  かういふ風にだんだん説明をして置いて、さうして最後に又唯信といふことの意味を別に書いて居られるのであります。それは他力の信心の他に余のことをならべぬ、これは弥陀をたのみながら、兼ねて他の神に祈願し、他の仏を念じ、余の行をし、余の善を修めるといふことは心を専らにする所以でないから、それ故に余行除善に心を用ひないで、ただ弥陀の本願によるといふことは、畢竟仏の本願である。本弘誓願といふのは大きな願、普通に本願といふ即ち第十八の願、至心信樂して我が国に生れんと欲するものを必ず生れさすといふ意味の、その弥陀の本願に信順するといふことが、それが唯信といふことの意味であるといつて居られるので、これが前書であります。  これはこれまで屡々お話をしたことでありますから、別に詳しく説明することは要らないやうでありますけれども、しかしかう書いてあると又それを説明をすることも必要であります。そこで大体の説明をして置きたいのであります。  唯信といふ言葉は真実の信心だとかうここに説明がしてある、その真実の信心といふことはどういうことであるかといふと、本願他力をたのみて自力を捨てることを真実の信心といふ、其実の信心とは他力の信心である。他力の信心といふ場合には余のことをならべず、ただ仏の本願に信順することである。そこで仏の本願が問題にならなくてはならぬ。仏の本願といふことを説明するには、先づ信心からして始めなくてはならぬ。その信心といふことは、仏教ではいろいろの場合に使はれて居りますけれども、しかしここに書いてある信心とは、仏の本願の中に書いてある信樂といふことであります。第十八の願として「十方の衆生至心に信樂して我が国に生れんと欲して乃至十念せん若し生れずば正覚を取らじ」といふ文句で現してある、その第十八の願の中の信樂といふことを指すのであります。これは仏教の専門の言葉でありますが、親鸞聖人の説明には「二心なく深く信じて疑はざるが故に信樂と申すなり、信心は如来の御誓を聞いて疑ふ心のなきなり」といふ説明が別のところでしてある、結局心を誠にして信樂して、即ち深く信じて浄土に往生しやうと思ふるのは、必ず往生するといふ言葉であります。  ところで我々の心持は信ずるといふことが容易でない、初めは信じないが二度三度四度五度とだんだんと同じことを人がいふと、だんだんと凝ひの心が晴れてそれを信ずる、昔から多くの例のあることであります。人間は信ずるといふ心持で居るときには安心して居りますけれども、疑ふ時には極めて不安心な状態であります。決心する場合にも、自分に都合のよい方に決心して居るのであります。そこで直接に自分に利害の関係が余りない時には決心が容易に出来る、どちらに決めて置いても大した損得がないとい時であります。それが自分に火がついて甚だ差迫つてどうもかうもならぬといふ場合には、容易に決心ができない、どんなに決心して居つても崩れるものであります。  そこで心を誠にして、深く仏の本願を信じて疑はず、浄土に往生しやうと思ふ心持は、我々には元来起らないものでありませう。それは我々の心といふものが虚仮不実であるからであります。信心といへば虚仮を離れたる心でなくてはならぬ、けれども我々の心は虚仮を離れ得ぬ、即ち愚かなくせに偉さうな風をする、悪るいくせに善人らしい振舞をする、懈怠のくせに精進の真似をする。一切が虚仮の相でありますから、賢くなく善人でもない、しかし人目にはよく見せるやうにする、善人らしく振舞ふ、一切のものを仮りに拵へて自分の都合のよいやうにする。かかる凡夫のはからひは結局真実の心でないことは明かであります。どんなに善いことをしても、かかる心から起きて来る善いことは真実の善いことではないのであります。  「虚はむなしといふ、仮はかりなりといふ、虚は実ならぬをいふ、仮は真ならぬをいふなり。」  即ち虚仮不実といふのは全く我々の心の相であります。本願他力をたのみ自力を捨てることは我々には決して容易なことでない。そこで真実の信心といふことを考へるには、どうしても自分の相といふものをよく見なければその考へが我々にわかることはないのであります。昔からのお説教には、吾々は到底助からぬ、自力では駄目だからそれをやめて仏の慈悲に縋れと説く。さういふ言葉を聞いて、自分の決心をすることはできますけれど、しかしその決心は若し仏が助けられないといふことを考へたら崩れる、それは間違いだといつても崩れる。人間の考へたことでありますから、本願だと思つても人がそんなことは本願ではないといへば動かされるのであります。そんな自分で考へたことは到底仕方のないものでありますから、そこで今、「本願他力をたのみて自力をすつるをいふなり、これを唯信といふ」と書いてあるのは、本願他力をたのむといふことは、自力をすつるといふことと同じであるといふ意味であります。  そこで我々として真実の信心といふものを心に現はさうとするならば、自分の愚悪であるといふことを知るより他にこれを現はす道はない、自分の思惑ということがわかつたならば、自力をすてなければならない、自分の思ひによつて彼是とはからふことをやめなければならぬ、といふよりもさういふ心持がまるで起きて来ない、それが即ち真実の信心であります。自力を捨てると書いてあるから、それを多くの人が誤解する、この文章は誤解をするやうに書いてあるわけではありませぬが、よむ人が誤解するのであります。自力の心は悪るいから捨てなければならぬといつても、それを捨てることができないのが我々の自性であります。しかし捨てられないものを捨てられないと見る時、その悪るい心持というものがはたらきをして居ない、その時には自力、即ち自分の力をたのむというそのはたらきがなくなつて居るから、本願他力といふものがそこへ出て来るのであります。その本願他力が真実の信心であります。真実の信といふことは即ち至心信樂であります。「十方の衆生が至心に信樂して我が国に生れんと欲し若し生れずば正覚を取らじ」と第十八願にある、この至心と信樂と欲生とを三信といひますが、自分からさういふ心が出るものだと考へた時、それは全く嘘であります。若し私が心をまことにして、深く仏の本願を信じて浄土に往生しやうと思ふものは必ず生れるといふ言葉を聞いて、さうして心を誠にして深く仏の教を信じて浄土に生れやうと思つたら嘘であり、虚仮不実であります。その自力を捨てる、自分の心のはからひを捨てる、そこにあらはれる至心といふのは仏の心、信樂するといふことも仏の心、欲生ということも仏の心であつて、或はこれを仏の智慧と考へて差支ないのでありますが、この心を誠にするといふことは我々で出来ることでありませぬから、若しまことの心が出たことを我々が感ずることがあつたならば、それは必ず仏の心が出たのであります。我々がかういふ風な文句に対して自分がその通ほりしやう、心をまことにして信樂して生れんと欲するものは必ず生れると書いてあるから、その通ほりやつて見やうとするところに、虚仮不実の行があるのであります。我々はどんなことをしても虚仮不実であります。ところが今申したやうに、自分は虚位不実のものであるからそれを捨てる、そこに自分でないものが出る、その自分でないものを今ここで仏といつて居られるのであります。自分でない、おのづから自分の心の中に出て来るそれを至心といひ、信樂といひ、欲生といふのであります。その信ずるといふ心が仏の心、そこで真実の信心といふのはそれは他力の信心、他力の信心といふのは即ち仏の心であるといふのであります。  覚如上人の言葉に、  「この信心をまことのこころと読む上は凡夫の迷心にあらず、まつたく仏心なり、この仏心を凡夫にさづけたまふとき信心とは云はるるなり」  これはむつかしい仏語で書いてあるから、むつかしいやうでありますけれども、その意味は自分の心ではさういふ風な至心信樂欲生などといふことの出来るわけのものでない、と自分の得手勝手なはたらきを本として、起きて来るはたらきをやめたならば、その後に起きて来る心持であります。蓮如上人の「御文章」の中に  「信心といへる二字をばまことのこころとよめるなり、まことのこころといふは行者のわろき自力のところにてはたすからず、如来の他力の大きところにてたすかるが故にまことのこころとは申すなり」とありますが、これはもつと宗教的に書いてありますが、結局唯信といふことは自分の心を内省をするといふことであります。誰でも一寸は内省しますから、それでまあ悪るいといふ考へが起きても、全体が悪るいと困るから、悪るいといふけれども、しかしそこによい心が欲しいのであります。どうかして悪るいことを弁護して繕ふて、悪るいことは悪るいけれどもと、それに理由をつけるのであります。成る程悪るかつたけれども、あの時は仕方がない、悪るかつたけれども凡夫だから仕方がない、悪るかつたけれども時とすれば過ちがあるといふ風に、何とかしてそれを誤魔化して行かう、繕ふて行かう、消して行かうとする心持が強いのでありますから、それ故に信じて疑はぬといふ如き心を起すことは最もむつかしい。たとへ少々の内省が出来ても、それを繕ふて行かうとする我々の心でありますから、全体をうちまけて腹の中からすつかり出して、人に示すことは迚も出来ることでない、又、出来たら大変でありませう。今日のこの世界で皆が腹の中をそのまま出したら大変でありませう。皆隱して居るから少しは穩かなのであります。世の中の生活はこれでよいのでありませうが、「唯はひとりといふこころなり」とある通ほりに、自分一人が大勢の人から離れて、世の中にただ自分一人といふ心持になつて、自分の心の相を考へる時には、それではとてもいかぬと思ふのであります。  一蓮院秀存師が自分の心持を書いて置かれたものに、つぎのやうな言葉があります。  「自から我我に懺悔して云く、存、古へ一念の時往生治定といふ所に疑ひあり、その一念に真実あるべし、予が位の一念若しや贋物にてはなきや、さらば往生不定なりと案じたり。」  自分に自ら考へた、即ち懺悔をして自分は仏の本願をたのんで、さうしてそのたのんだ一念の時、既に往生出来るものとかういふことには凝ひがある、どうもそれを深く信ずることが出来ない、そこで考へて見るのにその一念といふものに本物と贋物とがある、若し、自分の心に出て居る一念が贋物であつたならば、往生の出来ないといふことは、それは当り前のことだとさう考へたところが苦しくなつて、心のやりどころがないやうになつた。ところが  「今思ふに一念の信心といふは、我心を真にして落付くにあらず。昔そんなことを考へたけれども、今考へて見るのに、この真実の信心といふものは自分の心をまことにして、落ちついて行くことをいふのではない。  この機は間にあはぬもの、願力のお助けぞと初めて知られた一念なれば、よき心を握りて落付くにあらず、何となればこの方の真実心は虚仮雑毒のものなれば也。何時握りてみても我心は贋物也、うそがうそと知られた一念が弥陀の利他真実にたすけられた真実の一念也。」  と言つて居られる。私が今言つたのもそれであります。自分は迚も虚仮不実を離るることは出来ないといふことを疑はないのが真実の信心、それだからして決して悩むとか、握るとかいふべきものでない、自分の心を考へてみて虚仮不実と信じて疑はない、それが他力の信心である。それは結局仏の心が我々の心を照らして我々の心がさういふことを知り得ることが出来たのでありますから、それ故にさういふ心は他力の心であります。仏の心が動いておるのである。そこで秀存師は歌を作つて居られるのであります。  「たのまずよわきもあしきも我心とても他力にまかす身なれば」  それだから自分の心をたのみにすべきものでない、よいといふ時でも自分の心、悪るいという時でも自分の心である、その心が役に立たぬとかう申されるのであります。  「たれを知れおのが心のすて処たすけ給への外はあらじな」  信寺云く、当流の行者はほんまに思ふばかり也、無常がほんまになり、後世大事がほんまに思はれ、たすからぬ事がほんまに思はれ、御たすけがほんまになり、ほんまにありがたく歡ばるるばかりなり。又曰く、よきもあしきも我が為めとなれば外へばやらぬ也。」  我々は自分に関係のあることならばどうあつても人にやりはしない。  「信を得たる人は、人のよきも我為め也、人のあしきも我為め也、皆我方へかけこみて喜びの縁となり、或は我への異見となると、今日に及んで我思ひあたれり。」  明信寺のいはれたことを、今日に及んで考へてみて、又人のいはれたことを聞いて考へてみると、正にその通ほりだと書いてあります。例を別に挙げなくてもよいと思うのでありますが、自分の心を我々がみて行くといふことは自分としてはむつかしいことであります。自分で自分の心を考へて行くといふことは、容易なことでないのでありますから、そこでどうしても側に対して自分の心を映して而してそれを見て行くことによつて、虚仮不実といふことの相を知るより他に仕方がないのであります。以上序文でありまして、これから本文に入つて親鸞聖人が説明して居られるところについて順を追ふてお話をいたさうと思ふのであります。  第二講  「唯信鈔文意」の第二回目のお話を致すのでありまして、これから本文に入るのであります。  「如来尊號甚分明 十方世界普流行 但有称名皆得往 観音勢至自来迎。」  かういふ傷が引いてある、これは支那の法照禅師といふ人の「五會法事讃」といふ書物にある文句を、聖覚法印が「唯信鈔」に引いてある、その文句の説明を親鸞聖人がして居られるのであります。はじめの「如来尊號甚分明 十方世界普流行」との二つを今説明をするのであります。それを文字の講釈や、普通の意味をお話致すのではありませぬ。それを親鸞聖人がつぎのやうに説明して居られるのであります。  「如来尊號甚分明。このところは、如来とまふすは無碍光如来なり、」  「如来の尊號は甚だ分明なり」といふ言葉の中の如来といふのは、無碍光如来であります。如来といふのは仏と同じでありますが、その如来といふものに随分澤山数がある。そこで如来の尊號といつても如来が澤山ある以上はどの如来かを一とつ決めなければならぬ。親鸞聖人は、ここでいふ如来は無碍光如来である、尊號といふのは南無阿弥陀仏であるとかういはれるのであります。で、無碍光如来といふのは仏の身体をいふ、体をいふ、つまり無碍光如来といふ体があつて、その名前が南無阿弥陀仏である、如来が澤山ある中の、自分が帰命するところの仏を、それを無碍光如来といふ、つまり親の数は澤山ある、親といふものは澤山ある、世間で子供を持つて居るものは皆親であります。自分の子供を産んでさうしてそれを育てるのは皆親といはれて居るけれども、その中で自分の親、自分を産んで自分を育てて、自分のために慈悲を垂れて呉れるものを自分の親といふ、この場合のはそれであります。如来といふのは澤山ある。けれども私の如来は無碍光如来である、その名前が南無阿弥陀仏である、とかういはれるのであります。  「尊はたふとくすぐれたりとなり、號は仏になりたまふてのちの御名をまふす。名はいまだ仏になりたまはねときの御名をまふすなり。」 名號といひますところの「名」といふのは、まだ仏になりたまはぬ時の名、即ち無碍光如来がまだ仏になられない時の名前は名といふ。それから仏になられた後の名前は號といふ。それ故に名號といへば、ただ名前と一とつとしてよささうなものでありますが、親鸞聖人はかういふやうなことを頼りに細かく分けられるのであります。これは親鸞聖人の考へ方の一とつの癖であります。  その仏は、碍るところのない光を放つて普く十方の衆生を照らすといふはたらき、徳であります。その功徳を褒めていふ場合に號といふことをいふのだとかう書いてあるのであります。要するに如来と名のつくものは澤山あるけれども、その中で私を助けられるところのその仏は無碍光如来だ、その無碍光如来の徳を褒めて南無阿弥陀仏といふ、所謂尊號を南無阿弥陀仏といふ、それ故に南無阿弥陀仏といふのは我々が向いて居るところの法であります。我々が面と向つて居るところの法を南無阿弥陀仏といふ。この如来の法といふものについて蓮如上人の申された言葉があります。蓮如上人が生きて居られる時に、南無阿弥陀仏といふ六字を金泥で紺の紙に書いてさうして座敷にひろげられた、さうして仰せられた言葉がつぎのやうに載つておるのであります。  「不可思議光仏、無碍光仏もこの南無阿弥陀仏を褒めたまふ徳號なり、しかれば南無阿弥陀仏を本とすべしと仰せ候なり」 名前はいろいろあるけれども、結局南無阿弥陀仏が本であるといはれるのであります。親鸞聖人は矢張りさういふ心持を以て南無阿弥陀仏といふことをいつて居られるのであります。  「この如来の尊號は不可称不可説不可思議にましますゆへに、一切衆生をして、無大大般涅槃にいたらしめたまふ、大慈大悲のちかひの御名なり」  この如来の尊號、即ち南無阿弥陀仏といふものは、不可称といふのは、称といふのは称量、称量すべからずといふことであります。澤山あるから量られないといふことであります。それから不可説は説くべからず、説くべからずといふのは口でいふことが出来ぬ。不可思議といふのは思ひはかるべからず、つまり心にも及ばず、言葉も絶えたり、それだからして南無阿弥陀仏といふ尊號は不可称の徳を持つて居るものであり、不可説の徳を持つて居るものであり、不可思議の徳を持つているものであります。そこで一切の衆生をして無上大般涅槃にいたらしめたまふ。無上大般涅槃は、極樂の浄土に往生して涅槃の悟りを開くことを申すのであります。つまり仏道を成就せしめるといふことを申すのであります。それに「いたらしめたまふ」、大慈大悲の誓ひがあつて、それから起きて来たものでありますから、南無阿弥陀仏といふ名前はその誓ひの名前である、かういふ意味であります。如来の尊號即ち南無阿弥陀仏といふものはまことに尊い徳を具へたもので、その徳を具へて居るといふことは仏が一切の衆生を救はうといふ大慈大悲の願ひを起された、それによつて出来た名前であるから、それ故に尊いものであるといふ意味を、ただ簡単に説明をして居られるのであります。  「この仏の御名はよろづの如来の名にすぐれたまへり、これすなはち誓願なるがゆへなり。」 この南無阿弥陀仏といふ仏の名前は、他の一切の如来の名前にも勝れて、それよりもまして功徳の多いものである、それは誓願であるからである。他の仏の名前といふものは誓願によつてつけられたものではない。一切の衆生を助けやうといふやうな誓願を起して、さうしてその誓願の出来上つたところへ南無阿弥陀仏といふ名前がついたのでありますけれども、他の仏の名前はさういふ名前ではない。他の仏の名前はそれぞれ皆その体を現して、その体が尊敬をされた名前であります。ところが独りこの南無阿弥陀仏といふ名前は、仏が我々を助けやうとする願、どうしても助けなくては置かないといふ願を起して、その願が成就した名前だからと、かういふのであります。  普通の人が考へて居る仏と、親鸞聖人が考へて居られる仏の違ふのはそれであります。親鸞聖人が 「大慈大悲のちかひの御名なり」と申されるところに意味があるのであります。他の仏といふものは体の名前をいふ、犬ならば犬、猫ならば猫、それをとらまへて犬といひ、猫といふ名前でありませう。犬の身体といふものがちやんとある、その身体をみると犬といふ名前をつける、我々は始終さういふ名前をつけてみるのであります。それ故に仏体といふものを見る、さうするとそれに仏といふ名をつける、ところがその体といふものは一体どういふものかとか言いひますと、それは法でありまして、仏の体というのは人間の身体のやうなものではありませぬ。仏の体である法といふものは真如でありますから、そこで真如からして法が動くといふと、我々の世界へ出てはたらきをする、真如より来りて生ずるといふ、これが如来であります。それ故に真如からして法が来りてはたらきをすることを如来といふのであります。かういふ場合には法を体として居るのであります。法といふものの動きに仏といふ名前をつけて居るのであります。  ところが親鸞聖人の考へでは、南無阿弥陀仏といふ仏の身体は何であるかといへば、本願であります。つまり本願が我々の心に現れてそれが南無阿弥陀仏となつたのである。少しむつかしい考へ方でありますけれども、さうであつてはじめてその仏といふものは私を助ける、私が助かるのであります。南無阿弥陀仏というものは誓願であります。これは前には大慈大悲の誓ひの名前、大慈大悲のちかひといふのは我々一切を、衆生一切を助けやうといふ誓願、若し衆生が助からなければ自分も仏にならぬといふ誓を起して、さうして仏になられた、その誓が即ち南無阿弥陀仏であります。  「甚分明といふは甚ははなはだといふ、すぐれたりといふこころなり。」  甚といふのははなはだといふ、はなはだといふのはすぐれたといふことである。  「分はわかつといふ、よろづの衆生とわかつこころなり、明はあきらかなりといふ、十方一切衆生をことごとくわかち、たすけみちびきたふこと、すぐれたまへりとなり。」 甚だ分明といふのは、如来の尊號といふものはまことに尊いものであるといふことは甚だ明瞭だと、かういふ意味でありませうと思ひますけれど、親鸞聖人の説明は迷つて居るのであります。分といふことはわかつ、わかつといふことは一切の衆生を悉く分ける、そこで偉いものは偉いもの、偉くないのは偉くないもの、甲と乙とをちやんと分けてしまつて、偉いものには偉いやうに、偉くないものには偉くないやうに光を与へて、これを助けやうといふ、かういふ意味であります。  「十方世界普流行といふは、普はあまねくひろくきはなしといふ。」  普といふのはあまねくといふ、これはこの通ほりであります。  「流行は十方微塵世界にあまねくひろまりて仏教をすすめ行ぜしめたまふなり。」  即ち流れ行ふ、つまり流行であります。  「しかれば、大乗の聖人、小乗の聖人、善人悪人、一切の凡夫、みなともに自力の智慧をもては、大涅槃にいたることなければ、無碍光仏の御かたちは、智慧のひかりにてましますゆへに、この如来の智願海にすすめいれたまふなり、一切諸仏の智慧をあつめたまへる御かたちなり、光明は智慧なりとしるべし」  さういふ仏のちかひの名前であるから、そのちかひの名前といふものが世の中に広く弘つて、十方の微塵世界にあまねくひろまつて、皆がその教に從ふやうになつておるのであるから、そこで偉い人も偉くない人も、大乗の聖人も小乗の聖人も、一切の凡夫が皆自分の力では大涅槃に至ることが出来ないのに、無碍光仏の形といふものは智慧の光であるから、その智慧の光の中に摂め取つて、即ち如来の智慧を我々の方へ与へて、さうして、それによつて一切の衆生といふものを大涅槃の境に到らしめるといふ。  智願海というのは智慧と本願とを一緒にして智願海といふのであります。智慧といふのはまだ修行中には智慧でありますが、それが出来上つたならば願といふのでありますから、結局同じことであります。その如来の智慧の海の中にすすめいれたまふ。南無阿弥陀仏といふものは、一切の諸仏の智慧を集めた形であるから、さういふ光明、つまり無碍光仏のかたち、即ち光りのかたちといふものは智慧といふことである、かう説明がしてあるのであります。親鸞聖人の「和讃」に「智慧の念仏うることは、法然願力のなせるなり。信心の智慧なかりせば、いかでか涅槃をさとらまし。」というのがありますが、これを簡単に約めたのであります。我々が智慧の念仏を得るということは、仏の本願の力によつて出来ることであるから、それを我々が仏よりいただくといふことが出来なかつたならば、涅槃の境に行くことは出来ないといふのであります。光明というのは智慧のすがたであります。如来の光明といふのは智慧を体としたものを光明といふのでありますから、そこで尽十方無碍光如来、或は不可思議光如来、かういふ風に光の形に名前をつけていふ場合もありますが、皆同じことであります。  親鸞聖人の心持が一体どういふ心持であるかと申しますと、仏教で説かれて居る教の中に聖道の教に関する一切の法門といふものは、これは定善と散善の機を仏の道に引入れる一とつの方便に過ぎない、といふのであります。それでは無上涅槃にいたることは出来ない。定善と申すのは、これは自分の心を定めて行くことを申すのであります。それから散善といふのは自分の心をよくすることを申すのであります。「息慮凝心」と申して、慮りをやめ心をこらす、さういふことの行をすることを定善と申すのであります。自分の心は散乱をする心でありますから、それを散乱しないやうに努めてやることを定善といふ、それから散善と申すのは「隣悪修善」と申して悪るいことをやめて、善いことをするといふ。そこで一面に於ては慮りをやめ心をこらし、又一面に於て悪るいことをやめてよいことをする。さういふ定善の機と散善の機といふものが仏になるために、所謂聖道といふ教がある。それは全く涅槃の境に行く方便であつて、それを以ては決して涅槃に行くことは出来ないといはれるのであります。これはさうでありませう。息慮滅心や隣悪修善は結局道徳であります。道徳といふものが仏道を修行する一番初めである。つまり方便であるから、それを以ては仏道が大成するわけはないのであります。  そこで自力の智慧を以ては大涅槃に至ることは出来ないといふのであります。大涅槃と申すのは、仏の国に往生することを申すのでありますが、具体的に申せば、我々の人間の浅ましい心から離れることを申すのであります。それ故に、道徳の心を以ては我々は浅ましい心持から離れることは出来ないといふのであります。ところが大抵の人の考へは、道徳の心で以て浅ましい心から離れて行かうといふのであります。しかしながら道徳の心といふものは浅ましい心を起す心であります。何故ならば浅ましい心を起すというのは道徳の心が起きなければ浅ましいとは思はないものを、道徳の心が起きればこそ、それを浅ましいと感ずるのでありますから、そこで浅ましい心を道徳の心で直すことは出来ないといふことは明かであります。若し道徳の心がなかつたならば、どんな悪るいことをしても浅ましいと思ふわけはない、人間が恥といふことを知らなかつたならば、平気で世の中は過されるのであります。恥といふことが少しでもあればこそ、世の中といふものは実にむつかしいものでありませう。それ故に道徳の心を以てしては、大涅槃にいたることはむつかしいのであります。  そこで自分の力を用ひず、自分の智慧を用ひない。一切の凡夫が仏の道を修めて、それを大成をするといふことは、全く仏の智慧によることであり、仏の光に照らされて始めて自分の浅ましい相といふものの始末がつくのであります。自分の智慧を以ては、ただ自分の心の浅ましいといふことが段々明瞭にわかるだけであつて、それから離れることは出来ないものでありますが、仏の智慧、仏の光明に照らされればこそ、その浅ましいといふ相そのまま大涅槃の境に行くことが出来る、かういふ意味のことを説いて居られるのであります。これが宗教の極致であります。  今日のお話の大体の意味を申しますと、定散二善を捨てよとかう如来が我々に命ぜられるが、これは自分として考へた時、そんな定善や散善をしたところが駄目である、定善や散善をやつたところがそれでは涅槃に至ることは出来ないからと、かう如来の方からいはれる。それから仏が自分の名を称へよといはれる。自分の名といふのは南無阿弥陀仏であります。仮りにこれを人間と人間との話に変へて考へて見ますと、お前のやうなのは迚も仏の相を念じたり、仏の力を念じたり、仏といふものがどんなものであるかといふやうな理窟を観念をして、さうして考へて行くやうなことは迚も力及ばぬことであるから、ただ自分の名を称へ、南無阿弥陀仏といへ、かういはれれば、ただ南無阿弥陀仏といふ、ただ南無阿弥陀仏と称へる。それから、大涅槃の境に至るといふけれども、大涅槃の境に至るといふ、その大涅槃がどうであらうか、その理屈など説明したところがわかることはない。例へば、小さい子供にロンドンがどんなところであるといつて説明してもわかることはない、そこで以て、まあ大阪を十倍位にしたところだといふ、大阪を十倍してもロンドンには決してなりませぬけれども、さういつても差支ないのであります。それと同樣に大涅槃とか何とかいふむつかしい理屈を考へてもわからぬから、もうそんなことをいはないで、自分の来いといふところへ来い、さうして浄土に生れよ、かういふ命令に從ふて、仏の行かしめたまふところに行く、それを命に帰するといふのであります。帰命といふのであります。帰命といふことは南無といふことであります。南無といふのは印度の言葉でありまして、帰命といふのは支那の言葉でありますが、どちらも同じことであります。阿弥陀は、支那の言葉では無量壽、限りなき命、仏は如来、南無は帰命で阿弥陀仏の仰せに從ふのであります。南無阿弥陀仏といふことは、それ故に阿弥陀仏の仰せに從ふ。お前等は迚も定善をやつたところが散善をやつたところが、大涅槃の境に行くことは出来ないから、さういふやうな定善や散善を捨ててしまへ、さういふ命令に南無する。その意味の南無阿弥陀仏といふものがこれからお話をする如来であります。つまり私どもが仰ぐところの仏、私を助けたまふところの仏、私を導きたまふところの仏の命に帰するのでありますが、しかし前に申した通ほり、その南無阿弥陀仏といふものは大慈大悲の誓の御名であります。別にここに人間のやうなものが居つて、それが我々に向つて来るやうな仏の心を名前としたものではない、仏の慈悲の力をいふ、大慈大悲の御名であります。  つまり私の方からいへば仏の仰せに從ふといふ心持であります。仏の仰せに正直に從つて行くところに、我々の生活が導かれるのでありますから、それによつて我々の生活を進めて行くのであります。宗教といふものは、何も特別なものを考へたり予想したりするものではありませぬ。自分の今の、ただ今の心持だけを問題として、さうして進んで行くことを申すのであります。  第三講  「但有称名皆得往といふは、但有はひとへにみなをとなふるひとのみ、みな極樂浄土に往生すとなり、かるが故に称名皆得往とのたまへるなり。」  これは前に、善導大師の書物の中に書いてあつた文章の講釈がすんで、その一番終りに「但有称名皆得往」とかういふ文句がある、その講釈であります。返点をつけて読みますると、「唯だ名を称ふるもの有り皆往くことを得る。」であります。「但」といふのは「ただ」と同じであります。澤山ある中に、他のものは往けなくてそのものだけ一人往けるのでありますから、それで唯だと申すのであります。「みなをとなふる」「みな」と申すのは「御」の字と「名前」といふ字で、御名であります。「となふる」といふのは称であります。「みなをとなふるひと」といふのは、仏の名前即ち南無阿弥陀仏を称へるるものといふ意味であります。  人間が極樂浄土に生れることは、いろいろな道がありまして、普通ならば戒定慧の三つの学問を修めて、その修行の力によつて仏の国に生れる筈でありますけれども、我々のやうな(我々と申すのは人間であります)この人間では、とても三学を十分に修めることは出来ませぬから、そこで唯だ唯だ、さういふ三学といふやうなことでなく、ただ名を称へる。名を称へるといふことがそれが仏の国に生れる方法でありますから、そこで名を称へるものが皆仏の国に往くことを得ると、かういふのであります。  さういふわけであるから、名を称へるものは必ず仏の国に生れるといふことは、阿弥陀仏の本願の中、第十八番目の願が念仏往生の願であるから、それ故に名を称へるものが皆生れるとかういふのである、とかう説明がしてあるのでありますが、これは拠り所があるのであります。お経にさういふ風なことを書いてあるものがある故に「のたまへるなり」とかういはれるのであります。「のたまへる」といふのは、釈尊がさういはれるか、或は経釈に書いてあるのか、さういふ場合に親鸞聖人は何時でも「のたまへるなり」といふ言葉を使はれるのであります。これは善導大師の書物に「彼仏今現在成仏、当知本誓重願不虚、衆生称念必得往生」といふ文句があるのであります。それ故に「のたまへるなり」と申されるのであります。  「観音勢至自来迎といふは、南無阿弥陀仏は智慧の名號なれば、この不可思議の智慧光仏のみなを、信受して憶念すれば、観音勢至はかならずかげのかたちにそへるがごとくなり」  観音、勢至は、観音菩薩と勢至菩薩であります。自来迎といふことは、後に又詳しい説明がしてありますが、普通の仏教では「観音勢至自来迎」とかう書いてある。観音と勢至が自ら来り迎へるとかう書いてありますから、仏の本願を信受して居れば、臨終の時、即ち死ぬる時、観音菩薩と勢至菩薩が自身に来て、この自分を迎へて仏の国に連れて行つて下さるといふ意味であります。  ところが親鸞聖人は決してさう考へて居られないのであります。そこが宗教と、宗教でないものとの心の違ひであります。平素仏に拠つて、仏の慈悲を仰いで、さうして一生懸命におたのみをして置けば、死ぬる時に必ず観音菩薩と勢至菩薩とが来て迎へて向ふへ連れて行つて下さるといふことは、ただ我々の一とつの願ひであります。さういふことは、さうあつて欲しい、さうあつて欲しいけれども、さういふ願ひが宗教のはたらきになるといふことは、まあ全くないことでありませう。それ故に常識で考へてもわかることであり、又誰でも考へること。でありませうが、今貧乏で困るから金が一萬円あればよいとかといふのは念願でありますから、金のない時には一萬円もあればよいのでありますが、しかしあつてみると金は幾らあつても欲しい。それ故に念願が届くといふのは、ただ考へただけで届くのでありませぬから、金が欲しい金が欲しいと思つても、その念願が届くことはない筈でありませう。どうしても一萬円の金が入るやうな修行をするか、又それが入るやうな道に出るか、どちらかでなければその目的を達することは出来ませぬ。  仏のお慈悲を仰いで、仏の本願に從へば、死ぬる時に必ず観音勢至の菩薩が来て迎へて下さるといふことは、我々の念願以上にはあるわけはないのであります。さうなつて欲しいといふ念願はありますから、さうありたいことは皆誰も考へて居りませうけれども、しかしさういふことがあるかないかは、我々が考へて見なくてはならぬのであります。ただ無暗に観音勢至の菩薩が自ら来て迎へて下さるといふことを考へて居るのならばそれでことはすみませうが、観音といふものがあるかどうか、果して死ぬる時に迎へに来て下さるかどうか、恐らくは不安もありませう。萬一、迎へに来られなかつたら、否、大抵は迎ひに来られない筈でありますから、さうなつたらどうする。さういふ念願といふものは宗教には決してなるものではありませぬ。それによつて安心立命といふことの出来るものではありませぬ。そこで普通の仏教の言葉ならば、観音勢至が自ら来り迎へるといふのでありますけれども、親鸞聖人の考へはそれとは全く違ふのであります。  自分が仏を信じて居れば、仏が何時でも自分を助けて下さるといふやうなことは、自分が考へて居るだけのことであります。助かるか助からぬかはわからぬ、そこで不可思議の智慧光仏の名をただ称へるだけでは駄目であるから、信受といふ言葉が入れてある、信受して憶念する、憶念といふことは始終忘れないことをいうのであります。仏の名を信じて、さうしてそれを忘れないで憶念して居るといふと、観音勢至は、こちらから頼まないのに何時でも我々の心を、丁度影の形に添ふが如くに守つて下さるといふところに、少しもたのむ必要はない、少しも念願をする必要はないのであります。「不可思議の智慧光仏」といふのは阿弥陀仏のことをいふのであります。不可思議というのは、思議すべからずであります。それ故に観音勢至自ら来り迎へると書いてある。これは観音勢至が我々を守つて下さるということであります。  「この無碍光仏は観音とあらはれ、勢至としめす」  何故さういふことをいうか、それはこの無碍光仏といふのは阿弥陀仏であります。阿弥陀仏ば観音と形を現し、或は勢至と形を示すのである。  「ある経には観音を寶応声菩薩となづけて、日天子としめす、これはよろづの衆生の無明黒闇をはらはしむ、勢至を寶吉祥菩薩となづけて月天子とあらはれ、生死の長夜をてらして智慧をひからしむるなり。」  仏の名を称へるものは願力の不思議によつて必ず助けられるといふことを信受して、疑ひなくそれを信ずるといふのでありますから、疑いなくそれを信受するということは、結局自分の心がはたらくのでなしに、仏の心がそとに現れたのであるから、その仏の心が声となつて出て来た時、それが仏の御名を称へるのである。無碍光仏即ち阿弥陀仏は形をいろいろに現すのである。そこで観音菩薩といふのも阿弥陀仏の形を現されたものであり、勢至菩薩というのも阿弥陀仏が形を現されたものである。あるお経には、観音菩薩を日輸様、勢至菩薩をお月様、かういふ風に言へて、それに寶応声菩薩、寶吉祥菩薩と名をつけてある。観音と申すのは(これは観世音といふのが本当の名前であります)世の音を観るといふ意味でありまして、世間で多くの衆生が声を限りに救ひを求めて居る、苦しい苦しいといつて居る、多くの衆生が、暑ければ暑いといつて苦しんで居り、寒ければ寒いといつて苦しんで居り、金がなければ金がないといつて苦しんで居る。その声を聞いて、それを助けるために世の音を聞いて居る。さういふ意味で観世音といふ名前をつけたのであります。それを略して観音といふのであります。勢至といふのは勢の強いことをいふのであります。お経に書いてあるところを見ますると、「その足を上げるところ三千大千世界を震動す」とありまして、非常に勢の強いことを勢至と申すのであります。それ故に昔から、阿弥陀如来の慈悲が観音で、阿弥陀如来の智慧が勢至だとかういふのであります。つまり阿弥陀仏が慈悲のはたらきを現したまへるを観音、阿弥陀仏が智慧のはたらきを現したまへる方を勢至と申すので、どちらにしても形を現して、我々にそのはたらきを示されることをいふのであります。  或お経といふのは、「安樂鈔」であります。「安樂鈔」に、観音勢至を日輪と月輪とに警へてそのはたらきを示して居るとあるのであります。勢至が智慧を光とし、観音が慈悲を授ける、かういふのであります。夜といふものはまことに暗いものでありますけれども、朝、日が出ると暗がはれて明かになる、観音は即ちその日であります。さうして、だんだんと智慧のはたらきによつて、世の中を明かに光らしめるということが勢至菩薩のはたらきである、とかう申すのであります。  「自来迎といふは自はみづからといふ、弥陀無数の化仏、無数の化観世音、化大勢至等の無量無数の聖衆みづからつねにときをきらはず、ところをへだてず、真実信心をえたるひとにそひたまひて、まもりたまふゆへにみづからとまふすなり。」  前にも申した通ほり、普通ならば観音勢至が自ら来り迎へるといふのであります。それを常に守りたまへりといふやうに説明をして居られるのであります。自らといふのは、観音勢至自身に、かういふことだといふのであります。観音勢至自身といいますけれども、しかしそれは弥陀の化身であります。方々に形を現して我々に示される場合を総て化身といふのであります。そこで弥陀仏にも化身、観音にも化身、勢至にも化身、その他の偉い菩薩にも化身があります。阿弥陀仏の化身、観世音の化仏、勢至の化仏、無量無数の菩薩であります。さういふ仏達が自ら自身に、常に時をきらはず、所をへだてず、真実信心を得たる人にそひたまふてまもりたまふといふ意味であります。それまではこの自らといふ字の講釈であります。ところが、自らは自身といふことでありますけれども、下の字は来り迎ふであります。さうすると来て連れて行かなければならぬのであります。自らといふは観音勢至諸菩薩が自身にということであります。それは自身に衆生の心に始終附添ふて、さうしてそれを護つて居られるから自を自らといふ、けれども来り迎へるのではありませぬから、その次ぎに、  「また自はをのづからといふ、をのづからといふは、自然といふ、自然といふはしからしむといふ、しからしむといふは行者のはじめてともかくもはからざるに、過去今生未来の一切のつみを善に転じかへなすといふなり」  随分むつかしい説明であります。「自」といふ字は「をのづから」といふ字である。それは観音勢至その他の菩薩が自身のはたらきをされるから自らといふ、けれどもそれは「をのづから」といふ、自然といふ、自然といふのはしからしむといふ、しからしむといふのは我々がとやかくもはからはないことをいふのである。ともかくもはからはざるに過去今生未来の一切のつみを善に転じかへなすのである。つまり我々の方から何もはからはないのに、仏の方からしてしからしめたまふから、そこで自らといふ、それが即ち本願であるとかういはれるのであります。  「転ずといふはつみをけしうしなはずして善になすなり、よろづのみづ大海にいればすなはちうしほとなるがごとし、弥陀の願力を信ずるがゆへに、如来の功徳をえしむるがゆへに、しからしむといふ、はじめて功徳をえんとはからはされば自然といふなり。」  転ずるといふのは、我々のもつて居る罪を消して、罪をこつちへ取つてしまつて、そこへ善を入れるといふ意味ではなくして、罪はつみのままで、それは丁度よろづの水、水にはいろいろの種類があつて、濁つたのもあり濁らぬのもあり、いろいろな水があるが、それが海に入るといふと皆海の潮となるのとおなじやうなものであるといふのであります。  聖道の教では、煩悩といふものを全く滅してしまつて、新たに菩提を求めるといふことが説かれたのであります。それ故に煩悩を断ずるといふのであります。今でもさういふ考へをもつて居る人が澤山ありませう。自分の心が悪るいといふ、その煩悩を平らげて菩提の心に換へて行かう、又さういふ風に換へたい、かういふ風に考へて居る人があることでありませう。仏教でも小乗の教には明かにさう説いて居つたのであります。煩悩といふものを断ち切つて、涅槃の悟りを開くといふのでありますけれども、だんだんと仏教といふものが開けて、さうして説明がだんだんと進歩した結果、大乗の教では煩悩はそのままにして置いて、その煩悩が即ち菩提となる道を説く、それが即ち大乗仏教でありまして、華厳宗でも、天台宗でも、真言宗でも皆さうであります。それが即ち今日行はれて居る仏教であります。一乗円頓の仏教と申すのであります。なるほど自分の心が悪るい、或は煩悩と名をつけるか、罪悪と名をつけるか、ともかくも自分に自分の心を考へて見て、これは悪るいと気がついた時、どうかしてその煩悩を取つてしまはう、こんな煩悩があつてはとてもいかぬから、どうかして取つてしまはうといふので、惑ひを取つて行くいろいろの方法をやらなくてはならぬのであります。  釈尊は、その惑ひを取るためには智慧をはたらかさなければ駄目だといはれる。智慧のはたらきが弱いから迷ひを断つことが出来ないのである。智慧が十分にはたらけば、惑ひといふものは必ず取れるのだ、それで智慧のはたらきを十分にしなければならぬ。この智慧のはたらきをするのには、心が散乱しては智慧のはたらきがとても十分に行くものでないから、禅定をやらなければならぬ、智慧と禅定のはたらきによつて、迷いを離れることが出来る。かういふ風にして頻りに迷ひから離れなくてはならぬといふことを説いて居られるのであります。  まことに尤なことでありまして、我々が自分の心を悪るいと考へることがあつたならば、それはどうかして直さなくてはならぬ筈であります。生れつき悪るいからと申しましても、仕方がないからといつて放つて置くべきものではありますまいから、悪るいと気がついたならば、必ずそれは直すことを努めるべきものでありませう。直るか直らぬかはこれは別問題であります。我々の勤めとしては、悪るいことをやめることを一生懸命やらなくてはならぬことでありませう。しかしこれは果して出来るか出来ぬかといふことが問題であります。一生懸命に努力して、迷ひを断じやうとしたところで、それが出来ないといふことがわかつた時にはどうすることの出来ないものでありませう。一生懸命に智慧と禅定のはたらきを尽してやつて、いかぬといふ時にはどうすることも出来ないものでありませう。若し一生懸命やらないのならば、一生懸命に智慧を磨き、禅定の修行をすべきものでありませう。けれども兩方ともやつてる、その目的が十分に達せられぬといふことがわかつたならば、もはやそれぎりでありませう。  そこで煩悩を断ち切つてよい心になるといふことは、小乗の教で説くところでありますけれども、実際には行はれぬことでありませう。それならば煩悩をそのままにして、その煩悩を菩提に変へるといふことはどういふことであるか、それはむづかしいことでありませう。私共のもつて居る煩悩は、いくらそれを自分で変へやうと思つても、菩提にはならない、考へれば考へるだけ煩悩といふものは益々深くなる一方であります。考へて消えるやうな煩悩ならよいのでありますけれども、考へれば考へるほど煩悩は深く感ずる、ぼんやり考へて居る時にはさほど悪るいと思はなかつたものが、深く考へて行けば益々悪るく感ぜられるものであります。  昔、善導大師が師匠の教を受けられた時に、或ところで大きな寺を建てられた。人に法を説く場所を建てるのでありますから、まあよほど功徳のつもりでその話をされたところが、寺を建てるために土を掘つたであらうが、この土の中に居る虫をどの位殺したかといはれた。さういはれると一言もないのであります。ただ寺を建てるといふことだけを考へて居つたが、その寺を建てるためにそこに居つた虫などをどの位殺したか、それだから漠然と考へたならば悪るいことではない、よいことだと思つて居りまして、深く考へて行けば実に煩悩具足であります。悪るいことをして居つても、悪るいと気がつかずに、よい方だけを考へて居る、さういふ心持でありますから、我々の心持のままでいくらぢたばた踏んでも、煩悩即菩提ではありませぬ。理屈はさうでありませうが、理屈どほりにはなかなか行かぬものでありませう。  そこでさういふ風な心の相をはつきり考へたならば、迷ひを断ずるといふことは、これは断然出来ないし、又煩悩を菩提に変へるという手品も出来ない、さういふ芸当も出来ない、さういふ心を所謂虚心平気といふのであります。虚心平気といふのははからはないことであります。我々が何とかかとかはからつて、さうして自分の都合のよいやうによいやうにと考へて居る、あの心をなくした状態であります。さういふ心がなくなつた時、自ら観音勢至が我々を護つて下さるといふことがわからなくてはならぬ筈であります。又必ずわかるでありませう。さういふやふにともかくもはからひをやめてこそ、始めて我々はまことの世界に入るのであります。まことの世界に入つた心持から申すと、観音勢至が来り迎へると書いてあるのは、観音勢至が常に我を護つて下さるのである。それは我々の心の中に信心といふものがある、その信心は仏の心であるから、それをいただいた身になつてみると、何も功徳を願ふことは要らない、仏に向つて仏の功徳を願ふことは要らないのであります。すなはち「観音勢至自来迎」であるとかういふ意味であります。  普通の仏教の説き方と違つて居るのが実に目に立つのであります。これが宗教の本当の意味でなくてはならぬのであります。悪を転じて善にかへなすといつても、決して煩悩を消して別に功徳がそこに来るといふわけではありませぬ。如来の功徳が自分の身に入るから、そこで今まであつたところの煩悩といふのが、如来の功徳と同じやうな海の潮となるといふ意味でありませう。  このことは、始終私が申して居るのでありますが、自分が自分がといつて居ることが、それが小さい自分といふものを自分に作り上げて居るのでありますから、もしその小さい限りがなくなつたら、実に広いものでなくてはならぬのであります。早いことを申せば、自分の身体といふものに限りがあるから、この世界から分れて居るのであります。もしこの身体に限りがなければ、世界と一緒になるのであります。けれどもこの身体に小さい限りがあるから、その限りで以て自分といふものを分けて居る、そこで自分が大切でありますから、それで何でも彼でも得手勝手に考へることが当然であります。限つて居る以上は、即ち我というのを作つて居る以上は、我といふものが大切であります。得手勝手に考へなければ我といふものが成り立たぬのでありますから、何でも彼でも得手勝手に考へる、所謂とかくのはからひをする、このはからいは結局自分を成り立たすといふ考へでありますが、さういふ考へを以ては神の国に生れることは出来ぬといふ。ただ仏の名を称へるといふもののみが生れる、仏の名は南無阿弥陀仏でありますが、南無阿弥陀仏といふのはとかくのはからひを離れた時にそこに現れて来る心の有様を名づけていふのであります。南無といふことは仰せに從ふといふことであります。阿弥陀仏の仰せに從ふといふことでありますが、その意味を煎じつめて申せば、とかくのはからひをやめて自然に、自らそこに現れて来る阿弥陀仏の力を感ずることを南無阿弥陀仏といふのであります。それ故にその心持まで行つたならば、必ず皆往生をすることを得ると言はれるのであります。  第四講  善導大師の言葉の説明であります。「自来迎」とある、その説明をここにしてあるのであります。「自」の方はこの前すみましたから、今日の所は「来迎」であります。  「誓願真実の信心をえたるひとは、摂取不捨の御ちかひにおさめとりてまもらせたまふによりて、行人のはからひにあらず、金剛の信心となるゆへに、正定聚のくらゐに住すといふ。」  来迎といふ二字の説明であります。「誓願真実の信心」というのは、阿弥陀仏の誓願、誓願といふのは本願と同じことであります。大きな願ひ、本当の願ひ、阿弥陀仏の本願によりて成就した信心であるといふ意味であります。仏の誓願のために起きて来た信心、それは真実であるから、誓願真実といふ。「摂取不捨の御ちかひ」と申すのは、摂め取りて捨てないといふことであります。必ず助けるといふことであります。自分の心の中におさめ取つて少しもそれを捨てない、必ず助けるということであります。「行人」といふのは修行する人でありますから、我々衆生のことをいふのであります。「行人のはからひにあらず」といふのは我々の心ではからふといふことでなしにといふことであります。「金剛」といふのは堅い、金剛の如く堅い信心となるが故にであります。「正定聚」といふのはまさにさだまるひとのかずであります。正に定まるといふのは、往生が決定するといふことであります。未来がもうちやんと決つてしまつたといふことであります。その「くらゐに住すといふ」というのは、仏が衆生を助けやうといふ本願を起されて、その願が成就して、その願からして出来上つた信心といふものを我々に賜るのであるから、移り易い、変り易い凡夫の胸の中に於ても、この信心だけは仏が守つて居られるから、金剛の信心となつて必ず変ることはない、それは全く摂取不捨の御ちかひであつて、凡夫の心で以て思ひ定めたことでないから、堅く、まことに金剛のやうなものだということであります。  「このこころなれば憶念の心自然におこるなり。」  自分の彼是のはからひといふものをやめて、さうしてそこに我々が感ずることの出来る信心といふものは、全く金剛のやうに堅いものであるから、そこで常に仏の本願をおもひいでる心といふものがやまない。それを憶念と申すのであります。煩悩妄念の心の中から、仏の本願といふものを何時でも思ひ出る心が絶えないといふのであります。  「この信心のおとることも、釈迦の慈父弥陀の悲母の方便によつて、無上の信心を発起せしめたまふとみえたり。」  今申したやうに自分の力といふもののはからひをすつかり捨てて、そこに感ずることの出来る心でありますから、その信心の起ることも全く自分の力でない。善導大師の「般舟讃」といふ書物の中に「釈迦如来は実にこれ慈悲の父母、種々に方便して我等が無上の心を発起せしめたまふ。」とかう書いてあるのであります。釈迦如来は実に慈悲の深い父母であつて、いろいろに方便をして自分等に無上の心をおこさしめたまふ、とかう「般舟讃」に書いてあるのを取られたのであります。親鸞聖人はその「般舟讃」の言葉を取られたのでありますけれども、ここには弥陀といふことが書いてあるのであります。  「これ自然の利益なりとしるべし。」この国から向ふに行けといはれるのは釈迦如来であります。向うに居つて来い来いと招喚せられるのは弥陀如来であります。この世で我々が弥陀の国に行かうといふのは、釈尊が説かれたから、それを我々が取つたのであります。そこで釈迦如来が行けといつて後から尻を押される、さうすると向ふの方にいくといつて弥陀が待つて居られる、その兩親の方便によつて行ける。自分で行けるわけはないけれども、さういふ大きな力がある故に、その大きな力に引ずられて行くのであるといふ。これは宗教の言葉で書き、又宗教の感情でさういふことをいひ現したのでありますけれども、一切の我々の日々の生活といふものは、全く何ものかに引ずられて居るのであります。自分でやつて居るやうなつもりでありますけれども、よく考へて見ると何ものかに引ずられて居るのであります。それを親鸞聖人はここに何ものとは申されぬ、釈尊と阿弥陀如来が引ずつて居るといはれる、そこに宗教といふものがあるのであります。かういふことはただぼんやりとは誰でもが考へて居るのでありませう。日でも自分が暮れさすのではない、ちやんと暮れて来る、暮れると夜といふ、すると朝が来るが、朝が先へ来て我々を引ずつて行く、それ故によく考へて見ますると、自分は小さいものでありますから、その小さいものを振りまはしたところが大したことはないが、それを振りまはさうとするところに、自分で夜を明けさしたやうに思ふのであります。親鸞聖人のやうに宗教的に考へると、信心の起るといふことは全く自然の利益であります。自らにして引ずられて出て来るのであります。  「来迎といふは、来は浄土へきたらしむといふ。」  来迎といふことは、来り迎へると書いてありますから、これは誰が読んでも来り迎へるであります。そこで、浄土宗の円など御覧になつても、法然上人の死なれる時でも、観音菩薩と勢至菩薩がずつと迎へに来て居る、浄土宗の説かれるところでも一生懸命に念仏を申して、さうして仏にかしづいて居れば、死ぬる時に仏が来り迎へられる。一生懸命に道徳を修めて、善いことをして、そのよいところを功徳として仏に奉つて置きさへすれば、死ぬる時に仏が必ず来り迎へるといふ。阿陀如来と勢至菩薩と観音菩薩との三尊の御来迎があるといふ。ところが親鸞聖人の考へは違ふのであります。普通に来迎といふのは仏さんが我々を来り迎へられるのであります。ところが親鸞聖人のは反対であります。「浄土にきたらしむといふ」、即ち仏が我を浄土の方へ来らしめるのであるといはれるのであります。  「これすなはち、若不生者のちかひをあらはすみのりなり。穢土をすてて真実の報土にきたらしむとなり。すなはち他力をあらはすみことなり。」  仏の願が四十八願ある、その中で、第十八番目の願は、若し念仏をする衆生が往生することが出来なかつたならば、自分が仏にならぬといふ御ちかひでありますが、我々が往生が出来なければ、仏の方で覚りが開かれぬのでありますから、それで必ず我々を浄土に来らしめるやうに誓つて居られるからといふ意味であります。機土といふのは我々のこの世間であります。我々の世間を捨てて仏の国の世界に来らしむといふのである。それ故に、他力といふ。他力といふのは自分の力でない、仏の力であります。  「また来はかへるといふ。かへるといふは願海にいりぬるによりてかならず大涅槃にいたるを、法性のみやこへかへるとまふすなり。」  字引に、「来」は「かへる」という意味であるとありますけれども、普通はかへるとはいひませぬ、来るのであります。親鸞聖人はもう一遍それを繰返して、仏さんがこちらへ来られるのではないといふことを説明して居られるのであります。大きく深いものでありますから、譬へて海としたのであります。つまり仏の誓願であります。  仏の誓願に這入るといふのは、仏の本願に随ふことをいふのであります。仏の本願に隨ふといふと、必ず大涅槃にいたる、大涅槃と申すのは我々の苦しみが一切なくなる境涯を申すのであります。それをかへるといふのである。かへるといふのはどこへかへるかといふとそれは法性の都へかへるのである。法性の都といふのは普通の人は極樂といふのであります。仏教でもいひますが、仏教の前からいつた言葉でありまして、キリスト教でもいふ。印度では昔「ヤマ」といつたのであります。親鸞聖人はそのことを殊更に法性の都といはれるのであります。これには意味があるのであります。淨土ともいはれぬ、同じことでありますけれども、法性の都へかへるといはれるのであります。  「法性のみやこといふは、法身とまふす如来のさとりを自然にひらくなり。さとりひらくときを法性のみやこへかへるとまふすなり。」  法性の都、即ち極樂といふことは、我々が本当の覚りを開くことであります。法身といふのは、法性といいまして仏のことであります。法性の都へかへるといふことは我々が真実の覚りを開くことをいふのであります。煩悩具足の心の世界から離れて、苦しみのない世界へ移つて行くことを申すのでありますから、心の状態の上からいへば、全く覚りを開いたことをいふのであります。普通には極樂といふと、向ふの方に飛んで行くやうに考へるのでありますが、そんなことは空想であります。それは人間がただ考へて居るのであります。考へて居るところは迚も実際に行くことの出来るところではありませぬから、さういふところを仏教では化身土といふのでありますが、これが多くの人の考へる極樂であります。親鸞聖人がここでいはれるのは、法性の都であります。そこに行くと寝て居つて百味の飲食が口から入つて来る、といふやうなことをいふのではない、さういふ欲張つた考へをやめることをいふのであります。それで真実の報土といふ。我々の未来といふものは必ず真実の報土でなくてはならぬのであります。  それは何故かと申しますると、如来の本願といふものは、我々を真実の報土に引ぱつて行かうといふのでありますから、その仏の本願に引ずられて我々が行くところは必ず真実の報土であります。我々が行かうと思ふところは化身土であります。化身土のことが「観無量壽経」に書いてあるのでありますが、実に綺麗なことが書いてある。そこには萬実が備つて居るとか、そこには無量壽仏といふ形を我々に示して見える仏がある。そこで釈尊が韋提希夫人に向いて、見さしてやらう、見えるだらうといつて仏の形など書いて見せて居られるのであります。それは全く化身土であります。ところが我々の行くところは、仏の本願に随つて行くのでありますから、真実の報土であります。化身上は人間の考へが行くところであります。行かうと思ふけれど行かれぬところであります。化身土といふものは決してあるわけはない。何故かと申しますと自分の考へで行かれるのならば、仏の本願も何も要りませぬ。とても行けないことはわかつて居る。それを行かうとするのは、丁度蠅が障子にとまつて向ふの方へ出やうと思つてブンブンやつて居る、それでは幾らやつても出られない、開いたところへ行けば出られるのと同じことであります。仏の本願はその開いたところへ行かさうとするのであります。行かれもせぬところへ行かうとして努力することをいふのではありませぬ。我々はどうしても真実の報土へ行くのであります。その真実の報土が即ち法性の都であります。  「これを真如実相を証すともいふ。無為法身ともいふ。滅度にいたるともいふ。法性の常樂を証すといふ。無上覚にいたるとまふすなり。このさとりをうれば、すなはち大慈大悲きはまりて、生死海にかへりいりて、よろづの有情をたすくるを普賢の徳に帰せしむといふなり。」  かう親鸞聖人は説明して居られるのであります。普賢といふことは大慈悲の行をすることで、それを即ち普賢の徳に帰するといふのであります。  「この利益におもむくを来といふ。これを法性のみやこへかへるといふなり。迎といふは、むかへたまふといふ。まつといふこころなり。」  親鸞聖人は「迎」の字は待つといふ、向ふで迎へて下さる、仏の方で迎へて下さるといふのであります。普通に来迎といふことは仏の方からして、我々にいろいろな行を命ぜられて、その行を我々が努めて、その努めた結果死ぬる時には必ず迎へに行つてやるから安心して居れといふのでありまして、これは諸行往生と申すのであります。これは我々の方で功徳を積まなければならぬ、念仏を申して居らなければならぬ。ところが、親鸞聖人の考へられるやうに、我々は迚も功徳を積むことは出来ない、念仏を申したところがよい加減なことはやりますけれども、心から念仏申すことはありませぬ。本当の念仏をいつたと自分で思つたならば本当ではない。それ故に我々は真実の意味に於て念仏を申すわけもなければ、真実の意味に於て修行を成就するわけもない。諸行往生といふことは迚も出来るところの身分でないと、自分の力を捨て、自分のはからひを離れる時、そこに出て来るものは誓願真実の信心であります。その誓願真実の信心は、仏の方から若不生者の誓ひによつて我々の方へ賜る心持でありますから、憶念の心が始終あつて、臨終の時には必ず法性の都へかへるやうに、仏の方で待つて居られるといふのであります。それ故に「迎」といふのは「まつ」といふ意味だといはれるのであります。  これが本当の宗教といふものの心持でありませう。自分といふものが小さいものであるといふことがわかればわかる程大きなものに包まれて居るといふことがわかるのでありますし、自分の力が足らぬといふことがわかれば、必ず大きな力に引ずられて居るといふことがわかるものであります。考へて見ますると、今日まで我々は訛に引ずられて来た。自分に考へて生れたのでもなければ、自分に考へてゐる世界を作つたのでもなければ、作られた世の中に、ひよつと出て来たのであります。それも偶然に出て来たのではありますまい。けれども、さうかといつて考へて出て来たのでもありますまい。誰一人として考へて出たものはない。けれども偶然ではない。出るべき因縁があつて出て来たのであるとすれば、自分の周囲の力といふものは大きなものと考へなければなりませぬ。その力に引ずられて今まで来て居るのに、これから後その力に我々が反抗すれば真実の報士に行かれますまいけれども、その大きな力に隨順する誤り、我々はその力が我々を赴かしめたまふところに行くべきものでありませう。それが真実の報土でありませう。  さういふやうなことをいふと、又、そんなことではどこへ行くかわからぬ、実に不安心でたまらぬといふ。さういふことをいふ人は、仏の誓願、真実を疑つて居るのでありますから、今まで養はれて来たこの身体、今まで育つて来たこの心といふものを、自分の力で以て今日までやつて来たと考へて居るからであります。少し考へて見たらわかることでありませうが、我々は世の中でどの位多くの人の力に世話になつて生きて居るか、広く考へれば、それはもう天地至るところ、あらゆるもののお蔭によつて、今までかうして生きて来たのであります。若し仏といふことのわからぬ人ならば、それをすつかり合したものを、仏といつても差支ないのであります。今まで養はれて来たその力といふのは実に大きなものであり、又澤山な人だの、世界だのを経て来て居るのであります。その仏の心の中に包まれて、この生活をして居るのでありますから、必ずその大きなものの中に摂め取られなければならぬ筈のものであります。親が子供を産む、その産んだ子供をどうしても自分の中に取込まなければ、親といふものは成り立つものではありませぬ。若しその子供が何か悪るいことをすれば、それを取込まなければならぬ。それでありますから、不幸な子供は尚親が可愛がると昔からいふ。悪るければ悪るいだけ、それを自分の内に取込まなければならぬ、善ければさう世話をやかなくても、自分の中に取込むことは出来ますが、智慧の足らぬもの、道樂をするもの、悪るいことをするものは余程親が力を使はなければならぬ。放せば別でありますけれども、さうすまいとするところに、若不生者の誓ひがある。これは実に慈悲の広大なものであります。その光明に包まれて生活して居るのでありますから、我々の心にまことの心といふものが若し出るならば、それは必ず誓願真実の信心であります。まことの心があるべき筈のものではないが、もしあるとするならば必ず仏の心でありますから、その仏の心を自分の心の中に出した時に、憶念の心はやむわけはありませぬ。何時でも広大無辺の力に包まれて居るといふ考へのやむわけはないのであります。「憶念の心自然におこる」でありまして、全く周囲のものの催促によるのであります。それを今ここでは、宗教的な意味でお釈迦様と阿弥陀如来との二つにしてあるのであります。  本当の宗教といふものは、小さいこの自分の力といふものに値打を置かないで、それを拂ひ除けて現れて来る仏の本願に随うて、仏の本願のまま、それが法性の都へかへるやうに向ふでいつて居られるのでありますから、仏の仰せに随うて仏の命のまま、真実の報土へ赴くといふことが我々の終局の目的でありませう。宗教といふものは必ずさういふものでありませう。  親鸞聖人は宗教の感情といふものをこのやうに現されたのであります。兼好法師の「徒然草」の中に  「筑紫に何がしの押領司などいふやうなる者の有りけるが、土大根を萬にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ燒きてくひける事、年久しくなりぬ。あるとき館のうちに人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて囲みせめけるに、館のうちに兵二人いで来りて、命を惜まず戦ひて皆追ひ返してけり。いと不思議におぼえて「日ごろここに拝し給ふとも見ぬ人々の、かく戦し給ふはいかなる人ぞ」と問ひければ「年ごろ頼みて、朝な朝なめしつる土大根等に候ふ」といひて、うせにけり深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ」  と書いてあるのであります。毎朝大根を黒焼にして食つて居つた、その大根が来て敵を防いで呉れた、それだから信心をすれば大根でもさういふ徳があるだらうといふ。これは兼好法師がつけ加へられたのであります。幾ら大根に生命があつても、大根がそんなことをする筈はありますまい。これは譬話でありませう。奥田頼杖はこの話を説明をして  「兼好法師が「深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ、」と深切にしめしの辞をそへられました。御前さんがたでも、わたくしでも、深く身前へたち反つて、信心して見ますると、さういふやうな奇特は時々刻々にある事でございます。  その訳は、誰が身のうへにも朝から晩まで右のやうに、命を取りに来るかたきが幾等あるやら知れませんがそのおそろしい敵の内に、まづ一番のおそろしい大敵といふものが飢といふ敵ぢや、どんな御位の高い御歴々様でも、又いやしい奴でも、日には三度四度ほどづつ、この飢といふ大敵が、「サアサアそなたの命を取るぞ」と何所からかせめよすると、どうやら御腹がヒョコヒョコして何ぞたべものが欲しうなる、それがモウ敵の先手が見えたのじや。後には息がせかせか仕たり、眼がちらついたりして、「おりやもうどうもたまらぬ」といふやうになる、その段には何程深切な親兄弟が側に居ても、また忠義な家来が幾人をつてもとても加勢する事も出来ねば身がはりに立つ事も出来ぬゆえ、ちやうどかの押領司が広い館にたつた一人すわつて居ると同じ事でいづれ命を取られにやならぬ、誠に危いところじやけれど、さういふ難儀なあやふいところへたちまちすがたをあらはして、命をすてて身がはりに立つものはなんであろ、まづ米じやの、麥じやの、豆じやの、小豆ぢやのといふ五穀の類はいふに及ばず、その外の野菜もの、茄子じやの、胡瓜じやの、白瓜じやの、南京瓜じやの、冬になれば胡葡萄じやの、牛蒡じやの芋じやの、蕉じやのと大根ばかりじやござりませぬぞへ。その時々のものが出ておのれおのれが命を捨て、鼻の下の此穴へとび込んでくれればこそ御前さん方も私等も不思議な命をたすけられ、斯うして活きて居りますのぢや。それに又アノ大根といふものは漢土《かち》では人參といふとやらいひますが、野栄物の惣大将、七五三の御料理も大根が出ねば調はぬげなが、さういふ広大な徳をそなへたものなれど、自分を高ぶらず何国の浦でも澤山に出来るもので、世界の調法する物ゆゑ、その一とつの恩を挙げて、一切の物の恩を知らさう為め兼好法師の作文と見えます。」  と書いて居られるのでありますが、恐らくさうでありませう。  「なんとマアさう見るとありがたい事じやございませぬか。それから又、冬向は、鶴やら、鴈やら、鴨やら、黄雛やら、さまざまの鳥が出て人の為に命を取られたり、又毎日毎日海河から引あげらるる数萬の魚でも考へて御らうじませ。誰が為にアノやうにをしい命を取らるるぞ。あれがみんな御まへさんがたや、わたくし等が身がはりに立ちますじや。さらばといふてそれがみな、其物其物のあたりまへと共、思はぬことじやぞ。天の物を御生みなさるに誰がための彼がためのといふ立分して御生みなさるのではないけれど、大は小に養はれ小は大に制せらるるが自然の道理で此とほり助けられて居ますのじや。さうみますると御たがひに此たべ物ばかりの御恩でも大抵ありがたい事じやない。うかうかおもふと実に罰があたりますぞ。扨また二番に押寄すかたきには凍えるといふ敵もある。此敵に出會うても誰でも命は取られにやならぬが、その時は又綿じやの藁ぢやの毛織じやの紙子じやのといふのが、「どつこいやらぬ」と現れ出て人の為に命をすて、その大敵をふせいでくれる。」  という様にいろいろな話がありまして、それから、  「扨又、三番目の敵といふは、雨露や、雪霜に、此からだを打たれたら、斃れ死にでもせにやならぬところ、山に出来た松の木じやの、杉の木じやの、棒じやの、檜じやのといふ、さまざまの大木が人の為にその身を切られ、あのやうに柱に成つたり、鴨居に成つたり、敷居になつたり、座板に成つたりして、その大敵を追掃ひ、雨のふる日も風の夜も、此とほり、樂樂に寝起をさせて呉れますが、何とマア、ありがたい事じや御座りませぬか。古歌に    天地の中にはえたる草も木も神の姿と見つつ恐れよ  さう眼をつけて見ますと、アノ一本の柱でも、大抵ありがたいものじやない。アノ柱が、此屋根を持つて居てくれませぬと、御前さんがたや、わたくし等が代り番手に擔《かつ》いでをらにやならぬ。さう仕たら、大抵、やかましい事じやあるまい。「ヤレコレ誰ぞはやくかはりに来ぬか、おれはモウ最前からかたいで居るから、此骸が折れるやうなに、どれもどれも気の利かぬ奴等じや」などと常住小言たらたらで、嘸《さぞ》やかましい事であらふが、アノはしらは小言もいはず、そのうへ、給金取らずの只で、あのマア重いものを、年中かたいで居つて呉れる。しかしこりや、アノ柱ばかりの事じやないぞへ。一切萬物が、みんな、只で人のために命を捨てる。どのやうなはつめいなお三どのでも、摺鉢に味噌を入れて、握率ですつて御らうじ、二三べんもつかふたら手は無いやうにならにやならぬ所、摺子木といふ深切者が、そこへによつとあらはれ出て、その身を削つてお三どのの手を助ける。むかし、親鸞聖人、越後の国、御修行の時、あるものが、此すりこ木の画をかいて、「是へありがたい御しめしをなされて下され」と申したれば、その時聖人の歌に    身をけづり人をばすくふ摺子木の此あぢ知れる人ぞ尊き となされたといふ事じや。」  とある。これは固よりそんなことはないのでありませうが、兎も角も小が大に摂取せられなくてはならぬといふことは、毎日の生活から考へて確かであります。さうすれば、我々のやうな小さいものが大きなものに対して、その慈悲を感じなければならぬといふことも当然であります。小なるものが大なるものに引ずられて向へ来い来いといはれるから行くに限る、と申すよりもどうしても行かなければならぬ小さいものであります。親鸞聖人の宗教の考へからすれば、我々は如何なることがあつても、真実の報土へ行くべきものでありませう。それが仏の思召しでありませう。ただ我々の日常は、仏の思召しに背いてどうかして仏のいはれるやうな真実の報士へ行くまいと努力して居るのでありませう、それが我々の今日の生活でありませう。それが自力のはからひでありませう。それが諸行でありませうから、そこでその自力のはからひを捨てよといはれる。さうすれば仏のいはれる通ほりにならなければならぬ。行くべきところへ行かなければならぬとかういはれるのでありませう。奥田頼杖はそれから西行法師の歌をひいて  「何見ても何を聞いても有難やこの御仏のあらん限りは  ちつとまあおれがおれがの張臂をやめにして、御銘々、あたまのぎりぎりから足の爪先まで此からだの外囲ひ斗でも、よう、まあ、気をつけて考へて御らうじませ。実に不思議な物じやぞへ。先づ著物も著られぬ頭には、かみといふものを生《はや》し、ちよつと物が落かかつても、めつたに疵の付かぬやうに、頭巾がかぶせてある。又目は一身の明り取で大切な所ゆゑ、少し内へ引込めて、縁《ぐる》りには瞼といふものを揃へ、開閉も自由になるやうな仕懸をし、其うへ塵埃のはいらぬやうに、睫《まつげ》といふ埃仏までついてある。又その上の方へは土蔵の庇を見るやうに、眉といふ物をこしらへて、上から流れ汗水を、脇へ走らすやうな仕掛。又開閉ならぬ鼻の穴へは風の吹込まぬやうに、上からちやんと屋根が葺いてあるゆゑ、どんな北風に向いて往つても、内へ雨風の吹込むといふ事がない。ただ上屋根が少しぴりぴりするばかりじや。ひよつと此屋根が一とつでもなくて御らうじませ、夫は難儀なものじや。冬むき風の烈しい時には、後向に跡しざりして歩行にやならぬ、さうすると水溜へ踏込んだり、石や車へ突当つたり、大怪我せにやならぬ。それを其様なこころ遺ひもなく、自由自在に外を馳廻るもやつぱり此屋根の葺いてある御蔭、ありがたい事じや、そして此屋根は一生葺替の世話も入らぬ。しかし若い衆はめつたに狂遊ついて悪い所へ行くと、命よりも先へ此屋根をやぶつて仕舞ふぞ。大事な事じや。又口は一身を養ふ食物の入口ゆゑ、是又大切の場所じやによつて、格別念の入つた仕掛が仕てある。先づ、唇の伸屈みする工合から、向ふより入来るものの大小によつて、夫相応に御門の開閉。内には齒といふ役人を附けて置いて、胡葡《にんじん》でも牛蒡でも撫で大根でも、何でも爰であらごなしすると、舌といふ役人が、甘い辛いの吟味して、腹の中へ送り込む。」  と書いて居られる。冗談のやうでありますが、細かに考へて見るとその通ほりであります。全く私一人を生かすために、身体全体が働いて居る。けれどもそれに対して私共は恩を感じて居らぬ、口は食ふのは当り前だと思つて居る、何も別段にお禮をいふやうなことはないやうな心持がするのであります。  「夫から内の時計細工、筋骨の仕組から五臓六腑の仕掛工合、御医者様に聞いて御らうじ、きようといふものじやぞへ、是皆木火土金水の寄せ細工、出来合の物なれど、天道様の御細工は、よく行届いたものじやないか。その上目には萬の色形を見分け、耳には萬の音声を聞わけ、鼻に嗅ぎ、口に味ひ、手に取り、足にあゆみ、寝たり、起きたり、言ふたり、思ふたり、喰ふたり、たれたり、自由自在を働くは、どうした奇妙な仕かけであろ。ちつとまあ不審うつて御ろうじませ。実に智慧にも、才覚にも、理窟にも、算用にもはづれたものじやぞへ。それにまあいかに迷ふたとはいひながら、おれがからだはおれが物で、おれが自由を、おれがするとはよう思はれた事じや。その迷ひの思惑からおれはかしこいおれは利口なといふのが出て、どう參ればかう參る、こう參ればどう參ると、朝から晩まで将棋の詰手を考へるやうに、手を組んだり顔をしかめたり、胸の中の一人角力。どう參らぬと腹を立て、因果な事じやの、情ない事じやのと、天を恨み、人を咎め、いかに天道様が口きかしやれぬとて、あんまり我儘といふものじやないか。」  如何にもさうであります。かういふことは日常の我々の生活の上に於てのただの話でありますけれども、宗教の考へといふものも大体同じことであります。我々は自分といふものを本当に見ませぬから世の中のことがよくわからぬのであります。自分の身体でありますが、さういふ風に考へてみたら実に不思議に出来て居る、けれども我々はそれを何とも思つて居ないところに我儘の骨頂があります。若し自分の身体が自分の自由になるものならば、年も取らずに居つたらよいのでありますが、年を取らずに居らうと思つても年を取る、どうしても自分の思ふ通ほりにいかぬ、それ故にどうしても与へられた生活であるといふことは明かであります。我々の智慧や才覚といふものでは、理想に達することも出来なければ、我々の生活を全ふすることも出来ませぬから、さういふ小さい智慧を離れ、自力のはからひを離れなくてはならぬ。自力を離れるといふことは自分をよく見た後でなくては起きる心持ではありませぬ。内観が十分でなければ決して自分の力を離れることは出来ることではないのでありますから、そこで内観を説くのであります。自分の心の相をよく見るやうに説くのであります。さうするとそこに出て来る心持といふものが、所謂他力であります。その他力に摂取せられて生活を続けて行くといふところに、本当の生活が出来るのでありませう。  これは昔からいふことでありますけれども、我々は夢を見て居るのであるから、夢から醒めて見ると、平生の生活にかへる。けれどもその平生の生活はもとからある、そのもとからある平生の生活の間で夢を見て居るのである。夢が醒めればもとのところへかへるのである。法性の都へかへるといふ、もと法性の都から出て来た、それを今夢を見て居る、迷つて居るから、その迷ひの夢が醒めたらもとの世界へかへる。必ず法性の都にかへるより他に行くところがないのであります。夢の中で極樂などといふことを考へて、そこへ行つて見やうといふやうなことを思ふが、それは全く違ふ。さういふ心をやめて、仏の本願に随うて報土にかへる、我々のかへることを待つて居られる世界、即ち真実の報土に行くべきものでありませう。行かなければならぬものでありませう。それを行くまいと考へて居るところに、宗教の方から申せば、仏の御苦労があるのであります。そのために仏があるのであります。そのために仏が心配されるのでありませう。それでいろんな方便をして、これでもかこれでもかといつて、我々をして迷ひの境涯から離れさせやうとして居られるのでありませう。  第五講  「唯信鈔文意」のお話の続きであります。  「選擇本願の尊號、無上智慧の信心をききて、一念もうたがふところなければ真実信心といふ。」  「尊號」と申すのは、一番初めに「尊號といふは南無阿弥陀仏なり」と断つてありまして、その次  に又説明がしてあります。その説明は、  「この如来の尊號は不可称、不可説、不可思議にましますゆへに、一切衆生をして無上大般涅槃にいたらしめたまふ大慈大悲のちかひのみななり。」  とあります。そこで「選擇本願の尊號」でありますが、この尊號といふのは南価阿弥陀仏である、それは誓ひの御名だとかう断つて、さうしてその上に選擇本願とつけてあります。「本願」と申すのはもとのねがい、大きな願ひ、つまり仏の大きな願ひといふ意味であります。その願ひの数が「大無量壽経」といふお経に四十八の本願として挙げてありますから、そこで四十八願といつて居るのであります。けれども必ずしも四十八に限つたことはないのでありまして、「大無量壽経」は翻訳が二度も三度も出来て居りますが、それを較べて見ますと、他の方には五十二のもあり、三十八のもある。今行はれて居るのが四十八願でありますが、それは私共にいはせれば、四十八であらうが、百であらうが、一とつであらうが、どうでもよいのでありますが、釈尊がそれを四十八といつて居られるのであります。その中の選びとつた願、四十八願の中の主な願であります。一体仏の本願として四十八数へてあるものを読んで見ますと、全く我々人間が生きて行かうといふ心持をいろんな方へ分けて説いたのであります。それ故に結局本願といふものは生きて行かうとする強い力をいふのであります。人間といふものは生きて行かなければならぬ。その生きて行く力といふものは実に強い、つまりそれを申すので、仏の本願といふものは、結局我々の本願であります。  その四十八願の中の選び擇んだ願といへば、四十八願のどれかでなくてはなりませぬ。そのことを始めていひ出したのは法然上人でありませう。法然上人のいはれたことは「選擇本願念仏集」といふ書物に書かれてありますが、これはいふまでもなく、四十八の中の第十八の願を選擇本願といはれて居るのであります。それは念仏をする衆生は必ず助ける、若しそれが仏にならなければ自分も仏にならぬといふ風に誓いを立てて、さうしてその誓ひが本となつて修行をして、それが成就して仏になつて居られるのでありますから、それで念仏する衆生は必ず助かると説いてあります。それ故に、法然上人の心持では、選擇本願といへば必ず第十八の願であります。念仏をするのは必ず助かる、念仏をする衆生を助けるといふのでありますから、必ず念仏を要する。そこで南無阿弥陀仏のちかひの御名と、親鸞聖人はいはれるのであります。そのちかひの名といふのは本願のことで、その本願といふのは誓願といふことですから、それでちかひといはれる。本願によつて出来た名前だという意味でありませう。  ところで親鸞聖人のは法然上人と違つて、選擇本願といはれるのは第十七の願であります。これは他のところでお聞きになればよくわかりませうが、法然上人の念仏と親鸞聖人の念仏とは違ふわけであります、第十七の願といふものは我が名を他の仏が褒めてくれるといふことを本願だといはれる、即ち諸仏称名の願といふので、第十八願の方は念仏往生の願といふのであります。  で親鸞聖人は、その尊號は第十七の願が本となつてさうして出来た名前だ選擇本願の尊號といふのは四十八願の中の第十七番目の願、即ち十方の諸仏が自分の名を褒めて称へてくれるやうにと念願をして、その本願が名前となつて南無阿弥陀仏といふものが出来たのだとかういはれるのであります。第十七の願は「設ひ我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏悉く咨嗟《しさ》して我名を称せずんば正覚をとらじ」といふ願であります。つまり極く平易に申せば、総てのものが自分の名を称へてくれるやうにといふ念願であります。その十七の願が出来上つて南無阿弥陀仏といふ名前が出来上つたのだといふのであります。  「無上智慧の信心」、信心と申すのは仏の心が我々の心に現れて来た場合をいふのであるといふことは、親鸞聖人が始終説明して居られるのであります。そこで選擇本願の尊號といふところは、第十七の願から起るのでありますが、無上智慧の信心というのはその次の十八の願から起るのであります。念仏をする衆生は必ず助けるといふことは信心によることで、その信心というのは仏の心であります。仏の無上智慧といふものが我々の心の中に現れたことが即ち信心の智慧でありますから、そこで如来から賜つた信心によつて我々が無上の信心を得るとかういふのであります。  そこで、あの文章を読んで御覧になるとよくわかるのでありますが、「選擇本願の尊號無上智慧の信心をききて」と書いてある、親鸞聖人の書き方はああいふところは非常に意味があるのであります。信心といふものは聞かれるものではありますまい、けれどそれを「きいて」とかういはれるのであります。それは尊號を称へる、即ち名前を呼ぶことは我々の方からいへば一とつの行であります。それから無上智慧の信心を得るといふことは我々の心からいへば信であります。その行と信との謂れを聞いて、即ち選擇本願の尊號、無上智慧の信心の謂れを聞いて、一念もうたがふ心のないのを、それを信心といふといはれるのであります。  一体、仏教は前からしばしば申す通ほりに、教行証と、かういふ風に分けて考へられて居るのでありまして、教と申すのは、釈尊の説かれたことであります。その教を聞いて、その教の通ほりに実行して行くことを行といふのであります。八正道を履めと釈尊が説かれる、さうするとその釈尊の教に從ふて八正道を履んで行くことを行といふ、その結果さとりを開く、証はさとりであります。体驗のさとりを開く、かう申すのがつまり仏教の根本の考へでありませう。教を聞いてその教の通ほりに実行して、修行をして、さうして行けば必ず仏になることが出来るぞとかう説くのであります。  ところで私がかねがね申して居る通ほりに、親鸞聖人の考へといふものは、さういふやうなことを研究するのではありませぬ。親鸞聖人の態度といふものは、自分の心の中に釈尊の精神が出て来ることを始終考へて居られるのであります。普通の人々の考へて居るのとは考へが違ふ、どこまでも違ふ、総てが違ふ。この親鸞聖人の考へは、御自身の書かれた「教行信証」といふ書物に出て居るのであります。  「それ真実の教をあらはさば、すなはち大無量壽経これなり。」 と書いてあります。釈尊はいろいろ説いて居られますから、釈尊が説かれたものは皆教でなければならぬけれども、しかし親鸞聖人からいへば「大無量壽経これなり」であります。  「この経の大意は弥陀ちかひを超発してひろく法蔵をひらき、凡小をあはれんで、えらんで功徳の寶を施すことをいたす。」  如来の本願を説くことは「大無量壽経」の主な点であります。それ故に親鸞聖人の教といふものは如来の本願であります。さうしてその教を我々に説いた釈尊はその教への主でありますが、我々が心の救ひを得るのは弥陀であります。他の仏教ならば釈尊が我々を救ふ教を説いて、さうして我々を救つて下さるといふのでありますから救ひの主は釈尊であります。それ故に釈尊を仏として祭るべきでありませう。その釈尊の教を実行して行くのが仏教の原則でありまして、それ故に普通の仏教では戒定慧の三学を修めることをいふ。これを行といふのであります。八正道といふものは、約めて戒定慧の三学であります。八正道を履めば仏になるといふことは、戒定慧の三学をやつたならば仏になるといふことであります。  ところが親鸞聖人のは、釈等がいろいろ説かれたけれども、その中で教といふものは「大無量壽継」であるから、その「大無量壽継」に説いてあるところを見ると、弥陀の本願は、如何なる罪の深いものでも、如何なる愚かなものでも、一切の衆生を救ふて行かうといふのでありますから、その行は戒定慧の三学ではない。それならばどういふことが行かと申しますと、親鸞聖人の説明によるとそれは「大行」であります。大行といふのは大きな行と書いてある。それは親鸞聖人の考へが、行といふものは矢張り仏の方から我々の方へなさしめるものであるからといふ意味で、大行といはれたのでありませう。  「大行といふはすなはち無碍光如来のみなを称するなり」即ち、親鸞聖人の行といはれるのは念仏であります。仏の名を称へるのが行だといふ。  「この行は大悲の願よりいでたり、すなはちこれを諸仏称揚の願と名く」即ち十七の願であります。我々が念仏するといふことは仏の十七の願があるから、即ち総ての仏が自分の名を褒めたたえて、その名を称へるやうにといふ願を発されたからで、それ故に我々が念仏するのは仏がなさしめるといふのであります。親鸞聖人の行は戒定慧でなくして念仏であります。他の方では教を聞いて実行をして行けば悟りを開くといふのでありますが、親鸞聖人のはその間に信といふのが一とつ加はる。教行信証、一寸要らぬやうなものが一とつ加はるのであります。その説明には「大信とは金剛不壊の真心」、金剛の如く壊れないまことのこころだ、といはれるのであります。  「この心すなはちこれ念仏往生の願よりいでたり」、さういふ心は仏が第十八の願を起して一切の衆生、念仏するものは必ず助けるといふ願から出て来たので、それが一とつここへ加はるのであります。釈尊が「大無量壽経」を説かれて、念仏すれば必ず往生するといはれれば、ただ念仏すればよささうでありますけれども、それには我我をして金剛不壊の信心を起さしめる願といふものがそこにあるといふことを知らなければならぬ。一切を自分の心でするやうに考へるのが我々の常でありますから、そこでそれを強く説かれたのであります。それ故に、普通の人に説明をさせますならば、釈尊の説かれた「大無量壽経」を信じてその通ほりに行をして行けばよい筈であります。矢張り教行証でよい筈であります。ところが殊更に、教行信証といはれるのには、私は実に深い意味があると思ふのであります。  「この信心をうれば等正覚にいたりて、補処の弥勒におなじくして、無上覚をなるべしといへり。」これは他のお経にさういふことが書いてあるといはれたのであります。この信心を得れば、正覚に等しい、本当の悟りを開かれたに等しいところまで行つて、補処、おぎなふところと書いてありまして、これは次ぎ次ぎと仏になるその階級をいふので、もう少しすれば仏になるものであります。補処の弥勒に同じくして、この上もない覚りを開かれるであらうといはれたのであります。  「すなはち正定聚のくらゐにさだまるなり」  正定聚といふことは等正覚も同じであります。まさに定まる人の数であります。  「このゆへに信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと、金剛のごとくなり。」  それだからして堅いところにいたる。  「しかれば金剛の信心といふなり。」  その信心は金剛の如くやぶれないから、金剛の信心といふ。  「大経には願生彼国即得往生住不退転とのたまへり」、  大無量壽経には彼の国に生れんと願へば即ち往生を得、不退転に住すとかう書いてある。  「願生彼国は、かの国にうまれんとねがふべきなり」  「ねがふべきなり」といふのは願ふといふ。願生は、かのくにに生ぜんと願ふのであります。  「即得往生は信心をうればすなはち往生すといふ、すなはち往生すといふは不退転に住するをいふ。不退転に住すといふは、すなはち正定聚のくらゐにさだまるなり、成等正覚ともいへり、これを即得往生といふなり。即はすなはちといふ、すなはちといふは、ときをへだてず、ひをへだてぬをいふなり。」  同じことを繰返して説明がしてあるのであります。この大体を申上げたいのであります。  真実信心を得たならば正定聚といふ位にまで行くことが出来て、さうして退転をしない、うしろへ帰つて来ない。それは仏ではないけれども、しかし仏の悟りを開かれたと同じやうなところまで行けるというわけであります。それ故にその人が弥勒と同じやうなところまで行つて居るのであるから、その人間の一生を過せば無上覚をさとるに違ひない、今でこそ煩悩具足の凡夫であるけれども、命がなくなつた時に無上覚をさとるといふことは必ず出来るものだといはれるのであります。生きて居る間はどこまでも凡夫だけれど死んだならば必ずお淨土に至ることに間違いのないものだ、かういふ意味であります。風が吹いてる山といふものは動かぬのと同じやうに、煩悩の風が幾ら吹いても金剛の信心は山の如く動かぬから、そこで真実の信心をうれば必ず無上覚を悟ることが出来る。「大経」にはさういふ場合に、即得往生といふ言葉が使つてあるのであります。まことの信心を得るといふと、往生をすることが出来るのであります。その往生といふのは心が退転をしないことであります。その境まで行つたことをいふのでありまして、真実信心を得る時には即ち無碍光仏の心の中に摂め取つて行かれるのであります。そこで我々は必ず捨てられない。さういふことを不退転に住すといふのであります。  大体の説明はそれですんだ筈でありますが、そこでもう少し申上げなくてはならぬことはこの文句の主な斯点であります。その主な点は如来の選擇本願の尊號、つまり誓ひの名前、この名前を称へるといふことは仏の本願であるから、それ故に我々が念仏をするので、その念仏するものが必ず助けられるからかういふ風に説いてある。この意味は一体どういふことをいふのであるかと申すと、たとへばここに仏といふものがちやんと居られて、さうして、その辺に人間が居つてこの仏が四十八願をこの方へ出して、どんなのでも皆引かけて行くといふことを考へれば、これは大変によいものでありませう。よくわかる。大きな仏といふものが居つて、さうして我々のやうな悪るいものを、罪が深からうが浅からうが、昔引かけて行くといへば、成る程といつて、欲張つた人は直ぐそれに引かかる。ところが人間の考へといふものは、自分といふものを抜きにして、さうして向ふを考へることが出来るか、又仏を考へることが出来るか、これは私は実際の問題だと思ふのであります。ちやんと仏といふものがあるに決めてしまつて、さうしてそれが広大無量の慈悲をなどといふことをいへばよいのでありますけれども、さういふことで幾ら安心して居つても駄目であります。即ち安心出来る間は考へないでもよいのであり、又安心が出来なくなるといくら考へても駄目であります。  人間といふものは平生まあいい加減なことをいつて何とか彼とかそこをごまかしをすることが出来るものでありますから、我慢も出来るし、それからして昔から申す諦めるといふことも出来るし、かういふ我といふものを中心にこいつがひよつと膨れると、これを押へつける、しかしこつちを押へつければ又こつちの方が膨れる。けれどもこれは押へつけて押へつけることの出来る場合です。つまり諦めたといつて自分で安心して欺したり、すかしたり、厭迫したりして行きますけれども、しかし我といふものがちやんとある以上はこつちを押へればこつちが出る、こつちを引込めればここが出るのであります。そこで問題は迚も普通の心で以て始末のつかぬ、我慢をしやうにも我慢が出来ぬ、諦めやうにも諦めることが出来ぬ、さういふところに仏の名を呼ぶ、或は念仏を申すといふ、それは矢張りこいつが飛び出すのと同じことであります。もうやりきれぬから、仕方がないからどつかあの辺から他人の力を借りて来やうといふのでありませう。  私が始終申す通ほりにお母さんお母さんといつて大きな声で呼べば、どこからかお母さんが出て来るから、これも出るか、知れぬけれども、出ないかも知れぬ。何時まで経つてもお母さんが出て来ぬかも知れぬ。そこでさういふ風な念仏はこれは仏教の方では弥勒念仏と申して居りまして、親鸞聖人などのいはれる念仏ではありませぬ。もつと学問的にいへば、観念の念仏といふのであります。仏の相を考へて、仏の心といふものをちやんと考へてさうして仏の名を呼ぶ、しかしそれ仏を見たことはないのでありませうから、それは教はつたか何かして、つまり経に書いてあることを自分でさうだらうさうだらうと考へ、さうしてその考へによつて仏の相を知り、仏の心を知り、そこで仏のお慈悲といふのは広大無辺だといふことを知つてさうして仏の名を呼ぶ。けれどもこの観念の念仏は畢竟無勒念仏でありますから、そこで苦しい時の神だのみ以上に出るわけはないのであります。あくびにまじつて出ることもありませんけれども、さういふ全く意味のない時に出る念仏といふものはその人に役に立つものではない。眠たい時に出るとか、風呂に入つて心持のよい時に出る念仏といふものは、自然に出て来るおならと同じであります。さういふやうなことはどこまでもその人の心持の上の事でありませう。親鸞聖人はそれをひどく痛欺されて「末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈む」と言つて居られるのであります。それを自性唯心といふ、全く自分の心だけの話であります。  それでその仏がどうであるか、その世界がどうであるかといふ時に、親鸞聖人はそれを、不可称、不可説、不可思議といはれる、仏の心が不可称であり、不可思議であり、不可説であれば、我々はさういふことを考へることは出来ない筈であります。そこで我々の心に仏を念ずるといふ心が起きたならばそれは仏の心がはたらいて居らなければならぬと思ひます。自分の方から仏を念ずるといふことがあつたならば、自性唯心でありませう。それ故に自分が南無阿弥陀仏の名を称へるといふことは、称へざるを得ないからでありませう。そこに意味があるのではないでせうか。称へたくない、念仏がいやだといふ人があつたならば、反対に念仏を称へて居る、黙つて居るのは称へないのであるけれども、念仏はいやだといふのは縁のある人でありませう。無関係ならば意味はないが、いやだといふのは、その心に念仏といふものをせしめられる強い力のはたらきを受けて居るからであります。念仏をしろ念仏をしろといふ強い力がはたらくと、自分がいやだいやだといつて居るのはその力に動かされて居るのでありませう。そこで結局、一切の衆生はどうあつても、かうあつても、念仏せしめやうといふのが「大無量壽経」に説かれてある仏の本願の主な点であります。  そこでその十七の願からして出来た南無阿弥陀仏といふ名前は、それは畢竟、親が自分の子供にお母さんといへとかう念願をして居る、その念願と全く同じであります。そのいはせたい念願が強くはたらいて居るから、その力によつて子供がお母さんといふのでありませう。それは実際の生活について考へて御覧になつてもわかるのであります。自分の子供に自分を親といはせたいのでありますから、それ故に子供を可愛がる。それは必ずその子供の心に徹底するから、そこでお母さんといはざるを得ぬのでありませう。子供にはお母さんといふ意味がどんなことであるか、何故お母さんといふのかわからぬでありませう。しかしどういふことかわからぬでもよいでありませう。人がいふからそれをいへばよいのでせう。西洋ではママーといふ、ママーといつても御飯のことではない、それを近頃は日本でもお母さんのことをママーといへといふ。しかし日本でママーといつたら御飯のことであります。又お父さんのことをパパーといふが、これも日本の言葉ではない、西洋で赤ん坊がお父さんのことをパパーといふ。日本でもお母さんといふのは「おつかあ」といふのが初めでありませう。初めはただ「かか」それからお母さんといふやうになつた。さうすると真言でいふ通ほり「阿」が初めだから「ああ」といつてもよい。初めていふ言葉を使つてパパー、ママーといふ。けれどそれはただ人間の考へでありまして、実際何のことかわからぬといつてもよい。殊に母親などといふことは何のことかわからぬ、さういふことを詮索して、わからなければいはぬといふのではありませぬ。そんなことはわからぬでも、母といへといふ心持が強く動いて居るから、母の方に動いて居るから、そこでその心が子供に徹底して母といふのであります。さうしてお母さんといふところにその人のお母さんに対する心持というものは強く動いて居るのであります。  それ故に我々が南無阿弥陀仏ということは何のことかわからぬ。でもその名前を称へるところに阿弥陀仏の本願に対する強い心がはたらいて居るのであります。さうすれば、その南無阿弥陀仏といふ名を称へるのは畢竟阿弥陀仏の力によつて称へるので、かういふ心持にまで行つたならば、どこに仏があるか、そんなことは少しも詮索する必要はない、仏はどんなものであるかといふやうな観念は少しも必要はない。ただ仏の名を称ふればよい、親鸞聖人のいはれる心持はそれであります。そこで親鸞聖人はそのことを「教行信証」の中にやかましく説いて居られる。それも、人の言つたことを引いて、その後に、  「しかればみなを称するに、よく衆生一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願をみてたまふ、称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり、正業はすなはちこれ念仏なり、念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりとしるべし、」  とかう書いてあるのであります。仏が向ふにあるといふことを観念してその仏の心を観念し、さうして仏の慈悲といふものを観念して仏の名を称へる。しかしながら仏といふのは、実に不可称、不可思議、不可説でありますから、さういふことを我々に考へさすといふことは仏の名によるのだから、そこで仏の名を称へる。そこに動いて居る心は我のはたらきではないから、我々が念仏を申すのも我々の心でない。仏の心がはたらいて居るのだから、真実の信心といふと繰返して申して居られるのであります。  宗教といふものはさういふ風な心持になつて行くことを申すのでありませう。そこで、仏教といふものを宗教として考へた時に、矢張り念仏以外に出るわけはありませぬ。他のことは皆学問であり、研究であります。  「竹林鈔」といふ昔の書物にかういふことをよく書いてありますが、今私のいつたやうなことを書いて後に  「然らば自身を観じて妄念の心を止めることを勵まふより巳れを忘れ仏名を称へるべし」 私の申すのはこの意味であります。それ故に自身というものをよく考へて、どうもまことに罪の深い浅ましい実に憐れなものであるから、どうか仏のお助けを願いたいといふことをするよりも、さういふ風なことを忘れてしまつて、さういふ自分といふ形を持つて居るのを忘れて、さうして仏を念すべきものである。  仏の名を念ずるは、念即ち無念だから、それ故に自らにして開けるといふ、親鸞聖人のこの言葉確かにこの考へだと思ふのであります。我といふものの有様が悪るいと知ることは知つてる、その悪るいといふことから離れて居り、或は悪るいといふことを押へつけやうとするところに、たとへ念仏したところがその念仏は自分の念でありますから、本当の行ではありませぬ。本当の行は、さういふ風にして自身を観じて妄念をやめるといふことを勵むよりも、さういふ風な念を捨てた方がよい。即ち己れを忘れて仏の名を称へるのが宗教の本当の心持であらうと思ふのであります。  第六講  前から続いて親鸞聖人の「唯信鈔文意」のお話をいたして居るのであります。  「彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才 不簡多聞持淨戒 不簡破戒罪根深 但使迴心多念仏 能令瓦磔変成金」  「彼の仏因中に弘誓を立て、」を親鸞聖人は次のやうに説明して居られるのであります。  「彼仏因中立弘誓、このこころは彼はかのといふ、仏は阿弥陀仏なり、因中は法蔵菩薩とまうししときなり、立弘誓は立はたつといふ、なるといふ、弘はひろしといふ、ひろまるといふ。誓はちかひといふ。法域比丘、超世無上のちかひをおこして、ひろくひろめたまふとなり、超世は余の仏の御ちかひにすぐれたまへりとなり、超はこえたりといふ、うへなしといふ。如来、弘誓をおこしたまへるやうはこの唯信鈔にくはしくあらはせり」  親鸞聖人の講釈によりますと「彼の仏」といふのは阿弥陀仏のことで、「因中」と申すのは仏になる種を今作つて居る間といふのであります。「因」は種、原因であります。仏になる原因であります。仏になる原因を今作つてゐる、即ち修行して居る。その時の名前を法蔵菩薩といふ、法蔵菩薩が大きな誓ひを立てて、即ち一切の衆生を助けやうという大きな誓ひを立てられた。  「聞名念我といふは聞はきくといふ。信心をあらはすみのりなり。名は如来のちかひの名號なり、念我しまうすはこのみなを憶念せよとなり。諸仏称名の悲願にあらはせり。憶念といふは、信心まことなる人は本願をつねにおもひいづるこころの、たえずつねなるなり。総迎来といふは総はふさねてといふ、すべてみなといふところなり。迎はむかふるといふ、まつという、他力をあらはすこころなり。来はかへるといふ、きたるといふ。法性のみやこへ、むかへゐてかへらしむとなり。法性のみやこより、衆生利益のために、娑婆界にきたりたまふゆへに、来をきたるといふなり。経には從如来生とのたまへり、從如といふは、真如よりとまうす。来生といふは、きたり生ずといふなり。」  南無阿弥陀仏といふ名を聞いて、我を念ずるものは総て迎へとる。我を念ずるといふのは、南無阿弥陀仏を念ずる。「他力をあらはすこころなり」とあるのは、仏がすべて迎へとつて下さるといふ意味であります。自分の方から行くのではありませぬ。それ故に、「法性のみやこより」というのはまことによい言葉であります。私は、この親鸞聖人の言葉が実によいと思ふ。極樂といふことでありますけれども、それを法性のみやこといはれるのであります。法性のみやこから仏がこの娑婆世界へ出て来られたといふ意味であります。それで真如から来りてこの世に生れるといふ、それを如来と申すのであります。つまり法性の都から衆生濟度のためにこの世に現れるものであるから、名を聞いて、さうしてそれを憶念するものは、(憶念といふのは始終思ふことであります)総て迎へとると言ふのであります。  その次に「不簡貧窮将富貴云々」、これを普通の言葉にすれば、貧窮と、将た富貴とを簡ばず、金のない人でも、金のある人でも一切選ばぬ、皆助ける。それから下智と高才とを簡ばず、智慧のない人も智慧のある人も選ばぬ。それから多聞と淨戒を持するとを簡ばず、多聞即ち仏の教を多く聞く人も、淨戒を持する即ち戒律を持つて仏の教に従つて居るものも簡ばぬ。それから破戒と罪根の深いとを簡ばず、戒を破る人も亦罪根の深いものもそれを簡ばぬ、皆助ける、一切を助ける。さういふ風な大きな誓いを立てて、さうしてその誓いを我々にわからすために、つまり我々に知らすために、相手をそこに出された、その相手が南無阿弥陀仏でありますから、この名號を聞いて我を念ずるものがあつたならば必ず助けるといふ意味であります。  私は、親の例を始終申すのでありますが、それが一番手近かであるから申すのであります。親が子供を可愛がるといふことは親の大きな誓ひでありませう。親が大きな誓ひを子供のために立てて、その誓ひは親といふ名前で我々に知らされるのでありますから、それでその誓ひをお母さんといふ名號によつて知らされ、親の慈悲といふものがわかつたならば、必ず親の心の中に取り込まれるといふことがわかる筈であります。どんなものでも、如何なる悪人も、如何なる善人も如何なる偉い人も、如何なる愚かなものも、金持も貧乏人も、一切のそれらを迎へとる。  「迎来」といふのはまつ、きたらしむといふ、普通の読方ならばこれは迎へに来るといふ意味であります。けれど親鸞聖人のは他力を現す言葉であるから、迎へまつのであります。仏の方で待つて居られるという、これは親鸞聖人の考へが何時でも他力であるからであります。  「但だ廻心して多く念仏せしめ、能く瓦礫をして変じて金と成らしむ」  ただ心をまはすといふのは、仏の方へ心を向けることをいふのであります。廻向といふことにしても同じであります。廻向は功徳を仏の方へ向けることをいふのであります。心を仏の方へ向けて澤山に念仏せしめる、さうすると瓦礫のやうなくだらないものを金に変へる、かう書いてある。ところがそれは普通の講釈でありまして、親鸞聖人の講釈は、  「但使廻心多念仏といふは、但使廻心はひとへに廻心せしめよといふこころなり」  とある。少し無理でありますけれども、しかし親鸞聖人はさう講釈される、「ただ廻心せしむ」といふことは「廻心せしめよ」といふことであるといはれる。  「廻心といふは自力の心をひるがへしすつるをいふなり」  廻心といふのは心を仏の方へ向けるのではない、自分の持つて居る心を一切捨てることをいふ。これが本当の宗教の意味であります。  「実報土にむまるる人は、」  実報土といふのは、その本願の結果としてそこに出て来る、現れて来る国で、真実の報士といふのであります。法性の都も同じことでありますけれども、いひ方が違ふ、真実の報土といふのであります。この真実の報土に生るる人は、  「かならず無碍光仏の心中におさめとりたまふゆへに、金剛の信心となるなり、この故に多念仏とまうすなり、」  大変に説き方が違ふ、普通の説き方ならば多く念仏せしむでありますが、親鸞聖人はさうは言はれぬ、廻心といふのは自分のいろいろのはからひを全く捨てることを廻心といふ。それから多念仏といふのは、  「多は大のこころなり、勝のこころなり、増上のこころなり、大はおほきなり、勝はすぐれたり、よろづの善にまされりとしるべし、増上はよろづの善にすぐれたるなり、これすなはち他力本願無上のゆへなり。」  多念仏といふのは大きな勝れた念仏だということであります。  「自力のこころをすつといふは」  そこで思ふことは、自分の心を捨てるといふのであるが、それはどういふことであるかを説明して居られるのであります。  「やうやうさまざまの大小の聖人善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふところをすて、身をたのまず、あしきこころをさかしくかへりみず、」  「やうやうさまざま」といふのはいろいろといふことであります。「大小の聖人」といふのは、偉い人に大小がありますから、非常に偉い聖人と、さう偉くない聖人と。「善悪の凡夫の」は、凡夫にもよい悪るいがありますから、偉い人にも大小があり、偉くない人にも大小がある。「あしきこころをさかしくかへりみず」といふのは、自分の心の悪るいことを知つて、それを彼是考へることが駄目だといふ意味であります。それ故に自分の心が悪るいということをこざかしく、猿智慧をまはして、彼是穿鑿《せんさく》することをやめるという意味であります。  「また人をよしあしとおもふこころをすてて」  自分もさうでありますが、人のよしあしをいふことをやめて  「ひとすぢに具縛の凡夫、屠活の下類」  屠沽といふのは穢多乞食の類をいふ、下類といふのは穢く下等なといふ意味であります。  「無碍光仏の不可思議の誓願、広大智慧の名號を信樂すれば煩悩を具足しながら、無上大涅槃にいたるなり、具縛といふはよろづの煩悩にしばられたるわれらなり。」  それ故に、我々のことを具縛の凡夫といふ、具さに縛られる、つまり澤山に煩悩といふものを持つて居つて、その煩悩に縛られて居りますから、それで具穢の凡夫といふ。  「煩は身をわづらはす、悩はこころをなやますといふ。」  これはこんなに講釈をしなくても、煩悩が身や心をわづらはすといふ意味でありませうけれども、親鸞聖人は細かに説明して居られるのであります。  「屠はよろづのいきたるものをころしほふるもの、これは猟師といふものなり、沽はよろづのものをうりかふものなり、これはあき人なり、これらを下類といふなり。かやうのあきひと、猟師、さまざまのものはみないしかはらつぶてのごとくなるわれらなり。」  これも自分のことをいふのであります。屠活といふことは、穢多、非人、乞食の類をいふ。それを親鸞聖人は、屠といふのは猟師、沽といふのは商賣人、さういふのは下類であるといふ、猟師や商賣人が下類といふわけでありますまいけれども、殺生したり、人をだまして金を取つたりして居るものを下類といふ、これもやつぱり自分のことをいつて居るのであります。  「能令瓦礫変成金といふは能はよくといふ、令はせしむといふ、瓦はかはらといふ、礫はつぶてといふ、変成金は変成はかへなすといふ、金はこがねといふ、如来の本願を信ずればかはらつぶてのごとくなるわれらをこがねにかへなさしむとたとへたまへるなり。あきひと猟師などは、いしかはらつぶてのごとくなるを、如来の摂取のひかりにおさめとりたまふてすてたまはず、これひとへにまことの信心のゆへなればなりとしるべし。摂取のひかりとまうすは、無碍光仏の御こころのうちに、おさめとりたまふゆへに金剛の信心とまうすなり、文のこころはおもふほどはまうしあらはしさふらはねども、あらあらまうすなり。」  この講釈では十分にこのお経の文字の意味を現すことが出来ないが、まあざつと説明するといはれるのであります。我々のやうな愚かなものがと、さう考へるといふことやめなくてはいかぬ。それを、こざかしく猿智慧をまはして何とか彼とかいふべきものではない、一切のはからひをやめて、仏の本願に信順をしなくてはならない。仏に信順しなくてはならぬといふことは、聞くといふことであります。これが親鸞聖人の非常に大切な心持であります。  「聞名念我といふは聞はきくといふ、信心をあらはすみのりなり。」  他の仏教のお話をお聞きになると、「聞」といふことは仏の教を聞くことであります。しかし聞いただけで悩みは断たれない、仏の教を聞いて、さうして教の如く所謂如実に修行をしなくてはならぬ。四苦八苦といふものは、結局自分が作つたものであるから、その自分の作つたものは自分がやめなければならぬ。さういふ教を聞いて修行をしなければ結果といふものは全くない、ただ聞いただけでは何でもないのであります。  ところが親鸞聖人の考へでありますと、聞くというのは名號を聞くのでありまして、仏の教を聞くのではありませぬ。聞くといふのは名前を聞く、その名前は南無阿弥陀仏であります。それ故に聞くことそれ自らが信心であります。仏の名號を聞けばただそれを信ずるのみ、何等自分のはからひといふものをそこに入れるべきものではないのであります。自分のはからひを入れれば聞いたのではない。所謂教として聞いて、さうしてそれを信じやうか信じまいかと考へて居る。さういふことをいふのではありませぬ。お母さんといふ名前が聞えたならばそれを直ぐ信ずる。お母さんといふ名前が聞えたけれども、あれが本当のお母さんかどうか研究しやうといふのでは宗教にはなりませぬ。お母さんといはれたその言葉を直ぐ自分が信ぜられる時、それを宗教といふのであります。他力であるゆへにといふのは、お母さんは自分の子供に対して無量の慈悲を現して居る、その心がはたらいて居るから、それ故にお母さんといふ言葉を聞いて、何等自分のはからひなく、それが信ぜられた場合「聞」は信心であります。親鸞聖人のいはれる宗教といふものはそれをいはれるのであります。  「真実信心をうれば、実報土にむまるとおしへたまへるを浄土真宗とすとしるべし」  今も申した通ほりに仏の名前を聞いて直ぐにそれが信ぜられる心持を浄土真宗といふのだといふ、それはどうしてさういふ心持が起るかといへば自力のはからひをやめるからであります。何とも考へないやうな心持になつて居るからであります。考へていかぬとか、考へなくてはならぬとかいふのではない、何となくさういふ風な考へが浮いて出る。昔の妙好人の話をよくいたしますが、どの妙好人でもさうであります。  大和清九郎が泥棒に入られた時に禮を申した、そのお体のいひ方も三通ほりあることを書物に書いてありますが、自分と雖も人のものを取りかねまじきものであるのに、仏さんのお慈悲で取られる方の役へ廻していただいたことはまことに有り難いといつて喜んで居るといふ、さういふことは考へて起きる心持ではないのであります。清九郎がさういふことをいつたさうだからといつて、自分やつてやらうと思つて言つても、言葉だけは同じでありますけれども、心持は違ふのであります。清九郎のは有り難い心持が出て来て、それに今申したやうな考へがくつついて出て来るのであります。誰もさういふことを教へたのではない。仏教にはさういふことを考へろとは書いてありません。どこにも書いてありますまい。けれどもさういふ考へが自然に出て来るのであります。  広島の奥に壬生といふところがあります。そこに五助といふものがありました。それが或時田の苗代をやつて泥を手につけて、さうして食事をするために自分の家へ帰る途中、侍にぶつかつた。その時どうした加減かその泥が侍の著物についた、さうすると侍が怒つた、斬捨御免の世の中でありますから、刀へ手をかけて無禮者待てといふ、さうすると五助が手を合してあなたは無常樣のお使ひですかといつた。さうすると侍が気狂かといつて五助は無難であつたのであります。無常様のお使といふことは、考へていへるわけのものではありませぬ。一生懸命絶対絶命の時であります。刀に手をかけて居るのであります。  今まだ生きている人間でありますがこれも壬生といふところから少し離れたところの者であります。下男をして居る。或時風呂に入つた、どうもそれが音がしない、どうしたのかと思つて窓から一寸覗いて見ると風呂の前に裸体になつてしやがんで居る。どうしたときくと、風呂があつくて這入れぬといふ。あつくて這入れなければ水でもうめたらよからうといふと、地獄の釜はもつとあついだらうといつて我慢してゐる。そんな馬鹿なことを考へなくてもよいのでありますが、その人間としては実に大きな仏の慈悲を考へて居るのでありませう。そんな馬鹿なことをいふ方がよいといふのではありませぬ。さういふ心持がおのづから、考へもしないで、それが道理でないかといふことも少しも考へないで、ひよつと出るところに普通の人ならば大きな声で怒鳴るのでありませうが、どならないですむところに、実に大きな力がはたらいて居ると思ふのであります。かういふことは日常生活の上に於いてもあることでありますが、宗教はもつと大きな問題でありまして、自分の力ではどうすることも出来ない、そのせつぱ詰つた時に出て来る心持であります。自力の心をすてて、自分の悪るいといふことをこざかしく論議しないで、法の不思議に接するといふことでなければ始末がつかないと申すのであります。  盤珪禅師のお話は、前に致したことがありますが、神宗の大家であります。その盤珪禅師のところに書生が集つて居る。その中に一人悪るいものが居た。そこで他のお弟子が、あんな悪るいものをこの塾に置かれては迷惑をする、あれを追出してくれ、若しあれが追出されないならば自分等が皆出ませう。どつちかにしてくれと申上げたのであります。さうするとさうかそれならば皆出てくれ、あなた方は偉いから何も私のところに居る必要はない、私は悪るいものを置いて世話をしやう、といはれたので、皆が閉口したさうであります。普通の人の心持は反対であります。我々はあいつは悪るい、といつて悪い者を惜ものであります。学校などは悪る者をよくするところでありませうが、それでも憎む、悪るいものを皆退校させる。況してその他のところでは悪るいものを憎むのは当り前のやうであります。けれども盤珪禅師の心持は、仏の本願をよく信知して居られると思ふのであります。  又、そのお弟子の中に金がなくなつたといふ詮議をしたところが、某が取つたに違ひないといふ人が大勢ある。さうするとその疑はれた人が盤珪禅師のところに行つて、私が金を取つたと疑はれて迷惑をしますから詮議をして下さい、つまり詮索をして下さいといつた。さうすると盤珪禅師がその人に向いて、さうかお前さんは実際取られたのかといはれた。いや私は決して取つたことはない、全く無実の罪だといふ。禅師は、さうか、それならばいいではないか、人が何といはうとも、自分が取らぬといふことならばいいではないか、いやそれでは私が迷惑をしますといふ。禅師は又、さうか、詮索をすると罪人が出るがそれは迷惑ではないか、といはれたので、それには閉口したのであります。誰の心持ちさうであります。さういふことが、親鸞聖人のいはれる自力の心持であります。皆、自分の功利的な心持であり、人のよしあしをいつたりする心持でありますから、さういふ風な心持では迚も駄目だといふのであります。  その盤珪禅師がこれは名高いものでありますから、お聞きになつたことと思ひますが、「臼ひき歌」といふのを作つて居られるのであります。  「仏さまこそおいとしうござる、そとのかざりにまばゆかろ」  あまり仏さんを綺麗に飾つてあるからまばゆくて迷惑をして居られることであらう、気の毒だ。  「内の仏にやそりやまだはやい、門の仁王にまづなりやれ」  まだこの門の仁王の番でもした方がよからう。  「われと浄土をたづねてみたら、けつく仏にきらはれた」  極樂極樂といふと、どうか極樂へ行きたいのだが、われと浄土をたづねてみたら、けつく仏にきらはれた。  「鬼の心であつめた金を、がきにとられて目がまうた」  これは世間の相であります。  「ぢごくきらひの極樂ずきで、らくなせかいに苦をうけた」  地獄が嫌ひで極樂が好き、さういふ心持であるから、元来は樂であるべき世間で苦しみを作つて居る。要らざることを考へるからであります。  「金がほしさに命をすてて、すててみたれば金いらず」  徹底して居る。金が欲しいから命を捨てて見たところが、命を捨てたら金は要らぬのであります。  昔の話に、冬の寒い時に小便がしたくなつた、便所へ行くのが面倒だから戸を開けて、庭でやつてやらうと思つて戸を開けやうとしたところが、氷で締つて戸が開かない、そこで小便をして開けた、開けて見たらもう小便の役に立たぬといふのがある、皆かういふ心持であります。  「冬の頃しも悦ぶたき火、夏のくるほどあらいやや  夏の頃しもとぼしき風も、秋のはてぬにはやにくむ  人にかたきは元なきものぢや、是非をあらそふ我がなる」  これは禅宗一派の考へであります。自分といふのが仇だ、そのかたきを始末をしなくてはならぬといふ、その始末をしなくてはならぬといふやうなこざかしき心を離れるといふことが自力を捨てるといふことであります。我々の心といふものは、仏の信心をいただくことによつて、瓦礫のまま、それが金のやうなものになるといふ意味であります。煩悩を具へて居りながら、それが仏の国に生れることが出来るといふ、さういふ風な意味であります。  一体、かういふやうな親鸞聖人の書かれたお経の言葉を覚えてお出でになるといふことは、宗教の考へをそとへ出すのに大変都合のよいことであります。その言葉を覚えてさへ居りさへすれば、(暗誦しなくても聞いて居りさへすれば覚えておるのであります)まさかの時にひよつとそれが出て来る、そこに強い力がある。内観をして自力を捨てれば、直ぐにそこに宗教のはたらきは出るといひますけれども、しかしさういふ風な考へを正しく導くのには、昔の人のいはれた言葉は考へを言葉に出して居りますから、その言葉を覚えて居るといふことは便利なのであります。それでかういふやうなことをお話をいたすのであります。  第七講  今日お話をいたす文句は、「唯信鈔」の中に引いてある支那の善導大師の書かれた書物の中にある文句であります、日本読みに読めば  「極樂は無為涅槃界なり。縁に隨ふ雑善恐くは生れ難からん。故に如来要法を選び、教へて弥陀を念じて専ら復た專らならしむ。」  この善導大師の文句を、親鸞聖人が説明をして居られるのでありますけれど極めて長い。極めて丁寧に親切にこれを説明してありますから、極く短い文句でありますけれども、仏教の要なところがこれでよくわかると思ふのであります。この文字を講釈すれば極く簡単であります。無為といふのは我々のすることに反対をして居る、我々のこの心のはたらきは有為であります。為すことがある。極樂は無為、我々の有為に反対である。涅槃といふのは煩悩を断つて妄識をすつかりなくしたことであります。そこで極樂といふところは我々の心のはたらきでない、煩悩を断ち妄識をすつかり離れて居るところであるから、我々が事に觸れ、縁に随ひて、出来るだけのことをして、いろいろの善いことをしたところが、それでは極樂に生れることは出来ないであらう。それ故に如来は要な法といふものを選んで、それを敢へて、弥陀の名を称ふ、それを一生懸命にせしめることをされた。それによつて極樂に往生することが出来るといふ。極く簡単でありますけれども、これは余程説明を要するのであります。むつかしいことであります。これを極く簡単に、世間の人がよく考へて居るやうに、西方十萬億土に極樂があつて、そこに仏さんが居つて、そこへ行くのだというならば何でもない、そんなことはただ話でありまして自分のものにはならぬ、仏教の意味はさういふことでありませんから、そこでそれを叮嚀に説明をしてあるのであります。  「極樂無為涅槃界といふは、極樂とまうすは、かの安樂浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり、かのくにをば安養といへり」  先づ文字の方から講釈をすれば、極樂といふ言葉は、「観無量壽経」と「阿弥陀経」といふ二つのお経に出て居る名前であります。さうしてそれを安樂浄土、安養と、二つ名前が出て居る。この安樂と安養といふ名前は「大無量壽経」といふお経に出て居るのであります。「大無量壽経」が真実の教であり、「観無量壽経」は方便の教といはれて居るのであります。親鸞聖人は、安養と安樂と極樂といふ三つの名前を並べて、さうしてこれは皆同じことだとかういつて居られるのでありますが、しかしこれはこれから後説明が出て来ますが、その間に区別がある。安養といはれるものと、安樂といふのは真実の報土だといふ。それから極樂といふのは真実の報土と、さうして化土とかう二つ意味があるといふ。  ともかく親鸞聖人は、極樂といふ名前は全く使はれないのであります。これには深い意味があるのであります。「観無量壽雛」といふ経に書いてあるのでありますから、古くから仏教に伝へた名前でありますけれども、それは全く使つて居られぬ。これを数へた人がありますが、僅か三つしか使つてないといふのであります。恐らくはさうでありませう。屡々使つて居られる名前は以下の報土であります。これには今申した通ほりに深い意味があるのでありまして、そのことを今お話をいたすのであります。  極樂とかういひますと、今申した通ほりに、西方の極樂、西方の浄土といふ。西の方に十萬億仏土仏土といふのは三千大千世界を三つ集めたものであります。さうするとこの世界全体を三つ集めた、それを十萬億集めた、その向ふにある、どんな遠方かわからぬ、そんな遠方まで行けるかどうかわからぬ、地球を離れること僅か一里位で空気がなくなつてしまふ、二里位行けばもう死ぬる、行けるか行けぬかわからぬ、兎に角十萬億仏土といふ、その遙か遙か向ふの方に極樂といふところがある。かう現に「観無量壽経」に書いてある。お経に書いてあることは確かでありますから、その通ほりを信じなくてはいかぬとかういはれて、若し信ずる人があつたならば、余程偉い人か余程馬鹿か、中位の人はなかなか信じないのでありまして、まあ恐らく馬鹿でありませう。偉い人はさういかない筈であります。それならば何故さういふことを書いてあるか。これは人間の書いた書物といふものは一体どういふ筋のものかを考へて見れば直ぐわかるものでありまして、心持を文字に書きますとあることないこと皆一緒に書くものであります。書くことは差支ないが、それをそのままにそれが事実と考へるところに智慧の足らぬところがあるのであります。そこで多くの人はさういふ記載を疑ふのであります。  昔からいろいろな話があるのであります。水野十郎右衛門といふ幕府の旗本が、品川の東海寺の澤庵和尚のところに行つて、地獄極樂がありますか、と聞いた。さうすると澤庵和尚が、そんなことは知らぬと言つた。坊さんでありながら、仏教を専門として居りながら、地獄極樂があるかどうか知らぬとは何事か、と聞いた。澤庵和尚は、知らぬ、そんなことは知らぬ、お前さんは旅をするのに雨具を持つて行くかときかれた。昔のことですから持つて行つたものであります。何故持つて行くかといはれると、若し途中で雨が降るといけないから用意のために持つて行きますといふ。さうすると澤庵和尚が、若し地獄があつたらどうするか、極樂があつたらどうするか、さういつて水野をへこましたといふ話があるのであります。これは恐らく嘘でありませう。誰でもいひさうなことであります。人間の先の世はわからぬものですから、若しさういふところがあつたらどうするとかういふのでありますが、しかしあつたらどうするといふことは問題ではない。そんなことは真面目に考へれば少しも問題ではない。さういふ子供をだますやうな話は別として、さういふことはただ心のはたらきの上でいふことなのであります。  昔或国の武士が一休和尚へ見參していはれますのは、拙者も是まで学問いたし、凡そ天地の間の事何一つ疑ひもないやうに思ひますが、只一つ合点のまゐらぬことは、仏法にいはるる地獄極樂の説でござる、仏説にもしつかりあるやうに説いた所もあれば、又無いやうにいふた所もあるやうに見えます。「阿弥陀経」には、ここを去ること十萬億土に極樂といふものがあるといひ、「大無量壽経」には大海の如く茫漠無尽にしてわからぬといふ、あれは全体どちらを本当にいたしたもので御座らう、いよいよ有るのでござるか、又無ものでござるか、といひますると、一休和尚、かの士の顔をじつとねめつけ、「地獄があるか極樂があるか、そのやうなことを尋ねまはるおのれは全体何者ぞといはれますので、かの士はやつきとなつて、拙者は素より武士でござるが、地獄極樂の有無を承はらうと申すのが、何といたしたぞといはれましたれば、和尚へへら笑ひながら、ナニ武士じや、そなたもやつぱり武士の内か、武士なら野武士か山伏か但し木附子か鰹節か、全体誠の武士ならば武士道程は知れて居りそなものじやが、其方はまだ武士道も知らぬと見える、コレ武士といふものはその天窓のてつぺんからその足の爪先までといはふか、命までも主人のもので、其方のものでは元来ないぞよ、されば先、治世の時は銘々の役義に晝夜心を尽し、主人の用事の欠ざるやう大切に勤め、スハ御大事といふ時は主人の御馬先に立て命を的に敵の中へも駈入敵の首を幾等でも討て取ねばならぬものぞよ、さういふ大切な身を持て居りながら、うかうかと爰へ来て地獄が有かの極樂が有かのと、そりや何の譫言《うわごと》ぞ、有ば又どうする了簡ぞ、おのれがやうなのを世間では鈍武士ともいへば腰拔武士ともいへば穀潰ともいふわいやい、エッここな喰ひ潰しめがといひさま扇子を持て天窓をピシャリと殴りたれば、かの武士もくわつとせきあげ、おのれここな軽口坊主の、最前からいはして置ば勝手次第な悪口雑言、たとひ仏体を仮て居るとも其儘には捨置ぬ、サア覚悟せよと側にある刀を取てスラと引拔ましたれば、一休和尚肝を潰して、そりやこそ拔たヤレ逃よと広い座へ飛下て逃られるを、後より士はおのれ逃るとも逃さふかと氷の如き拔身をふり上げ、息をせいて追かけまわれば一休和尚後をふり向、その姿を指さして、アラおそろしや、それが地獄じや地獄じやといはれましたげな。  かういふ風な考へも昔から広くある。地獄極樂といつてもさう遠方にあるのではない。自分の心の苦しむ時が地獄、自分の心の平和なのが極樂、かういふのでありますが、そんなら別に地獄があると説かなくてもよい。地獄は苦しみ極樂は樂しむ、それでよい、さうして未来にそんなものがあるといはなくてもよいのであります。かういふ風に、我々の考へがいろいろになつて来るといふことは、結局極樂は無為涅槃界であるといふ意味がはつきりわからぬからであります。  涅槃界といふことを親鸞聖人はつぎのやうに説明して居られるのであります。  「涅槃界といふは無明のまどひをひるがへして無上覚をさとるなり。」  無明の暗をはらひ除けて、この上ない仏の覚りをひらくことを無為涅槃界といふ。極樂といふところが何も西方十萬億土の彼方にあつてもなくてもよい、あると考へるのは差支ないけれど、何もあるといはなくてもよい。それならばどういうことをいふかといへば、心の行く先であります。  先づ今日は二月二十五日、その二十五日といふものを、我々は貪瞋痴の二十五日に作つて居るのであります。二十五日といふものは我々に関係はない、その私に関係のない二月二十五日といふものを、私の貪る心と瞋り腹立つ心と愚癡の心とで以て私の二十五日に今拵へて居る。私に関係のない二月二十五日といふものは、私が目をつむつて居つても、他所へ行つてもちやんとある、私に関係のない世界が出来て居る、私に関係のない二月二十五日は恐らくは二十六日、二十七日とかう続くでありませう。どこまでも行くでありませう。それから私の貪る心、瞋り腹立つ心、愚癡の心で以つて作つて居る二十五日も矢張りこの二十五日の中にあるでありませう。さうしてずつと行つたらどこまで行くかといふと地獄に行くのであります。地獄といふのはこの貪瞋痴の三つで作り上げた国をいふのであります。私の二月二十五日といふものは地獄まで行くが、しかし私に関係のない二十五日といふものはどこまで行つても同じであります。所謂無為涅槃界であります。これを極樂というならば、我々は行けない、私の貪る心と瞑り腹立つ心と愚痴の心で作り上げた二月二十五日、二十六日、二十七日とどこまで行つても無為涅槃界でない、即ち地獄へ行くのであります。極樂は無為涅槃界であるから、貪瞋痴の三つの心を持つて居る我々がどんなよいことをしても駄目でありませう。その本が貪瞋痴であるからどんな善いことをしても貪瞋痴でありませう。人のために慈悲をやつたところが貪瞋痴であります。自分が名譽を得やうとか、自分がよいものにならうとか、自分が偉いものにならうとか、皆同じであります。貪瞋痴といふものを離れて私といふものがないからであります。かういふ風な心を以て、この境のまるで違ふ極樂を望むといふことは結局貪欲であります。  曇鸞大師が、極樂はたのしむと聞いて參らむと願ひ望むものは仏にならずと書いて居る、それを蓮如上人も引いて居られるのであります。その通ほりでありませう。  心学の書物の中にはかういふことは昔からよくいつてあります。京へ行かう、京へ行つてやらうと思ふと、行かぬうちから京へ往生して居る。これは面白い言い方であります。京へ行つてやらうとい時には京へ行つて居る。あれが欲しいと思ふ、もう泥棒に往生して居るといふ。なかなか面白いことをいうのであります。湯を沸すといふ人はあるが、水を蒸いて湯にするとはいはない。湯の沸かぬうちから湯になつて居る。一寸気がつきませぬがさうであります。それから飯を焚くといけれども、米を焚いて飯にせよとはいはぬ。飯を焚いたらこげるが、と書いてあります。如何にもよく考へたるものであります。飯を焚いたらこげるか、又は粥になるかであるがしかし矢張り飯を焚くといふ。つまり一念が大切であるから、この一念があつて二十五日、二十六日と、皆貪瞋痴の二十五日、二十六日だから、結局どつかで死にませうが、死んだらこの先へ行く、決して極樂に行くことはないのであります。それ故に昔から、仏教で極樂に行くといふことは、この貪瞋痴を磨き立てて貪りの心をやめ、瞋り腹立つ心を鎮め、愚痴といふものを直して偉くなれとかういふのであります。それはさうでありませう。若し貪る心、瞋り腹立つ心、さうして愚痴の心がなかつたならば、所謂無為涅槃界であります。この方の二十五日ですから、この中に所謂無為涅槃界もあるかも知れませぬ。我々の煩悩の心の中にも仏心がある、それを磨けば出て来るといひますが、それは理屈であります。何故かといふと、貪瞋痴を持つて居る仏心といふもののある筈はありませぬ。人のものが欲しい、さういふ仏のあるわけはない。腹の立つ仏のあるわけはない、それから愚痴をいふ仏さんのあるわけはない。若しあればそれは仏ではない。名前だけ仏さんであります。それ故に昔から仏教でいふところの、貪瞋痴を磨き立て、それをなくしてしまへば、極樂に行けるといふ、これは行けるといふだけの話であります。行ける筈だ、道理だといふのでありまして、道理と実際とは違ふのであります。我々は貪瞋痴を磨き立てることが出来ない、瞋り腹立つ心をやめることが出来ない、やめることが出来なければやめないで居るか、しかしあつてもよいといふやうな心であるならば、始めからやめやうという心の起るわけはありませぬ。やめやう、法を求めやうとい心持は、貪瞋痴の自分の心の浅ましい相に目が覚めた後の話でありますから、どうかしてやめやうといふ心持が起きるのでありますが、やまない。人間の貪瞋痴、所謂三毒の煩悩といふものは如何にも強いのであります。  昔、浄土宗の名高い大徳でありました義山和尚が、京都で講釈をして居られる時に、真宗の若い坊さんが二人ほどその講釈を聞きに行つた。大変に奇特であるからといふので義山和尚は優待された。或晩講義が遅くなつて夜が寒い、そこで御馳走をされた。まあ大した御馳走ではありますまいが、兎も角も空腹を凌ぐ御馳走をしやうといふので、用意をさせた、ところがなかなか出来ない。そこで和尚が立つて臺所へ行つて催促でもされるらしいのでありますから、若い真宗の坊さんは、そこで待つて居る。暫くするといふと、和尚の泣声が聞える。大変不審でありますけれども、しかし何事かわからぬ、暫く経つて和尚が出て来られて、さうしてまあ御馳走があつた。そこでその泣かれたわけが始めてわかつたのであります。それは平生小僧にいひつけてあつたお客に出す箸が二通ほりか三通ほりあつて、上等のお客さんに出す箸と、中位のお客さんに出す箸と、どうでもいいお客さんに出す箸と、さういふ風に区別がしてあつた。それを間違へて自分の学生ですから中等以下の箸を出すべきものを上等の箸を出して居つたから叱つた。叱つた後で考へて見ると、日課として六萬遍の称名を称へ、それを功徳として居られるところのその功徳が、その腹を立てたので皆消えてしまつた、まことに殘念だといつて泣いたといふのであります。その話を若い真宗の人が聞いて大いに感じて帰りがけに道で二人が話したのであります。義山和尚のやうな大徳の人でも貪瞋痴の三毒の煩悩から離れることは容易でない。一日苦労して六萬遍の念仏をして、さうして大きな功徳を積んだやうでも、お客に出す箸のことで以て、瞋恚のほむらをもやすと、労して作り上げた功徳はまるで消えるといふことになると、まるで賽の河原に石を積むやうなものである。自分等は仕合せに浄土真宗の流れをくんで居るから、さういふことをしなくても仏のお慈悲で往生することが出来るといつて喜んで話をしたといふことが書いてあります。  この話は有名な話でありますが、超然といふ浄土真宗の偉い人が又その話をして、実にその通ほりだ、我が親鸞聖人の教では、自分の浅ましい心を直して、極樂に行かうといふのでないから、まことに容易いことだと、かう書いてありますが、それはどういふ積りで書かれたか知らぬのでありますが、よく考へて見ると、親鸞聖人の教は、貪瞋痴をありのままに放つて置いて、それはどうでもよいからと言つて居られるのでは決してないのであります。どこまでも三毒の煩悩で以て作り上げた二十五日といふものは、その三毒の煩悩で作ることをやめない限り、二十六日、二十七日、二十八日と来る日も来る日も三毒であります。死んだからといつて消えるわけはない、どこまで行つてもその通ほりであります。結局我々は地獄必定といふのであります。それ故にその地獄といふものは今あるわけはない、今あるのは三毒の煩悩であります。三毒の煩悩が、この身体のある間二十五日、二十六日と行つて居るから、この身体が、ぽつとなくなつた時に地獄であります。それが東にあらうと西にあらうと北にあらうと南にあらうと、どこにあらうとそんなことはわからぬで差支ないと思ふ。明日がわかつたならば大変であります。わからないから、明日が来るだらうといつて我慢が出来るが、わかつたら大変であります。わからぬところに強い意味があるのであります。ところがその三毒の煩悩は何時まで経つても三毒の煩悩でありますから、結局三毒の煩悩のおしまひのところに行くでありませう。けれどそれは誰しも嫌ひであります。誰も好くわけはない、どうかしてそれを通れなくてはならぬといふことになるのであります。  ところで今申した通ほりに、仏教では、どの教でも大抵この三毒の煩悩を綺麗にするといふことを説くのであります。又他の宗旨でもさうであります。大抵の宗教といふものはさうやるのであります。又それが道理に適つて居るのであります。我々は三毒の煩悩をくつつけるから、三毒の二十五日が出来るのだけれども、それを取つてしまつたならば真如の世界、我々の勝手のない世界があるから、その三毒を取つてしまつたらよいといふ。けれどもそれは理窟であります。さらに違ひないけれども、取れないのは三毒の煩悩であります。  禅宗の坊さんで修行によつて腹の立つのがやんだといふ坊さんが居つた。どんなことをやつても腹を立てない。そこで若いものが寄つてあの坊さんに腹を立てさすことが出来たら褒美をやらうといつて、褒美で腹を立てさすことをやつたのであります。いろんなことをやつたが腹を立てない人ですから、或若いのが考へついて、その和尚の帰る時にお寺の門の屋根に上つて、さうして和尚さんの頭の上から小便をやつた。腹を立てるだらうと思つて見て居ると、そのまま入つてしまつた。そこで和尚の部屋へ行つて只今非常に失徳なことをした若いものが居りますが、定めて御立腹でありませうといつたところが、和尚は屋根の上から烏が小便をした、烏の小便がここにかかつたといつて平気な顔をして居る。それでその賞与も何も貰へなかつたといふ話があるのであります。けれどもそれは私が考へるのに、腹を立てて居る、腹を立てて居るのだけれどを知らぬ顔をして居る、所謂ごまかして居る、一寸考へて御覧になればわかりますが、腹の立つた時には畜生!といふでありませう。鳥は畜生であります。人間が屋根の上から小便をするのを見て烏が小便をしたといふ、烏と人間と間違ふのは馬鹿であります。人間が小便をしたと思へば腹が立つが、鳥が小便をしたのだと思へば腹は立たぬといふ。それは道を歩いて居つて人が水をかければ腹が立つが、夕立ならば默つて居るのと同じやうなもので、腹を立てて仕方がないと思ふから默つて居るので、相手があれば腹を立てるのであります。夕立だから腹を立てないのではない、夕立がものをいへば喧嘩をするが、仕方がないと思ふから黙つて居る。人間が屋根の上から小便をするを見て鳥が小便をしたといふ、この位腹を立てて居るのはない。心の内が平和な状態ではない。さういふことを腹を立てないのだといふところに仏教でいふ所謂嘘がある、仏教ではさういふことは皆嘘偽とするのであります。如何にも虚偽であります。心口各異でありますから口と心と違ふのは嘘であります。私がかういふ下らぬ話をして居るのを聞いて早くやめたらよいと思つて居つても黙つて聞いて居る、それも嘘であります。心と口が違つて居れば皆嘘であります。虚偽であります、さういふことは迚もやめやうとてやめられないそいつを大雑把に見て自分は嘘をいつたことはないといふ、そんなことをいうのが嘘であります。理想としては嘘をいつてはいかぬから、嘘をいはないやうにしなければならぬけれども、人間は嘘をいはないやうにするといふことは容易なことではないのであります。深く内省すれば皆嘘であります。理想としてはどんなことでも描くことは出来るが、しかし貪瞋痴を離れることは出来ないのであります。そこで地獄一定、何れの行も及び難き身なれば地獄は一定住処でありませう。  親鸞聖人はさういふ我々の心の相を見て、我々が無為涅槃界に至る道といふものは、ただもう貪瞋痴の三つといふものに目をつけるより仕方がないといはれるのであります。つまり我々は貪瞋痴の三毒の煩悩がある故に、無為涅槃界に至ることの出来ないものだとかう考へた時に我といふ思ひは皆消えて居る。貪瞋痴の三毒が悪るいから三毒をやめて極樂に行かうといふところに貪りの心が強くはたらいて居る。さうしてそれが出来なければ腹を立てる、癇癪を起す、何れの行も及び難き身であるから迚も無為涅槃界に至ることは出来ないといふのであります。三毒の煩悩ははたらいて居るけれども、その値打のなくなつたといふ状態になつた時、我々は無為涅槃界に至る道があるのであります。これはむつかしい理屈でありますけれども、そのむつかしい理屈を説くために詳しくいつて居られるのでありまして、それは一寸読んで見ますとよくわかるのであります。  「涅槃界といふは、無明のまどひをひるがへして無上覚をさとるなり、界はさかひといふ、さとりをひらくさかひなりとしるべし、涅槃とまうすにその名無量なり、くはしくまうすにあたはず、おろおろその名をあらはすべし」  涅槃界といふことは澤山に名前があつて、精しく分けることは出来ない。ただ一とつ二つ挙げやう。  「涅槃をば滅度といふ、無為といふ、安樂といふ、常樂といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ、仏性すなはち如来なり、この如来微塵世界にみちみちてまします、すなはち一切群生海のこころにみちたまへるなり、草木国土ことごとくみな成仏すとけり」  これはあまり長くなりますからこの次にお話をいたすのでありますが、かういふ風に考へて御覧になればいいでありませう。  極樂といふものは結局、我々の妄識を離れた世界であります。妄識を離れた世界でありますから、我々の身体が生きてはたらいて居る間にあるべき世界ではない。どうしてこの身体が息を引取つた後でなければあるわけはない。さうしてそれは三毒の煩悩で以て進んで行つた世界ならば必ず無為涅槃界でない。地獄であります。地獄とは無為涅槃界でないことを申すのであります。そこで三毒の煩悩を離れて進んで行けば、それが無為涅槃界であることはいふまでもないことでありますから、釈尊の説法を読んで御覧になると、三毒の煩悩を離れて無為涅槃界に行くと説いてあることは当り前のことであります。けれども三毒の煩悩を離れることの出来ない自分であるといふことを知つた時、三毒の煩悩を離れて涅槃界に行けといはれる釈尊の教が私のものとなるのであります。釈尊の教を聞いてその通ほりしやうとしても迚も自分の力では出来ないといふことがわかつて、ふり返つて見る時に釈尊の教が私のものとなるのであります。三毒の煩悩を離れて無為涅槃界に至ることの出来ない自分だといふことの、さういふ自分の現れた時、その時貪瞋痴の三毒は消えてゐる、はたらきはありますけれども、値打がない。つまりむさぼる心がない、極樂へ行かうといふのではない、それで行けないからといつて腹の立つこともなければ、愚痴も起らないのであります。  よく私が申すとほり、自分を知つた位偉いことはない、又自分を知らぬ位馬鹿なことはないのであります。自分を知つたと申しましても「知らざるを知らずとせよこれ知れるなり」と支那人もいつて居りますが、ギリシャでも昔ソクラテスの時にソフィストといはれてゐた偉い人々がギリシャの町々を講演をして歩いたことがある、これは学問を教へる事を職業とした人々であります。それをソクラテスがひやかして、自分はソフィストよりも偉い、何故かといふに自分は何も知つて居ないといふことを知つて居るから偉いと言つた。その通ほりでありませう。自分が知つて居るといつたら知らぬのでありませう。さうして嘘でありませう。私は何にも知りませぬといつたら本当でありませう。この位確かなことはない。自分が愚かであるということを知ればこの位偉いことはない。さうすれば貪瞋痴の三毒の煩悩を持ちながらそれが無為涅槃界に行くことも出来るのであります。必ず行くとは限りませぬが、行くことも出来る、それは我々をして貪瞋痴の三毒を顧みさす光りの力でありませう。それを宗教的に申した場合には仏のお慈悲であります。仏のお慈悲に照らされて、不思議の力に動かされて、さういふ自分を見ることが出来たならば、三毒の煩悩を持ちながらそれが無為涅槃界に至るのでありませう。至るか至らぬかわからぬ、しかしながらさういふ心持の行くべきところは必ず無為涅槃界でなくてはならぬ筈でありますから、そこで自分を顧みることが出来たなら、何時でも命が終れば極樂に往生することの出来る身分であるといふ自分を有り難く守つて行かなくてはならないということになるのであります。それを平生業成といふ。親鸞聖人はさういふ場合を即得往生といつて居られるのであります。宗教生活といふのはこれを申すのであらうと思ひます。  第八講  前に引きつづいて  「この一切有情の心に、方便法身の誓願を信樂するがゆへに、この信心すなはち仏性なり、この仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり」  前のところは真如といふものの講釈でありまして、真如とか又は一如とか、その名前をいろいろ挙げてあるのであります。その中で仏性と法性、まだ他にありますが、この真如又は一如といふのは世の中の一番本になるもの、根本を申すのであります。まことといふことであります。まことといふのは人間の心を離れて居るといふ意味であります。それ故にこれは宇宙の本であります、と申しましても固よりそれは人間の考へであります。この世界といふものはもともとこの真如といふものが根本であつて、その根本からして、山とか川とか或は人間とか一切のものが出来上るのであると、人間が考へていふのであります。それは人間が考へるのでありますから、よくそれを間違はないやうにしなければならぬのであります。果してそんなものがあるかないかわからぬのでありますが、宇宙の根本を真如と立てるのであります。それ故にこれは全く哲学の考へであります。その本からして、或は法性或は仏性、かういふものが又生れて出るのでありますが、その法性といふのは、総てのものにこの真如が出て居る場合に法性といふのであります。それから仏性といふのは、その真如が生きたものにある、例へば人間の中にある真如、或は犬や猫の中にある真如、それを仏性といふのであります。つまり、人間の中にある真如は仏性、それからしてコップや机などの中にあるものは法性、さうしてそれは皆おなじものだといふのであります。  「真如といふ、一如といふ、仏性といふ、仏性すなはち如来なり」  真如が生きたのにはたらきをあらはした場合には仏性であつて、それは即ち如来だといふ。涅槃といふのも、滅度というのも、無為というのも、安樂といふのも、常樂というのも、法身というのも、実相というのも、法身というのも、法性というのも、皆同じことである、皆一とつことである。それ故に仏性を考へてもそれは如来である。この如来が微塵世界にみちみちて居る。即ち仏性といふものは生きたものの中に一ぱいでありますから、即ち一切の群生海、総ての生き物の心の中にみちみちて居る。それで  「草木国土ことごとくみな成仏す」  と言はれる。草でも木でも土地でも何でも彼でも一切が仏に成る、これが仏教の考へでありまして、哲学の上ではさういふ風に考へるのであります。それ故に如何なるものといへども成仏する、草木国土悉く皆成仏するといふ。これは理屈でありますが、さう考へなければ、人間が仏に成るといふことは理解出来ないのであります。仏に成る仏性があればこそ仏に成るのでありますから、仏性のないものが仏に成るわけは決して無いのであります。普通の仏教ではかう説くのでありまして、どの仏教でもそれを本として考へるのでありまして、親鸞聖人の考へる、矢張りその根本としてはさうであります。  ところで、その次に説明がしてあるのであります。  「この一切有情の心に方便法身の誓願を信樂するがゆへに」  これは、我々人間の心に、方便法身の誓願仏の本願のことをいふのであります――を信樂する、信じて樂《よろこ》ぶ。  「この信心すなはち仏性なり」  信樂といふことは信心であります。さうしてこの信心が即ち仏性である。  「仏性すなはち法性なり。法性すなはち法身なり」  世の中の根本になるものが真如で、その真如が生きたものに出た場合には仏性といふのであるから、それは如来である。その如来は世の中の一切のものにみちみちて居るから、それ故に草木国土皆成仏するといふのであります。それを我々の心持の上に考へて見まするといふと、我々の心の上に如来の本願を信樂したならば、その如来の本願というのは、仏が我々を助けるといはれるのであるから、それを私が信樂したならば、その信じた心といふものは仏性である。その仏性は法性である、法性は即ち法身であるから、そこで我々の仏といふものが出て来るのであります。  我々の心持を考へて見まするといふと、どこにも仏性らしいものは見つからぬ筈であります。しかしながら総てのものが仏性を有つて居るのでありますから、見つからぬけれども持つて居る筈であります。そこで仏性の見つからぬ我々のやうな心のものにでも、仏の本願が信樂されたならば、信じられたならば、その信ずるといふ心持は仏性でありますから、それを自分の心の中に仏性が見つかるとかういふのであります。即ち悉皆成仏、総てのものが成仏するといふ考へを親鸞聖人も亦持つて居られるのであります。自分の心を見ると仏らしい心はない、仏らしい心はないけれど仏の本願を信ずるといふ心は仏の心である。我々が仏のお慈悲をありがたいとい本心が起きたならば、それは自分の心でなく仏の心、仏性であるから、仏性が見つかるといふ、そこに銘々の仏といふものがあらはれて来るのであります。つまり如来の本願を信じなければといふものはあるものでないといふのであります。始終申すのでありますが、仏といふものが何処か別のところにあつて、それが自分の心の中に出たり入つたりするというわけではありませぬ。若し如来の本願を信じなかつたならば仏はない、如来の本願が信じられたならば、それが仏であり、法性であり、法身であります。  これからが親鸞聖人の説明であります。  「しかれば仏について二種の法身まします」  法身といふのは仏の身体といふ意味であります。つまり身体を以てそこにあらはれるから法身といふ。それで仏には二つの身体がある。これは説明でありますが、この説明がよく理解が出来ませんと、親鸞聖人の考へがわからぬのでありますが、実に精しく説いてあります。  「ひとつには法性法身とまうす。ふたつには方便法身とまうす」  それ故に仏さんのあらはれ方が二通ほりある。これは現はれ方と申したらよいでありませう。つまり仏が現れるのに二通ほりの形がある。一とつは法性法身、一とつは方便法身。その中の  「法性法身とまうすはいろもなし、かたちもましまさず、しかればこころもおよばず、ことばたえたり」  法性法身といふのは、色もなし、形もなし、見ることも出来ず、聞くことも出来ず、考へることも出来ず、言ふことも出来ず、全くの法性である。つまり理窟であり、真理であります。つまり真理として法性法身といふものがあるが、それは何ものかといへば真如である。前にも申した通ほり、宇宙の本といふものが真理であります。それ故に真如といふものは人間が考へた理窟であります。さういふものはあるかないかわかりませんけれども、さうあるべきものだと考へたものが真如であるから、仏の身体は一とつは真理であります、まことであります。  「この一如よりかたちをあらはして、方便法身とまうす、その御すがたに法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の四十八の大誓願をおこしあらはしたまふなり」  そこでこの真如が今度は形を出して、法蔵菩薩と名をつけて、さうして四十八願を発して修行をしたといふならば、それが方便法身であるといふ。  「この誓願のなかに光明無量の本願、壽命無量の弘誓を本としてあらはれたまへる御かたちを、世親菩薩は尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまへり。」  その方便法身が、光明無量、壽命無量という願、光明無量といふのは智慧無量であります、壽命無量といふのはいのち無量であります。つまりどこまでも長く、どこまで広く、我々にはたらきかけたいといふ願であります。その光明無量の本願、壽命無量の弘誓を現はしたまへるかたちを、尽十方無碍光如来といふ。方便法身の仏というものは真如から形が出たのである、真如といふのは真理であり、色もなく形もましまさず、心も及ばず言葉も絶えたものでありますから、それから形が出て来て、それに法蔵菩薩といふ名がついて修行して我々に形を示す、それが方便法身であります。その方便法身が、光明無量の願と、壽命無量の願をして、そこへはたらきをあらはしたものを尽十方無碍光如来といふのであります。  この如来すなはち誓願の業因にむくひたまひて報身如来とまうすなり、すなはち阿弥陀如来とまうすなり。衆生を助けやうといふ願をして、その願が成就して、その願に報いて出来た形であるから、報身如来といふ。即ち尽十方無碍光如来といふのは報身如来であります。それは阿弥陀如来もおなじことであります。  「報といふはたねにむくひたるゆへなり」  たねといふのは原因であります。原因に報いて出来た、報というのは誓願のたねにむくいたるゆへであります。  「この報身より応化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無碍の智慧光をはなたしめたまふゆへに、尽十方無得光仏とまうす」  応化といふのは応身化身であります。この報身の如来から又澤山の応身とか化身とかいふものが出て来る。化身というのは人間が仏に成るやうな意味で化の字をつけたのでありまして、仏の中ではこれが一番人間に近いのであります。釈尊は人間であります。その釈尊が仏に成られた、その釈尊には応身もあれば、化身もあり、それらが身体に皆揃つて居るといふことであります。  尽十方無碍光仏、尽十方無碍光如来と言つてもよい、つまり方便法身の説明がしてあつて、尽十方無碍光仏と申す、光の形をあらはすと申して、その形といふのは光明であります。形をあらはすといひまして人間の形が出て来るのではありませぬ。そこで断つてあるのであります。  「ひかりの御かたちにて、いろもましまさず、かたちもましまさず、すなはち法性法身におなじくして、無明のやみをはらひ、悪業にさへられず、このゆゑに無碍光とまうすなり」  方性法身から形を現すといはれて居るけれども、それは人間の形でも出て来るかといふとさうではない。その、形といふものは光の形であります。さうして矢張り、いろもましまさず、かたちましまさず、無色無形であります。けれども前とは違つて無明の闇を拂ふはたらきがあり、悪業煩悩に少しさへられない、所謂碍りのない光りを十方に放つて居られる。  「無碍は有情の悪業煩悩にさへられずとなり、しかれば阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし」  これで説明が十分でありませう。我々の心に仏といつて居るものは智慧であります。智慧は光明であります。その光明といふものは阿弥陀如来であります。その阿弥陀仏といふ光明は、もともと真如から出たのである、真理が人間の心の中に現れて来て、光りの形で以て我々にわかる。真理といふものは色もましまさず、形もましまさず、心も及ばず、言葉も絶えたものでありますから、我々にはわからぬ。けれどもその理が我々の心の中に出たならばわかる、それが阿弥陀仏であります。即ち光明であります。  それ故に仏教で仏といふものは、私共からすればただ我々の心を照らす光りだけであります。我々の心を照らす光りだけがわかるのであります。仏といふものは我々にはわからぬ。何故かと申しますと、それは真如だからわからぬ、法性法身であるからわからぬのであります。  ところが一般の人が、宗教といふと直ぐに自分と仏とを分ける。神でよい、自分と神とを分ける。さうして神様の功徳とか仏の慈悲とか何とかいふ。さうしてその慈悲に縋《すが》らうといふ、神さんに頼まうといふのであります。しかしそれは考へであります。畢竟さう考へるだけであります。それも仏がわかつて居るわけではない。今申した理窟を考へて御覧になるといふと仏といふものは全くわからぬのであります。色もましまさず、形もましまさず、つまり真如真理である。さういふ風な仏といふものと自分とを離して考へても、その仏といふものは誰も見たことはない、ただ人が仏といふから仏といふだけでありませう。さうするとその真如に向つて自分が行くか、どうかよろしくお願ひ申しますといつて行くか、或は又向ふから来てくれるか、それを待つか、まあどつちかするのでありませう。苦しい時の神だのみといふことは、自分が困つた時に神さんを自分の方へ引寄せやうといふのであります。人間でいへば、諂《へつら》つて自分の方へ来て貰はうといふのであります。自分が一生懸命悪るいことをやめて善いことをして居りさへすれば祈らぬでも神は守つて下さるのであるから、かういふ時には神や仏は必ず助けて下さるものと決めて居る。さういふ風に決めたのはよいが、この神そのものはぼんやりとして居る、神というのは何ものだ、それは人間の目には見えない。見えないけれども、しかし人間を助けるといふ。それは偉い学者がいはれるか、お釈迦さんがいはれるか、ともかく仏といふものは我々の目には見えないけれどもあるのである。そんなことを申しましても、少しも通用するわけのものではありませぬ。智慧の浅いものに見えなければ仏ではない。智慧がだんだんと進んで見える仏ならば初めから仏でありませう。宗教といふものが我々が仏になる法ならば、我々のやうな智慧の浅いものに見えなければ駄目でありませう。それを人間は智慧が浅いからわからぬ。智慧が進めばだんだんとわかるだらう。ラヂュウムといふものは昔はわからなかつたが、だんだんと智慧が発達して来たからわかるやうになつた。それで仏といふもの今はわからぬけれども、わかるだらうといふのでは宗教にはならぬ。さういふ仏といふものは我々を助けるわけはないのであります。  結局、仏といふものが、本当の仏教で説く意味でいふ法性法身ならばわかるわけはないのであります。それは不可思議でなければならぬ。ところがこの仏を明かにしやうしやうとかかる人が多いが、明かにすればするだけ、それではそれは駄目であります。仏の本性が我々にわかつたならば助かるわけはありません。それならば勝手なものであります。仏教の図に書いてあるのを見ると皆人間であります。人間は手が二本しかない、それを六本作る、さうすると四本だけ多い。或は足を一本作る、顔を澤山作る、又脊が低ければ大きくする。かういふ風に我我人間の考へて居る力の強いといふことを描くか像にして、さうして仏といふものは非常に大きなものだと考へるに過ぎないのであります。仏をわからさう、とすると仏がだんだんと低いものになつて、人間に近いものになる。何故かといふと、人間は自分の経驗より他に何も考へることは出来ない動物でありますから、ただ経驗したそのことを延すだけであります。  そこでさういふ風にして極樂を考へると、この世を延長するより他やりやうがない。この世は苦しい、向ふは苦しくない。本当の極樂といふのは、苦しいとか樂しいとかいふことがあつてはいかぬのであります。幾ら樂しみといふことがあつても、苦しみといふことがあつては困る。本当の仏教でいふ極樂は苦樂のないことをいふ、大樂であります。苦しみと樂しみを分けるところではないから極樂であります。ところが今申したやうに自分といふものと仏といふものを分けて考へると、どうしても向ふにそれを置いて、さうしてそれに向つてお願ひをするか、或は向ふから来て下さるのを待つか、自分の方で迎へるか、行くか、それによつて助けて貰ふやうにする。世界の人々は恐らくは仏にめぐり會はうと思つて考へて居るのでありませう。自分の都合のよい仏さんに會ひたいのでありませう。丁度仇を探すやうなものであります。さういふ風な仏に逢つたら駄目であります、駄目といふのは自分の考へより他に出るわけはない、自分の考へに逢ふのであります。それ故に仏といふものは自分の考への外にある自分の力ではどう考へても考へのつかない、どんなにやつても考へることが出来ないものであります。そこで不可思議だと申すのであります。  真宗の蓮如上人の書かれたものには、我が流儀では即ち浄土真宗、親鸞聖人の教では、木像よりも繪像、繪像よりも名號をたつとぶ、他の宗旨では名號よりも繪像、繪像よりも木像をたつとぶとかういはれるのは、今私の申した意味であります。だんだんと抽象的に考へて行かなければ、本当の仏に接しられないのであります。具体的に考へたならば、益々人間に近くなる。それ故に、仏の木像を見ると人間に近い。箱像も人間に近い。しかし名號になると大分人間より遠ざかつて居るのであります。もともと、我々にわからない真理といふものがはたらきを現して始めて我々の仏といふことが出来るのでありますから、極く抽象的なものであります。形も色もあるものではない、木像より繪像、繪像より名號、もつとそれをわかり易くいへば、我々の心がうまく発達をして居りますといふと、親が殘して置いた筆跡の一枚を見ても親を思いつくことが出来るのであります。況や親の名札を見ればさうであります。けれども心が発達して居ないといふと、親の殘して置いた紙一枚位見て親を迚も思ひ出せぬ。しかし写真を見るとわかるのであります。もつと幼ないものになると、ちやんとそこに親が居らなければ、デクの棒でも何でも立つて居なければ親といふ考へが出て来ないのであります。考へがだんだんと進むにつれて、木像よりも繪像、繪像よりも名號とだんだん抽象的になるのが人間の心の発達の順序であります。色もましまさず形もましまさず我々には考へることもどうすることも出来ないものが法性法身であつて、その法性法身が形を現した場合に光明となつて出て来る、それを阿弥陀仏といふ。つまり我々の心の浅ましい相を照らす、即ち自分の方からいへば自分の心を如何にも浅ましいと感ずる、それは照らされて居るのであります。そこに来るのが光明であります。その光明が仏であります。阿弥陀仏であります。不可思議の光明であります。それ故に仏がどんなものかは我々にはわからぬ。わからぬけれどもしかし光明が照らすことによつて影がわかる。我々の心は暗い暗い影でありますから、暗い暗い影がわかればわかる程、それを照らす光といふものがはたらいて居ることを考へなければならぬのでありまして、そこに阿弥陀仏のはたらきがあるといふのであります。仏教で仏といふ場合にはここまで来るのが順序でありまして、無論繪像を描き木像を拝んで居りますけれども、その精神といふものは今申した通ほり光明にあるのであります。殊に親鸞聖人は今申した光りといふことを強く考へて居られるのであります。仏といふものを我々が知るのは智慧として知る、即ち光明として知るより他ないのでありますから、そこで尽十方無碍光仏、何れの方へ障りのない光りとして感ずるのであります。それが即ち阿弥陀仏、方便法身の如来だといふのであります。本願寺から方々へ下げる木像、繪像を御覧になると、方便法身の尊形と判をついてある。方便法身の形といへば即ち名號であります。その名號を図に書いたのであります。  そこでこの講釈の初めに「如来の噂號甚だ分明」とありました、その如来と申すのは無碍光如来即ち今申した阿弥陀仏であります。さうしてこの文句の講釈に「このこころは如来とまうすは無碍光如来なり、尊號といふは南無阿弥陀仏なり」と説明がしてあつたのでありますが、今申した意味はそこでよくおわかりにならうと思ふのであります。阿弥陀仏といふのは、向ふにある光りでありますから私の心にはない。つまり方便法身の如来として我々に現れて光りを放つ、如来が我々の心の中へ光明として、智慧として、はたらきを出される、これを南無阿弥陀仏といふのであります。どういふわけでさういふことをいはれるかといふのに、南無阿弥陀仏は阿弥陀仏へ南無し奉るという言葉でありますが、南無といふことは仰せに隨ふといふことであります。阿弥陀仏の仰せに随ふといふ文章であります。それをまあ他でも皆やる、南無大師偏照金剛、南無薬師如来、南無釈迦仏、南無妙法蓮華経といふやうに、皆その仏の仰せに随ふといふ意味であります。帰命するということであります。  阿弥陀仏が方便法身の如来として我々を助けやうといふ願を発されて、我々を助けやうとして居られる。助かつてくれといはれるのであるから、その仰せに随つて助けられる。さういふ意味であります。ところがここでは如来の尊號であり、それが仏であり、仏の名號なのであります。それは確かに親心のはたらきでありますが、その親心のはたらきになつて居るところを親といつて居る。それ故に、阿弥陀仏が我々の心の中にはたらきをして居られる時には、我々が阿弥陀仏に帰命しなくてはならない。帰命さすやうに阿弥陀仏が仕事をして居られるから、そこでその南無阿弥陀仏が仏の名號であります。  親鸞聖人の実際の仏といふのは南無阿弥陀仏であります。自分が南無するのではない。南無阿弥陀仏といふことが仏であります。それでこれを六字の名號といふのであります。南無大師偏照金剛といふのは仏さんの名前ではない、大師に南無するといふ意味であります。ところが親鸞聖人のは南無と阿弥陀仏が離れて居らぬ、南無阿弥陀仏といふ六字で以て仏さんの名前になつて居る、これが仏であります。それで方便法身の尊形といふ。阿弥陀仏を書いたのではない、南無阿弥陀仏を書いたのであります。かういふ考へ方は他の仏教を説く人の考へ方とは違つた考へでありますが、これが本当に我々の心持をよく考へて我々の心に仏の出る相をよく理解されたものでありませう。それ故に私一人のために出て来るのであります。阿弥陀仏は向ふの方へ離れて居るから、誰のところにもはたらきを現して南無阿弥陀仏になられるけれども、南無阿弥陀仏としては私の南無阿弥陀仏であつて、他の南無阿弥陀仏ではない、私の南無阿弥陀仏であります。仏教のことを軽く考へて居る人は、登りつけば同じことで、ただ登る道が違ふので、結局は同じことだといふけれども、同じことではない。阿弥陀仏は私一人のためのものであります。又それでなければならぬのであります。考へて御覧になつても、一人の阿弥陀仏が何萬といふ人を助けるのは困るだらうと思ふのであります。どこに居られるか知らぬけれども、こつちを助け、あつちを助けするのは大変な騒ぎだらうと思ふのであります。又たのむといつても留守だといはれたら困りますから、阿弥陀仏といふものは私の心に出て来た仏のみであります。それ故にあなた方の南無阿弥陀仏は一人々々皆違ふ。阿弥陀仏には違ひないが、それがはたらきを現はした場合には銘々違ふのであります。そこで仏教で助けられるといふ場合には私一人のことをいふのです。他の人が助からうと助かるまいと問題でない。私が助かればよい、それを助けるやうに南無阿弥陀仏が出て来るのであります。  親鸞聖人は「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」といつて居られます。弥陀といふのは阿弥陀仏、五劫思惟といふのは長い間考へた、願というのは我々を助けやうといふ願であります。さうでなくては助かるといへるのではないのであります。それ故に、人間の世界では誰か助ける人があつて、それを助けるといひますが、それは川に落ちたのを助けるか、貧乏人に金をやるとかといふやうなことであります。さういふ意味ではないのでありまして、私が私の心の相をよく見たことを、助かるといふのであります。貧乏人が金を貰つたり、怪我をして療治をして貰つたりするやうなことをいふのではありませぬ。そんなことは人間の世界でいふのでありまして、宗教で助かるといふのは私が私の相をはつきり見ることが出来たことをいうのであります。それは私一人の光明、私の心を打つ光明でなければ駄目でありませう。光明といふものは明るいのだといつても理窟であります。私の心には、光明といふのは明るいか暗いかわからぬでも、考へにはわかるのだから、その結果だけを見て、我々は仏の智慧だといふことを感ずることが出来るのであります。何だか込入つたことを申すやうでありますけれども、親鸞聖人の説明が如何にも徹底して仏のことを説いて居るのでありす。かういふ教によつて始めて我々は自分の相を見ることが出来るのだと思ふのであります。  ところが世間で広く行はれて居る仏といふものの考へは余程違つて居るやうに思ふのであります。かういふ違つた考へでいくらやつたところが、第一仏にめぐり會はなければ駄目であります。それから仏の相がはつきりわからなければならぬ。第二には自分のたのみを承知したかどうか我々にわからなければ困る頼み放しでは困る。結局自分で頼んだからわからうといつて安心するより他仕方がないのでありまして、果してどうなるかわからぬのであります。解脱上人がいはれた言葉に「慮りを忘れ念を息めて外に向つて求めず、一念不生なることを悟解すれば、則ち名けて仏と為す。」といふことがありますが、これは我々がいろんな心配をする、それをやめる、息慮といふのは、慮りを忘れ念ひを息める、種々雑多のことを考へたりすることをやめる。さうして外に向つて求めない。一念不生といふのは、我々の心持といふものはもともと真如でありますから、それを悟る、それを仏といふのであります。それから  「釈迦如来雲助に向つて曰く、汝が名を雲助といへるはいかなる因高シや、雲助酒に酔ひても此性忘れず答て曰、雲助といふは所定めぬ籠かきの宿なし者の惣なり、我一人前の名は赤鬼の九郎兵衛とて日本国は云に及ばず地獄の底までも通つた男を知らぬ貴様は何国の化生迷ひのものじや、釈迦如来涙を流して曰、鳴呼悲しきかな、此凡夫無明の酒に酔て仏に逢ふても仏を知らず地獄に住でも地獄をしらず、此世から赤鬼となつて人をいじり責て酒手をゆすり、餓鬼道に落て飲喰をむさぼり、修羅道に落て日夜博突の戦ひ止ず、牛馬と共に道中をかせぎて畜生道におちて入こそ不便なり、汝心を改ため一念を滅し、ぼんのうを菩提に転じ此海道の動きを止、我にすがりて西方浄土の国に来り仏となるべし、雲助かぶりをふりて曰、極らくは西方に有とは誰いふぞ、鬼も仏もみな身にぞあり、迷ふが故に三界城、悟るが故に十方空、本来無東西何れの所南北かあらん、汝迷ふが故に西方をのみ淨土の国と思へり、悟るときは爰を去事遠からずして娑婆即寂光浄土なり、餓鬼ならば西方へ行くとも極樂忽地獄となるべし、我仏とならば娑婆忽浄土と成るべし、極樂なんぞ処に寄べき、娑婆何ぞ人によるべき、我を赤鬼と聞いて地獄とせば我名は仏の九郎兵衛といはば散錢をくれらるるや、鬼といふ名に仏も有、仏と見ゆる鬼も有、善人とみゆる悪人もあり、賢人とみゆる侫人もあり、外面如菩薩内心如夜又、面つきの能者に内心の夜又多し、剛毅木訥《ごうきぼくとつ》仁に近しとて男ぶりの悪ひものに返て善人多きぞかし、我は面も裏もなく空一面の雲助にて仏になると思ひもせず、籠かきといふ念もなく、菩提心もぼんのうも茶碗の中へつぎ込で一盃呑で前後をしらずころりとこけて云々」  と書いてあるのであります。  「釈迦如来の日、菩薩まだ仏に成らざる時菩提を以て煩悩と為す、菩薩成仏の時、煩悩を以て菩提と為すと仁王経にも云り、善哉、汝赤鬼を転ぜずして仏とし、娑婆を其儘概樂と転ず、尊き哉我かかる道人を見ず、いかなる人に道を伝へて斯くの如き悟りを開いたか。雲助答て曰、我親兄弟妻子珍寶をふりすて、十六歳にて家を出、樹下石上を枕として難行苦行苦だらけにぞ身をよごし、彼方では人をゆする修行し、此方では喧嘩をする修行をして迷の上に迷をかさね苦みに苦みを重ねて暮せしが、極月廿八日の夜ほのぼのと明星の宿はづれにて一人の疲かれし老人を籠に乗て行けるが、其老人我にむかつて申されけるは、貴樣方は我子や孫でもなきに此辛苦山坂を親切に汗水かいて纔《わずか》の錢を乞るるはいかなる慈悲のかたがたぞ、又貴様方に限らず此海道の茶屋の人々を見れば、他人の我に酒のまんかの餅喰はんかの休んで行けのと甚深切に心よくいはるる故にあつかましく内へ這入て酒を飲、餅を喰ば、此禮に後から急度上下著て禮に来ずばなるまいとおもへばちやつと其世話心づかひの入らぬやうに錢を何ほどくれといて、チャント埒があひて先も悦び此方を悦んでとんと世話のいらぬ様に寄てかかつて此親父を此様にしんせつに助てくださるとはどうしたものじや合点か行かぬ、錢がほしくてすることならば突倒しても金銀を引たくりそふな物なるに、錢にも金にもかまはずにか様に我を親切にいたさるること不思議なれと、良しばらく色々と工夫をこらされけるが、暫く有て横手を打、アア過つたりアア過つたり我今まで爰を娑婆世界なりと思ひしゆへかかる不審の起たり、今一念足事を知つて悟りてみれば極樂遠きにあらず爰こそ直に極樂なり、仏遠きにあらず、我身此儘仏なり、此籠直に蓮台なり、世尊は草木国土悉皆仏也とのたまひし也、茶屋は茶屋仏にて酒や飯を喰せて人をすくひ、我は客仏にて茶屋を助け駕籠かきは籠かき仏にて我を助け我は駕籠に乗て錢を与へて籠かきを救ふ牛馬は牛馬仏にて人をすくひ馬子は馬子仏にて牛馬を助け互に助け助けられて安樂浄土の此国に住ながら、一念あやまつて不足を起し我腹をたて修羅を燃せば人も怒りて煩悩を起し此所忽地獄と変ずべし、難有や難有や我駕籠に乗りし御影にて足事を知り仏となり此海道をも極樂となし樂しみ通しに暮すとは扨々有がたき事なり、天下泰平の此代にあらずんば貴様方の様なる鬼のやうな男が此老人に纔《わず》かな錢を呉とて山坂を辛苦はせず、しめ殺してもはぎ取らんに、恐れ乍ら御上の御政道明らかなる御代の御恩ぞ有難しとて悦びまた御治世の時云云」  かういふ風な意味に仏といふものを考へて行くのが又一方の多くの人の考へでありませう。けれども仏教でいふ仏は、かういふことをいふのではありませぬ。これは全く人間の心がけがよいといふものであります。仏といふものは人間の心がけがよいのではない。全く人間の心の世界から離れている、人間の世界ではどうすることも出来ないことをいふのであります。想像することも出来なければ、考へることも出来ない。ただその力といふものを、光として我々が感ずることが出来るだけのものであります。さうしてその光りといふものは智慧でありますから、そこで自分が何とか考へて、如何にも不思議だ、その不思議なはたらきを、自分の心の内から見出した時、外に求めないで自分の心の内を見た時、そこに不思議だと感じて行く時に、所謂南無阿弥陀仏といふやうな心のはたらきが出来る、それが我々を救ふところの仏であります。  そこで如何にしてその仏に逢ふことが出来るかといへば、前から申す通ほりに仏の本願を信樂することだけであります。仏の本願を信じた時だけ南無阿弥陀仏といふものがそこに出て来るのであります。その他に出て来たならば、それは自分勝手に自分の方へ引寄せたのであります。本当に出て来るのは不思議の力であります。それは仏の本願を信じた時だけ出て来る。その仏の本願を信ずるといふことは、仏が助けて下さるからそれを信じませうと、かういふ風にいへばそれは矢張り考へであります。それは仏が助けるといはれたから、助けて貰はうといふ考へであります。念願か希望か或は思考かであります。今私が申すのはさうではない。仏の本願を信ずるといふことは、仏の本願を疑はぬことをいふのであります。  これは親鸞聖人の説明に精しく出て居るのであります。信ずるといふことは疑はぬことをいふ、即ち信ずるといふ心は仏の心、法性であります。仏の本願を信樂する、それが即ち法性であり、仏性であり、如来である。それ故に我々の心持からいへば、我々は決して信じない。仏の本願など迚も信ずることはない、それを信ずるといふことがあつたならば、それは自分の心でない、かういふのであります。さうすればどういふ風にして仏の本願といふものを疑はぬやうになるか、それはこれまで屡々お話をした自分の心の相をそのまま見たら疑ふことはないのであります。自分の心が浅ましいといふことは、例へていへば、どぶの中に落ちた樣なもので、どぶの中に落ちたといふことが自分にわかつたならば、どぶの中に落ちたというより他にしやうがないでありませう。どぶの中に落ちて居りながら、どぶの中ではないといふやうに考へて居るところに、それが助けられるといふこととは又余程意味が違ふのであります。助けるといふことは、我々がどぶの中に入つて居ることを知らして貰ふのであります。我々はどぶの中に落ちて居るといふことがわからぬのでありますから、自分の相をはつきり見ることが出来た時、仏の本願といふものは疑はるるものではない。仏の本願はそのことをいふのであります。頼め、頼むものを必ず助けるといふことを仏がいはれるというのは、向ふへ仏を置いていはれるのであつて、自分の心からいへば自分がどぶの中に落ちて右の足を拔かうと思へば左の足が入り、左の足を拔かうと思へば右の足が入る、それを手を引つぱつてくれるものがあつたら疑ひも何もないのであります。ただ自分の相の見方が違つて居るから、そこで助けて貰ふ時には自分の欠点を見出して足らぬところを補つて貰ふ、さういふ場合だけ我々は助けて貰ふといふのでありますが、宗教でいふのはさうではない。つまり、多くの人々は塗炭の中に入つて居るのだけれども、自分が入つて居ると知らぬ。それを知らして貰ふところの光明といふものに遭つた時、仏のお慈悲が広大である、かういふ時に、それは助けられたのであります。助かつたのであります、我を頼め、頼むものを助けるといふのはその意味であります。もつと自分の心の内の方からいへば、いろいろの蟠りをやめて、自分の心の全体を仏の光明に曝らす、日向へ出してしまふ、我々はどうかしてさうさうと思つて居るのでありますけれども、その汚ない自分の相を明るいところに出してしまふ。それが即ち仏の本願であります。  或坊さんが信心が深く、まことの仏像を得させ給へと祈つた。ところが或夜の夢に釈尊がそとへ出て来られて、この坊さんに告げていふのに、お前、誠の仏像を得やうと思へば、明日の朝川のふちに柳の木が茂つて居る、あのところへ行つて、さうして仏の相を見たらよからうと、そこでその坊さんが夢が醒めた。有りがたがつて、釈尊がいはれたやうにその翌日朝出て川の傍に行つて柳の木を見たところが、成る程光明のキラキラとした金色の仏像が水の中にある。坊さんは大いに喜んで水の中へ飛込んだ、さうして仏像を手に取らうとすると仏像といふものはない。そこで岸へ上つて上から見るとある、どうも水の底に金色の仏像がある、もう一度水の中に入つて見た、入るとなくなる、そこで坊さんも力が抜けて、これは全く自分の業因のいたすところで仕方がない、自分にはこの仏像を得られない、前業の報いであるからといつて、岸に上つて見ると川の底に又金色の仏像がある。そこで坊さんがこの度は命を限り、命がなくなるまで粉骨砕身してその仏像を取らなければならぬといつて川の中に入ると又それが見つからぬ、上ると出て来る、矢張光明赫々として金色の仏像といふものがある。又もう一遍飛込まうと思つて、ふと自分に立ちかへつて見たところが、自分の後ろの柳の木のところに仏像があつた、金色の仏像があつた、それが水に映つて居つたのであります。その水に映つて居る仏像を頻りに取らうとして居つたことがわかつたのであります。自分は数年来仏像を求めるといへども皆外の方へ向ひ、内の方へは向かなかつたから、今日まで得られなかつた。今日始めて我が身の内に立ちかへつて見ると忽ち仏を得たといふ。これは作り話でありますが、しかし仏は自分の内に見られるべきものでありまして、外に見られるべきものではないのであります。  今この書物に書いてあるやうな意味の仏が別にあるわけではない。自分の心の内にある仏は南無阿弥陀仏であります。南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏がはたらきを我々の中に現して居られる時をいふのでありますから、全く自分の相であります。その浅ましい相といふものを仏としやうとするために阿弥陀仏がはたらきをされるそのはたらきが南無阿弥陀仏であります。自分はそれ故に南無阿弥陀仏をいただいたのであります。南無阿弥陀仏は即ち念仏でありますが、念仏はいただくのであります。仏の方からさうせしめられるというところに、仏は私のためには光明であります。その光明に照らされて自分の相を眺めつつだんだんと仏の国に赴くのでありませう。それ故に現在としては南無阿弥陀仏の中に生活をして居るのであります。その導きによつて、その光明によつて仏の国に往生しなければならぬ筈のものでありますから、そこで我々の生活はどこまでも内省の生活でなくてはならぬものでありませう。救はれるといふことも、助けられるといふことも、苦しみから離れるといふことも、一切皆内省といふことが本となつて解釈が出来るのであります。親鸞聖人のいはれる仏といふものは全くその意味でありますから、それを図に描き木像に彫つて拝むといふことは、それがいかぬといふわけではありませぬけれども、その心持といふものを考へてやらぬと、木像、繪像といふものに何か力があるやうに考へて精神が間違つて行きますから、木像よりも繪像、繪像よりも名號と申して、自分の心の内へ内へと入つて行くやうに教へられたのでありませう。  第九講  「唯信鈔」に引いてある善導大師の言葉であります。  「隨縁雑善恐難生、故使如来選要法、教念弥陀專復專」 縁に隨ふ雑善は恐らくは生じ難からん、故に如来要法を選び、教へて弥陀を念ぜしめて専ら復た専らならしむ。それを親鸞聖人がつぎのやうに講釈をして居られるのであります。  「隨克G善恐難生といふは、隨縁は衆生のおのおのの縁にしたがひて、もろもろの善を修行するを極樂に廻向するなり」  縁に随ふといふことはそれぞれ機縁といふものがありますから、その違つた縁に随ふて、もろもろの善を修める。そこでこの雑善といふことが問題であります。雑壽といふ意味はいろいろあります。もろもろの善、まじはつた善、まじはるといふのは悪るいものがまじはる、それは又他の言葉で雑修といふ、同じことであります。善いことのうちに悪るいものがまじる。直接に申せば、念仏に他の善をまじへる、かういふ意味であります。もう一とつは凡夫といふものは煩悩にみちて居るのでありますから、さういふ風な煩悩に満ちて居るものの身体ですることも、口でいふことも、心で思ふことも皆悪るい、つまり純粋でないからそれを仏教で毒といふのであります。つまり毒を含んで居る、そこで雑善といふ、さういふ場合には又雑毒といふ名があります。  第三にはもろもろの善といふのは種類の多いことでありますから、いろいろな原因を作る。一とつの戒を持てばその戒の結果といふものは必ずある、善いことを一とつすればその結果といふものは必ずある。それ故にいろいろな善をすれば、いろいろな結果がありますから、そこで雑善とかういふ、その三通ほりの意味を持つて居るものでありますが、親鸞聖人がそれをひつくるめて講釈をして居られるのであります。  「すなはち八萬四千の法門なり」  一切の教といふ意味であります。世の中に行はれて居る一切の教が即ち雑善であります。狭く申せば、仏教で説かれてあるいろいろな法門といふものが皆雑善である。さういふ風な縁に隨ふてもろもろの人の行つて居るところの善といふものは、到底真実の報土に生れるといふ結果は来さないものである、即ち恐らくは生れ難からんであります。  それを親鸞聖人は講釈をして  「これはみな自力の善根なるが故に、実報土にはむまれずときらはるるゆへに恐難生といへり」 銘々が縁に隨ふて、いろいろな事柄をするが、それは雑善である。これはよく考へて御覧になれば直ぐわかることであります。人に慈悲を施すことは善としてあるのでありますが、我々の心持を以てする慈悲といふものは、ほんとうの善ではありませぬ。例へば、人に金をやるといふやうなことでも、我々の心持を以てやるのでありますから、あのものが可愛想だから、あれが金がなくて困るから、金をやらう、さういふ心持でやるのであります。あのものを助けてやらうといふ心持は必ず善でありませうが、しかしあのものを助けてやらうといふ心持は随分高いところから低いところを見ての話であります。お互に助けられなければならぬものでありませうのに、一段高いところから、低いところのものを見て、あれを助けてやらうとする、さういふことは必ず雑善であり、雜毒であります。所謂自力の善根でありますから、真実の報土には生れないといふのであります。  仏教で昔から説きます善根功徳を以て、それを仏に廻向して仏になる、或は往生する。かういふことは結局我我の希望であります。結局我々がさういふことを望む、その望む心持が極めて不純なものでありますから、得手勝手に自分の都合のよいことを望むのであります。それ故にさういふ風な心持を以て真実の報土に生れるといふことは恐らくは出来ないことだらうと申されるので、恐らくは出来ないだらうといふことは、いひ方が軟らかなのであります。生れないことはわかつて居るのであります。そんなものは生れるわけはありませぬから、生れぬといへばよいのでありますけれども、軟らかな言葉が使つてある、それには又意味があるのであります。そこで我々がどんなに人に慈悲を施したにしても、それは自力の善根であるから、自分の力で以てやるところの善根というものは、他の言葉で言へば、自分の得手勝手をそこに挟んで居る。人を助けて置けば自分も助けて貰ふ、人を世話をして置けば又自分も世話になることもあるからといふやうに、妥協的な、功利的な、自分に都分のよいことをいうのであります。仏教ではさういふのを聖道の慈悲と申すのであります。聖道の慈悲といふことは隨縁の雑善であります。我々の力限り、我々の出来る限り、善と名のつくことをするけれども、それは所謂聖道の慈悲でありまして、徹底をするものではないといふのであります。恐らくは生れ難からんといふことは、徹底をしないといふことであります。  生れるといふことは、それならばどういふことをいふのか、それは浄土往生といふことであります。淨らかな国に往いて生れる、浄らかな国といふのは仏の国であります。仏の国にいて生れる。その意味はどういふことをいふのであるか、これまでお説教などでは、誰にもわかり易く、西方の極樂に往生すると説くのであります。けれど、西方といひましても限りのないことでありまして、大阪でいふ西方は長崎でいふ東であり、東京からいふ西方は大阪からいふと東方でありますから、そのところどころの人がいふだけの話であります。さういふ風な文字の上に出たことや、昔からいひ伝へたことをやめて、親鸞聖人の就かれたところによりますると、浄土に往生するといふことは二つあるのであります。一とつに真実報土に往生する、二つは化土に往生する、化土は化身土ともいふのであります。「教行信証」に説明がしてありますが、それはつぎのやうであります。  「謹で化身土をあらはさば、仏といふは無量壽仏、観経の説の如し、真身体の仏これなり」そこで化身といふのはこれはどういふことかと申しますと「観無量壽経」といふお経に説明してあるあの仏である、即ち真身観の仏だと申されるのであります。真身観と申すのは我々の心や目に形の見えることをいふのであります。「観無量壽経」には、極樂で阿弥陀仏が説法して居られる、その形が書いてあるのでありますが、それだといはれるのであります。つまり我々の目で見、心に考へることが出来る形を持つたものが即ち具身観であります。それがこの化身土の仏であります。  「土といふは観経の浄土これなり」その化土は「観無量壽経」に書いてある極樂である。「また菩薩処胎経等の説のごとし」  即ち「菩薩経処胎経」などに書いてある極樂である、それはどう書いてあるかといふと、「懈慢界」と書いてある。  「また大無量壽経の説のごとし」「大無量壽経」には「凝城胎宮」と書いてある、つまり名前であります。化身士といふ極樂は、仏は「観無量壽経」に書いてある仏であり、その国は「菩薩処胎経」などに書いてあります懈慢界と名のついて居るものであります。「大無量壽経」には疑城胎宮と書いてありますが、それが即ち化土、化身土であります。恐らくは生れ難からんというのは、この化身土でなくして真実の報土のことをいはれるのであります。  真実の報土は「教行信証」にはかう説明してある。「謹んで真仏土を按ずれば」真仏土といふのは真実の報土であります。「仏はすなはちこれ不可思議光如来なり、土はまたこれ無量光明土なり、然ればすなはち大悲の誓願に酬報す、かるがゆへに真の仏土といふ」、本願に報いてそこに出るものであるから報土といふ。真実の報土といふ。この説明で十分おわかりであらうと思ふのであります。我々の考へに現れることが出来、或は目に見ることの出来るのは、仏も化身であり、極樂も化身土であります、しかしながら、我々が生れやうとするところの浄土というのは、真実の報土でなくてはならぬのであります。其実の報土の仏は、どういふ仏かと申しますと不可思議光如来であります。その国は無量光明土であります。その意味は化身であれば、我々の目に見ることも出来、心で考へることも出来るけれども、真実の報士といふものは、煩悩の眼では見ることの出来るものではなく、又我々の考へに乗るものでもない、それ故に不可思議光の仏であります。親鸞聖人はその極樂のことを無為涅槃界といつて居られる。極樂無為涅槃界は我々の考へにも何にも及ばないところであります。我々の考へに及ぶところは化身土であります。それ故に、我々が今どんなに心を綺麗にして考へても、我々がどんなに心を修行したにしても、三毒の煩悩を離れることが出来ない限り、我々の行かうとするところは化身、化土であります、我々の行かうとするところはただ希望でありますから、行かれることはない筈であります。さういふことを我々が話で聞いたり、お説教で聞いたり、或は書物で見たり、人のいふことを聞いたりして、ただそこへ行きたいと思ふだけであります。恐らくはさういふところはないものでありませう。我々がたださういふことを望んで居るだけでありませう。我々がどうしても行かなければならぬところは真実の報土であります。何故かと申しますと、我といふものは一体どこから出て来たかわからぬけれども、恐らくは真実の報土のやうなところから出て来たのでありませう。それ故に結末はどうしても真理の報土でなければならぬのであります。けれどそれは、我々の見ることも出来なければ考へることも出来ぬところであります。  慧心僧都の「往生要集」に「心を発せる衆生」浄土に往生しやうという心を発する衆生「阿弥陀仏の国に生ぜんと思ふもの、皆深く懈慢国土に執著して進んで阿弥陀仏の国に生ずること能はず、億千萬衆時に一人ありてよく阿弥陀仏の国に生ず」とあります。これは極樂に參りたいといふ心を起して居る衆生が、阿弥陀仏の国へ行きたい行きたいと思ふてる、それは皆懈慢界に行くのである、億千萬聚つまり大変の人の数の中にただ一人位行くかも知らぬ、恐らく誰も行かぬのでありませう。そこで、昔からこの極樂は大抵懈慢辺土の極樂、化身、化土であると申すのであります。  「平家物語」を読んで御覧になると、あの頃浄土の教に入つた非常に名高い賢禮門院、安徳帝のお母さんの賢禮門院は浄土教の信者でありまして、死なれる時うるはしく死なれたと書いてある。「仏の御手にかけられたりける五色の絲」あの頃、極樂の仏さんとこの世の衆生とが糸で以て繋がれて居るといふ考へで、五色の絲を身体につけて、この糸の先を仏さんに引いて貰ふといふつもりであつたのでありませう。「仏の御手にかけられたりける五色の絲をひかへつつ「南無西方極樂世界の教主弥陀如来、本願過ちたまはずば必ず引摂し給へ」とて念仏ありしかば云々」この化身化土に往生したい心がよく書いてあるのであります。手から糸を引つぱつてその先の阿弥陀如来のところへ行く、本願過たず、罪悪の衆生を助けるといふことがありますから、どうかその本願を間違はないやうに導きたまへと念仏された、さうすると紫雲たなびき妙なる音樂が聞えた、さうして自分は極樂に行かれたといふのでありますが、それが皆化身化土であります。  親鸞聖人は「観無量壽経」の往生も「阿弥陀経」の往生も皆化身化土の往生だといはれる、恐らくはさうでありませう。今でも「観無量壽経」に書いてあるやうな仏といふものを観じて、あの仏の国に行きたいと思ふ人があつたならば、それは化身化土であります。決して行けるわけはない。若し行つても、ああいふ風なものでないに決つて居るのであります。  そこでさういふ風なところへ行かうといふ場合には、必ず来迎といふことをいうのであります。人間の力といふものは覚束ないものでありますから、仏を信心をして、仏に縋つて居れば必ず死ぬる時には仏さんが来て迎へて下さる、お迎へに来て下さる、糸を引つ張つて置けばその糸を伝ふて来られる、御来迎を待つ、阿弥陀仏が観音、勢至を連れて、三仏がお出でになつて、極樂にお迎へになる。さう考へて居つたのであります。所謂空想であります。そらだのみであります。さういふ風なことはあるべき筈のことでないのでありますから、真実の報土に生れるといふ場合には仏は不可思議光如来であり、そのところは無量光明土であります。そこでこの往生といふことは摂取不捨であります。我々はどうしてもその世界に摂め取られる、どうしてもその不可思議光如来に摂め取られる、どうしても無量光明土に摂め取られる。化身化土の往生といふことは自分が望むのでありますから、行きたいならば一生懸命自分で行かなければならぬ。若し行けなければ仏さんがお出でになるのを待つて居る。  若し来なければ催促をする、ぢつとして居られないから大きな声をする、聞えるだらうと思つて大きな声で念仏する、さうすれば西の方に紫の雲がたなびいて云々といふのでありますが、結局そらだのみであります。  真実の報土に生れるといふことは全く光りに摂め取られるのであります。それより仕方がない、光りといふのは仏の智慧であります。仏の智慧は不可思議の智慧でありますから、我々にも無論わかりませぬ。我々にわかることは、我々の一切の考へを除いた時あるのだといふことだけであります。我々の一切のはからひを離れた時にそこに仏の智慧は何時でも出て来る、その智慧に摂め取られる。それ故に真の報土は如何なるものであるかといへば、摂取不捨といふ願に報いられたところであります。我々のどうしても行くべきところはこの真実の報土でなければならぬ、けれどもそれは隨縁の雑善では決して行くことは出来ない。我々がどんなによいことをしても駄目であり、どんなに希望しても駄目である。ただ弥陀を念じて仏の名をとなへ、さうしてそれによつてさういふ国に往生するより仕方がないと説かれるのであります。  「教へて弥陀を念ぜしめて専ら復た專らならしむ」  弥陀を念ずるといふことは、念仏でありますが、念仏といふことはこれまで、しばしば繰返しく申したのでありますが、自分の相をみることであります。自分の相を見るといふことは、地獄一定だといふ意味であります。どうしても地獄に堕ちるより他には仕方がないといふ意味であります。しかしながら、我々は地獄一定でありますが、地獄一定とは知らぬのでありますから、そこで弥陀の誓願弥陀の光明が強くはたらいて、それによつて我我が自分の相を知ることが出来るやうになるのでありますから、自分の相を知ることが出来た時、それが即ち念仏であります。それ故念仏といふことは、我々が我々の心の浅ましい相、煩悩に打ち破られた悲しみの声であります。諸善萬行、即ち雑善といふことは、煩悩を破つた時の自分の喜びの声であります。親鸞聖人がその心持をうまくいつて居られるのであります。  「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしとよきひとのおほせをかうふりて信ずるほかに別の子細なきなり」(歎異鈔)  一切のはからひ、何とか彼とか、善いとか悪るいとかといふ自分のはからひをやめた時、そこに弥陀を念ずる、念仏といふ心持が出て来るのでありますから、念仏といふ意味は、結局自分の煩悩に打破られてどうすることも出来ないといふ悲しみの声であります。我々は貪瞋痴の三毒の煩悩を離れることが出来ないから、その心持で以てどんな善いことをしてもそれは徹底しない。さうかといつて善いことをするなといふのではないのであります。善いことはしなければならぬ、しなければならぬけれども徹底をしないから、真実の報土に生れることは決して出来ないといふのであります。真実の報土に生れるには、さういふはからひをやめて、ただ念仏して弥陀に助けられまいらせるといふその教を聞いて、信ずるのみであると、親鸞聖人が明かに示されたのであります。しかしながら、ただ念仏といひましても、どうせわからぬのだから念仏より仕方がないといふのではない。自分の相を見ないで、ただ念仏といふのは念仏ではないのであります。これは余程考へなければならぬのであります。  昔のお経には化土に往生しても、それも極樂でありますから、その化士といふ極樂に幾らか長い間居れば、五百歳と書いてありますが、随分長い、その間居ればそれから後に真実の報土に進むことが出来ると書いてあるのであります。それはどういふわけかと申しますと、十九の願、二十の願といふのがありますが、あれは念仏を申すのだけれども、その念仏を申すのも、その念仏を廻向して、もろもろの徳本をうゑて、さうして仏に捧げやうといふ念仏でありますから、本当の報土ではない、自分の力を交へて居る。けれども念仏といふものは功徳のあるものであるから、極樂に行く、しかしその極樂は今申したやうに、懈慢辺土、辺土といふのは辺部といふ意味であります。極樂の場末に行つて五百歳、随分長い間でありますが、それだけ居れば、その中にあき間があつたらやつて貰ふといふのでありまして、それ位念仏に効能があるといふことを示すのであります。けれどもそれは考へるのに嘘でありませう。幾ら待つて居つても空きはない。つまり我々が自分の目で見たり、心の中に泛んで来る仏といふものは、必ず化身化仏であります。化身化仏といふものは、我々の心に都合のよい時でなければ来るものではない。それを仏教の言葉で機感といふ。自分の心の中に出て来た仏は自分の勝手な仏に違ひない。それが自分の心の中に出て来て助けられたといつても嘘であります。自分の心に助けられて居るのでありませう。その心を捨てなければならぬのであります。それを捨てて出て来るのが不可思議光如来であります。即ち何時でも智慧の形であります。仏智不思議といふ自分の心の中に不思議な智慧が湧いて来る。それ故に何時でも摂取不捨であります。自分の方で拝むといふ時には考へなければならぬ。けれども摂取不捨でありますから、自分の相を見る時にその下から、湧いて出る仏智はどの位出るかわかりませぬ。その結果が真実の報土でありますから、恐らくは死んでから行くところでありませうけれども、行つて見てどんなところか、それは行つて見なければわからぬ、けれども我々は必ず行かなければならぬところであります、又行くべきところである。それが宗教の目的であります。けれどもそれは隨縁の雑善ではいかない、専ら弥陀を念ずるより仕方がないといふ説明であります。如何にもさうであらうと思うのであります。  第十講  「この一心は横超の信心なり」  横超とは善導大師の言葉に拠られたのであります。「玄義分」といふ書物の中に書いてある言葉であります。堅と横と、それから出ると超えると、かうまあ形を四つに分けて、堅と横と、出るといふのは外へ出る、超といふのは飛び超える、堅に行くのが自分の力であり、横に行くのが仏の力であります。出るといふのはゆつくりゆつくり悟りを開くことであります。超というのは頭にパッと急に悟りを開くことであります。「この一心は横超の信心なり」といふのは、他力で速かに悟りを開くといふのであります。  「横はよこさまといふ、超はこえてといふ、よろづの法にすぐれて、すみやかにとく、生死の大海をこえて無上覚にいたるゆへに超とまうすなり」  「とく」といふのは早く、「無上覚」といふのは涅槃を覚ること、横の信心といふことの説明であります。「是心是仏、即身成仏」この心これ仏、この心をよく観じて見れば即ち仏であるといふ禅宗などでいふのと、さらにこの身体がそのまま仏といふ、真言宗で説くやうなもの、さういふのは所謂頓教であります。にはかに悟りを開く教であります。これらは堅超、堅で自力でゆく、超というのは急に、速かに悟りを開く。それからして?舎などといふのであると、大変長い間修行して、廻り道をしなければ仏にならぬのでありますから、長い間劫を経て廻る教、それが漸教であります。これは堅出、堅で、出るといふのはゆつくりゆつくり行くことをいふのであります。ところが本願他力の教は頓教でありまして、しかも横超の教であります。そこで「この一心は横超の信心なり」即ち本願他力の信心だといふことであります。  それから「観無量壽経」などに説いてある門は、方便要門といふのであります。さうしてこれは漸教であります。それ故に、浄土宗で説くやうな念仏の修行をして、だんだんと進んで仏にならうといふ、かういふのは方便要門といふのであります。ところがこの一心は横超の信心である、即ち仏の本願によつて現れて来る信心であつて、この信心を得る時にはこの世では正定聚に住する。聚といふのは人で、人の数であります。正に定まる人の数といふのは、死ぬれば必ず極樂に行つて涅槃の悟りを開く人の数に入るといふ意味でありますから、そこでこの信心を得ればこの世では正定聚に住し、命が終れば速かに早く生死の大海を超えて涅槃の悟りを開くことが出来る、かういふ意味であります。  「これすなはち如来大悲の誓願力なるゆへなり」どういふわけで、この一心といふものが速かに生死の大海を超えて、涅槃の悟りを開くことが出来るかといふのに、それは如来の誓願力であるからであります。悪人凡夫といつて居るこの我々のやうなものが、生死の大海を飛び超えて速かに涅槃の悟りを開く、その境涯に行くといふことは、それは如来の本願であるからだ、かういふのであります。これはもつと後にだんだんと説明しますから、これだけにして置きませう。  「この信心は摂取のゆへに金剛心となる。」  信心といふのは、前の一心と同じであります。この信心は金剛不壊で決して変ることのない心である、それは摂取の故にさうなるのである。かういはれる意味は、我々凡夫は仏の本願によつて他力の信心といふものを得ることが出来、仏の光明の中に摂め取られるのであるから、それ故に金剛心となる、堅固で変らない心となる、如何なることがあるとも変ることのない心であるから、故に何時でも命が終つた時には涅槃の悟りを開くことが出来るといふのであります。  「これは念仏往生の本願の三信心なり」そこでだんだんとこの心持を説明するのであります。これは念仏往生の三信心であつて、「観無量壽経」に説いてある三心ではないと断つてある。「観無量壽経」の三心と申すのは、法然上人の「和語登録」といふ書物に精しく書いてあります。  「三心とまふすは観無量壽経に説かれ候やうは、若し衆生ありて彼の国に生れんと願ふるのは三種の心を発して即ち往生すべし、何等をか三となす、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心なり、この三心を具するものは必ず彼の国に生ると説れたり」  「観無量壽経」の三心といふのは、至誠心と深心と廻向発願心だといふのであります。善導大師がそれを説明をして、至誠心といふのは真実の心、真実といふのは内は虚しくして外を飾るといやうな心のないのを真実といふ、即ち「観経疏」といふものを拵へて、そのことを善導大師が説明して居られますが、それは「不得外現賢善精進之相内懷虚仮」「外には賢善精進の相を現し、内には虚仮を懐くことを得ざれ」といふのでありまして、善導大師がそれを又自分の書物に講釈していはれるのに、至誠心といふことはまことといふことをいふのである。まことといふのは、内が虚しいのに外を立派に飾る心のないのをいふのである。即ち、心の外には賢善、仏心、精進、努力。賢善精進の相を現し、人間といふものは外も立派な相にならなくてはいかないけれども、外だけ立派な風をして居つても駄目である。外には立派な風をして、内には虚位を懐いてはならないといはれる。この心持は、内は愚かであるのに、外には賢き人と思はれんやうに振舞ひ、内には悪をも造り、外には善人のよしを示し、内には懈怠の心を懐きて外に精進の相を現するを、それを真実でない心と申す、外も内ありのままにて飾る心のなきを至誠心となづくるにてこそ候めれ、かう法然上人が説明して居られるのであります。尤なことでありまして、往生するといふことは我々の将来をよくすることであり、つまり悟りを開くといふことでありますが、それには第一まことでなくてはならぬ、心がまことでなくてはいかぬのであります。身体には垢がついて黒いのに、外に立派な著物を著せてかくして居るといふことはよくない、外も立派にしなければならなけれども内もやはり立派にしなければならぬ。偽らない心持で以て行かなければならぬ。さうしなければ将来のよくなることはない筈であります。  「深心といふはすなはちこれ深く信ずる心なり、何事をふかく信ずるぞといふに、まづもろもろの煩悩を具足し、おほくのつみをつくりて、余の善根などなからん凡夫、阿弥陀仏の大悲本願をあふぎて、その仏の大悲の名號をとなへて懈怠せず、称名念仏の人は、決定して往生すべしと信じて、乃至一念もうたがふ心なきを深心とは申也」  これは法然上人の説明であります。我々人間といふものは至誠心を持つて居なければ往生は出来ない。至誠心といふのは、内が愚かでありながら外に賢い風をして見たり、内が汚いのに外を綺麗に塗つてみたり、偏つて行くといふことはまことでない、偽らない心で行かなければならぬといはれるのであります。しかしながら省みるとどうもさういふ至誠心を我々が持つといふことは容易なことではないのであります。もろもろの煩悩を持つて居り、もろもろの罪を作り、しかもその罪といふものは非常に多いことであります。如何ともすることの出来ない罪が澤山作られて居るし、それに善いといふことは更にやらない。善根功徳といふものを作ることの出来ない凡夫でありますから、自分の力のないといふこと、罪の深いといふこと、悪るいものであるということを深く信じてさうしてただ只管に仏の本願といふものをいただいて、その仏の名號を称へて決定して必ず往生することが出来ると信じて、一念凝はない心がなければいかぬ、それでなくては極樂に往生することはとても出来ないといふのであります。  「三に廻向発顕心といふのは是亦別の心には候はず、わが修めるところの行業を一向に極樂に廻向して往生をねがふ心なり」  極樂に往生するには、極樂に往生する因を作らなければならぬ。ただぶらぶら遊んで居つて、極樂に行けるわけはありませぬ。極樂に行くには極樂に行くやうな仕事をしなければならぬ。つまり因果の関係で我々の将来といふものを作つて居るのでありますから、極樂に行かうと思ふには極樂に行くやうな仕事をして居なければならぬ。朝から晩まで地獄に堕ちるやうな仕事をして置いて、その後に極樂に行くことは決してないことでありますから、そこで廻向発願心がなくてはならぬ。この三つの心を持つて居れば必ず往生する、この一とつでも欠げたら往生出来ないと「観無量壽経」に説いてあるのであります。ところが親鸞聖人はそれではないといはれるのであります。  それならばどういふことをいはれるのか。心をまことにして、深く自分の愚かであり罪の深いといふことを信じて、仏の本願に随つて必ず極樂に往生しやうといふのでなければなりませぬ。念仏往生の本願の三信心といふのは、これは「大無量壽経」といふお経に説いてある、念仏をするのは必ず往生せしめるといふ仏の願ひ、念仏といふのは仏の名を称へる、仏の名を称へるのは必ず往生せしめる、かういふ願ひであります。それを念仏往生の願といふ。さう「大無量壽経」に説いてあります。念仏往生の本願の三つの信心である、「観無量壽経」の三心ではないと申されるので、これは親鸞聖人独特の考へであります。普通の人は、「観無量壽経」の三心をやかましくいはれる、それも当り前でありませう。心をまことにしなければ、曲つた心で仏になるわけはありませぬ。仏が喧嘩をしたり、腹を立てたりしたら困る。それでは仏ではありませぬ。しかしながらさういふ人間の心はどうしても取れないのであります。さういふ心持があるから、どこまで凡夫といふ資格で居なければならぬ。そこで我々は凡夫であるから仏の本願に縋つてお助けをたのむ、さうして念仏を称ふれば必ず往生出来るといふことでありますから、決定して往生出来ると信じて少しも疑はないのが深心である。けれども親鸞聖人はそれではないといはれるのであります。それならばどういふことかといへば、それは念仏往生の本願の三信心であります。「設我得仏、十方衆生、至心信樂、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚」と「大無量壽経」に説いてある念仏往生の本願であります。我が名を称へるものは必ずむかへとる、即ち念仏をすれば必ず往生出来るといふ願であります。  たとへといふのは若しであります。若し自分が仏になつたならば、十方の衆生が至心に信樂して、我が国に生れんと欲して乃至十念せん、そして若しさういふものが仏の国に生れなかつたならば、正覚を取られ、仏にならぬ。つまり誰でもどんな人でも、偉い人でも偉くなくても、罪があつても罪がなくても、一切合切この衆生が至心に信樂して、まことの心に信じ、よろこんで、我が国に生れやうと思つて念仏をするものがあつたら、それを必ず迎へとつて我が国に生れさす、若しさういふものが生れなかつたら、自分が仏にならぬといふ誓ひをたてて、修行をしてその願いが成就したのであります。そこで十方の衆生は必ず仏になるといふ。かういふ文章がお経に書いてあるのであります。これは一体どういふ意味かといふと、その仰せに随つて仏の国に生れやうと思つて、仏の名を呼ぶものがあつたらそれは必ず仏になる、といふ意味であります。それ故にこの文章の意味からして考へると、それは「観無量壽経」の三心と同じことであります。至心に信樂して我が国に生れんと欲する。我が国に生れんと欲するにはどうしても廻向発願心でなければならぬ。至心は心を誠にすることでありますから、心を立派にしなければならぬ。信樂といふのは信じて疑はないのでありますから、自分の心のあさましいといふことを信じなければならぬ、所謂機を信じ法を信ずるといふのであります。それにも拘らず、同じではないといはれるのであります。  そこで親鸞聖人の考へ方はどういふのであるかといふと、それは至心にといふことは心をいたして誠にするのではない、至心といふのはまことの心、そのまことの心は我々の心でない。これが親鸞聖人独特の考へ方であります。我々の心にはどこを尋ねてもまことの心はない。それ故にまことの心と名のつくものは仏の心であります。信じよろこぶといふことも我々の心持にはない、我々に若し信じよろこぶということがあつたならば自分の都合のよいことであります。自分の得手勝手なことを喜ぶ。其実の意味に於て喜ぶといふことは我々の心持にあるわけはない。さうすれば信樂といふことも仏の心であります。我が国に生れやうとする心、極樂に生れやうとする心もさうであります。我々はこの世の方がずつとよいのであります。いくら極樂に行かうといはれても、一年でも長くこの世に居りたいのでありますから、若し彼の世に生れやうと思へば仏の心であつて、自分の心ではないのであります。  かういふ風に考へますると、至心信樂欲生の三つとも全部自分の心ではない、念仏往生の本願の三信心なりといはれるのであります。念仏往生の本願の三つの信心といふのは、一とつは至心、それから信樂、それから欲生即ち至心信樂欲生のこの三つの信心だといふのであります。さうしてその信心は横超の信心、これは即ち如来大悲の誓願力であります。さうすると自分のものではない、この三つの心とも仏の本願であります。  「これすなはち如来大悲の誓願力なるがゆへなり、この信心は摂取のゆへに金剛心となる、これは念仏往生の本願の三信心なり」  繰返し繰返し断つてありますが、これによつてみますると、我々は心をまことにするものではない、まことの心は仏からいただくのである。我々は信樂するのではない、信樂といふ心が仏の方から出て来るのである。我々が彼の国に生れやうとするのではない、彼の国から生れるやうな心持が出て来るのであります。  そこで更に説明をしますと、至心といふことは私どもが自分の心の嘘偽りであるということを考へた時、嘘偽りのところへ出て来る心持であります。  これを宗教的に申しますと、我々の虚仮の心を救ふためにそこに現れて来る仏の心持が至心であります。我々が自分の心を悪るいなあと思へば出て来る、悪るいなあと思ふのは仏の心が我々に悪るいなあと思はせるのでありますから、そこへ出てくるのは仏の心であります。それが至心であります。信樂というのは、自分の心を嘘偽りに富んで居ると考へる時、さういふものを助けて摂め取つて捨てないといふ仏の願ひが我々の心持へ出て来る、それを信樂といふのであります。我々の方からいへば信じてよろこぶのでありますけれども、仏の方からいへば必ず助けるといふ心が我々の心持に出て来たことをいふのであります。欲生といふのは、仏が我々に必ず涅槃の悟りを開かしめやうと思はれるその心持が我々に出て来るのであります。それ故に至心信樂欲生といふことは全く一とつであります。さうしてそれが其実信心であり、仏の心であります。  「この真実信心を世観菩薩は願作仏心とのたまへり」  これを世観菩薩は願作仏心といはれた。願作仏心といふのは仏になることを願ふ心であります。  「これ淨土の大菩提心なり」  親鸞聖人の考へによると、大菩提心に、浄土の大菩提心と聖道の大菩提心と二つある。普通に菩提心といふ場合には聖道の菩提心をいふ、上には菩提を求め下には衆生を化して行かうといふ、つまり自分が上下にはたらきをすることをいふので、普通に仏教で菩提心といふのはそれであります。自分自ら仏になつて、さうして多くの衆生を助けやう、自分を利し人を利する、それを大菩提心といふ。ところが親鸞聖人のいはれる菩提心はさういふ聖道の大菩提心ではない。浄土の菩提心であります。菩提心といふのは、自分が仏になつて衆生を済度することを望む心でありますが、しかし我々はとてもそれは出来ない、自分の後生を大事に考へて、さうして仏の国に往生したいといふ、さういふ心持を出すのを菩提心即ち願作仏心だといはれるのであります。我々の分はこの浄土の大菩提心でありまして、自分が仏になることであります。ところが次に  「しかればこの願作仏心は即ち度衆生心なり。この度衆生心とまうすはすなはち衆生をして生死の大海をわたすこころなり」  衆生をして生死の大海をわたすことが、即ち衆生を濟度する心といふのでありますけれども、それは今申したとほり凡夫の心持でありまして、自分ではとても出来ない。しかしながら真実信心といふものは如来の方から貰ふから、凡夫の心を以て衆生を濟度するといふのでないけれども、仏から貰つた心持が自分の心へ出て来れば、それはやはり度衆生心であります。聖道の菩提心には度衆生心があるけれども、浄土の菩提心にはさういふものがない、ないけれどを仏の心を貰ふのだからといふ、「しかれば」といふのはその意味であります。  「この信樂は衆生をして無上大涅槃にいたらしめたまふ心なり」  ここで明かに断つてある。さういふ信心といふものは、全く衆生をして無上大涅槃の悟りを開かしめたまふ心であるから、我々が信樂といつて居るのは仏の心であります。仏の心が出て来るのであります。それ故に  「この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち如来なり」  この信心は全く仏だ、全く仏性だ、全く如来だといふ。この親鸞聖人の考へといふものは実に巧妙であります。何故かといふのに、信心というのは如来の心である、その如来の心が我々の心に現れる。ところで現れるといふことは我々が現すから現れるのであります。このことはもつと詳しくお話をしなければわからぬことでありますが、我々はどうしても生きて行かなくてはならぬ、これは生きたものの通則でありまして、自分が考へたことではありませぬ。大きな力が一部我々の心へ出て居るからさう思ふのであります。その力が我々の心へ出た時、我々は生きて行かなければならぬ、我々は死にたくない。この我々が死にたくないというのは、生きたものはどうして生きて行かなければならぬといふことが、小さい心を離れてちやんと世の中にあつて、それが我々の心に出て来て、どうしても死にたくないのであります。小さいものは大きなものの一部であるといふことを、世の中に定まつた理窟であります。そこで我々が小さいと考へる時にそれは必ず大きなものの一部であることであり、我々がつまらないといふことを考へれば、つまらないものの反対の一部であります。この世の中は皆さうなつてゐるのであります。我々がどうも罪が深くて仕方がないと考へれば、罪が深くないのがあつて、自分がその一部であるからであります。さういふやうなことを考へていふ時は、我々の心が何時でも理想に背いた時であります。嘘をいつてはいかぬといふ理想があるから嘘をいふと気になる、嘘をいふと何だか工合が悪るい。人に難儀をかけてはいかないといふことがあるから、人に難儀をかけると気の毒だと思ふ。又人に心配をかけてはならぬといふことがあるから、人に心配をかけると気の毒だと思ふ。至心信樂欲生といふことは、全くさういふ心持が仏の方から我々の方へ来て居るから、自分の方で至心信樂欲生といふのであります。それ故にそれは我々の心持ではないのであります。我々の心をまことにして、法を深く信じて、さうして仏の国に生れやうといふやうな「観無量壽経」に説いてある三心ではなくして、仏から賜つた三信といふものに目をつけて、ただひたすらに仏の名を呼ぶといふことが仏の本題だと、かう親鸞聖人は説明をして居られるのであります。  宗教といふものは如何にもさういふものであります。大体が我々のために必ず助けるといふ願を起されたといふことは、自分といふものとは離しているのでありまして、我々が助かりたいといふ本願を持つて居るのは、仏の方からいふと必ず助けるといふことなのであります。向かの方に仏が居つて、それが本願をしてそれに助けられる、といふことを考へたならば駄目であります。仏の本願である、どうしても私が助けられなければ駄目でありますから、親鸞聖人はそれをいはれるのであります。  それについて、この「唯信鈔文意」の後の方に、「外に賢善精進の相を現すことを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」と書いてありますが、これは私が始終申すのでありますけれども、実はかういふ読方はないのであります。外に賢善精進の相を現して内に位を懐くことを得ざれ」と読むべきであつて、外を綺麗にして居なくてはならぬけれども、しかし外を綺麗にしただけではいかない、外を綺麗にして内も綺麗にしなければいかないといふことであります。それが即ち「観無量壽経」の三信であります。ところが親鸞聖人はさうでない。その三信といふものは皆仏の心である。それを我々がいただいたのである。我々は外に偉さうな風をするな、外を飾つても駄目だから外を飾ることをするな、外に賢善精進の相を現すことを得ざれである。それは何故かといふのに、内がからつぽだから、内の位を取ることの出来ないものだからといふのであります。外に賢善精進の相を現してはいかない、内に虚仮を懐いて居るからという心持が、虚仮から離れる心持であります。それが仏の心持であります。「外に賢善精進の相を現して、内に虚仮を懐くことを得ざれ」といへばどこまでも自分でない。ところが親鸞聖人のやうに「外に賢善柄進の相を現すことを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり」といはれた場合には、それは自分のことであります。さういふ風にそれが自分のものになるのが即ち仏の力であります。  「今昔物語」といふ書物の中には古い話が書いてありますが、その中でも一番古い話は奈良朝時代のものがあります。その中に、奈良の元興寺に智光といふものと頼光といふものか居つた。この智光といふ人は有名な人であります。僧侶の伝記には皆載つて居る学者でありました。その智光照光といふ二人の学生が同じ部屋で修行して居つた。ところが頼光はだんだんと年をとるけれども、しかし学問といふものを一向やらない。又ものもいはない、ただ寝て居る。ところがその相手の智光といふ人は非常に智慧が勝れて居つて一生懸命に学問をする。非常によく出来た人でありますから、他の書物には、この智光といふ人が大変学問がよく出来て自慢をして地獄に堕ちたといふやうなことを書いてありますが、それ位にまで学問の深かつた人であります。ところが頼光の方が先に死んだ。そこで偉い智光が自分の友達の頼光が死んだのですから、あいつは学問もせず、物言いはず、ただもうグーグー寝て居つてさうして死んだ、どういふ報いを得て居るだらうか、あの人間の未来がどうなつて居るだらうか、どこへ生れて居るだらうかといふことを頻りに考へて居る。つまり友達の死んだのを心配して居つた。あんなことをして死んだのではとても極樂へは行かれまいといふことを心配して居た。さうすると或夜夢に頼光が居るところへ行つた。行つて見ると実に綺麗なところであります。どうもこれはかねて聞いて居る極樂に似て居る。そこで智光が怪しんで頼光に向つて、此処は一体どういふところだというと、頼光がいふのに、此処は極樂といふところだ、お前が自分の生れて居るところを頻りに知らうと思つて居つたから、そこでお前をここへ連れて来た。だがお前は用がないから早く帰れと言ふ。それで智光が驚いた。自分は一生懸命極樂へ生れたいと思つて、さういふ願ひの心を強くして修行して居る、折角来たのに帰れといふのは何事だ、帰らないといふ。さうすると頼光がいふのに、何といつてもお前はここへ来る行業がない。まあ今の言葉で言へば、お前はここへ来る資格がない、それだから早く帰れといふ。さうすると智光が、お前は一体学問せず、ものもいはず、毎日グーグー寝て居つてどうして此処へ来たのだといふと、頼光がいふのに、自分が昔、仏道修行をしやうと思つてお寺に入つた時経を見たところが、お経を読んだつて駄目だといふことがわかつた。学問で行くべきものではないといふことがわかつた。そこで仏様の思召に随ふて来るべきだと思つたから、学問もしないし、ものもいはない。さうして一生懸命に仏の相を念じ、他の考へが起きては悪るいと思つたから寝た。起きて居ると他の考へが起きるから寝てしまつた。お前さんは起きて、さうしてお経を澤山読んで、理屈はそれでわかつたけれども心が棄れてしまつた、それで此処へ来られなくなつてしまつたといふ。それを聞いて智光が驚いたのであります。それならばどうしたらここへ来られるだらうか、ここへ来るのにはどうしたらよからうかといつて相談を持ちかけた。さうすると頼光がいふのに、さういふことは知らぬ。さういふことが聞きたいのならば仏さんに直きに聞け、暫く待て、といふので待つて居ると仏さんを連れて来た。阿弥陀如来を連れて来た。そこで頼光が阿陀如来に向つて、どうしたならば極樂に往生出来ませうかと聞いたところが、仏さんがいはれるのに、仏の相を念じ淨土の荘厳といふことを考へよといはれる。さうすると頼光が、さういふことはとても凡夫の私どもに出来ることではありませぬ、そんなむつかしいことは出来ませぬがどうしたらよろしいかといふと、仏は黙つて何ともいはれぬ。何ともいはないで、右の手を挙げて、さうして手の上に小さい極樂を出して見せて、さうして獣つて引込んでしまはれたといふ話があります。  落し話のやうな話でありますが、仏から賜る心であるといふことに気がつかなければ、宗教の心のはたらきといふものを自覚をするといふことは困難であります。それはどういうわけであるかといふのに、自分の心のはたらきによつて作り上げるこの世界といふものは、どこまで延長しても極樂ではない。自分の心で作らない世界が始めて極樂であります。そこで我々は考へれば考へるほど仏から遠ざかる、考へれば考へるほど極樂に行かれない。頼光のいつたやうに、とても智慧のはたらきで行けるものではない。仏の思召によつて行けるものであるといふことに気がつけば、お経もやめるし、又雑念の起るのは駄目だと思つたから寝てしまつたというけれども、寝なくてもよい、起きて居つても雑念が起きたといふことを自覚すれば、起きないと同じことでありますから、自分が自分の心持を内省して、さうして一とつ一とつそれの値打がなくなれば、全く起きないと同じであります。至心信樂欲生といふことは全く仏の心が我々の心へ出て来たのでありまして、それを自分の方からいへば至心であり信樂であり欲生であると考へる時、全く仏の本願の三信心だと親鸞聖人のいはれる意味がはつきりわかると思ふのであります。このことは世観菩薩即ち天観菩薩の説でありますから、その天観菩薩の「和讃」を親鸞聖人が作られた中に、「尽十方の無碍光仏 一心に帰命するをこそ 天観菩薩のみことには 願作仏心とのべたまへ」と書いてあるのであります。世観菩薩の考へでは仏に一心に帰命することを願作仏心といふのであります。  「願作仏の心はこれ 度衆生のこころなり 度衆生の心はこれ 利他真実の信心なり 信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」 でありますから、我々が、自分が仏の仰せに隨ふのだと思ふ時には自分の心だけでありまして、仏の心ではない。自分は仏の仰せに隨ふやうな心を持つて居らぬのに、仏の仰せに随はなければならぬといふところに、仏の心が自分の心の中に入つて居るのであります。その時には何時でも宗教の心持であります。何時でも一心帰命であります。  大乗起信論講話  本篇は、昭和七年六月より昭和八年九月まで、東京婦人文化講座に於て、「大乗起信論」を講本として講話せられたるものの筆記録を、編纂者が整理してことに上梓するものである。本稿を通観すると、或る部分は説明が非常に詳細であり、ある部分は極めて簡単であつたりするが、これは先生が重きを置かれた個所が詳細になつたといふ点もあるであらうし、亦、特に軽視されたのではないが、時間の関係等で巳むを得ず簡単に話された個所もあつたのであらうと思ふ。  第一講  「大乗起信論」についてお話を致します。大体はこの中の精神をお話するつもりでありますが、はじめに一寸文字のことをお話いたします。  「大乗起信論」の大乗といふのは、マハャーナといふ印度の言葉でありまして、支那の文字にあてまして摩訶衍であります。これを意訳いたしますと大乗、大乗というのは大きな乗物といふ意味であります。大きな乗物といふのは、多くの人が乗つて法に至ることの出来るといふ意味で、どんな人をも法の中に入れるといふ意味であります。これに対して小乗といふのは、小さい乗物の意でありまして、空寂涅槃、灰身滅智という法を説くのであります。小乗に、声聞と縁覚との二つがありまして、声聞とは、仏の声、又は仏の教を伝へるものの声を聞いて無学の境に達することであります。縁覚とは、自然又は自己の環境等の機縁に觸れて自ら悟り無学の境に至ることを申すのであります。しかしながら大乗はさういふ道徳の範囲を超えまして、仏智を開きて仏に成るところの広大なる教であります。小乗は自分だけが偉くなるのでありますが、大乗は自分も他者も一切が悟りを開く、一切が智慧を開くことであります。一切がさとりを開くには仏の智慧でなければならぬわけであります。  起信と申すのは、大乗の教法に対して信を起す、信といふのは心が決定して動かないやうになることでありまして、人間の心は事情に随つてはたらく、それが如何なる事情によるとも動揺しなくなることを信と申すのであります。その信を起す、これを起信といふのであります。論といふのは論ずる、仏教の真義を極めて論ずるといふことであります。即ちこの書は真実の大乗の法を明らかにして、世間の人々に対して大乗の信仰にゆかしめて生活を正しくせしめやうといふために作られたものであります。  この書の作者馬鳴菩薩の伝記はよくわかりませぬが、印度の人で西暦一世紀頃の人でありませう。釈尊が死なれてから五六百年位後であります。釈尊が死なれたのは西暦紀元前五百年頃でありますから、西暦一世紀頃でありませう。仏教のあらゆる宗派の先祖といはれてゐる龍樹といふ人よりは百年位前の人でありますが、内容に於ては、もつと後の色彩を持つてゐるのであります。馬鳴菩薩は、はじめ婆羅門の教を奉じて居たのであります。婆羅門と申すのは、釈尊以前印度に行はれて居た哲学的宗教であります。その婆羅門の教を奉じて非常に博識で、中印度では匹敵する人のないといはれる位評判の学者であつたのであります。ところが仏教の学者と論戦をしまして負けて、それから釈尊の教を奉じるやうになつたといふのでありますが、確かな伝記はわからぬのであります。  菩薩といふのは翻訳すれば大士とか高士とかの意でありまして、仏に成る前の階段で、菩提薩捶の略であります。皆印度の言葉でありますが、それを支那の言葉に音訳したものであります。  その馬鳴菩薩が作つたものを梁の承聖二年、我国の欽明天皇の十四年、西暦五五三年に真諦といふ人が訳したといふのであります。それは丁度仏教が日本に渡来した頃であります。  三蔵といふのは、釈尊が説かれたものを経といひ、戒律を律といひ、その理屈を説いたのが論でありますが、仏教を三つに分けたそれを三蔵といふので、この三つに通じて居るといふ意味で、ここの三蔵は敬称であります。  専門の立場からは、この「大乗起信論」は馬鳴菩薩の作つたものでないといふ説もありますし、或は又龍樹菩薩がつくつたと申すのでありますが、どちらにしましても、只今は内容を考へることが必要でありますから、ただ西暦六世紀、今から千三百年位前に出来たものであるという位でよいでありませう。  はじめに一段低く書いたのは、仏教の方では偈文といふのであります。偈というのは極めて簡単な言葉で意味の人に通じるやうなのでありまして、多くは美しい語を用ひてこれを唱へるやうに出来てゐるのであります。支那で頌といふものとおなじものであります。  「帰命尽十方 最勝業福知   色無礙自在 救世大悲者   及彼身体相 法性真如海   無量功徳蔵 如実修行等   為欲令衆生 除疑捨邪執   起大乗正信 仏種不断故」  尽十方と申すのは、東西南北四隅上下で、つまりすべての方角をいふので、世の中全体のこと、ひろくといふ意味であります。最勝業と申すのは業とは所為で、身口意の三業といふ、仏の身と口と意とで行つてゐる行為がこの上もなく勝れて居りますから、最勝といふのであります。仏の仕事は、上下左右四方といふやうにひろく行はれるから最勝と申すのであります。?知とは?ねく知る、委しく申せば、知るといふことにも理の如く知るといふのと、事の如く知るのとありまして、理の如く知るのは異知でありますし、事の如く知るのは俗知であります。普通世間で申す智慧は俗知でありますが、真理の如く知るのは仏の智慧でありまして、偏く知る。尽十方の最勝業の?知といふのは、つまり智慧が十方に通じて、何でもわからぬことなく勝れているといふ意味であります。  色の無礙自在といふのは、からだのはたらきをいうので、身体が自由自在で何のさはりもないことであります。色といふのはすべて形あるもののことでありますが、ここでは身体をいふので、身体はとかく不自由のものであるが、それがさはりなく自由自在であるといふ意味であります。  救世の大悲者とは、仏を指して申すので、仏が世を救ふために説法をして大慈悲を垂れるから大悲者といふのであります。  帰命といふのは命にかへる、又は真如にかへるの意でありまして、仰せにしたがふことであります。  この世の中の最もすぐれたる仕事をなし、?ねき智慧を持ち、身体の自由自在なる、世を救ひ給ふ仏に帰命し奉るといふ意味であります。  彼身の体と相というのは、仏の身体と相、法性真如海と申すのは、真如は一切萬物をおさめとるのでありますから、海にたとへていふので、真如が物にあらはれたのを法性といひ、人間にあらはれれば仏性といふのであります。無量なる功徳の蔵といふのは、量り知ることの出来ない功徳を蔵することで、真如海の形容であります。法の実を説いたのであります。  仏に帰命し奉ると共に、仏の身体の源にして、すべての物の根元である無量の功徳不滅する真如海即ち法に帰命し奉るといふ意味であります。  如実修の行といふのは、法に従つて実の如く修行することでありまして、法を体に顕はすのでありますから、これを僧といふのであります。  それ故に一番はじめの「尽十方の最勝業なる?知と色無礙自在と、救世の大悲者」といふのは仏のことであり、「彼身の体と相、法性真如の海と無量なる功徳の蔵」といふのは法のことであり、「如実修の行」というのは人間即ち僧のことであります。これを三寶と申すのでありまして、つまり三寶に帰依することをいふのであります。  その後のところは、何故に以上の仏法僧の三寶に帰命し奉るかといへば、それは一切の衆生をして疑を除き邪なる執心を捨てしめ、大乗の正しき信を起さしめ、仏に成る種をこの世から滅びさせないやうにしたいとのぞむからであるといふのであります。  帰命するといふのはその方に向いてゆくことでありまして、つまり趣向であります。帰命の方は敬順して向くのであります。仏を人格づけてしたがふので、仰せにしたがふ、又真理に随順する、法に赴くといふ意味もありますが、大体に於て敬順するといふ風に使つて居るのであります。この考へ方によりますと、人間のほんとうの生命とするところのものは、三寶だといふのであります。三寶といつても別々にあるわけはないのでありまして、三つの方面からみて、仏といひ、法といひ、僧といふ、つまり一実真如の理をいふのであります。その真如の理が人格的に見られたのが仏であり、その性質が法であり、法にしたがふ場合を僧といふのであります。  御承知の通ほり仏教は釈尊が説かれた教でありますが、その説かれた事柄は「阿含経」と申すお経に載つて居るのであります。「阿含経」は何千巻といふ程大部のものでありますが、それは丁度孔子の「論語」のやうなものでありまして、場合々々に応じて言はれたことを集めたもので、釈尊が体系を立てて言はれたものではありませぬ。それ故に直接釈尊についた門人にはわかるのでありませうが、後になるとどうしても何か一とつの体系を以て示して貰はねばわからぬ。孔子の「論語」を「論語」だけではわかりませぬから「中庸」が出来たのであります。「論語」では孝行はすべきものであるといふやうな極めて実際的なことが説いてありますが、「中庸」に於てこれを体系づけ、哲学でまとめまして「誠は天の道なり」といふやうに系統づけたのであります。同様に「阿含経」は釈尊が場合々々に応じて説かれたものでありまして、哲学でまとめてない、体系づけてない。どうしても哲学的に体系づける必要が起きて来るのであります。そこに出来たのがこの「大乗起信論」であります。これによりまして仏教といふものが哲学的にまとめられたのであります。哲学的の考へといふものは、宗教としては必要のないものであります。しかしながら仏教を頭に入れるために宗教意識を明瞭にしなくてはなりませぬから、かういふ説明が必要であります。これからが本文であります。  「論曰有法能起摩訶衍信根是故応説」  一体「大乗起信論」で法といひますのは衆生心のことであります。人間の心のことであります。めいめい人間が持つてゐる心の法をいふのであります。我々人間の心を徹底的に内省して深く観ずると何ともいふことの出来ぬ不思議の心が感ぜられる、その心持を衆生心といふのであります。それが大乗の法であります。ところが我々は平生自分といふものに執著してあるから、我々が自分の心として居るものは、自分の心にあらはれて居る思慮分別の現象に過ぎぬといふ考へであります。私共が見たり考へたりしておるそれは現象に過ぎぬので、衆生心といふものが別にあつて、それがほんとうの我であり、それが大乗の法だと、かういふのであります。この大乗といふのは小乗に対していふのでありまして、あとから付けた名称であります。この思慮分別をはなれて感じられる心持は平等普遍で全宇宙を包容するものである。この衆生心、即ち大乗が真実の我々の生命であつて、真実の生活といふものは、この真実の生命を見出して、それをもととして進むべきものであると、かういふのであります。この衆生心、仏性、本心は我々の思慮分別の心でかくれてあるから、それをとらねば衆生心はあらはれんといふのは禅宗の哲学でありますが、すべて仏教の哲学は「大乗起信論」の考へが多いのであります。  さうしてこの本性、大乗、衆生心は不生不滅であつて始めもなく終りもない、それがものにあらはれた場合は法性であり、人間の心にあらはれた場合は仏性といひ、人間のからだにあらはれたものを僧といふが、根本は真如であります。これに対して思慮分別の心は妄念であり、それが一切のものをつくつて居る。唯識では我々の心が一切をつくつてゐる、即ち三界唯一心と申しますが、その点はおなじことであります。ただ「大乗起信論」のは、真如は宇宙にみちてある、それから一切のものが出て来るのであるが、人間の妄念でみるから差別が出て来ると申すのであります。それ故に心の相をそのままにみてゆくと、それが妄念であり、真如から離れて居るといふことを感じる、この考へを本として我々の実際の生活から離れぬ宗教といふものが発達したのでありませう。宗教そのものは何処までもその人の感情でありますけれども、それは思考について起きるものでありますから、宗教思考が明瞭でなくてはなりませぬ。宗教の考へが明瞭でありましてはじめて正しい宗教感情が起きて来るのであります。  我々は身体を持つて居る、身体には形がある、同時に精神をあらはす、しかし精神には形がみつからぬので、考への上からは身体と精神とを別々に考へるのでありますが、事実は一とつであります。身体は形が見える、精神は形が見えぬ、そのために身体といふものはいろいろ制限をうけるやうに思ふ。人間の力で超越出来ぬものが澤山あるやうに思ふ、丈の低いものを高くすることは出来ぬ、色の黒いものは白くなれぬ、病気にかかることを免れることも出来ぬといふやうに、形に見えるだけ人間の自由にならぬ点が多いのであります。ところが精神の方は時間的に制限されず、又空間的にも制限されませぬから自由であるやうに考へられますから、時間空間を超えて自由な心のはたらきを体の方に実現しやうといふもがきが起きるのでありまして、それ故に我々の生活に苦しみを起すのであります。馬鳴菩薩が書かれましたのは、この心の状態、そのさはりの多い状態を除いて、自由な精神を獲得しなければならぬといふことを、この書に於て説いて居られるのであります。  法といふのは意味が四通ほりある。第一は法律の法、第二は教法のこと、第三は真理を法といふ、第四は現象を法といふ。印度の言葉でダルマでありまして、此処では如の法のことであります。摩訶衍とは支那の音で翻訳しましたのでマハヤーナであります。マハは大きい、ヤーナは乗、大乗のことであります。信根といふのは、信はあらゆる善根の基となるものでありますから信根と申すのであります。信とは心のきれいなことであります。  ここに「法あり」といつてありますのは、一切人類のたましひをして向上せしむべき真理があるといふことで、たましひを向上せしむべき法が存在しているといふのであります。人がもしその法を求めてその法に信順するときは、法の力によりて仏のさとりを得ることが出来るから、よく大乗の信根を起すといふのであります。即ち大乗の信は真如の法の力による、法よく信を起すという意味でありまして、「大乗起信論」はその内容を明かにしてゐるのであります。  「説有五分云何為五一者因縁分二者立義分三者解釈分四者修行信心分五者勸修利益分」  大乗の法を説くのに五つに分ける。何々かといふと、一に因縁、二に立義、三に解釈、四に修行信心、五に勘修利益の五つである。  因縁分というのは大乗の信をあらはすわけであります。立義とは大要、大綱であります。解釈とは大綱を更に細かに説く。修行信心とは、前に説いた教は、知識の上にさとつただけでは役に立たぬ、信によりて体驗修行しなくてはならぬ、道理が明かになつただけでは宗教のはたらきはせぬ、それを体驗するには信といふ心のはたらきによらねばならぬ、それから行をしなくてはならぬといふのであります。勸修利益とは、根機の鈍いものは懈怠に流れる畏れがあるから、かういふ道を求めて進んでゆくといふことには利益のあることをあげて、大乗の信と行とをもとめて怠らぬやうにしなくてはならぬから、その利益をあげたわけであります。かういふ風に五つにわけて、この五つを段々と説いてゆくのであります。  「初説因縁分」  先づはじめに因縁分について説明しやう。  「問曰有何因縁而造此論答日是因縁有八種云何為八、一者因縁総相所謂為令衆生離一切苦得究竟樂非求世間名利恭敬故二者為欲解釈如来根本之義令諸衆生正解不謬故三者為令善根成熟衆生於摩訶衍法一聴任不退信故四者為令善根微少衆生修習信心故五者為示方便消悪業障善護其心遠離凝慢出邪網故六者為示修習止観一対治凡夫二乗心過故七者為示專念方便生於仏前必定不退信心故八者為示利益勧修行故有如是等因縁所以造論」  如何なる因縁によつてこの論を造つたかというと、それには八つある。八つとは何々であるか。第一には大体この書物の出来た総論としているべきことは、衆生をしてすべての苦しみを離れて究極の樂しみを得せしめることが趣旨であつて、世間の名利や尊敬を求めるためではないのである。  第二には如来があらはれて来る根本のわけを説明して、もろもろの衆生をして理解を正しくして謬らしめないやうにするために。如来は真如来現の義、宇宙の根本の真理を真如といひ、その真如が我々の世界に来りあらはれる、それを如来といふ。つまり真如が我々衆生の心の上にはたらきをあらはすそのわけを話す。で如来が我々の心にあらはれたときは、一心であるから、如来根本之義とは一心の義といふこととおなじことであります。  第三は既に善根が成熟すれば大乗の法が信じられるのであるから、それを堪えしのんでその信心を退典せしめないやうにするために。  第四には、未だ善根が僅かでうまくゆかぬ衆生のために、信心をあらはしてすすめてゆくために。  第五には、方便を示して――方便といふのは手段、てだてでありまして、たとへば仏を禮拝するといやうなこと――それによりその人間の悪るい業の障りを消して、即ちその人の長い間の生活の上に考へたこと、言つたこと、行つたことの総計を業といふのでありますが、その悪業の障りを消して、それによりて信心を護つて、愚痴や傲慢の心を遠ざけ離れしめて、邪見の網を免れしめて、正しい道に進んでゆかしむるために。  六つには止観を修習する――止観というのは、止は散乱する心をしづめることで、観といふのはみる即ち智慧でものの道理をみることであります。つまりこの止観の法によりて修行する、散乱する心を一所に止めて雑念を起さしめないやうにしなくてはならぬ、それを習ひ修めることを示して、凡夫二乗(二乗といふのは声聞と濠oとで、声聞といふのは法を聴いてそれによつて悟りを開くことをつとめるもの、縁覚とは縁にふれて悟る、たとへば春には木が生々としてゐるが秋には枯れる、人間の命も亦然りといふやうに縁に觸れて悟る、この二つを二乗といふ)の心のあやまちをなほさんがために。さういふ二乗の心持ではほんとうに悟りを開くところにゆかぬ、それは道徳の心持である、説教を聞いて成程と理解してやつてゆくことをつとめるのは道徳である、又一切の縁にふれて悟つてゆくのも道徳である。道徳といふのは智慧のはたらきである。さういふ智慧のはたらきは決して宗教でない、さういふ凡夫二乗の心のあやまりを示すために。  第七には、専ら弥陀一仏を念ずるといふ專念の方便を示して、それによつて仏の浄土に生れて、必ず逆もどりしないやうにするために。仏前に生ずるといふのは浄土に生ずることであります。專念といふのは只管仏を念ずる、專ら阿弥陀仏を念じてどうしても信心の退転しないやうにするためにといふことであります。八つには利益――利益といふのは、大乗の法を信ずることであります――を示して、即ち大乗の法を説いて、修行せしめるために。  以上のやうな因縁からこの「大乗起信論」をこしらへたのである。  ここに法と書いてありますのは真如であります。真如が宇宙の根本を成す真理と考へて、それがはたらきをおこして人間の心にあらはれたのが仏である。それ故に宇宙に真如といふものが存在してゐるとか実在して居るとかと説くのではありませぬ。真如といふものが宇宙の要素としてあるといふのではありませぬ。「大乗起信論」の考へは、一切のものが皆真如だといふのであります。真如が独立の存在としてあるといふのでなくて、根本の真理であつて、言ふことも考へることも出来ないものであると申すのであります。  その法といふものが真如から出て来て、それの極めて具体的なのは衆生心、一切の衆生の心であります。自分の心にあらはれて来た法を明らかにして、その法にしたがつてゆけば向上して涅槃の悟りを開くことが出来るといふ教であります。言葉をかへて申しますと、我々が徹底して自分の心を観じますとき実に不思議のはたらきがあるということを悟ることが出来る。その心の本性を衆生心といふ。通常我々は我といふものに執著してゐるから、我々が心と考へてゐるものは思慮分別の相に過ぎない、思慮分別の考へは何処までも相対的のものである、大きいとか小さいとか、偉いとか愚かとか、黒いとか白いとか、丸いとか角とか、善いとか悪るいとかといふやうに相対的に考へる、その差別相対の相を離れると、普遍平等なものである、それが心の本性であり、それを真如といふのであります。もう一度言ひかへますると、真如といふ真理が人間の心のはたらきの発達の途中で差別をはじめる、主観と客観とをわけることをはじめる、見るものと見らるるものとに分ける、その時真如といふものは自分の心にかくれてしまふ。けれどももともと真如の理から出るものでありますから、思慮分別の中にある迷ふといふ心のもとは真如であります。真如のはたらきが思慮分別に従つてゐるに過ぎない、それ故に煩悩即菩提、生死即涅槃であり、煩悩をとると真如も又ないのである。煩悩によりてのみ真如を見つけることが出来るのであります。極く実際的に申せば煩悩があるから仏に成れるのであります。  大乗仏教といふものが深遠な理窟を説くと申しますけれども、「大乗起信論」に説いてある理窟以上のことはないのであります。我邦では古くから「大乗起信論」の考へをもととして仏教が説かれたのであります。馬鳴菩薩の考へとしては、大乗の法といふものは自分の心であると簡単に片づけて、宗教といふものは決して自分の生活とは離れないことを説いて居られるのであります。心そのままを見てゆかう、妄念といふものは人間がつくるものであるから、その心の本性が真如であるといふことをさとれば、生活そのものが宗教のはたらきをあらはすやうになるといふことを説いてあるのであります。  「問曰修多羅中具有此法何須重説」  修多羅といふのは印度の言葉でお経のことであります。お経の中にくはしく大乗の法が説いてあるのに何故重ねて説かれるのであるか。  「答曰修多羅中雖有此法以衆生根行不等受解縁別所謂如来在世衆生利根能説之人色心業勝円音一演異類等解則不須論若如来滅後或有衆生能以自力広聞而取解者或有衆生亦以自力少聞而多解者或有衆生無自心力因於広論而得解者亦有衆生復以広論文多一為煩心樂総持少文而摂多義能取解者如是此論為欲総摂如来広大深法無辺義故応説此論」  お経の中にはこの法が説いてあるが、しかし人々の根機と行とは、すなはち人々によつて意志のはたらきと智力のはたらきとがおなじでないのと、理解してゆく縁が異ふから、かういふ書物をこしらへて説くのである。さういふのは、如来――特に此処では釈尊のこと――が世に居られたときは人々の根機が特によかつた、又その上に説く人即ち釈尊は体も心も共にそのはたらきが勝れてゐられたから、その円滿な声、即ち説教が一度説かれると、いろいろな人々が一様にこれを聴いたものであつて、重ねて説く必要がなかつたのである。ところが釈尊が死なれてから後は、衆生の中には自力で広く人の教を聞いてそれで理解をしてゆく人もある。或は自力で以て極く僅かにきいて多くを解する人もある、又自心ではやる力がないから、書物を広くあさつてなるほどと合点する人もある。亦書物も多く、一書の中にも実に多くのことが説かれてゐて、これでは余りに煩はしいので、総持即ち陀羅尼のやうに、文章を短く切りつめ、内容の豊富なる文章を読んでその意味を解釈せんとするものもある。  このやうな人々があるから「大乗起信論」はさういふ人々を相手にして、如来の広大にして深法無辺なる意味を簡明に説き明さんがために、既に経文中にある大乗を再び説く次第である、とかういふのがこの書物の出来たわけであります。  第二講  「巳説因縁分次説立義分」  立義分といふのは要義を立つと云ふ意味であります。要義を立つとは、本書に書かれたる事柄の肝要なる要項を説くことの意であります。  この書物を著すに就いての因縁は巳に説いたから、今度は本書の要項について説かう。  「摩訶衍者総説有二種云何為二一者法二者義」  大乗といふ意味は実に広いが、これを大略まとめて二とする。それは一とつには法、法というのは大乗と名づけられたるものを指すのでありまして、梵語ではダルマといふところを仏教では大乗の体と申すのであります。体といふのは知るもののこと、大乗を知る者のをさして体といふので自体の意味であります。二つには義、義といふのは名義、即ち何故に大乗と名付けるかといふ名義の意味であります。  「所言法者謂衆生心是心則摂一切世間法出世間法依於此心一顕示、摩訶衍義」  ここに言ふところの法とは衆生心のことであるといふ極めて実際的の考へであります。衆生心と申すのは衆生の心性、衆生が本来具へてゐるところの心であります。世間といふのは人間の迷の世界にあらはれた現象であります。つまり迷ひの境界にあらはれた法、出世間といふのは悟りの境界にあらはれた法であります。  今述べたところの法とは如何なるものかといへば即ち衆生心である。衆生心といふのは凡夫の心であるが、衆生が一度徹底的に内観して自らの真実の相に逢著すると、それはまことに不思議なる真実性の実在を感じる。衆生心は真如であり、一名如来蔵心ともいふ、ここでは真如心であります。我々は日常生活に当つて常に我といふ心持がつよくあらはれる、その自我に執著して考へることは思慮分別の現象である、それは常に主観と客観とを対立させてゐる、さうして我々は実際にはその思慮分別の心だけでいつてゐるのであるが、この現象は相対的、差別的のものである。この相対的な考へを離れてその奥にある真実なる自分の心をさとらねばほんとうの生命を創立することが出来ないのである。この思慮分別を離れたところに、普遍平等にして一切のものをおさめとるところの法がある。それを真如とも法性とも如来蔵ともいひ、もつと生きたものに限局すれば仏性といふのである。即ち宇宙に大きな生命があつて、それがいろいろに出て来るものが一人一人の生命であり、その現象は相対的であるが、それを我々は心のはたらきと考へてゐるから迷の心が起きる。馬鳴菩薩は真如といふことを言はないで、衆生心といつてゐられるのであります。宇宙に真如が満ち滿ちて居つてそれが一人一人の心に出て来る。それがほんとうの我であるのに、それから出て来る現象を心と思つてゐるからほんとうの我を知ることが容易でないのであります。  ところで今申しました法といふものは、人間が意識を持つてゐてその意識の向ふに出て来るものをいふ、つまり意識の対象として出て来るものでありますから、意識が無かつたならば、法といふものはわからぬ、法を知ることが出来ないのであります。馬鳴菩薩の考へでは、理想の上に実在するものでありまして、真の理想は我々の意識の中にあらはれるものでなければならぬのであります。我々は自分の心を直観することによりてはじめて仏に成るといふことがあらはれる、仏の慈悲を仰ぐということになるのであります。自分の心を直視して――直観といふ言葉がよくないのでありますが独逸の言葉のAnschauenであります――即ち思慮分別をしないで出て来るはたらきであります。例へば、書画を観賞しまするのに、開けたときにすぐきまる、はじめてみたときほんとだと思つたならばそれが確かであります。つまり思慮分別がわからなくするのでありまして、直観ならばはつきりとものがわかるのであります。  これを実際的に申しますれば、現実に生きてゐる我々が、法といふも、又仏といふも観念でありまして、実際に存在してゐるものは衆生心の外にはないのであります。法のことを説きましても、仏のことを説きましても、それは抽象的な観念であります。主観にさういふ心持が出ますると、それを対境として仏と名づけるのでありまして、何が実在するかと申すと衆生心以外にはないのであります。この衆生心によつてはじめて大乗の意義をあらはすといふ意味であります。  「何以故是心真如相即示摩訶衍体故是心生滅因縁相能示摩訶衍自体相用故」  何故かといへば、衆生心の本体内容である真の相は即ち大乗自らの実体であるから。同じく衆生心の内容である生じたり滅したりする相は――すべてのものは体と相と用とにわかれてゐるのでありまして、体といふのはものそれ自らの実体をいひ、相といふのは体にそなはつてゐる効能をいひ、それが現実にあらはれたはたらきを用といふ――大乗自らの体と相と用、即ち実体と性質とそのはたらきとをあらはして居るからである。  「所言義者則有三種云何為三」  今述べたところの義を分けて三つとする。その三とは何々であるか。  「一者体大謂一切法真如平等不搆ク故」  真如といふものは一切の法であつて、普通平等のものであつて、宇宙に遍満して、善悪、浄機、増減といふやうな差別の相を全く離れてゐる故に、体大といふのである。  「二者相大謂如来蔵具足無量性功徳故」  真如が一切の現象の上に実現してあらゆる活動を起すべき無量の功徳、性能を自身に具へて居るから、それを相大といふ。如来蔵に無量の功徳を具へて居るからといふのであります。  「三者用大能生一切世間出世間善因果故」  相の性能が現実にあらはれたものがはたらき即ち用であります。そのはたらきをあらはすときは、一切の迷妄の世界及び悟りの世界、すべての善き因果を生ずるが故に。  我々の世界というのは陰の世界であつて、真実の相をあらはしてゐないのであるが、さういふことの真実があるからいふのであつて、若し真実がなけらねば陰もまたないのであります。これは仏教の根本の考へであります。真如には善い悪るい、迷悟の差別はない、迷といふものと真実といふものと二つあるのではないといふ。一切のものは普遍平等である筈であるが、それを主観で区別する。その主観のはたらきによつてみとめられた世界はまことの世界ではない。しかしこの迷といふのは真如といふものによつてはじめていはれるのである、とかういふ考へであります。後に天台の哲学で、煩悩即菩提生死即涅槃といひまして、仏と衆生とは違つたものでないといふ考へであります。今ここでは、真如の用の善き因果を明らかにあらはすために、かう書かれたのであります。  「一切諸仏本所乗故一切菩薩皆乗此法到如来地故」  一切の仏は未だ仏にならない前にこの大いなる法に乗じて修行して仏に成られた、又菩薩は大菩提心を起して菩薩になる修行をしてゐるものであるが、いづれも皆との大いなる法に乗じて如来地に到るものである。仏といふのは衆生が発心してだんだん仏に成るので、その成らぬ前を因位といふ、果位となればもう仏であります。  「巳説立義分次説解釈分」  巳に大体この書を著した要義を説いたから、これからそれをもととしてなほくはしく解釈してゆかう。  「解釈分有三種云何為三一者顕示正義二者対治邪執三者分別発趣道相」  詳しく解釈すると、それには三つある。何々であるかといふと、一とつは正義を明かにする、二つには邪しまな考へを退治する、三つにはこの法を体驗して発心することによりて菩提の道にすすみゆく相を明かにする、発趣とは発して道に趣くといふ意味であります。  「顕示正義者依一心法有二種門」  正義を顕示するといふのは一心の法即ち衆生心に依つて顕示するので、それに二つの方面がある。  「云何為二一者心真如門二者心生滅門」  それは何々であるかといふと、一とつの方面は衆生心の真如の方面であり、他は生滅の方面である。  「是二種門、皆各総摂一切法此義云何以是二門不相離故」  この真如と生滅との二つの方面は、皆各一切の法を総べおさめる、それは如何なるわけかといふと、真如は体、生滅は相で、この二つは決して不可分のものであるからである。即ち世間のすべてのものは本体は真如であり、相は生じたり滅したりして居る、すべてのものは真如と生滅とであるといふのでありまして、これは自然科学の考へとおなじことであります。力といふものが変転すると現象になる。或る場合には熱となり、ある場合には光といふ、亦、ある場合には音といふやうなものであります。体をみとめれば真如であり、相をあげると生滅であります。  「心真如者即是一法界大総相法門体所謂心性不生不滅」  心真如とは一法界即ち絶対である。唯一とつの一切のものの根本原理である。一切のものはすべて真如から出て来るのであるから、真如は法門の実体である。世の中のものは生滅するけれども、一心体性即ち真如は生じもしなければ滅しもしないのである。法門の体といふのは、今申した真如の法によりて遂に涅槃の悟りを開くからであります。これはつまり真如といふことを三つの言葉で説明してあるのであります。所謂心性は不生不滅である。心性といふのは、人間の心は思慮分別であるが、その奥には真如があつて、それは不生不滅であつて、永遠に存在してゐる、我々の心に入らない前からあつて、未来もあるのであります。  「一切諸法唯依妄念而有差別若離心念則無一切境界之相」  一切の境界は唯我々の妄念によつてつくり上げてゐるのであるから、そこに差別も生じて来るのであるが、若し我々が妄念を離れたならば一切のこの世の差別の相はなくなつてしまふのである。主観の心があつて客観の対象をつくつたのであるから、主観のはたらきがなかつたならば客観ない、一切の諸法といふものは我々の主観で認識するのであつて、本来法そのものには差別はないと申すのであります。  「是故一切法從本巳来離言説相離名字相離心縁相畢竟平等無有変異不可破壊唯是一心故名真如」  このやうに考へると一切の法といふものは、元来人間が言葉でいひあらはすことが出来ず、名前をつけたり文字を用いたり又思慮分別によつてとらへることが出来ない、平等で変化することなく差別がない、又破壊することもない唯これ一心である、それ故にこれを真如と名づけるのである。結局人間が言つたり考へたり説いたりする、さういふ人間の考へのゆきづまつた窮極の実在を真如だといふのであります。これは今の哲学でいるところのSeinでないことは明らかであります。人間の考へや言葉ではとらへることの出来ないものであります。人間の言葉といふものは仮りに設けたものでありまして、観念をあらはすものであつて、物自体をあらはすものではない、仮名にして実無しであります。つまり言葉であらはせぬものをあらはしたのでありますから、畢竟捨てなければならぬ、それならばどうして言葉をつかふかといふと、我々人間は妄念によつて表現することを要求するからであります。それ故に真如といふものは我々の思慮分別を離れてはじめて感ずることの出来るものであります。  「以一切言説、仮名無実但隨妄念不可得故言真如者亦無有相謂言説之極因言遣言」  人間の一切の言葉や説明は仮りに設けたものであつて、物自体をあらはするのではない、ただ妄念に隨つたものであるから、それによつて真如を得ることは出来ない。真如といつてもそれは相形のあるものではない。言葉を以ては説くことの出来ない、言説の極致であつて、結局それを説明するには言説を捨ててしまはなければならぬ。つまり言葉のどんづまりを真如といふのであります。  「此真如体無有可遣以一切法悉皆真故亦無可立以一切法皆同如故当知一切法不可説不可念故名為真如」  しかしながら、この真如の実体といふものは捨つべき何ものもない。何故かといふと、一切の法は悉く真如であるが故に、又真如の実体といふものは立つべきものもない。一切の法はいづれも同じくただまことなる故に。以上のやうな次第であるから、一切の法といふものは、説くことも出来なければ考へることも出来ない、その故にそれを名づけて真如といふ。  「問曰若如是義者諸衆生等云何随順而能得入」  では若し真如といふのが、かやうなものであるとしたならば、あらゆる衆生はどうして真如にしたがひ真如に得入することが出来るであらうか。隨順といふのは、真如の理に隨うて実践修行することであります。  「答曰若知一切法雖説無有能説可説雖念亦無能念 可念是名随順若離於念名為得入」  それは一切の法といふものは、それについて説くとはいへ、如何なる能説の人と雖も説くことの出来ないものである、又念ずるとはいへ、如何なる深き思索者も念ずることの出来ないものといふことを真に知つたときにこれを隨順といふのである。若しほんとうに念を離れたならば、それを名附けて得入したといふのである。要するに、我々の思惟の世界は主観の分別で観念化せられたものである、本質といふものは思惟によりてはどうすることも出来ない、ただ自覚によりてのみ本質にふれるといふ意味であります。さう申す意味は、人間の精神のはたらきは智能と感情とがあるが、智能によりてはどうすることも出来ない、ただ感情により感知するのみであるといふ意味で、哲学上のSeinとは異ふのでありまして、我々の概念を離れたものをいふので、ただ自覚のはたらきによりてのみ我々は真如に觸れることが出来るといふのであります。  「復次真如者依言説分別有二種義」  以上のやうに、真如は言説を離れたるのであるが、仮りに言葉によつて考へると、それは二種の義がある。  「云何為以二一者如実空以能究竟顕実故二者如実不空以有自体具足無漏性功徳故」  何々かといふと、一とつは如実空である。如実空といふのは、我々の言説や理念にあらはれる真如は、すべて妄念妄想であることをよくつきつめて、真実をあらはしたものであるから、人間の考への及ばぬ絶対といふ意味で何もないといふ意味ではありませぬ。人間の考へのない所に真如があるといふので、真如そのものの真実の内容を示するものであります。真如は言語によれば全く如実に空といはねばならぬといふ意味であります。第二は如実不空、我々が如実空と感ずるとき、そこに殘るところのものは如実不空、即ち実体の完全なる力の存在を知るのである。  「所言空者從本巳来一切染法不相応故謂離一切法差別之相以無虚妄心念故」  ここに述べたところの空といふのは、一切の煩悩の法といふものとは一致しないものであつて、一切の法の差別の相を離れることである。差別の相を離れるとは、我々の虚妄の心念を離れたるときにあらはるる心の状態である。  「当知真如自性非有相非無相非非有相非非無相非有無倶相非一相非異相非非相非非異相非一異?相乃至総説依一切衆生以有妄心念念分別皆不相応故説為空若離妄心更無可空故」  それ故に真如の実体といふものは、有るにも非ず、無きに非ず、有るに非ざるにあらず、無きに非ざるに非ず、有無を?にそなへたるものにも非ず、又一とつの相でもなく、異れる相でもなく、一相でないといふのでもないし、又異相でないといふのでもない、一にして異なれりといふ一と異を?にそなへたる相でもないのである。つまり一切の衆生は自分の造りあげた虚妄の心念によつてのみものを考へるが、この妄念をよく内省して見れば、すべて悉く真実と相一致しない故に、妄念によつて考へられ説かれたることはすべて非ずといふことになる。即ちただ空といふより外にはないのである。それ故にもし妄念を離れることが出来たならば更に空といふべきものもないのである。  「所言不空者巳顕法体空無妄故即是真心常恒不変淨法満足則名不空亦無有相可取以離念境界唯証正応故」  又先きに述べた不全といふのは、巳に萬物の実体といふものは空であつて、そこに何等の妄念なく、そのままの真実をあらはしてゐる。これが即ち真の心である。常に変ることなく、汚れなく及滿ち足りてゐる。即ちこれを以て不空と名づけるのである。亦不空は相を離れてゐる。それは妄念を離れたる境界はただ証といふことのみが正しく不空と一致するものであるからである。  第三講  「心生減者依如来蔵故有生減心所謂不生不減与生減和合非一非異名為阿黎耶識」  心生減は亦如来蔵から起つたもの即ち如来蔵に依るものであるから生減の心が存在する。如来蔵といふのは真如の相でありまして、如来の功徳が深く存在して現実にあらはれぬことを申すのであります。真如の本体は我々の考へや言葉を離れたもので全く普遍平等のものであるが、我々は現象によらなければ認識することが出来ない、生減の心とは現象世界である。この現象世界も源は真如から起つたものである。即ち心の生減の相は現象であるが、その生減を現象と知るときに、その現象の奧底には不生不減なるのが認められてあるわけである。であるから生減と不生不減とは心生減の異れる二面であつて、全く同一ではない、又異れるものでもない。偽りは真によりてある、一とつの体の兩面であつて、これが宗教的の考へになつて、煩悩即菩提、生死即涅槃とかう申すのであります。この生減と不生不減とは共に心生減の内容であつて、これを名づけて阿黎耶識とする。阿黎耶識とはもと印度の言葉のアラーヤから来た支那の音訳語でありまして、新訳では阿頼耶識といふので、意訳すれば蔵識でありまして、即ち一切のものを総べおさめてゐる識であります。  仏教では人間の心を説明するのに識といふものを立てて居るので、唯識論では――唯識論は自然哲学でありますから――これを八識に分つて居ります。これを現今の心理学及び生理学の説明にてらしてみますと、八識の内の第六識までが之に相当して、あとの末那識と阿頼耶識は形而上学の考へ方になつて居るのでありますが、「大乗起信論」では阿頼耶識を「唯識論」の如くに分類致しませず、心生減の内容、即ち生減と不生不減とを総べて阿頼耶識と称してあるのであります。  「此識有二種義能摂一切法生一切法」  この阿黎耶識に二つの意味があつて、よく一切の法を総べおさめ、そこから一切の法を生ずる。真如の本源に向つてあらはれる一切の法を還減と申すので、それが現象の方に来れば流転であります。このはたらきによつて一切の法を生じもするし、又おさめとられるといふ意味であります。さうしてそれが自覚的に動くか、無自覚的に動くかによつて迷と悟とが出来るのであります。  「云何為二一者覚義二者不覚義」  二といつたが、その内の一は覚、真如の不生不減である本体を悟ること即ち自覚であり、二には不覚、真如の本体を自覚せず、一切のものに対して自己の妄念をおこすことである。  「所言覚義者謂心体離念離念相者等虚空界一無所不偏法界一相即是如来平等法身依此法身一説名本覚何以故本覚義者対始覚義一説以始覚者即同本覚始覚義者依本覚故而有不覚依不覚一故説有始覚」  今、覚といつたが覚とはどういふものかといふと、それは心の本体即ち我々の心の本体は真如であり、真如は我我の妄念や分別を離れたものである。我々の心が生減の中で妄念を離れたのを真如であると知る、それが覚である。その考へを離れた相は全く虚空界に等しい、さうして何れの処にも偏滿しない所はなく、どこにもある、萬物の世界と等しいものである。このやうに我々の考へを全く離れたるときは如来の法身即ち仏である。仏教では仏の体を三つに分けて、法身と報身と応身とする。法身とは真如に人格をつけたので、真如を人間のやうに考へただけである。一名それを理仏ともいふ。報身は修行に報いて出来た身体、即ち我々の知識の上に見える仏、即ち阿弥陀仏のやうな仏、何かはたらきをあらはして出て来た仏、慈悲の力で一切のものを助けるといふ願に報いて出て来る仏でありますから、法身よりは人間に近いのであります。応身とは、法身報身のわからないもののために、即ち我々のために出て来られた仏、人間の精神に応じてあらはれて来る仏、もつと近いのを化身といひますが、応身と化身とはおなじであります。釈尊といふものの一番我々にわかるのは化身であります。人間の形にばけて衆生を救はうといふはたらきをして居る、それは人間の要求に応じて出て来るからであります。釈尊の一とつの体の中に三身は皆ある、釈尊が死なれると化身と応身はなくなつて報身と法身とが殘る法身が報身になるのでありますから、今殘つてゐる釈尊は報身であります。釈尊々々といつてゐるのは、報身仏をいつて居るのであります。で、法身とは真如が人格を帯びて来たときにこれを指しているのであるが、そのときはじめてそれは仏教となるのである。かういふ哲学でありますから、人間の身体はなくなつても真如はなくならない。生減の相は消えても不生不減は消えない、無量壽であるといふ。世間の人々の考へてわかるやうに、体がなくなつても魂はどこかにゆくといふのではなくして、生減の相をおこすもとはなくなるわけはないといふのである。もつと通俗的にいへば個性をあらはした真如はなくなる、生減はなくなるが、一般の真如に帰る、真如から来た我我の体にある法性は、体がなくなれば又もとにかへる、とかういふ哲学でありますから、衆生は仏の国から出て来たので、迷つて居るから凡夫であるが、迷はなければ仏の国に帰る、浄土から来て又帰るといふ、その根本はこの哲学であります。かやうに真如の本体は凡夫の上に本来あるので、さとつたために出来たものではないから本覚といふ。どういふわけでこの生減心を覚ることを本覚といふかといへば、本覚とは始覚に対して名づけたのであつて、本来は我々の心に本覚がさとられたときにはこれを始覚といふのであつて、結局は始覚が本覚に同じきものであるからである。本覚といふのは根本のさとり、始覚というのは人間にさとられたからいふ。例へて申せば地に埋れた金の塊が本覚である、それを人間の力でほり出した金塊を始覚といふ、けれども埋れた金塊もほり出した金塊もおなじものであるといふ意味であります。  始覚の意味はかうである。凡夫の心には元来本覚がそなはつて居るのであるが、それが迷ひの心におほはれてゐる。それを衆生心の力で我々の心に自覚せられたときこれを始覚といふのである。真如の本体即ち本覚を悟るには念や言を離れ、一切の執著を離れねばならぬ。その迷ひの心即ち不覚を本覚が照らしてそれによつてはじめて迷ひの心を覚るのであつて、ここにはじめて始覚が生ずるのである。故に始覚は本覚より出で、本覚は始覚を生ずる。本覚がなければ不覚を妄念を覚ることなく、不覚なければ始覚は生じない。本覚は真如によつてしられ、始覚は本覚によつてしられる。  例をあげていふと水が塞気にあつたとき氷となる、本体は水といふ流動体であるから、氷となつてゐるけれども、みづからとける力はある、機縁があれば水になる、本覚が不覚を生じているのであるから、不覚は始覚を生ずる、始覚は本覚におなじい、とかういふのである。  「又以覚心源故名究竟覚不覚心源故非究竟覚此義云何」  始覚は一心即ち衆生心の本源を覚ることである、真如の道理を悟るのであるから、心の本源を十分に覚するから究竟覚というが、これに至るまで各種の程度があつて全く心の本源を覚り切られるのもあるから、それはほんとうの究竟覚ではない。それはどういふことか。  「如凡夫人覚知前念起悪故能止後念令其不起雖復名覚即是不覚故如二乗観智初発意菩薩等覚於念異念無異相以捨轟分別執著相故名相似覚如法身菩薩等覚於念住念無住相以離分別轟念相故名随分覚如若菩薩地尽滿足方便一念相応覚心初起心無初相以遠離微細念故得見心性心即常住名究竟覚」  この覚の段階についての意味はどうか。凡夫――凡夫といつても我々よりも遙かに進んだ人々であるが――過去のわるいことをしたといふことに気がついて後にそれをやめてわるい考へを起さないやうにしやうという程度のものも亦覚と名づけられるけれども、これはほんとうに妄念を離れたものでないから、不覚である。今少し進んで声門、縁覚の二乗の法を観る智慧を備へたるもの、及びはじめて心をおこした菩薩等は、妄念を起してそれに依つた考へは総て夢幻のやうなものであることを自覚し、自我に執著するやうな妄念による差別をもうけて居ない、轟分別即ち我他彼此といふやうな粗雑な考へを持たず、執著の相を離れてゐる。この程度の始覚を覚に似たる程度のものといふ意味に於いて相似覚と名付ける。次に法身真如の理を悟つた法身菩薩は、我々の心の外に物があると思つてゐることは全く我々の妄念であつて、心の外には何物もないといふ覚りをひらき、一切の法は一心の現れで、実在のものでないといふことを知り、妄念による執苦を離れ、少しづつ真如の真の相をさとつて前進してゆくから、これを随分覚といふ。菩薩が五十二段の修業を終り、その最後に至つたことを菩薩地尽くるといふ。これを等正覚の位といふ。巳に菩薩としての修業の段階が尽きて仏となつたものである。手段を十分に尽して、一念の心がよく真如の理に応じ、一心が阿梨耶識となつて起るのであるといふ理窟を悟り、心のはじめて起る理をさとる。阿黎耶識の活動によつて心の動くことを知れば、真如の外には何もないことを知り、小さな念はすべて妄念の仕業だといふことを知つてしまへば、心の本性を見ることが出来て、心は常に動くことがない。かかる状態を究竟覚といふ。  「是故修多羅説若有衆生能観無念者則為向仏智故」  斯るわけで、お経の中に、無念といふことをよく観ずることが出来れば仏智に到達することが出来るのであると説いてある。即ち人間が自分の念慮を離れることが出来たら、それは仏智がそこに出て来るという意味であります。  「又、心起者無有初相可知而言知初相者即謂無念」  又、心の起りといふのはどうして起つたか初めの相を識ることはないのに、それにも拘らず心の初めて動いてることを知るというのは、何ものも考へない、無念をいふのである。即ち本源である阿黎耶識を知り、真如をうかがうことであつて、そのときは心の起つて来ることに就いてはもう考へず、念を離れたる世界を知ることである。故に初相を知るといふのは別の言葉でいへば無念といふことである。  「是故一切衆生不名為覚以從本来念念相続未曾離念故説無始無明」  かういふ次第であるから、一切の衆生といふものは覚といはない、無念の覚の境地に達してゐないから、仏でないものはすべて無始の古より有念のみを相続いで来て、決して念を離るるといふ境界に到らない。それ故に一切の衆生は無始の無明があるといふ。決して明かなる覚りを開くことの出来ないのである。  「若得無念者則知心相生住異滅以無念等故」  若し無念を我がものとすることが出来たときは、則ち心の相の生・住・異・滅を知ることが出来る。生は根本無明、我々の心は無明より出来てゐる。住は執著、異は好を取り嫌を捨て、自分に都合のよいやうにのみ生活して悪を積んでゆくこと。滅はすべてのものの滅びゆくこと。即ち無始の無明が我々の心の中にあつて、一切のものについて妄念をつくり、これに執著して異を行ひ、遂に滅びてゆく。この理をよく知ることは畢竟無念である。この無念はしかしながら真如のはたらきによつて得られるものであつて、真如の前には有無の念はすべてなくなるのである。  「而実無有始覚之異以四相倶時而有皆無自立本来平等同一覚故」  しかし以上のやうに説き来つたが、実は始覚の四段階はすべて別個の異なりたるものではない。四つの相といふものは同時におこりたるもので、各々別々に独立しておるのではなくして、本来平等にして同一なる覚であるからで、ただ人間の心でもつて色々の差別をつけてゐるのである。  「復次本覚隨染分別生二種相与彼本覚不相捨離云何為二一者智浄相二者不思議業相」  又次ぎに本覚が妄念に及ぼす働らき、即ち真如が染法に関してあらはれる方面に二通ほりある。しかしそれは前の根本の本覚とはなれたものではない。その二つといふのは一とつは智靜相、二つには不思議業相である。  第四講  「智淨相者謂依法力薫習如実修行滿足方便故破和合識相滅相続心相顧現法身智淳淨故」  智淨相といふのは法力薫習――法力薫習といふのは、真如の法が我々の心の内と外とから覚醒させて真如のさとりに入らしめること――によりて実の如く修行する、それが内の原因となり、外の縁としては仏菩薩が教を説く。内因は法力薫習、外縁が仏菩薩である。説教で法を説き、力を加へらるることによりて凡夫のめいめいの心に薫習する、それによりて真実の行が出来るのであります。方便とは手段のこと、修行である。和合識の相を破すとは、和合識とは阿黎耶識、すなはち不生不滅と生滅とが和合してゐる、そのやうな相を心の中にあらはすことをやめる。その阿黎耶識を縁として物と人との、すなはち主観と客観との区別を立てる世界を我々がつくり出して、さうしていろいろの妄らな心を相続して居る、相対の世界をつくつて居る、その相続の心相を滅して真如がそこにあらはれる、それが立派な智慧であるから、即ち智淳浄故である。これが我々凡夫の心にあらはれる縁覚であります。  「此義云何以一切心識相皆是無明無明之相不離覚性非可壊非不可壊如大海水因風波動水相風相不相捨離而水非動性若風止滅動相則滅濕性不壞故如是衆生自性清浄心因無明風動心与無明倶無形相不相捨離而心非動性若無明滅相続則滅智性不壊故」  この義はどうであるか。一切の我々の心の相は悉く皆無明である。(無明とは智慧のないこと)その無明のために妄念がおき、妄念の上に差別の相を生ずるのであるが、その無明の相も真如本覚をはなれたるものではないから、真如というものは壊されるものでない。又壊されざるものでもない。虚妄の方からいへば破壊せられねばならぬ。たとへば大海の水が風によりて波を生ずる、波といふのは水の動いて居る相である、しかし水の他に、水とは別に波といふのがあるわけではない、しかもこの水の相といふものは風によりておきる者のであるから風の相であると言はなければならぬ。水の相であるが又風の相であると言はねばならぬ。しかしながら水には風の様に動く性はない、風のために動いてゐるのであるから、若し風が死滅すれば動性は忽ち滅する、さうしてそこに濕性といふものは壊れない。丁度これとおなじ様に、衆生の自性の清浄心といふものも無明の風によつて動く、さうしていろいろの妄念を起すが、心と無明とは共に形がない、さうして互に離れるものでないが、しかも心といふものは動性がないから、若し無明が滅すれば妄念が相続することもなくて、壊れることがない。真如は不生不滅であるが、無明のために生滅、不覚の心がおこる。しかしこれは無明の風がやめば、真如すなはち智性がでて来る。これを智浄相と申すのであります。  「不思議業相者以依智浄相能作一切勝妙境界所謂無量功徳之相常無断絶隨衆生根自然相応種種而現得利益故」  不思議業相といふのは、前に申した智浄相によりて即ち一切の無明をなくして全く浄らかな智相をあらはすと、それによりていろいろの勝れたる境界をつくるそれをいふ。といふのは、智浄相によりて、我々の心、即ち眼で見、耳できき、鼻で嗅ぎ、口で味はふ、身でふれるといふことを以て我々の境界をつくつて居る、それが勝れたものになる、所謂無量功徳の相をあらはしてつねに絶えることがない。衆生の根といふのは衆生の根機、つまり心の性質に随つて自然に相応し、法身すなはち真如がいろいろにあらはれて相応な利益を与へられる。宗教的に言へば、仏が無限なはたらきをあらはされるので、まことに不思議な業であると申すのであります。つり真如である本覚が我々のきたない心に随うてあらはれて来ることであり、もう一とつは我々には仏となつてその形を示されていろいろの利益を与へられるのであります。  「復次覚体相者有四種大義与虚空等猶如浄鏡」  つぎに覚の本覚の体相、性徳は四つの大きな意味がある。その覚といふものは虚空と等しい、たとへてみれば滑らかな鏡の如く宇宙一切のものを悉くうつす。  「云何為四一者如実空鏡遠離一切心境界相無令法可現非覚照義一故」  何々を四とするか。一つは如実空鏡、空とは思慮分別をはなれる、言説をはなれる意味であります。淨らかな鏡にうつつて汚い点が殘らないやうなものである。主観の心も、客観の心もそのもとに遡つて考へてみると真如である、真如がはたらけばいつでも主観と客観とをはなれる。一切の心と境界の相を遠ざかり離れるから、妄念であらはれて来るものはあらはれて来ない。真如の智慧に覚照せらるる性質のものでない。本体は真如であるから一切の我々の心でつくり上げてゐる法は一とつとしてでるわけはない。さういふ性質であるから真如の智慧に照らされる必要がないといふのであります。これは全く真如を離念から説明したものであります。  「二者因薫習鏡謂如実不空一切世間境界悉於中現不出不入不失不壊常住一心以一切法即真実性故又一切染法所不能染智体不動具足無漏薫衆生故」  二には、因薫習鏡であつて、如実不空――如実不空といふのは、前に申したやうに真如といふのは不可説不可念のものであるが、それではわからぬから仮りに言葉を用ひていへば、如実空、如実不空だといふ、その如実不空であります――といふのは真如は我々の妄念をはなれたものであるから如実空であるが、しかしながら何もないといふ意味でないから如実不空といふ、空といふのは無にあらず、空無ではない。その如実不空といふ方面から本覚の性質を説くと因薫習鏡といふ。  一切の世界の境界といふものは皆真如本覚からあらはれて、真如の中から出たのでもなければ外から入つたものでもない、従つて失はるべきものでもなく、壊れるべきものでもない。法は常住であつて一心である。一切の法は真如の自性であるから、真如そのものの智性は少しも動かない、漏れることがない。無漏清浄の自性をそなへて衆生を薫じてゆくから因薫習と名づける。それ故に一切のきたない法がきたなくすることが出来ない。  真如が衆生の内側に薫じて、仏菩薩の外縁があつて発心せしめる、真実のさとりを開かしめる、その原因になることが因であります。鏡は一切のものがうつるからその意味で申すのであります。つまり、宗教性がなければ外から刺戟しても起ることはないのであります。発心せしむる因となるといふので因薫習といふのであります。  「三者法出離鏡謂不空法出煩悩礙智礙離和合相淳浄明故」  三には法出離鏡、法とは真如本覚の体、出離は出ではなれる、煩悩礙とは煩悩障、妄念妄想、智礙とは無明、一名所知障といふ、知る所の障り。この煩悩礙と智礙とを出で離れる。和合といふのは阿黎耶識、生滅と不生不滅と和合してはたらきをあらはして居るから和合の相といふ、その和合の相をはなれる、即ち阿黎耶識の差別の相を離れて、少しも妄りなかげをとどめず、全く真実の相をあらはすと、淳、即ちまぜりもののない、淨、きれい、明、明らか、即ち清浄無垢の本体があらはれる。  「四者縁薫習鏡謂依法出離故?照衆生之心令修善根隨念示現故」  四には縁薫習鏡、縁とは衆生がさとりをひらくための外縁となるもの、おもに仏菩薩の説教をいふ、薫習といふのはにほひあらはす。前に申した始覚があらはれて、それがだんだんと進むと法出離といふところまで来る。煩悩礙と智礙とを離れることが出来る、さうすると本覚といふものが?ねく衆生の心を照らし、衆生がもつて居る内因に対して外縁となる。すなはち衆生の根機に応じて、それぞれに衆生をして善根を修せしめて衆生の様々の念慮に從つて此如が種々の形を示しあらはすと云ふのであります。真如が仏となつてその力用を示しあらはすことをいふのであります。  この内の只今申したことを考へて見ますると、前の謂染木覚の智浄相と法出離とはおなじであり、不思議業相と縁薫習とはおなじであります。しかしながら、前の智浄相、不思議業相といつたのは、本覚が妄念に随うてあらはれるのであります。前のははたらきであり、後のは性質であります。  一体人間といふものは得られないものを得やうとして澤山の苦しみを生じて居るのであります。ところがその苦しみを免れやうとしてますます前の方にすすまうとするのであるが、たとへそれが得られたとしましても、それで決して満足の心が起きるものではありませぬ。その無理を無理と知らずして居るのが不覚、凡夫の心生滅の心であります。人間のする一切の行は自縄自縛であります。それ故にその縄を解くことが我々の苦しみを除く方法であります。「大乗起信論」で覚として説いてありますのは、その縄の性質を明かにしやうとするものでありまして、真如の本性に覚照されてゆく、それが自縄自縛の縄を解く唯一の方法であります。真如がそのままあらはれたのを知るのが覚であり、それを知らざるのが不覚であります。即ち生滅の世界を真如の本性で照らした場合を覚と申し、それに反して真如の自覚がなくて、生滅の現象のみを見てゆくのが不覚であります。その分れ道が我々の苦しみを生ずる一とつの原因であります。得られぬものを得やうとして苦しむ、それをやめて、立つて居る足もとを見ることが大切であります。それを覚と申すのであります。さうしてそれは智慧の光によるより他はないのであります。  「所言不覚義者謂不如実知真如法一故不覚心起而有其念念無自相不離本覚」  いふところの不覚といふのはどういふものか。それは実の如くに真如の法が一とつであるといふことを知らぬから無明の心が起つてそこに様々の妄心が起る、しかしながらその妄念には、そのものがもつて居る実性といふものはなくて、相のとらへやうがない、不覚の妄念ももとは真如の実相に迷うて居るから起きるので、本覚を離れたものではない。無明は真如とは反対のものである。しかし真如あるがために、無明が起つたのであるから、本覚をはなれたものでない、とかう申すのであります。  「猶如迷人依方故迷若離於方則無有迷衆生亦爾依覚故迷若離覚性則無不覚」  不覚即ち無明は本覚を離れたものでないといつたが、それは道に迷つた人が東を指して西といつてゐるやうなもので、方角があるから迷ふのである、もし方角がなかつたならば迷ふといふこともない。それとおなじやうに、真如といふものがあるから迷ふといふことがあるので、真如がなければ又迷ふといふこともない。  「以有不覚妄想心故能知名義為説真覚若離不覚之心則無真覚自相可説」  斯様に真如といふものは思慮分別を離れたものである、しかしながらそれを説くには思慮分別を用ひる。思慮分別は不覚の妄想の上に出て来るから、それがあつてはじめて真如がわかる。もし不覚の心が無かつたならば真如の相は説くことが出来ない。  第五講  「復次依不覚故生三種相与彼不覚相応不相離」  また次に、不覚即ち無明によりて、三つの相が生じて、それが彼の不覚と相応して離れないのである。  「云何為三一者無明業相以依不覚故心動文説名為業覚則不動動則有苦果不離因故二者能見相以依動故能見不動則無見三者境界相以依能見故境界妄現離見則無境界」  何々を三つとするか。一には無明業相、これは真如本覚の心が動くと必ず苦しみの結果を生ずる。動くといふのは変化であるから、何等かの苦しみを生ずる。人間の苦しみは変化である。これを業といふ。真如は差別がないが、動くと差別が生じるのである。無明業相とは真如本覚が差別の相を生ずる第一歩であります。これは心といふものの自体であります。  二つには能見相、能見相とは無明業がはたらく、即ち心が動きはじめると、すべてのものを主観(心の内)と客観(心の外)とに分ける。その見てゆくはたらき、即ち主観が能見相であり、見らるる境界、即ち客観が第三の境界相である。即ち能見とはものごとに觸れて考へを起すので、縁慮である。その能見相によつて境界といふものがあらはれる。そのために心の外の方に色々の差別のすがたをあらはす。主観が無ければ客観もない、他の言葉では三界唯一心といふ心をもととした哲学であります。  無明は真如を真如と見ないことで、すなはち智慧のないことであり、業とは作業すなはちはたらきであるから必ず動くものであります。真如は静かなものであるが、それが動いて業となり、業が静になれば又覚となる。斯くの如く動けば苦しみがあり、その結果といふものは原因を離れないから、無明業相といふのであります。  能見相の見とは、見たり聞いたり考へたり、一切のものを見照するはたらきで、それが起きるのを能見相といふのであります。真如が動くから見照であるが、真如が動かなければ見照はない。又真如が動いて見照すると、心の内に境界が生じる。見照がなければ境界はない。以上の三種の相を三細といふ。細とは我々の考へに入らないほど細かいものという意であります。  「以有境界縁故復生六種相云何為六一者智相依於境界心起分別愛与不愛故二者相続相依於智故生其苦樂覚心起念相応不断故三者執取相依於相続縁念境界住持苦樂心起著故四者計名字相依於妄執一分別仮名言相故五者起業相依名字一尋名取著造種種業故六者業繋苦相以依業受報不自在故当知無明能生一切染法以一切染法皆是不覚相故」  無明が真如を動かしてすべてのものを内と外とにわけ、我々にはこれらのものが境界としてあらはれる。この境界の縁によりていろいろな心のはたらきが起きる。それに六種の相がある。これは前の三細に対して六麁といふ、それは我々の心にわかるやうにあらいから麁といふ。六種とは何々であるか。  第一の智相は、境界によりて心が起り、分別のはたらきが出来る、それは無明であるから、本性そのままを見ることが出来ず、心の外のものを実在して居るものとあやまつて善悪の判断を下して愛と不愛とに別ける。(ここにいふ智は我々の智慧であるから皆わるい智慧であります。)  第二に相続相とは、さういふ智慧のはたらきによりて心の外のものを実在したものと考へて――心外実在――それ故に苦樂の心、覚心(即ち覚受)が起きる、さうして、次から次へと起きて消えることがないから相続相といふ。  第三に執取相とは、さういふ苦しみとか樂しみとかが主観の心のはたらきに過ぎないことを知らないで、客観そのものの相と思つて、ますますその境界に執著し、苦樂の境を固執して心に執著を起す。  第四に計名字相とは、分別した境界について一々名前をつける。これは仮りの名前であるのに、それを本当と思ふて執著していろいろの煩悩を起すからますます間違ひがひどくなる。  第五に起業相とは、境界に執著し、名前に執著して、どうするとか、かうするとか、何とか彼とか行ひが起き、身口意の業を造る。  第六に業繋苦相とは、この業に縛られて迷ひがますます募るので、それにしばられて自分で苦の結果を得て、いつまでもその苦しみにつながれて自由になることが出来ない。  以上説くところによりて、無明がよく一切の染い法、迷ひの相を生ずるが、実は法即ち一切のものは自性かないのだといふことを知ることが出来る。これは仏教の大切な考へであります。何故に自性が無いかというと、それには二つの考へ方があります。物は皆因縁によりて生ずるから自性が無いと説くのは唯識の考へ方でありまして、「大乗起信論」では、離念不可得、念慮を離れては知ることが出来ないから自性が無いと説くのであります。「大乗起信論」の哲学では、分別し差別して居るのは不覚であるが、それは覚によるのである。しかもその覚は我々にはわからぬのであつて、我々が覚を知らうとするならば不覚の相をしらべればよいといふのであります。人間の心といふものは、もとは仏とおなじものであるから、若し仏を見ること感ずることを希望するならば、自分の心を見なければならぬといふのであります。  「復次覚与不覚有二種相云何為二一者同相二者異相」  又つぎに覚と不覚とに二種の相がある。一には同相、二には異相。覚と不覚とはおなじものか異つたものかどうかといふことを考へて、覚と不覚との関係はおなじことであり、又異つて居る。即ち真如の本性にしたがふものとしたがはないもの(悟と迷)とが互に独立したものかといふのに、決してさうでない。との異相と同相との二つがあるといふのであります。  「同相者譬如種種瓦器皆同微塵性相如是無漏無明種種業幻皆同真如性相」  同相といふのは、たとへて言へば、色々のせとものが皆おなじやうに細かなる形即ち土の性を持つて居る、それとおなじやうに、無漏(煩悩のないこと即ちさとりのこと)と無明(智慧のないこと即ち煩悩)とのいろいろの心のはたらきは夢幻の如きものであるが、それは皆おなじく真如の性相で、迷ひと悟りとは、本体からいへば真如である。  「是故修多羅中依此義説一切衆生本来常住入於涅槃一菩提之法非可修相非可作相畢竟無得」  この故にお経(維摩総四菩薩品)の中には、かういふ意味で、一切の衆生は本来常住で涅槃に入ると説いてある。常住とは真如、涅槃とは滅度でありまして、あらゆる妄念がなくなつて不生不滅、不可得不可念に入つたことであります。さうして菩提即ち涅槃のさとりを得ると、仏の智慧(正?知)であるから、我々が修行して得るものでもなく、又新に作るものでもない。畢竟どうなるか我々にはわからぬが、そこにさとりを開く道がある。  「亦無色相可見而有見色相者唯是隨染業幻所作非是智色不空之性以智相無可見故」  色相とはからだにふれてわかる一切のもので、見――識である。それで色相として見るべきものはないのであるが、しかも色相を見ることがあるといふのは、それはきたない心にそうて現はれる幻である。衆生ももとは仏で、もと仏なれば光明が出さうなものであるが、それは色相の見るべきでないから、仏は我々にわかるはづがない。しかしまた一方からいへば衆生の心がなければ仏もない。その奥に真如がはたらいて、仏の智慧が自分の心の中にあらはれたとき宗教の心がおきるのであります。  「言異相者如種種瓦器各各不同如是無漏無明隨染幻差別性染幻差別故」  異相といふのは、色々のせとものが異つてゐるのとおなじことである。それはどういふやうにちがふかといふに、きたない心にしたが幻のやうにあらはれた差別と、妄念の上にあらはれる色々の差別との故に。即ち無漏の法は真如の理に一致するから、もともと差別のあるはづはないので、ただ染法にしたがつて差別があるのみであるが、衆生の妄念によりて起きる無明からおこつた法は、平等の理に迷ひ、その性に応じて差別ありとするのであります。しからば不覚はどうして覚からおきるかといふに、これは即ち三界唯一心萬法心所作であります。  第六講  これからは、衆生心に真如と生滅と二つあるといふことを委しく説明してあるのであります。衆生心といふのは衆生の心証で我々人間の心であります。これは真如と生滅との二つをもつて居ります。真如は本体でわからぬのでありますが、生滅は現象でありますからよくわかるのであります。生滅といふものは如何にしておこるかといふ因縁、因はたね、原因の説明であります。  「復次生滅因縁者所謂衆生依心意意識転故」  また次に、生滅の因縁といふのは、衆生といふものは無明のはたらきによりて、阿黎耶識の本体の真如であることを知らないで生滅だけを考へる。即ち心によりて意と意識と転ずるが故である。  「此義云何以依阿黎耶識説有無明不覚而起能見能現能取境界起念相続故説為意」  阿黎耶識が真如と生滅とであるのを、真如の方は知らないで生滅だけ知つて居る、さうして心のはたらきに意と意識とが出るのであります。不覚といふのは、無明によつて真如が活動することをさとらないから、そこでそのはたらきが起きると見照すなはちものを見て区別するはたらきが起る、さうして能く現ずる、さうして世の中の一般のことを作る、すなはち客観の境界をあらはすのであります。この自分の心からあらはすところの境界を、外に実在して居るものと考へる。さういふ心のはたらきは全く心の影法師であります。自分の心でみとめてさうして外にある如く考へ、それに執著して分別の妄念をおこすのであります。それを意といふのであります。阿黎耶識から無明の世界の出てくる順序を説いたのであります。  「此意復有里五種名云何為五」  この意といふものに五通ほりある。それは業識、転識、現識、智識、相続識の五つであります。無明業相は業識、能見相は転識、境界相は現識、智相は智識、相続相は相続識であります。  「一者名為業識謂無明力不覚心動故」  一には名けて業識とする。無明がはたらきをおこす、さうしてそれによりておきたはたらきが無明業相であります。  「二者名為転識依於動心能見相故」  二には名けて転識といふ。無明の力によりて真如がはたらきを起す、さうして業識が出来る、この業識から転じた識という意味で転識といふ。我々の心のはたらきのおもなるものはこの転識であります。  「三者名為現識所謂能現一切境界猶如明鏡現於色像現識亦爾隨其五塵対至即現無有前後以一切時任運而起常在前故」  これは大分説明が委しいのであります。業識がおこつて転識がおこると、見たところのものを実際あるもののやうに考へるから一切の境界が出来るのである。任運といふのは自然であります。五塵といふのは、五官であります。意を除いた他の五つ、眼、耳、鼻、舌、体の五つであります。それによりておきてくるものが五塵であります。つまり自分の心のはたらきとして一切の境界といふものをあるが如くあらはすといふのであります。  「四者名為智識謂分別染浄法故」  四には名けて智識といふ。染いと淨いとの法を分別するから。  「五者名為相続識以念相応不断故住持過去無量世等善悪之業令不失故復能成熟現在未来苦樂等報無差違故能令現在巳経之事忽然而念未来之事不覚妄慮」  相続識のはたらきのためにいろいろの心のはたらきがおきて、いろいろとつづけて行く、過去からの長い間の善し悪しの業をどこまで保存して行くといふのであります。この相続識によりて現在や過去を忽ちにして思ひ出し、又未来のことを迷つて妄りに考へさせるのであります。我々の一生のことはこれであります。  「是故三界慮偽唯心所作離心則無六塵境界」  この故に三界、三界と申すのは、欲界、色界、無色界であります。衆生が生れたり死んだりするのはこの三つの界であります。即ち流転をする境界であります。この三界は慮偽であつて唯心の作るところであるといふのであります。六根と申すのは眼、耳、鼻、舌、体、意の六つ、この六根によつておこるもので、目からは色、耳からは声、鼻からは香、口からは味はひ、体で触覚、意で一切の法を、この六つのものをうけとる。さういふものをうけとつて我々の心をけがすから塵といふのであります。これは六境と申すのであります。  「此義云何以一切法皆從心起妄念而生一切分別則分別自心心不見心無相可得」  心をはなれて一切のものはない、それ故に唯心といふ。それはどういふわけか。それは我々の主観の心がなかつたならば客観の法を知ることは出来ない。心の外に何ものかがあると言つても、我々の心に対してむかふにあるのであつて、主観の対象としてはじめて我々はわかるのである。目あてにしたときにものがあるのであります。その心といふものはどういふものかといふと、真如が無明のためにはたらきをあらはして我々のために出たもので、一切の法はそのもとに遡ぼれば真如であります。それならば真如といふものが、どうして澤山な数へ上げられないほどの品物をつくるかといふと、それは作つて居るのではなくて、生滅の現象して居る心があやまつてみとめて居るのである。即ち真如のすがたでないものを誤つてみとめて居るのであります。実際唯心のみではあるけれども、もし果して唯心といふならば心を見なくてはならないが、実際我々は心を見ないで心より外のものを見て居るのである。一切の分別はすなはち妄念の分別で、我々の認識にあらはれたるものを分別したところの影にすぎない。それを実際に存在して居るものと考へるから、一切のものを分別するといふが、それは実は自分の心を分別して居るのであります。さういふことがわかつたならば、心で心を見なくなるはづであるから、一切の心のすがたはあることはないのであります。  「当知世間一切境界皆依衆生妄心而得住持是故一切法如鏡中像無体可得唯心虚妄以心生則種種法生心滅則種種法滅故」  すなはち、世間一切の境界は皆衆生の妄心によつて住持することが出来るのである。この故に、一切の法は、たとへば鏡の中に映じた像がその体のないやうなもので、唯だ心の上にあらはれた虚妄である。妄心が生ずると種々の法が生じ、妄心が滅すると種々の法が滅するのであります。これで意といふ解釈は終つたのであります。  「復次言意識者即此相続識依諸凡夫取著転深計我我所種種妄執隨事攀縁分別六塵名為意識亦名分離識又復説名分別事識此識依見愛煩悩搨キ義故」  また次に意識といふのは、即ちこの相続識である。諸の凡夫が執著することがふかいから、我即ち我見、我所、自分が所有するはからひをして、事にしたがつて心に一切のものを現じて、執著して六塵を分別して煩悩をおこす、それを意識と名づけるのである。現在我々の知つて居る心のはたらきを意識と名づけるのであります。それをまた分離識と名づけるのであります。六識に分離して居るからであります。又分別事識とも名づけるのでありまして、これは色々の分別をするからであります。  見といふのは道理に迷ふことであり、愛といふのは事柄そのもの、もの柄そのものに迷ふことであります。この識はその見煩悩と愛の煩悩とによりてだんだん悪るくなるものであります。これで生滅の意味の説明を終つたのであります。  これから生滅のあらはれ方であります。前のは義でありますが、今度は相であります。  「依無明薫習所起識者非凡夫能知亦非二乗智恵所覚。」  我々人間の心持は、無明が真如にはたらいてあらはれてくるものでありますが、そのおこる識すなはち阿黎耶識といふものは我々にはわからぬのであります。二乗というのは声聞縁覚、その二乗の智恵でも覚ることが出来ないのであります。  「謂依菩薩從初正信発心観察若証法身得少分知乃至菩薩究竟地不能尽知唯仏窮了」  菩薩によりては、はじめの正信から発心観察して、法身をさとるやうになれば、少しはわかるやうになる、しかしながら菩薩がゆきつくした究竟地でも尽くは知ることが出来ないのであります。ただ仏のみがよくしるところのものであります。  「何以故是心從本巳来自性清浄而有無明為無明所染有其染心雖有染心而常恒不変是故此義唯仏能知」  何となれば、ほんとうの我々の心はもときれいなものであります。しかるに無明といふものがはたらいて、その無明のためによごされて汚い心があらはれるのであります。しかしそのきたない心も、それは真如がはたらいて居るから常恒不変であります。さうしてそれには深い道理があつて、それは仏のみ知るのであつて、我々人間の智恵では決してわからぬのであります。  凡そものが生ずるとそれが滅することは誰でもよく知つて居る。それはすべてのもののすがたである。それは人間の力では何ともすることが出来ぬところの自然の法則であります。しかしその生滅が現象として我々の目の前に出て来て、我々は見たり聞いたりするのでありますが、この現象として目の前にあらはれるのは、各々の心のはたらきでありまして、主観の影法師であります。さうしてこの影法師はどうして行きるかと申しますと、それは真如がはたらきをあらはすからでありまして、その真如は不生不滅であります。宗教と申す心のはたらきは、この影法師に使はれる世界を離れて自由な天地にはたらくことでありませう。それ故にそれは自分の心の影としてあらはれて来たのにそれぞれ値打を求めてゆくことでありませう。  無明といふことは暗いこと、明るくないこと、何もわからぬことであります。実際我々がこの世界に住んで居つて、目に見え、形にあらはれたものならばよくわかるのでありますが、めいめいの心の上に出てくるはたらきは容易にわからぬのであります。仏教では煩悩に就て、八萬四千といふが、それをつづめると貪瞋痴の三毒であります。この三毒の煩悩は朝から晩まであるとは思はないのであります。しかしながら、昔の人が「欲に目がない」「愚痴をこぼす」とかと言つたやうに、我々には殆んどわからないやうにこまかいのであります。それが意識であり、三細であります。名前は異つてもおなじものであります。生死即涅槃と説く様に、生滅の心がまことにきたないから、きれいな真如を得やうといふのは間違ひでありまして、それは一如であります。向ふにながめた涅槃は理想でありまして、到達することは不可能であります。宗教と申す心のはたらきで現実の相をながめて見ますと、どこにも真如の相はあるのであります。  第七講  この前のお話までで生滅の現象がすんだのであります。その大体を申すといふと、真如といふものがもとで、それから無明のはたらきによりて生滅の現象が出てくるとかう申すのであります。今日のところははじめが真如の説明であります。  「所謂心性常無念故名不変」  心性といふのは真如であります、自性であります。無念とは念慮のないことであります。真如といふものは何等念慮といふものがない、常に平等のものであるから、不変と名づけるのである。  「以不達一法界故心不相応忽然念起名為無明」  一法界といふのは、一切諸法のもとをなすところの真如の理窟をさしていふのであります。心相応せずと申すのは、真如の理に心が相応しないといふことであります。忽然といふのは、やかましい説明があるのでありますが、何となしに念があらはれるのであります。心性は無念であつて平等不変である、その上に偽りの心が起る、そのために真如の理に相応しない、さうして心がみだりになる、それを無明と名づけるのである。何によつてといふことなしに分別の念慮がおこる、それを無明と名づける、無明より他に何もない、分析することが出来ないのであります。  「染心者有六種云何為六一者執相応染依二乗解脱及信相応地遠離故」  染心といふうのは、我々の心持が心の外の方に執著して心を汚くするから、それで染めるといふのであります。つまりきたなくする心であります。そのきたない心に六つある。第一は執相応染、我々が見るところの一切の相に執著して、煩悩を起すところのきたない心を執相応染と申すのであります。これはこの前の執取相、計名字相とおなじであります。外のものに執著して何とかかとか考へるのであります。二乗といふのは声聞と濠oとで、考へることと思ふこととから解脱する、修行して見たり聞いたりする考へから離れるのであります。それを仏教では阿羅漢の位に至つたと申すのであります。菩薩や仏にはなれないのであります。信相応地と申すのは修行に五十二段ありまして、そのはじめに十あつて、その十の中の一番はじめであります。信根が成就してさとりをひらくはじめになつたのが菩薩であります。この執相応染は二乗の解脱と信相応地とによりて遠ざかり離れて居る故にであります。  「二者不断相応染依信相応地修学方便漸漸能捨得浄心地究竟離故"」  第二は、不断と申すのは、外にあるものに対して愛憎の念をおこす分別の心が始終つづいて居るといふことであります。これは六麁のうちの相続相であり、五意の中の相続識であります。このきたない心は菩薩の信相応地まで行く、さうして修行してだんだんに能く捨てると、浄心地を得て全く離れるといふのであります。きたない心が殘らぬやうになるのであります。つまり、真如の理に全く合ふやうな心持まで浄らかになると申すのであります。  「三者分別智相応染依具戒地漸離乃至無相方便地究竟離故」  三には、分別智相応染、心の外のものを実在して居るものと執著して、ものの善し悪しを判断して愛憎する、さういふ分別の相をおこすのが分別智相応染であります。具戒地とふうのは、修行して少し上にのぼつて十の中の二番目であります。それからすすんで第七番目の無相方便地まで行けばこの分別智相応染は全くなくなるのであります。地というのは修行の階段を言ふのであります。  「四者現識不相応染依色自在地能離故」  四には、現識不相応染といふのは、三細の境界相、五意の現識であります。現識と申すのは、我々の心の前に出てくる客観を執著しておこる心持であります。これは第八番目の色自在地に至れば、全くなくなるのであります。  「五者能見心不相応染依心自在地能離故」  五番目に能見心不相応染といふのは、能見相であります。能見相といふのは、自分の心で内と外とをわけると、必ず外の方を見る、その内と外とわかれぬうち、これを能見といふのであります。すなはち主観であります。その能見が真理に相応しないのであります。このきたない心は第九番目の心自在地まで行けばなくなるといふのであります。  「六者根本業不相応染依菩薩尽地得入如来地能離故」  六には根本業不相応染は、三細の無明業相、五意の業識であります。これは前の無明の説明をさかさまに言つたのであります。無明業相は自体、能見相は主観、境界相は客観、さうしてそのもとは阿黎耶識であります。阿黎耶識は考へることが出来ないのであります。それ故にこれを三細と申すのであります。智相、相織相、執取相、計名字相、起業相、業繋苦相、これが六麁で、我々が分別する考へであります。真如が無明のはたらきによりてあらはれて居る、これが阿黎耶識、三細が意、すなはちもとでありまして、六麁がすなはち意識、迷ひであります。かういふ六つの染んだ心、わるい心といふものは修行によつてだんだんなくなると申すのであります。  「不了一法界義者從信相応地観察学断入浄心地隨分得離乃至如来地能究竟離故」  それでこの前に六つの染心をとき、さうしてそこで一々染心から離れることをあげた。信相応地の修行の位で見てさうして根本無明を征服して浄心地まで入つて分に随つて、一とつ一とつ、一部分づつ離れることが出来る、さうして更にだんだん修行して、如来地まで行くと、全体の無明がなくなるといふのであります。前の六つの染心は一とつ一とつ離れるのであります。修行の階段があるのであります。  「不了一法界」といふのは、根本無明であります。それがだんだん進んで如来地に至ると、すつかり離れるといふのであります。  「言相応者謂心念法異依染浄差別而知相縁相同故不相応義謂即心不覚常無別異不同知相縁相故」  心念と法と異りといふのは、外のものを見る心と、見られるものとはおなじものではないのであります。それから知相とは心の中で主観であり、縁相とは心の対象になりて見らるるものであり、客観であります。心のうちと外とを対立させておいて、客観すなはち法に対して主観の心がみだりな分別をしてそれに執著する、心と法とはおなじものではない。しかしながらその心にしても法にしても、きたないときれいなとの差別からいへば、おなじことである。主観と客観とはどちらも無明のはたらきによりて心にあらはれるので、おなじものである。ただ執著したり分別する心は無明からおきるので、それは丁度夢の中のまことも偽りもどちらも結局は夢であるといふのであります。  前の現識、能見心、根本業の三つが、不相応であります。無明のはたらきによりて真如が動かされて主観と客観とをわける、その本は阿黎耶識であります。さういふきたない心が不覚であります、しかしながら、真如ははなれるものではない、ただ不覚の心であるから真如をあやまつて見て居るだけである。それを心のはたらきの方からいふと、知相と縁相とは一致しない、不相応であります。  「又染心義者名為煩悩礙能障真如根本智故無明義者名為智凝能障世間自然業智故」  染心とは煩悩礙である、煩悩礙とは煩悩のさはりであります。真如の智を礙るからであります。前の六つの染心をいふのであります。無明といふのは智慧をさまたげるので智礙であります。世界一切のものをてらして、その働きをまことに知ることが自然業智であります。  「此義云何以依染心能見能現妄取境界違平等性故以一切法常靜無有起相無明不覚妄与法違故不能得隨順世間一切境界種種知故」  主観の能見は自分の方から見るのであります。煩悩の心によりて見るのであります。能現といふのは、ものがあらはれるのであります。すなはち客観であります。能見と能現とは対立するのであります。煩悩の心があらはれると、心の内と外とがすぐわかれる、さうしてその心の外のものからすきなものをとり、実在して居るものの如くに執著するのであります。さうして平等性、すなはち真如の理にそむく、それ故に染心といふものが起るのであります。  又一切のものは静かであつて、さうしてそれは生滅の相のないものである。その真如に対して一切のものを考へる、それに差別の相をあらはす、妄りにそこにあらはれて居る故に法にちがふのである、それ故に染心があらはれるといふのであります。真実の真理に背く故に、世間一切の境界に從はない、一切世間の境界に隣順して種種のことを知ることが出来ない、それが染心であります。これで染心、無明の説明は終りであります。すなはち生滅の因縁がすんだのであります。  これから生滅の相、現象であります。生滅とは、衆生すなはち我々凡夫の心のことを申すのであります。  「復次分別生滅相者有二種云何為二一者虫与心相応故二者細与心不相応故」  又つぎに生滅の相を分別すると二つある。何々を二つとするか。一とつには虫、あらい方は主観の心と客観の境とをわけて居つて、どちらも無明であります。さうしてあらくて我々にわかり易いのであります。細かい方は阿黎耶が主観と客観と対立させて居つて、すなはち微細の心であります。我々の無明の妄らな心と真如の一心とは相応しないといふのであります。生滅の相をあらいと細かいとにわけて言つたのであります。  「又?中之?凡夫境界?中之細細中之?菩薩境界細中之細是仏境界」  あらいうちの最もあらいのは相応染で、凡夫の境界であります。凡夫と申しても少し修行した凡夫であります。次にあらいうちの細かいのは、不断相応染と分別智相応染とであります。これは菩薩の境界であります。細かい中の?いのが現色不相応染と能見心不相応染とであります。これも菩薩の境界であります。細かい中の細かいのが根本業不相性染であります。これは仏の境界であります。修行すればさとりをひらくことが出来るといふが、我々として、さとりをひらく道は?中の?のみであります。自分の力で仏になることは容易でないのであります。  「此二種生滅依無明薫習而有所謂依因依縁依因者不覚義故縁者妄作境界義故若因滅則縁滅因滅故不相応心滅縁滅故相応心滅」  これはこの通ほりでありませう。因と申すのは根本無明で、縁といふのは妄りに境界をつくることであります。  「問曰若心滅者云何相続若相続者云何説究竟滅」  もし心が滅するといふならばどうして心のはたらきがつづくか、つづくとすればどうして究竟滅と説くか。  「答曰所言滅者唯心相滅非心体滅如風依水而有動相若水滅者則風相断絶無所依止以水不滅風相相続唯風滅故動相隨滅非是水滅」  滅する滅するといふのは、心の相がほろびるので体がほろびるのではない。風が吹いて波をおこすのとおなじことである。煩悩が涅槃になるといふ理屈をかういふ風に説明してあるのであります。  「無明亦爾依心体而動若心体滅者則衆生断絶無所依止以体不滅故心得相続唯凝滅故心相隨滅非心智滅」  無明も亦さうである。心の体によりて動くのであつて、体がなくなれば衆生がなくなるのである。体がほろびないから心が相続するのである。おろかな心が滅するからおろかな心の相が滅するといふのであります。  かういふ風に説明されると、無明といふものと、心性(真如)といふものとが問題になるのであります。真如といふものがあつてさうして無明といふものが出てくるのであります。さうすると真如から無明が出てくるといふことになるのであります。然し真如というのはまことであります。まことからまことでない無明が出てくることはない、真如から無明があらはれることはないといふことになるのであります。真如と無明とは別々であります。真如があり、無明があり、さうして無明が真如をうごかして偽りの心をおこすのでありまして、まことと偽りと二つならんであるわけないのであります。一体我々がうそとかほんとうとかといふのは一とつのもの、おなじものを言つて居るのであります。ただいひ方によつて、まことと言ひ、偽りと言つて居るのであります。  ちがつたもののやうに考へるのは執相応染であります。もつと具体的に、宗教的に考へますならば、まこともいつはりもわからぬのであります。無明といふのは我々の勝手につけた名前であります。しかもその無明といふものが我々の心に考へられるのであります。それは真如があるから考へられるのであります。もし我々が自分の心がわるいというときには、よいといふことを十分頭に入れられて居なければ言へぬことであります。自分がよいことを一生懸命しやうとしても出来ぬのは、無明の力がはたらくといふのであります。人間といふものは元来は心の内と外とをわけるものではないのであります。それをわけて外のものを見てあるものとして気に入ればとる、その心を相続して心からはなさぬものとして居るのであります。修行をしてだんだんさういふ心持から離れやうと努力しても、あらい方は出来るかもしれませぬが、細かい方は到底出来ないのであります。仏教といふものを宗教として安心を得やうとするならばそれでは到底駄目であります。  第八講  「復次有四種法薫習義故染法淨法起不断絶」  これから心のはたらき具合の説明であります。又次に法薫習といふものが四つある。義といふのはわけであります。その四つの薫習のために染法、浄法が起つてやむときがないと申すのであります。つまり真如がもとでそれが間違つてはたらいたのを無明といふ。それが我々の心にあらはれてくるその心は安心で、その心で見る境界は妄りである。この四つの法が互に影響して、それによつて染法と浄法とが出て来る。真如とは心の自性でありまして、それが原因で、それが無明のはたらきによりて、縁によりてきたない心が出て来るといふ考へ方であります。薫習と申すのはある一とつの法が他の法にはたらきかけることであります。  「云何為四一者淨法名為真如二者一切染因名為無明三者妄心名為業識四者妄境界所謂六塵」  四つといふのは何々か。一とつには浄法、名づけて真如といふ。二つには一切の染因、名づけて無明といふ。三つには妄心、名づけて業識といふ。つまり主観であります。四には妄境界、いはゆる六塵だと申すのであります。これは客観であります。六塵といふのは六根がはたらいて外の境界をみだりにうけとる、それで塵といふ名をつけるのであります。四種の法の薫習即ち真如、無明、業識、妄境界の四つのものがお互に薫習するのであります。  「薫習義者如世間衣服実無於香若人以香而薫習故則有香気此亦如是真如淨法実無於染但以無明而画習故則有染相無明染法実無浄業但以野真如而薫習故則有浄用」  これは真如からきたない法があらはれて来る順序をいふのであります。薫習といふのは、衣服には香はない、人がそれに香をたきこめるから香ひかあるのである。真如浄法もまたこれとおなじことで、無明を以て薫習するから染相があるのである。無明がきれいなはたらきをあらはすのは、真如が無明に薫習するからであるといふのであります。業といふのははたらきであります。作業を業といふのであります。用というのは作用であります。力の方のはたらきを作用といひ、体のはたらきを作業と申すのであります。要するに、真如は本来清浄無垢であるが、一度無明が影響すると差別が出て来る、それをお互に薫習すると申すのであります。  「云何薫習起染法不断」  それならば、どういう風にして薫習といふ法がおきて、さうして染法をおこして断えないのか。  「所謂以依真如法故有於無明以有無明染法因故即薫習真如以薫習故則有妄心以有妄心即薫習無明不了真如法故不覚念起現妄境界以有妄境界染法縁故即薫習妄心令其念著造種種業受於一切身心等苦」  無明のはたらきのために染法を起して巳まないのはどういふことかといふと、本来真如があるから無明がある、その無明が染法の因をする、それを無明薫習といふ。そこにあらはれて来るのは虚妄の相である。この妄心が無明に薫習すると妄心薫習がおきる、その結果妄境界をあらはすといふのであります。これは元来真如と無明とが別のものではないが無明が真如に桴Kすると妄心を起す、即ち無明薫習といふ、そこでいろいろの偽の相があらはれる、さうして更に妄心薫習を起す、それを妄境界といふ。それが不覚の妄心に薫習していろいろの人間の心のはたらきが起きるのであります。  真如といふものがあつて、無明にはたらきかけると染法がある。うそとまこととははなれないといふので、つまり我々の心に煩悩があらはれるのは仏性があるからである。真如があるから無明があると申すのであります。このときの無明は根本無明であります。それが一切の無明の根本をなすのであります。  「此妄境界薫習義則有二種去何為二一者搨キ念薫習二者搨キ取薫習安心薫習義有二種云何為二一者業識根本薫習能受阿羅漢辟支仏一切菩薩生滅苦故二者搨キ分別事識薫習能受凡夫業繋苦故無明薫習義有二種云何為二一者根本薫習以能成就業識義故二者所起見愛薫習以能成就分別事識義故」  此妄境界薫習に二種ある。一とつは搨キ念薫習、二つは増長取薫習であります。増長念と申すのは、境界に執著するその執著の妄念が盛になることをいふのであります。境界は一切の事物であります。すなはち法執、法に執著するのであります。法はものであります。前の智相の相続相とおなじことであります。増長取といふのは人と我とを区別する考へを起す妄見であります。人我であります。人我とは人間の我であります。これは前の執取相と計名字相、何れも妄境界の薫習であります。ありもしない境界をありとする法執を増長する、我なきをあると執著してうごかぬ、この二つがあるのであります。  妄心薫習に又二通ほりある。一とつは業識根本薫習、業識根本薫習といふのは根本薫習とおなじことであります。阿羅漢と申すのは、略して羅漢、煩悩を断じて無学の位に至つたものであります。仏教で無学と申すのはもはや学ぶことのない、学びつくしたのをいふのであります。これは印度の言葉で、支那に翻訳すると声門であります。辟支仏といふのはひとりでさとる。飛花落葉を見てさとるので、縁にふれて師匠なくしてさとるのであります。支那の言葉では緑覚であります。もはやぢき仏になれるのが菩薩であります。そんなにえらくなつてもなほ根本業識が滅びないといふ、根本業識は阿黎耶識であります。そんなにえらくなつても生滅の苦しみはうけるのであります。それを業識根本薫習と名づけるのであります。  次に搨キ分別事識薫習というのは、凡夫の位に居るものに業?の苦しみをうけさせる、凡夫が妄心をおこして、その妄心がいろいろなことを分別する知識に薫習をして、考へるとか愛著するとかいふ風に煩悩をおこして業薬の苦をうけしむる、これは所起見愛薫習といふのであります。無明薫習とは、前の妄心薫習とおなじものであつて、その一の根本薫習は業識根本薫習とおなじで、所起見愛薫習は増長分別事識黛習とおなじことであります。  「云何薫習起淨法不断所謂以有真如法故能薫習無明以薫習因縁力故則令妄心厭生死皆苦樂求涅槃以此妄心有厭求因縁故即薫習真如」  今まではきたない方を言つたのでありますが、今度はきれいな方、真如の薫習を説くのであります。どういふ風にして真如が無明に薫習してきれいな法をおこして相続するかといふに、真如は元来不生不滅の覚体で、平等なるのであるから、或は法をきくとか、或は考へるとかといふやうに外に縁があつて、その外の縁に刺戟されて真如の中にこもる内薫の力をおこす、さうして無明といふものをやぶらうとする、その真如薫習の因縁力が凡夫の迷いの心を動かして生死を厭ひ離れやうとせしめる、これが又再び真如に薫習して、ますます真如の淨法を搨キせしめるのである、この外縁とは仏の法をよくきくことを申すのであります。  「自信巳性知心妄動無前境界修遠離法以如実知無前境界故種種方便起隨順行不取不念乃至久遠薫習力故無明則滅以無明滅故心無有起以無起故境界隨滅以因縁滅?滅故心相皆尽名得涅槃成自然業」  真如が内から薫習する。さうすると我々は自分で本性を信じる、本性とは如来蔵であります。如来蔵といふのは如来になる真如を越して居るといふ意味であります。我が心と考へて居るのはそれが妄りにはたらきを起したものであるから境界といふものはない、心の外にあると考へて居た一切の法は全くまちがひであつたといふことを知つて、あらゆる妄念の執著を遠離する業を行じ、さうして我々の心の底にある真如が内薫の力をつよくする、そこで根本無明の妄心がなくなる、それが涅槃の悟りであります。自然業といふのは、涅槃の悟りをひらくと菩提のはたらきが現れる、それは利他教化のはたらきで、それを自然の業用といふのであります。結局、仏になつて人をみちびくことの出来る位置になるといふのであります。  「妄心薫習義有二種云何為二一者分別事識薫習依諸凡夫二乗人等厭生死苦隨力所能以漸趣向無上道故二者意薫習謂諸菩薩発心勇猛速趣涅槃故」  これは真如が無明に薫習するのであります。きれいな法が妄心に薫習すると、生死の苦を厭ひ涅槃のさとりを求める心を起さしめる、それが又真如に薫習して真如の内薫の力が増す。その増し方が二通はりある。一とつには分別事識薫習で、凡夫、すなはち我々とか、二乗すなはち声門縁覚の人々などが、色々のことを分別する知識の上に涅槃のさとりを求める心をおこして自分の力相応の行をして、無上菩提の道に入るのであります。分別事識というのは我々平生の種々雑多な心であります。二つには意薫習で、意とは根本業識で、つまり精神の中の根本のはたらきであります。これは菩薩が自分の心を磨いて、発心勇猛で速に涅槃の境に入るのであります。  「真如薫習義有二種云何為二一者自体相薫習二者用薫習」  真如薫習すなはち真如から無明に薫習するのに二通ほりある。一とつには自体相薫習、二つには用薫習がある。すなはち真如の体大相大が我々の中から薫習して妄念を断ずるのが自体相薫習で、真如の用大の作用で薫習する外薫が用薫習であります。  「自体相薫習者從無始世来具無漏法備有不思議業作境界之性依此二義恒常薫習以有薫習力故能令衆生厭生死苦樂求涅槃自信己身有真如発心修行」  自体相薫習といふのは、衆生といふものは無始よりこの方自然に帰清浄の真如の法をもつて居る、この真如には不思議のはたらきがあつて、衆生のみだらな心をして苦しみを厭ひ、涅槃の樂しみを願ふ心を起さしめて、自分の方から一切のものを見る智慧を起さし、又見られる境界の相をつくる。この二つの方面からして常に妄らな心の上に薫習して、その力で涅槃のさとりを開かんとする力を起し、自分によく真如があると信じて発心修行せしめるのであります。つまり真如は本より人間の心にある。さうしてそれ自らはたらきをあらはして、発心せしめる修行をやる、それで薫習力を増すのである。真如を宗教の方では仏性と申すので、仏性は元来備はつて居るものであるから、それを明かにすることが出来たならば無明をやぶつて、涅槃のさとりを開くことが出来るといふのであります。  「問曰若如是義者一切衆生悉有野真如等薫習云何有信無信無量前後差別皆応一時自知有真如法勤修方便等入涅槃」  さういふことならば、一切の衆生は悉く真如があつて、平等で同じく薫習を受けて涅槃のさとりを開くことが出来る筈であるのに、或は信があるもの、或は信がないもの、又は信を起すに前後遅速、無量の差別をあらはすのはどういふわけであるか。  「答曰真如本一而有無量無辺無明從本巳来自性差別厚薄不同故過恒河沙等上煩悩依無明起差別我見愛染煩悩依無明一起差別如是一切煩悩依於無明一所起前後無量差別唯如来能知故」  答へていふに、真如は一とつであつて平等であるから、皆おなじやうに仏にならねばならぬ筈であるが、無明が無量無辺で、人間は人々自性がちがひ、厚薄があり、又いろいろの差別がある。又我見愛染の煩悩も差別がある、それ故にかやうに無明からおきる煩悩にも差別がある。それ故薫習に差別がある。それはどういふわけで出来るか我々の考へ得べきところでない。ただ如来、仏のみが知るのである。  「又諸仏法有因有縁因縁具足乃得成?如木中火性是火正因若無人知不仮方便能自焼岳木無所有是処」  諸仏の法には因縁がそなはつてはじめて法が出来る。たとへば木の燃えるのは木の中には火性があつて、それが木の焼かれる正因である。しかしながら火をつけなければ燃えない。それを知らずに木が自ら焼けると思つたら間違ひである。  「衆生亦爾雖有正因薫習之力若不遇諸仏菩薩善知識等以之為縁入涅槃者則無是処」  衆生もまたそれとおなじやうに、我々の心の中に真如薫習の力があつても、諸仏菩薩や善知識等の外縁の力によつて薫習のはたらきをおこさねば駄目であるといふのであります。  「若雖有外縁之力而内浄法未有薫習力者亦不能只究竟生死苦樂求涅槃」  又それと反対に、たとへ、諸仏菩薩善知識等の外縁があつて、内の真如がなかつたならば、また生死の苦を厭ひ、涅槃の果を樂ひ求むることは出来ぬのであります。  「若因縁具足者所謂自有薫習之力又為諸仏菩薩等慈悲願護故能起厭苦之心信有涅槃修習善根以修善根成熟故則値諸仏菩薩示教利喜乃能進趣向涅槃道」  若しも、因と縁と具足する者は、自ら内に真如薫習の力があり、又外よりは諸仏菩薩の願力で護持せられる故に、能く厭苦の心を起し、本来涅槃あることを信じて善根を修習し、更に善根を修すること成就し熟達するから、則ち諸仏菩薩にあふて、示教利喜、その義を示し、その行を教へ、義利を得しめ、成喜を行ず、すなはち一生懸命努力して涅槃の道にすすむのであります。  前から覚と不覚との義をわけて、さうして真如と染法とがお互ひに影響することを説いたのであります。光明の縁があつても信心の業識がなくては駄目である。我々の心はきたない煩悩であるが、もとは真如であつて、きたない心のうちに真如の本性を見つけしめる。それは外縁による諸仏菩薩の力によつて、真如が内棄して煩悩に及ぼし、煩悩がきれいになり、生死の苦を厭ひ、かくの如く、その外の縁と内の因とが和合しなければ駄目だといふのであります。  第九講  「用薫習即是衆生外縁之力」  用ひるといふ字は用とよむのであります。薫習には、この前に申した淨法の真如が安な心に薫習するのと、妄な心が真如に薫習するのとありまして、その中の真如に薫習するのが亦自体相薫習と用薫習とにわかれるのであります。自帯相薫習と申すのは自分で自らの体に真如があると信じて菩提心をおこすのを申すのであります。心の内から真如がはたらきを出すことであります。用薫習とは外から真如がはたらくことであります。この兩方がなけらねば真如薫習はほんとうにいかぬのであります。仏になるにはどうしても自分の心の中にある真如のはたらきと外からのはたらきとが要るのであります。すなはち内因と外縁でおります。内の因といふのは自体相薫習であります。それが内の原因となつて外からいろいろな場合に内の真如の監督をますやうな外縁即ち用薫習が加はつて仏になるのであります。  「如是外縁有無量義略説二種云何為以二一者差別縁二者平等縁」  衆生外縁の力にはたくさんのものがある、略して説くに二通ほりある、何々を二つとするか、一は差別縁、二は平等縁であります。  「差別縁者此人依於諸仏菩薩等從初発意始求道時乃至得仏於中若見若念或為眷属父母諸親或為給使或為知友或為怨家或起四摂乃至一切所作無量行縁以起大悲薫習之力能令衆生搨キ善根若見若聞得利益故」  差別縁といふのは、此人は――衆生であります――諸々の仏や菩薩等のすすめによつてはじめて菩提心をおこして、さうして道を求むる時からだんだんと順序を経て仏を得るまでその間、もしくは見る、見るといふのは形を見るのであります、もしくは念ずる、念ずるといふのは功徳を念ずるのであります、或は親族となつてさうしてお互に親しむやうになり、或はいやしい者となつてその人の手助けをする、或は友となり、或は怨家となる、或は四摂を起す、四摂といふのは、四つの法、即ち布施・愛語・利行・同事の四つであります、さうして非常にたくさんなはたらきやいろいろの方便で以て大悲の心を衆生がおこすやうになる、それを差別縁といふのであります。真如が外縁の力となつて我々に加はるのでありますが、差別といふのは、その人その人によつていろいな方便をもつて大悲の心をおこさせるやうにするから差別と申すのであります。  「此縁有二種云何為以二一者近縁速得度故二者遠縁久遠得度故是近遠二縁分別復有二種云何偽二一者搨キ行縁二者受道縁」  此縁に二通ほりある、どうして二つとするか。一とつは近縁、これは内の真如がうまく熟して居るので、速かに濟度して道に入らしめるから近縁であります。二つには遠縁、これは内の真如が十分に熟して居ないので研度にながくかかる、それで遠い縁といふのであります。  この近縁と遠縁とを他の方面から見ると又二通ほりある。一とつは人々が修行して居る搨キ行縁で、一とつはさとりをうけしむるところの縁、道をうけしむるところの縁、真如をさとらしめる縁、すなはち受道縁であります。  「平等縁者一切諸仏菩薩皆願度脱一切衆生自然薫習常恒不捨以同体智力故隨応見聞而現作業所謂衆生依於三昧乃得平等見諸仏故」  平等縁といふのは、すべての仏菩薩といふものはすべての衆生を済度して行かうといふことを願つて居られるから、(度脱といふのは濟度得脱であります)自から衆生の心に薫習して常にそれを摂めとつて捨てない。同体といふのは凡夫と菩薩と同体であります。その同体の智力を以ての故に、見聞にしたがふて作業をあらはすのであります。三味といふのは心をしづめて動乱をふせぐことで、その三味の力によつて平等にもろもろの仏を見ることが出来るといふのであります。用といふのは真如のはたらきをいふのであります。ところが平等縁といふのは、仏の力は一切衆生の上におなじ樣に加はるので誰でも法によつて三昧の修行をすることが出来、おなじやうに仏を見ることが出来るといふのであります。真如を体と相と用とにわけることは、はじめの方に申したのであります。  だんだんと説明が進んで来て居るのでありますが、意味は簡単であります。自分が自分の心の中に真如のあることを知ることが出来たならば、差別の相から離れて平等の方に行かうとする。ところが、真如は平等であるのだから誰でもがおなじやうに行きさうなものであるが、実際がさうでないのは一人一人ちがふからである。さうしてそれには外から加はる外縁の力があらはれなければさとりをひらくことは出来ないのである。それには、差別と平等、近いと遠いとがある。差別とは自分の周囲にある一切のものは自分をしてさとりを開かしめるためのものである。それは、さういふところに真如がはたらいて居るからである。それにいろいろのものがあるから差別といふ。平等とは、仏というのは人々を区別しないで誰でもをたすけようといふ、それ故にそれが自然に衆生の心に影響を及ぼして、一切のものを見ること苑かも自分とおなじやうになる。それには近いと遠いとあるといふのは早く受けとる人と容易にうけとらぬ人とがある。それからやるべき行を増長させる搨キ縁と、道を受けるところのはたらきとなるものとがある。これはいろいろにわけたのでありますが、要するに心の相であります。精神の現象の一とつ一とつについて、そのはたらきはどうしておこるかといふことを薫習として説明してあるのであります。  「此体用薫習分別復有二種」  真如が薫習するのに体と用とあると申したが、それに又二通ほりある。  「云何為二一者未相応謂凡夫二乗初発意菩薩等以意意識薫習依信力故而能修行未得無分別心与体相応故未得無分別心与体相応故未得自在業修行与用相応故」  どうして二つとするか。それは相応しないのと相応したのと二通ほりであつて、未相応といふのは、凡夫と二乗と(二乗といふのは声門と縁覚)それから菩薩のはじめの位のものは、真如の薫習といふものが、意と意識との上にだけ出来て居るから、ただ真如を真如ととかれることをきいて、説かれたやうに信ずる力を以て修行するけれども、分別するところの智慧を以ていろいろなものを見たりきいたりするのだから、真如すなはち分別しない心が体と相応しないから、自在のはたらきがあらはれてその修行することが、真如のふしぎのはたらきと相応しない。故に未相応といふのであります。  「二者巳相応謂法身菩薩得無分別心与諸仏自体相応得自在業与諸仏智用相応唯依法力自然修行薫習真如滅無明故」  二には己相応で、法身の菩薩では、分別の心がなくなつて居るから、諸仏の自体たる真如と相応し、自在のはたらきを得て諸仏の智慧や用と相応する。さうしてただ法の力によりて自ら修行して真如に薫習するから、無明が全くなくなつてしまふ。それを巳相応といふのであります。これで淨法薫習の講釈が終つたのであります。  「復次染法從無始巳来薫習不断乃至得仏後則有断淨法薫習則無有断尽於未来此義云何以真如法常薫習故妄心則滅法身顕現起用薫習故無有断」  また次に、染法すなはちわるい法の薫習と、淨法すなはちよい法の薫習には、つきるとつきないと二つの形があります。それは染法は昔から衆生に薫習して断えることがない。それが仏になれば断えてしまふ。すなはちこれは始めがなくて終りがある。淨法の真如の薫習といふものは未来際をつくしても絶えることがない。すなはち無始無終のものである。  それはどういふわけであるかといふと、常に衆生に薫習して、妄らな心がなくなつても真如はつねにあるもので、衆生の外縁となつて用薫習を起す。故に決してなくなるものではないのであります。  「復次真如自体相者一切凡夫声聞縁覚菩薩諸仏無有搆ク非前際生非後際滅畢竟常恒」  これからは大乗の義を説くのであります。一切の凡夫と声聞と縁覚と菩薩と諸仏とのこれらは、皆平等一味のものであつて、一切の法は悉く真如を離れて居ないものであるから、たとへ凡夫が迷つたとて減ずることもなく、又菩薩がさとつたとて減ることない。又、前の所に生れて、後の所に滅することもなく、畢竟いつでもかはらない一とつの実在である。常恒であるといふのであります。体とはものの本質で、真如といふものはどんなものかといふことを、前には離言真如と説明したのでありますが、ここでは言葉によつて真如を説明したのであります。  「從本巳来自性滿足一切功徳所謂自体有大智慧光明義故偏照法界義故真実識知義故自性清浄心義故常樂我浄義故清涼不変自在義故具足如是過於恒沙不離不断不異不思議仏法乃至満足無有所少義故名為如来蔵亦名如来法身」  真如の体は常恒不変の実在であるが、その相からいふと、本来真如の自性は一切の功徳をそなへて居る。即ち真如の自体には、無明の闇を破り、一切萬法をてらすところの智慧と光りとの義がある。又一切の法界をてらし、真実に諸法の本性を識る。それによりて、うそいつはりのすがたを離れる智慧の義がある。みだりな心をはなれて自性が清浄なる心の義がある。また常(過去、現在、未来に変ることがない)樂(苦をはなれる、)我(自由なことが出来る)浄(煩悩をたつ)といふものを円滿にそなへて居る。また迷ひをはなれて生滅のすがたにうつつて行かないところの清涼不変自在の義がある。かくの如くたくさんの功徳が、真如の体をはなれず、無始無終で、真如と同体である。それは不思議であるといふ。その不思議の仏法が十分に満足してかくるところがない。それ故に如来蔵と名づける。またこれを如来法身と名づける。  「問曰上説真如其体平等離一切相云何復説体有如是種種功徳」  以前には、真如はその体が平等で一切の相を離れるととく、それに又どうしてこのやうに種々の功徳があると説くのであらうか。  「答曰雖実有此諸功徳義而無差別之相等同一味唯一真如」  それに答へて、真如の相といふものが差別のないことはいうまでもない。今ここにあげたもろもろの功徳があるといふのは、真如といふのが無明のために動かされて妄心を起して居るから、差別のすがたをあらはして居るだけで、真如といふものは一味平等であつて、差別の相はなく、唯一真如である。  「此義云何以無分別離分別相是故無二」  これはどういうわけか。それは分別のない心で分別のすがたをはなれることを考へるから、等同一味であつて、差別のそのままが無二である。  「復以何義得説差別以依業識生滅相示」  それでもなほわからぬ。それなればどうして差別をとくことが出来るか。それは真如が無明のために薫習されるために業識がおき、それに生滅の相があるから、差別をとくのである。  「此云何示以一切法本来唯心実無於念而有妄心不覚起念見諸境界故説無明心性不起即是大智慧光明義故若心起見則有不見之相心性離見即是偏照法界義故若心有動非真識知無有自性非常非樂非我非淨熱腦衰変則不自在乃至具有過恒沙等妄染之義対此義故心性無動則有過恒沙等諸淨功徳相義示現」  それならばどうしてその差別功徳を示すかといふのに、一切の法は本来一とつの心、すなはち真如、大乗、衆生心のあらはれであつて、一切の法といふのはただ心のあらはれ、すなはち真如であつて、妄念で考へて居るやうな差別の相はない。一切の法はただ真如であつて念はない。ところが我々には妄心があるから真如をさとらない。そこで念をおこして、差別のない真如に、分別の念をおこすから我々の心の中で境界を見て執著して行くのである。真如に分別はない。分別するのは我々の無明である。それ故にさういふ我々の心のはたらきが起らなかつたならば、無明はなくなつて大智慧光明である。  もし我々の心持が何か考へをおこすといふと、それは必ず不見の相である。それ故に見といふものをはなれるならば、主観と客観と対立して考へることはなくなるのである。法界偏照の義がある。そのままそのものの心性に合致するのである。  もし我々の心が動いて何事か知ることがあつても、本当に知つたのではない。さういふ場合には妄心によりて知つたのであるから自性がない。常でなく、苦であり、自由でなく、煩悩があつて、煩悩衰変して自在でなく、その他たくさんの妄染の義がある。真如といふものは今申した事柄に反対した性質のものであるから、心性が動くことがなければ浄らかな相が出てくるのである。たくさんの功徳のすがたがあらはれる。  「若心有起更見前法可念者則有所少如是淨法無量功徳即是一心更無所念是故滿足名為法身如来之蔵」  我々の妄りな心によりて、心の相にあらはれてくるもの、それにしたがふの考へは、自分の心だけにあらはれてくるものであるから、真実のものではない。必ず欠くる所がある。それ故に真如浄法の無量功徳は、本来の一心にそなはるので、外の方に向つて念ずるものではない。この滿足する一心を法身如来之蔵と名づける。  これが仏あります。仏教のいふ理仏であります。普通の人の考へてゐるやうに、真如そのものが仏ではなく真如の相が仏であると申すので、体はわからぬのであります。我々には仏はほんとうにはわからぬのであります。迷ひの心に感ずるはたらきが仏であります。真如の相が仏であつて体はわからぬのであります。  第十講  「復次真如用者所謂諸仏如来本在因地一発大慈悲修諸波羅蜜摂化衆生立大誓願尽欲度脱等衆生界亦不限劫数尽未来以取一切衆生如己身故而亦不取衆生相」  また次に、真如のはたらきを説明するのですが、一切の仏といふものは、もとまだ仏になられない前の、修行される時の原因の位置の菩薩であつたときに、一切の衆生に対して大慈悲の心をおこして、諸々の波羅蜜を修して衆生を摂化する。波羅蜜といふのは六度のことでありまして、度といふのはわたすことであります。六度をおさめて、衆生をおさめとつて、一切の衆生を濟度しやうといふ大きな誓願をたてて、無限の年代をつらぬき、劫数をかぎらず限りない未来まで、すなはち非常に長い時間、そこにあるところの一切の衆生を摂めとつて、それを見ることを自分のやうに考へる、自己の外に衆生のすがたを考へない。衆生に向つて他といふ考へをおこさない。一切の法は皆真如であるから、これかれの区別をしないで、平等に始末する。衆生を助けるのはすなはち自分を助けるのである。自分と衆生とは別のものではない。しかも又皆が皆真如であるからすがたといふものがない。衆生をたすけるといふが衆生も自分もおなじものであるから、衆生をたすけるといふのは畢竟自分をたすけることである。これが真如のはたらきであります。  「此以何義謂如実知一切衆生及与己身真如平等無別異故」  それはどういふわけかといふと、ありのまま、実際そのまま、一切衆生と自分の身とが皆真如平等のもので、別に変つたものでないとさとつて居るからである。  「以有如是大方便智除滅無明見本法身自然而有不思議業種種之用即与真如等偏一切処又亦無有用相可得」  今申しました通ほり、衆生と自分とはおなじことであるといふ智慧、その大方便智があるから、無明を除いて滅るし、如の法身を見はし自ら種々のはたらきが出てくる。業といふのは用とおなじことで、すなはちふしぎなるいろいろのはたらきであります。すなはち真如とひとしく一切の所にあまねくみちて居る。大方便智は真如の体から出てくるのである。その智慧のために無明煩悩が消えて、本覚すなはち真如があらはれてくる。自然のままそのはたらきが出てくる。一定した相形はなくどこにでもある。形がないとすれば何故に仏というものに体を区別するのかといふ点であらうが、さういふ智慧のはたらきであるから形といふものがない筈である。  「何以故謂諸仏如来唯是法身智相之身第一義諦無有世諦境界離於施作但隨衆生見聞得盆為故説為用」  何をもつて、さういふ風に相がないといひながら相を説くのかといふと、一切の仏は皆法身である。法身といふものは智恵の相である。大方便智である。第一義諦というのは真如の理屈で、一名真諦ともいふので、世諦といふのは俗諦のことであります。真諦といふものは、俗諦の考へのやうに境界はないので、施作(施作といふのは造作、人間の心で造作すること)をはなれたもの、はからひをはなれたものである。仏はすべて真如の理屈からいへば、俗諦すなはち人の考へて居るやうに境界がない、はからひがない。即ちすべてのはたらきは差別のないはたらきである。ところが、仏に三つの相があるといふのは、衆生がいろいろ自分の心のはたらきによつて仏智をうけとる、そのために見たりきいたりして、それを縁として、それによりて衆生が利益を得やうとするからである。もし衆生といふものがないならば、仏といふものは相のない智慧の力でなくてはならない、それを人間の心のはたらきによつて体の形が出来るのである。丁度水から波の生ずるやうなものであると、かう用を説明したのであります。  「此用有二種云何為二一者依分別事識凡夫二乗心所見者名為応身以不知転識現故見從外来取色分齊不能尽知故」  用というのははたらきであります。はたらきといふのは我々の心の中に仏といふものを作り出す、それを真如のはたらきといふのであります。この用に二通ほりある。どうして二つあるか。一とつは分別事識によりて、凡夫二乗などのやうなさとりのひらけないものの心に見ゆるところの仏を応身といふ。我々凡夫といふものには無明業といふものがあつて、それが心のはたらきのもととなつてるのを見るのであります。さうして客観と主観とを区別する、それは真如のはたらきのゆるい方でありまして阿黎耶識といふ心のはたらきであります。その業識からあらはれてるのを見るのであります。その理屈を知らないから、すなはち、全く自己の業識によりて能見の相として、主観に考へた物柄を境界としてあらはしてくるのであるから、心をはなれて別に存在して居ないといふ道理がわからぬ。それ故にみだりに自分の心の外に仏があるやうに考へて執著して、思ひあやまりて仏の相好をながめる。そこで応身といふのである。分別事識によりてつくるのであり、自分の転識によりてあらはしたものであり、凡夫の体に応じてあらはしたものであるから、熊身といふのである。つまり人間のものを分別する心によりて真如のはたらきを仏とする場合には応身といふのであります。  「二者依於業識謂諸菩薩從初発意乃至菩薩究竟地心所見者名為報身」  仏の形をだんだんと説明して来て居るのであります。二には業識による。業識といふのは無明業相とおなじことであります。はじめて大乗の法をさとらうという心持をおこしてから究竟地までの諸菩薩が見るのを報身といふ。つまり報身は仏が見るのであります。菩薩は凡夫より上であります。つまり人間が修行して菩薩の位まで来れば一切の法はただ心のあらはれといふことをさとるのでありまして、その心にあらはれて来る仏身に対しては形や色には執著しないで広大無限の仏身を見ることが出来るのであります。  「身有無量色色有無量相相有無量好所住依果亦有無量種種莊厳随所示現即無有辺不可窮尽離分齊相隨其所応常能住持不毀不失如是功徳皆因諸波羅蜜等無漏行薫及不思議薫之所成就具足無量樂相故説為報身」  仏の身に無量の色がある、色には無量の相がある、相には無量のよいところがあつて、そのとどまるところの依報にも種々のかざりがあつて、衆生のために示しあらはすはたらきも限りがなくて、我々の智慧ではきはめつくされぬ程あるといふので、つまりこれは報身の説明であります。菩薩の業識によりてあらはれた仏の相であります。修行の力によりて專心磨きたてたからそこまで来たのであります。菩薩は修行したから、その修行の功によりて報身を見るのであります。  「及為凡夫所見者是其轟色隨於六道各見不同種々異類非受樂相故説為応身」  又凡夫の見るところのものはごくあらい相である。さうしてそれは六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上)にすんで居る衆生がその心にしたがつて各々見る仏がおなじでない。それはほんとうにたのしみをうける相でない。それ故にそれを名づけて応身とするのである。  他の宗教で説くやうに神や仏を個立したものとは申さぬので、世の中の一切は心のあらはれであるといふ根本の考へであります。  「復次初発意菩薩等所見者以深信真如法故少分而見知彼色相莊厳等事無来無去離分齊唯依心現不離真如然此菩薩猶自分別以未以入法身位故」  また次に修行をはじめたばかりの菩薩が見るところのものは、真如の法をふかく信じるから、少分、少しで見える。仏の相を見るについては、凡夫二乗が見て居る応身のやうな、生れたり死んだり、すなはち生滅だの出入などの相はもたない。又限りある分齊を超越して、全く無分齊で、真如の実をはなれたものでないといふことをよく知つて居るから、凡夫の見るものとは異つて居る。しかもこの菩薩でもなほ分別するから真如の理をさとらない。  「若得浄心所見微妙共用転勝乃至菩薩地尽見之究竟若離業識則無見相以諸仏法身無有彼此色相迭相見故」  もう一段さとりの境界が進んで、真如の分別のない智慧を得ることが出来るといふと、見るところが微妙で、更に仏果に達するといふと、根本業識がないから見るといふことに就ての相がない。したがつて境界相がない。  それ故真如の理に一緒になるのであります。菩薩の一番上であります。菩薩地のつきる位になると、見るところのものもすつかり極端まで来て居りますから、心の相も微妙なものであります。それがだんだんすすんで来ると、報身といふものは真如のもととおなじものになるのであります。これは勿論哲学的に考へているのであります。心と色とが一とつものになつて来る、それ故に仏のからだが微妙になつて法身まで来れば、差別の相を離れて色も形もない。ただ理としてのみの仏になるのであります。  第十一講  「問曰若諸仏法身離於色相云何能現色相」  仏のほんとうの形は法身であります。普通の人間に見えるのは応身、すこし考へたのが報身であります。もし諸仏の法身がさういふ色相即ち形を離れておるのなら、どうして色相をあらはすか。  「答曰即此法身是色体故能現於色所謂從本巳来色心不二以色性即智故色体無形説名智身以智性即色故説名法身偏一切処所現之色無有分齊隨心能示十方世界無量菩薩無量報身無量莊厳各各差別皆無分齊而不相妨此非心識分別能知以真如自在用義故」  結局我々にわからぬ、ものをわけて考へる我々の妄な心ではわからぬと説くのであります。  諸仏がさとられるところの真如法身といふものは形の体である。体といふのは本体であります。一切の形といふものは法身の理をあらはして居る。真如がもとになつて一切のものが出来て居る。それ故法身といふものは種種の色相をあらはす。色は身、心は心であります。色心は一とつである。色の本体は真如の智慧である。真如のはたらきとしてあらはれて来る自性である。その形と相とないものを智身と名づける。智慧の本性があらはれて来るのが智身である。真如法身がもとであつて、その上にあらはれてくる一切のすがた形は菩薩の心に従つていろいろになる。それら一々の色相は各々差別があつて混雑しない。差別してしかも差別がない。かういふ相は仏のすることで、仏の心で見らるる相である。我々凡夫の心識の分別でして行くのでない。かういふことは我々にはわからぬ。かうすつかりきめつけてあるのであります。  これは今迄くりかへしくりかへし説いた通ほりであります。人間が見たり考へたりすることは一切生滅の相である。木であるとか、石であるとか、天気がよいとかわるいとかといふ現象は、すなはち人間の心にあらはれることの一切は生滅の相である。めいめいの心でさういふ現象をこしらへるのである。一切のものは皆自分の心でつくり上げる、つくるもとがあつて、もとが人間の心でかはる。そのもとは真如である。現象のおくには真如がはたらいて居る。その真如を真如と知らないから迷ふ。真如といふものは我々にはわからない。正しいと考へることも、正しくないと考へることもわからない。真如といふものは言説を離れたもので、我々にはわからぬ。そこで今仏に就て考へても、仏といふのは、我々の心に見えるところは報身か応身しかわからない。生滅の相だけわかつて、法身といふものは我々にはわからぬ。色相が出てくるのは仏があつてはたらくから出てくるのである。これが「大乗起信論」の考へのおもな点であります。我々は仏といふことを考へるが、それはめいめい勝手に考へるのである。応身や報身を考へるが、それは勝手に現象として考へるので、そのおくに真如があるが、結局それはわからぬのである。  「復次顕示從生滅門即入真如門所謂推求五陰色之与心六塵境界畢竟無念以心無形相十方求之終不可得」  また次に、生滅門から真如門にどうして入るか、そのことをあらはし示す。  五陰とは次の様であります。  五蘊(五陰)   色蘊 色 身体   受蘊   想蘊 心 精神   行蘊   識蘊  それは人間の体ばかりでなしに、一切のものは五蘊から成つて居るととくのであります。受はうけとる、即ち感覚であります。仏教では五陰といふものが、集つたときに生命があり、離れると生命がなくなるとかう申すのであります。今日の生理学、心理学でとくのとおなじことであります。その五蘊といふものをおし求めて深く考へるといふと色と心、即ち身体と精神であります。色といふのは我々の心に映して来る六塵をいふので、つまり六塵の境界であります。受といふのは外からの刺戟を人間がうけとる、想といふのは人間が思ふこと、行といふのは行ふこと、識といふのはその全体を知ることであります。つまりすべては心にうつるのであるから、心を離れては何ものもない。一とつの心の上にあらはれるのであるから、心といふものがなければ何もあるわけはない。心がさういふことをつくり上げるので、別に何ものもあるのでない。ただ心でもつて外から来る境界を自分の心にうつすのであるから、結局無念である。  「如多人迷故謂東為西方実不転衆生亦爾無明迷故謂心為念心実不動若能観察知心無念即得隨順入真如門故」  我々人間が迷うて東を西と言つても、実際に方向というのは変らぬ。衆生も然うである。無明の迷ひの故に心を念とするけれども、心は動かない。差別の相に執筆して居るが、真如といふものは変らぬ。つまり生滅といふものはいくら動いても真如は変らぬとかういふのであります。もし真如といふのは我々の念慮のないときにあらはれるものだといふことがわかれば、それに従つて真如の門に入る。これで真如がはたらきをあらはして、我々の心に仏とみとめられるといふ説明を終つたのであります。  これまでお話した要旨を申しますると、もともと真如といふものがあつて、その真如は不可称不可説であり、見ることも聞くこともどうすることも出来ぬが、それが人間の心にはたらきをあらはすと認識することが出来る。たとへば世の中には何事かあつて本体はわからぬとして、暑いと知り、又寒いと知ることが出来る、空気の温度が下るといつても何故下るかはわからぬ、ただ知つて居るところは、空気の温度が下れば寒い、上れば暑い。それには暑くする原因があるものと考へなくてはならぬが、その宇宙の真理は、見ることも聞くことも、どうすることも出来ぬ。ただ感ずるだけである。仏といふものもそれとおなじやうにめいめいが感知するのである。その程度によつてそれが応身となり、或は化身となり、又報身となる、極端にまでゆけば法身であります。即ち宇宙の真理と一緒になれば悟りを開いたと申すのでありますが、それは我々の今日の境界では到底ゆかれぬのでありまして、せいぜい報身までであります。我々が普通の人間として感知するのは心身若しくは化身、多くの人の見て居る仏は化身であります。我々として所謂仏の力を持つて居るのは化身であります。  要するに感知の状態であります。報身には色も形もないことは明らかでありますが、人間の考へ方の範疇として色と形をつける、しかしそれは心の所現であつて、本体は色も形もない、宇宙の真理であると知ることが、さとりを開くのであります。ところがそれがわからぬから、人我に執著し、法我に執著する、さうして間違ひを起すからつぎにその邪執を対治する説明をするのであります。  「対治邪執者一切邪執皆依我見若離於我則無邪執是我見有二種云何為二一者人我見二者法我見」  邪執を対治するといふのは、一切の邪執は、人間の邪しまな心のすべてのものは、我見によるのであるから、我見を離れれば則ち邪執はない。我見といふのはあるかたまつたのがあつて、それでものが出来るといふ考へであります。見といふのは考へであります。邪執といふのはあやまつた考へに執著することをいふのであります。是の我見に二通ほりある。一とつは人我見、二つは法我見である。人我見といふのは我々の心の中には衆生心がある、その衆生心は真如であるといふをしらないで、まちがつた考へに執著する。法我見といふのは一切のものに自性があると執著するのであります。  「人我見者依諸凡夫説有五種  云何偽五一者聞修多羅説如来法身畢竟寂莫猶如虚空以不知為破著故即謂虚空是如来性云何対治明虚空相是其妄法体無不実対色故有是可見相令心生滅以一切色法本来是心実無外色若無色者則無虚空相所謂一切境界唯心妄起故有若心離於妄動偏一切境界滅唯一真心無所不偏此謂如来広大性智究竟之義非如虚空相故」  人我見を起すわけはいろいろある。それは凡夫の心持によりて五通ほりにわける。諸の凡夫といふのはまだ仏にならぬもので、大乗を学んだ一番はじめの菩薩であります。どうして五となすか。一にはお経に如来の法身といふものは要するに寂莫なこと虚空のやうなものであるととくのをきいて、それは実は凡夫が一切のものは本来これ心であるといふことを知らないで執著するのを破するためであるのに、それがわからないために虚空そのものが如来法身の体であると解釈する。実はただ外の形をみとめるために虚空といふものをかりに作つたので、虚空といふものがあるのではない。形があるものがなけらねば虚空といふものも又あるわけはない。我々の心にうつるのは色と法との二つである。それが現在存在して居るとしたところで、それで虚空といふものをつくるだけで、結局人間の考へである。我々が無明であるから差別の相を考へあらはしておこる、その心のはたらきがやめば一切の境界がない。真如は一切の所にあまねく存在して居る。けれどもそれは仏でなけらねばわからぬ。何にもないといふのは、あるといふ執著の心に対していふのである。  「二者聞修多羅説世間諸法畢竟体空乃至涅槃真如法亦畢竟空本来自空離一切相以不知為破著故即謂真如涅槃之性唯是空云何対治明真如法身自体不空具足無量性功徳故」  二にはお経に、世間のいろいろの現象は幻のやうなもので結局その本体空である、涅槃真如も亦空であると、本よりこのかた空にして一切の相をはなれたりと説くのをきいて、それは執著即ち一切のものが実際にあるといふ考へを破らうとしているのであるのにそれを知らない。実は真如法身は本体は不空である、真如法性は本体は不空である、真如法性は本体は空ではない。不空であつて、それには大智慧と無量の功徳を具足して居る。  そこでこの意味を書物によらないでいふと、世間の諸々の現象はまぼろしで空でもない。それに涅槃真如は空である、すべて自性は空であるとお経にとくのをきいて、お経のままを信じて真如涅槃の本性が姿だと誤解する。然し真如の本体は不空であつて、それから大きな智慧がでる、大きな光明が出る。それを空といふのは我々の考へをやめることをいふので、念を超越したことをいふのである。そこには無量の真如のはたらきがあつて、決して空ではない。不空であります。  「三者聞修多羅説如来之蔵無有摶ナ体備一切功徳之法以不解故即謂如来之蔵有色心法自性差別云何対治以唯依真如義説故因生滅染義示現説差別故」  三にはお経に、如来蔵といふものは、我々が迷はうがさとらうが増減しない。その自体そのものの中に一切の功徳をそなへて居ると説くのを聞いて、わからないために、それらの法が自らの相をそなへて居るやうに思ふが、これはまちがひである。これは真如の絶対円滿を明かすためにいつたので、生滅の我々の考へをかりて真如そのものの内容を示したものである。つまり凡夫に対して真如の内容を明らかにするために生滅の現象をかりて真如をといたので、ほんとうの意味ではない。凡夫に対して真如の内容を示さうとするには反対にあらはすより他ない。それ故に一切の功徳を具へて居るといふのは、差別の相があるといふのではない。つまり我々が煩悩煩悩といつて居るより他には我々凡夫は考へることが出来ないといふのであります。  「四者聞修多羅説一切世間生死染法皆依如来蔵而有一切諸法不離真如以不解故謂如来蔵自体具有一切世間生死等法云何対治以如来蔵從本巳来唯有過恒沙等諸浄功徳不離不断不異真如義故以過恒沙等諸煩悩染法唯是妄有性自本無從無始世来未會如来蔵相応故若如来蔵体有妄法而使証會永息妄者則無有是処」  四にはお経に、一切世間にあるところの煩悩によりて見らるる所の一切のものは、如来蔵によりてあるのであるから、すべての法は真如をはなれないといふ。それをきいて、真如そのものの中に一切世間のものがあるやうに思ふ。それは誤りである。無数の煩悩によりてあらはれる法は皆偽りであつて、実際あるのではない。それは昔からこのかた真如とは相応しない。つまり我々は真如そのものが真如なりとわからない。真如自体に妄法がありて真如をさとつたときには、永久に迷ひの法で、妄法がなくなる道理はない。それは真如の中にあやまりがあるのでなくて、真如のはたらきを我々が真如としらないからで迷ひは自分の心でおこすのである。妄といふのはまことに対してただいふのである。まことがなけらねば妄りない。一切の法は真如によつてあるといふ。妄りといふのはまことの真如に対していふので、真如の中に妄りがあるのではない。  それをあやまつてお経の中にとくのをきいて如来蔵の中にあやまりがあるといふのはまちがひである。我々の心がまちがうので、真如を真如としるときは迷はない。真如そのものに迷があつて、我々がさとれば真如である。迷は我々がこしらへるのである。この意味は我々が煩悩煩悩といつて居るものは、皆如来蔵から起きるので妄法は実際にあるものでないといふのであります。如来蔵とは真如のことであります。  「五者聞修多羅説依如来蔵故有生死依如来蔵故得涅槃以不解故謂衆生有始以見始故復謂如来所得涅槃有其終尽還作衆生云何対治以如来蔵無前際故無明之相亦無有始若説三界外更有衆生始起者即是外道経説又如来蔵無有後際諸仏所得涅槃与之相応則無後際故」  五にはお経にとく所をきいて、我々凡夫の迷といふものは真如から出てきたものであるから、その出て来たはじめがなくてはならぬといふ。また終がなくてはならぬといふ。しかしながらそれは間違いである。真如には、はじめもないし、終りもない。無始無終である。したがつてそれがおきるところの我々の無明にもはじめがない。  三界よりほかに真如そのものからあらはれて来たところの最初の衆生ありとするなら、外道の説である。三界以外に衆生があるといふなら仏教ではない。真如は無始無終のものである。涅槃もまた終のあるものではない。無明の迷ひが忽然としておこり、決して体のあるものではない。あるものがなくなるのではなくて、もとよりなかつたものをないとしるのである。ただ真如だけが実際あるのである。迷ひといふものは独立して実際にあるものではない。真如があるから迷妄といふことをいふのである、かう考へると迷妄はなくなつて居るのであります。  つまりかういふ考へをもととした仏教の哲学であります。人間がどんなことを考へて、見ても、つくつて皆間違ひである。ただ迷妄を迷妄と知つたときそれは真如であります。我々が真如を知るには迷妄を見るより他ないのであります。真如のみが実有であり不生不滅であり、人間の考へることのすべては、人間の精神のはたらきは殘らず生滅であり即ち迷妄であります。それ故にその迷妄に気がつくと真如の内薫の力がはたらいて迷妄を離れやうとする心が起きる、それを仏にならうとするといふので、その内薫の力をつよくするために外縁が加はれば迷妄を離れることがはやくなるのであります。かういふ哲学で我々人間が仏に成る筋道を説くのであります。  今日禅宗などで、迷妄をとれば真如が出て来ると申すのでありますが、具体的には真如と迷妄とは一とつであります。さうして我々はいつも迷妄だけを見て居るのでありますから、禅宗の説き方で仏に成ることは容易でないのであります。迷妄の心を持つて居るものが仏に成るには、迷妄をくはしく考へることが必要であります。迷妄を詮索して居ると、内薫の力で真如が出て来るのであります。それを外から催促する方が外縁であります。ところが実際に迷妄が平らげられるかと申すと、これはなかなかとれないのであります。迷妄を内観して自分の心のおくを見れば、外縁と内薫の力が出て来るといふのが、法然上人、親鸞聖人の説くところであります。即ち迷妄に泣くのであります。いくら仏教を奉じても仏に成れぬことを泣くのであります。迷妄をほんとうにみれば、我我の迷妄といふのは極端なものでありまして、悪るいとわかつてもやめることが出来ない、ちよつとわるいと思つたのが、だんだんと悪るくなるのでありまして、泣くより他ないでありませう。  第十二講  「法我見者依二乗鈍根故如来但為説人無我以説不究竟見有五陰生滅之法怖畏生死妄取涅槃」  前に人我見を説いたので、今度は法我見であります。我見といふのは、ものに就て特別にあるもののやうに考へるのが我見であります。鈍根といふのは根気の鈍いこと、下等なこと、二乗といふは声聞縁覚、普通の凡夫よりすすんだものですが菩薩に比べて鈍根と申すのであります。二乗は菩薩のやうに智慧が開けて居ないから、即ち鈍根であるから、如来はただ人は無我であるととかれる、すなはちその説がまだ十分でない、つまり我は空だとさう説いたのみで法は空だとは説かないから、間違つた考が起つてくる。ほんとうは我も空、法も空なのだがさう考へない。五蘊が生じたり滅したりするために人間があると考へる。それも空であるけれども、それをあると思ふ。さうして生死、というのは生死に就てのくるしみでありますが、その苦しみを怖れて妄りに涅槃を説く。五蘊が集つて人間があるので、五蘊がちればよい。灰身滅智で、からだが灰になつてなくなると、心も滅してしまふといふ、それを涅槃といふので、その涅槃になりたいといふ心持になる。しかしながらこれはまだまちがひで仏教の涅槃は仏になることを申すのであります。  「云何対治以身五隱法自性不生則無有滅本来涅槃故」  どうしてそんな間違つた考へを治めるか。五蘊といふものは元来が生じたのでない、不生のものである。故に滅することもない、本来涅槃である。五蘊生滅の法は仮りにさう説かれるのであつて、ほんとうを言へば不生不滅の真如である。真如であるものをかりにさう説くのである。五陰を外にしておいて涅槃を求められる筈はない。我々が今日生きて居ることはくるしみのたねであるが、しかしながらそのもとは真如であつて、苦しみを離れて真如はない。五蘊が集つて居るから苦しみが出来るので、仮の相であつてたださう説くのである。五蘊のうちに涅槃があるのである。幻の相の上に真如があるのである。煩悩の中から涅槃が出て来るのである。  これで人我と法我との説明がすんだのであります。人も空、法も空、一切空が仏教の考へであります。空であるものを人間の意識でつくり上げて客観のものと考へるのであるが、もとは真如であると説くのが「大乗起信論」の考へであります。  「復次究竟離妄執者当知染法淨法皆悉相待無有自相可説是故一切法從本巳来非色非心非智非識非有非無畢竟不可説相而有言説者当知如来善巧方便仮以言説引導衆生其旨趣皆為離念帰於真如以念一切法令心生滅不入実智故」  さういふ風に人間の考へといふものが迷つて執著して居るから、それから全く離れなければならない。それにはどうすればよいか。穢い法きれいな法も皆、それは人間がさういふのであつて、元来はさう言はるべきものはない。一切の法は本よりこのかた、色に非ず、心に非ず、智に非ず、識に非ず、有に非ず、無に非ず、つまる所説くべからざる相である。ところがそれを言葉に出すのは、如来の善巧方便であつて、言葉によりて衆生を導かうといふので、ほんとうの意味は、我々の考へを離れて真如に帰せしめやうとするためである。  「分別発趣道相者謂一切諸仏所証道一切菩薩発心修行趣向義故」  これからが発心して仏に成ること、宗教の心のはたらきに入ることを説くのであります。分別発趣道相といふのはこれから説明する事柄の題であります。発心して道におもむく相を明らかにするのであります。一切の諸仏がひとしくさとられたところの無上道、その無上道をさとることを目的として一切の菩薩が発心して修行して趣き向ふその経緯を分別発趣道相といふのである。いかにして宗教の心が起つて来るかといふことを説くのであります。これから説くのは菩薩のことであります。  「略説発心有三種云何為三一者信成就発心二者解行発心三者証発心」  発心といふのは無上道に趣く心をいふ。その発心を略して三つにわける。一とつには、真如の道理に対してまだそれを信ずるといふ根気が十分でないから、だんだんと信根を鍛練して遂に動かすべからざるやうな信を得る、それを信成就発心といふ。二には、信根が十分堅固になるといふと、まあ考へて見て信といふものが十分得られると考へて真如が理解出来る、これを解行発心といつて、体驗したのではない。ところがだんだん智慧が進んで考へたのでなしに、実際に真如のまことをさとるやうになつたのを証発心と言ふ。かう三段あるのであります。  「信成就発心者依何等人修何等行得信成就堪能発心」  それではその信成就発心といふのは誰がやるのか。さうしてどういふ行をやるのか。それで発心するのに十分出来るやうになるのか。信成就発心とはどういうことかといふことを言つたのであります。  「所謂依不定聚衆生有薫習善根力故信業果報能起十善厭生死苦欲求無上菩提得値諸仏親承供養修行信心経一萬劫信心成就故諸仏菩薩教令発心或以大悲故能自発心或因子正法欲滅以護法因縁故能自発心如是信心成就得発心者入正定聚畢竟不退名住如来種中正因相応」  発心する人間はどうかといふと、それは不定聚の衆生による。それははじめに薫著(外からよい力が心の中にしみ込むこと)と善根(よい功徳)の力があるから、我々のすることには善悪とも果報があること、因果)を信じて、よく十善を起して、(十善といふのはわるいことの反対)生死の苦を厭ひ、無上菩提を欲求し、諸仏に値ふことを得て、親承供養して信心修行する、さうして一萬切(はかり知れぬ長い時間をいふ)を経てその信心を成就する。それ故に、諸仏菩薩が教へて発心せしめ、或は大悲をもつての故に、能く自ら発心し、或は正法が滅びんとするに、護法の因縁を以ての故に能く自ら発心する。さうしてこのやうにして信心成就して発心したものは、正定聚に入つて、もはや後へ退くことがない。さうすればこれから後仏になる種を得て真如と正因相応するものと名づける。  「若有衆生善根微少久遠巳来煩悩深厚雖値於仏亦得供養然起人天種子或起二乗種子設有求大乗者根則不定若進若退或有供養諸仏未経一萬劫於中遇縁亦有発心所謂見仏色相而発其心或因供養衆僧而発其心或因二乗之人教令発心或学研他発心  如是等発心悉皆不定遇悪因縁或便退失堕二乗地」  もし衆生がありて、善根がわづかで久しい昔からこのかた煩悩が極めてふかくて、仏に會ふてそれを供養することが出来ても、せいぜい人間に生れる位の種か或は二乗の種子を得る位である。又たとひ仏法を求むるものがありても、根気が不定で、一進一退である。或は諸仏を供養することがありても未だ一萬功を経ない。又中に縁にあふて発心するものがある。たとへば仏の相を見て発心する。或はもろもろの個を供養するによりて発心する。或は二乗の人のすることを見て発心し、或は他を学んで発心する。かくの如き発心は皆悉く定まらなくて、わるい因縁にあふと或は忽ち消失して、二乗地におちる。  「復次信成就発心者発何等心略説三種云何為三一者直心正念真如法故二者深心樂集一切諸善行故三者大悲心欲抜一切衆生苦故」  又次に信成就発心といふのは何らの心をおこすのであるか。つまり心の内容であります。発心といふことは無上菩提を求める心をおこすことであります。略してとくに三種ある。一とつには直心。直心といふは正直な心、至誠心、まことの心で菩薩の発心である。真如を念ずる心に一点も邪まな心が雑らない。真如の実証を体得することで、真如の心そのものを得るからそれを直心といふ。  二つには深心、深く真如の功徳を信樂する心、それは我々衆生の心のもとである真如に帰るために、真如の功徳にしたがつて一切の善行を願ひ求むる心。三つには大悲心。これは廻向心とも申すのであります。真如の理を体驗して一切衆生を平等に救はうとする心である。  それ故に直心は発心の本体で、それが自分の方に利益するのが深心であり、人々を利益するのが大悲心である。つまり真如には体と相と用と三つの相があつて、体が直心、相が深心、用が大悲心である。かういふ風に信心を三つにわけるといふことは仏教には方々に出て居るのであつて、「観経」には至誠心、深心、廻向発願心とかう三つにわけてといてある。すなはち仏の国に往生するには、第一に至誠心、第二に深心、第三に廻向発願心の三心を要するといふのである。直心、深心、大悲心といふのは発心の内容であつて、それがそなはらなければならぬといふのである。然しこの三つは、まとめて一とつになるのである。さうしてその方面をかへてそれは仏の方から言へば大悲心、衆生の方から言へば深心が主である、結局しかしながらまことの心に帰著するのである。すなはち大慈大悲の心である。それ故に親鸞聖人が、三心は一心であるといはれるのは適当な考へと申さねばならぬことであります。さうして誰が考へても人間が仏になるのには誠の心即至誠心がなくてはならぬ、まつすぐな真如そのままの心持がなければならぬ、ところでそんな正直な心が我々の心の中にあるかどうかといふ実際問題になるといふと、ない。自分の心の中に真如があると考へて、発心して修行して行かうといふ心持は、如来を信じることであり、真如の法を念じるのである。親鸞聖人は、真如のはたらきとして我々のところにあらはれてくる仏の本願を信じるのであると、かう言はれる。仏とは真如であり、仏の本願とは真如のはたらきであります。  「問曰上説法界一相仏体無二何故不唯念真如復仮求学諸善之行」  問ひて曰く、前に法界(真如)はただ一とつの相であつて衆生と仏と体は二つないと説いてあるのに、それならばただ真如を念ずればよいではないか。我々の体といへどももとは真如と一とつものである。真如の法を念じてわかつたならば、わざわざ諸の善行などをして修行する必要などはないではないか。もともと真如から出て来たものなら、念じさへすれば、それで事足りるわけではないか。これについて「子供でもたすかる」かといふ問題があるのでありますが、これは宗教そのもののはたらきを知らないものであります。仏が衆生をたすけられるといふのは、心で仏とかんじたものを客観に出して仏がたすけると申すのであります。  「答曰譬如大摩尼寶体性明淨而有鑛穢之垢若人雖念寶性不以方便種種磨治終無得淨如是衆生真如之法体性空浄而有無量煩悩垢染若人雖念真如不以方便種種薫習亦無得淨以垢無量無辺偏一切法故修一切善行以為対治若人修行一切善法自然帰順真如法故」  答へて曰く、たとへば大摩尼(如意の珠)寶の性質は明らかで淨いのであるけれども、然しそれにはかなくづがある。もし人が寶の性がきれいであると思ふだけで、方便でもつて磨かなければ終に浄を得ることは出来ない。これと同じやうに、衆生の真如の法も体性は明浄であるけれども、無量の煩悩の汗垢があるから、たとへ真如の法はきれいだとしても、手段方法を以て種々に薫習しなければ又決してきれいとは言へない。煩悩の垢はかぎりなく一切法に行きわたつて居るから、一切の善法を修行してその煩悩を対治する。もし人が一切の善法を修行すれば自然に真如の法に順する。要するに仏がたすけられるといつても、自覚作用が十分でなければ、たすけられることはないのであります。  「月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ住む」 といふ歌の心のとほりでありまして、月影は浩々と照らして居りましても、それを見ない人間には月影のないのと同様に、たすけられることを自覚しなければ、助かつたのではありませぬ。釈尊の言葉に「汝自らの燈火をもて汝自らの道を照らせ」といふことがありますがそのとほりであります。宗教はさういふ心持であります。  「略説方便有四種云何為以四」  略してその手段方法を説くに四通はりある。何を四とするか。  「一者行根本方便謂観一切法自然無生離於妄見不住生死観一切法因縁和合業果不失起於大悲修諸福徳摂化衆生不住涅槃以隨順法性無住故」  第一は行根本方便。行といふのは自利利他の行。自らを利し又ひとを利する一切の行の根本となる方便。謂く、一切の法は本体から申せば平等不変(現象としては差別変化があつても)であると観じて、一切の妄りな考へを離れて生死に住せず、一切の法は因縁が和合して業果失せずと観じて大悲を起し、もろもろのよいことをして衆生を摂取し化導して涅槃にとどまらない。一所に住まらない法性といふものの性に随順するが故に。  「二者能止方便謂慚愧悔過能止一切悪法不令搨キ以隨順法性離諸過故」  二つには能止の方便、よくとどめる方便。自分のしたわるいことを人に愧ぢ、自分に愧ぢ、過去を悔い、さうして一切のわるい法をやめて増長しないやうにする。真如は一切のわるいことを離れた性質のものであるから。  「三者発起善根増長方便謂勤供養禮拝三寳讚欺隨喜勸請諸仏以愛敬三寶淳厚心故信得搨キ乃能志求無上之道又因仏法僧力所護故能消業障善根不退以隨順法性離痴障故」  三には発起善根増長方便。謂く、つとめて三寶(仏、法、僧)を供養し、禮拝し、諸の仏を勧請する。勸請といふのは二通はり意味がある。法を説くことを勧めねがふ、それから普通にいふのは仏の魂を招待して祀ることで、すすめ乞ふといふ意味。  仏を愛敬し、讃歎し、供養し、随喜し、勸請すると、信がつよくなつてよく無上道を志求する力がます。さういふことは、仏法僧の三寶がまもるから、よく業の障を消して善根が退かない。法性が痴障を離れるのに隨順するから。  「四者大願平等方便所謂発願尽於未来化度一切衆生使無有余皆令究竟無除涅槃以隨順法性無断絶故法性広大偏一切衆生平等無二不念彼此究竟寂滅故」  四には大願平等方便、所謂菩薩は未来永劫に一切衆生を済度しやうとして、余りあること無からしめ、無余涅槃を究竟せしめる。無余涅槃といふのは灰身滅智の有徐涅槃と相対していふので、仏になること、大乗の仏乗を得る涅槃である。究竟して仏になるところまで行つた。法性は不変である。それに随つた事柄であるから、さうしてその真如は広大で一切衆生にあまねく、平等無二であるから、彼此他私の区別をしないで、ただまことだけの世界であるから。つまり真如の断絶することのない性質にしたがふのである。  第十三講  「菩薩発是心故則得少分見於法身以見法身故隨其願力能現八種利益衆生所謂從兜率天退住胎出住出胎出家成道転法輪入於涅槃」  菩薩がこの心を発するが故に、則ちいささか法身を見ることを得る。法身を見ることを得るを以てその願力に随つてよく八つの相を現じて衆生を利益する。いはゆる兜率天より退と入胎と出家と成道と転法輪と涅槃に入ることである。お釈迦様でも釈迦八相と申して八つの相があるのである。  「然是菩薩未名法身以其過去無量世来有漏之業未能決断隨其所生与微苦相応亦非業繋以有大願自在力故」  然るにこの菩薩を未だ法身と名づけない。その過去無量世よりこのかた有漏の業がまだ能く決断しないから、その生るる所にしたがつて、細かな苦しみが殘つて居る。しかし普通の凡夫のやうに業にしばられて居るのではない。苦しみはあつてもわづかなくるしみである。それは大願の自在力があるから凡夫とはちがふのである。  「如修多羅中或説有退随悪趣者非其実退但為初学菩薩未未入正位而懈怠者恐怖令彼勇猛故又是菩薩一発心後遠離怯弱畢竟不畏随二乗地若聞無量無辺阿僧祇劫勤苦難行乃得涅槃亦不怯弱以信知一切法從本巳来自涅槃故」  お経の中に或は悪趣(ゆるい業によりておつる所ですなはち地獄)に堕ちるものがあるといふことを説いてあるが、それはその実退るのではない。初学の菩薩が未だ正位に入らぬのに、懈怠のものがある、さういふものに恐怖せしめ勇猛心を起さしめるためである。又この菩薩は一度発心して後は怯弱をはなれてもはや再び二乗地におちることを畏れない。たとへ無量無辺阿僧祇功、(阿僧祇といふのは無数である。劫は長い時間の単位)すなはち大変長い時の間、つとめて難行をして、涅槃を得るといふことをきいても、それでも畏れの心をおこさない。何故かといふのに、一切の法はもとより自ら涅槃であることを信知して居るから。これが信成就発心であります。もう一つすすむと解行発心であります。  「解行発心者当知転勝」  解行発心は前よりすぐれて居る。  「以是菩薩從初正信巳来於第一阿僧祇劫将欲滿故於真如法中深解現前所修離相」  信成就して解に入るのであります。是の菩薩ははじめの正信よりこのかた第一の長い時間に於て将に滿たんと欲するから、真如の法の中に深解が現はれて修むる所相を離れて居る。  「以知法性体無慳貪故隨順修行檀波羅蜜」  解が出来て、真如の道理がわかつて見ると、真如といふものは貪ることがない、むさぼるのは凡夫がやるので、真如には貪る心がないとしるから、それにしたがうて、布施の行をする。布施といふのは、大慈悲をすべてものにたれるものである。  「以知法性無染離五欲過故隨順修行戸羅波羅蜜」  戸羅波羅蜜は持戒即ち戒律をたもつことであります。法性は無染にして五欲のあやまちをはなれるとしるから、それにしたがうて戒を持して修行をする。  「以知法性無苦離瞋悩故隨順修行摩提波羅蜜」  法性は苦しみなく、瞋り腹立つことがないとしるから、それに隨うて忍辱を修行する。  「以知法性無身心相離懈怠故隨順修行黎耶波羅蜜」  法性は身心の相なければ懈怠をはなれると知るから、それに隨つて精進の行をする。  「以知法性常定体無乱故随順修行禅波羅蜜」  法性は常定にして体に乱がないとしるから、それに従うて禅定を修行する。  「以知法性体明離無明故随順修行般若波羅蜜」  法性は体明かにして、無明をはなれるとしるから、それにしたがうて智慧を行ずる。一切の法の真理に通ずることをつとめる。以上が所謂六度であります。かういふ風に菩薩といふものは信を成就して、更にすすんで根本である真如の理を理解して、真如の体に応じて六度を修行する、それを解行発心と申すのであります。はじめ心をまことにして、それから真如の道理がわかる、その解することが出来ると、今度は真如に相慮して真如の通ほりに行が出来るのであります。さうするとさとりが開けるのであります。  「証発心者從浄心地乃至菩薩究竟地証何境界所謂真如以依転識説為境界而此証者無有境界唯真如智名為法身」  証発心とは、浄心地(修行の前の階級)から菩薩究竟地に至るまで、どういふ境界をさとるのか。所謂真如をさとるのである。但し真如を境界というのは、我々の心のはたらきの上に就ていふのである。しかもこの証は境界でない。ただ真如智を名づけて法身とするのである。  智慧を二つにわけると、根本無分別智と、後得有分別智とになる。後得の方は人間の心でこしらへた智慧であつて、その方は分別がある、すべてよしあしがある。それは客観と主観とをわけて考へてゆく方の智慧であります。根本智には主観客観はない。別のあるときはそれは後得有分別智の方であります。然しそれは真如が出てくるのであります。転識といふのは我々の心のはたらきが境界をつくることで、見らるるものは境界であります。その転識をもつていふので、境界が出てそれは我々の心の対象であるが、真如は心の対象とはならない。つまり我々の心に出て来た真如をさとる、それは転識の中に出てくる真如の智慧で、それを法身となすのである。  「是菩薩於一念頃能至十方無余世界供養諸仏謂転法輪唯為開導利益衆生不依文字或示超地速成正覚以為怯弱衆生故或説我於無量阿僧祇劫当成仏道以為懈慢衆生故能示如是無数方便不可思議而実菩薩種性根等発心則等所証亦等無有超過之法以一切菩薩皆経三阿僧祇劫故但隨衆生世界不同所見所聞根欲性異故示所行亦有差別」  この菩薩は同一時に十方の世界に至つて諸仏を供養し転法輪(仏の説法)を講しながら、樣々の衆生を済度するために、文字によらず、或は階段を経ずに、すぐに覚りを開くと示す。これは怯弱の衆生の心を引立てんためである。或は無量の長時間を経て仏道を成すと説くのは懈慢の人を済度のためであると云ふ風に無量の手段を示されるが、実はどの菩薩も皆平等で三阿僧祇功を経るのであるが、衆生の方に差別があるから、それを導くために様々の差別を示されるのである。  「又是菩薩発心相者有三種心微細之相云何為三一者真心無分別故二者方便心自然偏行利益衆生故三者業識心微細起滅故」  又この菩薩の発心の相としては三つの心の微細なる相がある。どうして三つに分けるか。一にはまことの心、分別することがない故に。真如の理をさとることで、根本無分別智である。二番目は方便心、今申した真実の心が一切のものをてらしてあらはしてくる智慧で、真実の心のはたらきである、これを後得有分別智といふ。その次は業識心、無明の心がなほ殘つて阿黎耶識の細かな業識がのこる、さうして起つたり滅したりする。さとりをひらくのだが、なほ業識の心があるから菩薩離れられぬ、むろん凡夫ではない、又仏ではない、菩薩である。これから後仏になる資格のあるものである。  真如と自分の心が全く一とつになつたと転識で考へることの出来たものが真心、まことの心、一切の事柄をてらしてその時あらはれる心が方便心、ところが業識の心が幾つて居るから仏にならぬ、これが発心の心の相を説明したのであります。  「又是菩薩功徳成滿於色究竟処示一切世間最高大身謂以一會相応慧無明頓尽名一切種智自然而有不思議業能現十方利益衆生」  またこの菩薩は功徳が成滿して色究竟天のやうに最も高大の身を示す。始覚が本覚と相応して無明が頭に置きたのを一切種智と名ける。そこに自然に不思議のはたらきが有つて十方世界にあらはれて衆生を利益する。  「問曰虚空無辺故世界無辺世界無辺故衆生無辺衆生無辺故心行差別亦復無辺如是境界不可分齊難知難解若無明断無有心想云何能了名一切種智」  上の一切種智と云ふことを問ふのである、問ひて曰く、虚空無辺であるから世界は限りがない、世界が無辺であるから衆生が無辺である、衆生が無辺であるから、心行の差別が又無辺である。このやうに境界は分けることが出来ない。知り難く解しがたい。もし無明を断じたら心想がないのなら、どうして菩薩がさとりをひらいて一切の法をしるといふのか。無明を断すれば心想もなくなるではないか。  「答曰一切境界本来一心離於想念以衆生妄見境界故心有分齊以妄起想念不称法性故不能決了諸仏如来離於見想無所不偏心真実故即是諸法之性自体顕照一切妄法有大智用無量方便隨諸衆生所応得解能開示種種法義是故得名一切種智」  答へて曰く、一切の客観的にあらはれる境界はもともと一心の真如に外ならない。世の中の一切のものは本来真如があらはれたものである故に、その本体を考へれば、あらゆる妄念妄想は真如からあらはれたものである。我々衆生は妄に実際あるもののやうに考へて居る。然るに仏は妄見妄想はない。心一ぱいに宇宙にみちて居る。実際の性質をしつて自分から一切妄りの法をてらして、智慧のはたらきをする。不覚のはたらきの中に出てくる真如は自体がまことであつて、まことでないものをてらす。それ故一切種智と名づけて差支ない。  「又問曰若諸仏有自然業能現一切処利益衆生者一切衆生若見其身若観神変若聞其説無不得利云何世間多不能見」  又問ひて曰く、そし諸仏に自然の業がありて、能く一切処に現じて衆生を利益するなら、一切の衆生は、その身を見、神変を見、その説をきいて、利を得ないことがないであらう。どうして世間で多く見ることが出来ないのであらうか。  「答曰諸仏如来法身平等偏一切処一無有作意故而説自然但依衆生心現衆生心者猶如於鏡鏡若有垢色像不現如是衆生心若有垢法身不現故」  答へて曰く、諸仏如来の法身は平等にして、宇宙にみちみちて居る、どうしやうかうしやうといふ意がない、分別がない、それ故自然といふ。けれども衆生が感づいてくるとその衆生の心の機に応じて現はれる。たとへば鏡のやうなもので、鏡が曇つて居れば像がうつらない。それとおなじやうに衆生の心にもし垢があるときは法身が現はれない。  第十四講  「巳説解釈分次説修行信心分是中依未入正定聚衆生故説修行信心何等信心云何修行」  真如の解釈が長かつたのでありますが、これからは如何にすれば信心がすすめられるかといふことを説いてあるのであります。前のは哲学でありますが、これからは実際の方面にうつるのであります。未だ心が十分にひらけて居ない衆生のために、信心とはどういふものか、どうして修行するかを説く。  「略説信心有四種云何為四一者信根本所謂樂念真如法故二者信仏有無量功徳常念親近供養恭敬発起善根願求一切智故三者信法有大利益常念修行諸波羅蜜故四者信僧能修行自利利他常樂親近諸菩薩衆求学如実行故」  略して信心を説くに四通ほりある。何々を四とするか。一とつには根本を信ずる、宇宙の根本である真如を信ずる。二つには仏に無量の功徳があると信ずる。三には法に大利益あると信ずる。四には僧がよく自利利他の行を修行すると信ずる。これは通常三寶を信ずると申すのであります。三寶というのは仏と法と僧とであります。仏といふのは原理であります。法といふのは原理を実際行ふ、僧は体驗する人間であります。根本の原理とそれが法となつて動く、それと、それを行ふ僧を信ずるのでありますが、結局仏を信ずるのであります。真如が根本であります。信心といへばこの四つであります。  「修行有五門能成此信云何為五一者施門二者戒門三者忍門四者進門五者止観門」  この信心を得るのに修行しなくてはならぬ、その修行に五つある。一には布施、二には持戒、三には忍辱、四には精進、五には止観、これは六度といふときは禅定、智慧であります。これは修行の方法でありまして、これだけ修行すれば信心が得られるといふのであります。  「云何修行施門若見一切来求尽者所有財物隨力施与以自捨慳貪令彼歓喜若見厄難恐怖危逼隨己堪能施与無畏若有衆生来求法者隨己能解方便為説不応貪求名利恭敬唯念自利利他廻向菩提故」  如何にして施門を修行するか。若しもとむる者ありて人が来れば、あらゆる財物を力に随ひて施す。それも慳貪の心なくして与へる。さうして彼をしてよろこばしむる。これは財施であります。それから無畏施、若り厄難、おそろしいことのあるときは、自分にたへられる力でおそれないやうな心持を施す、つまりおそろしくないやうにしてやる。それから最後のは法施であります。  一体この施といふのは貪りの心をしづめるためのやり方でありまして、相手を眼中におかない。相手に金をやつてよろこぶまいとそれは関係ない、人間の持つて居る貪りの心をしづめやうといふのでありまして、仏教で今も托鉢といふことをやつて居りますが、あれはこの意味であります。鉢を持つて町の中を歩く、これは施すものの貪りの心を平らげるのであります。この頃寺へ行きますと、寄附した人の名前が宣伝してありますが、あれでは施ではないのであります。大阪に長く居られた方でありますが、鐵眼禅師といふ方は一切経を版にするといふので集めた金を二度まで飢饉のために寄附されたのでありますが、禅師が奉加帖を持つて方々を歩いて居られる時江洲種田の橋に乞食が居たので、奉加帖を出してその乞食に寄附を求められた。乞食は自分は貰ふのが仕事であるといひますと、禅師はそれだから寄附をしろと言はれたのであります。人にものを施す心を起さしめるのでありまして、これが所謂修行であります。  「云何修行戒門所謂不殺不盗不姪不兩舌不悪口不妄言不綺語遠離貪嫉欺詐詔曲瞋恚邪見若出家者為折伏煩悩故亦応遠離憤悶常処寂靜修習少欲知足頭陀等行乃至小罪心生怖畏慚愧改悔不得軽於如来所制禁戒常護誕嫌不令衆生妄起過罪故」  どういふ風にして戒律を修行するかといふと、殺生をしない窃盗をしない云々といふやうなことでありますが、これはもと釈尊が弟子達のして居るのを見られて、一々それはいかぬ、あれはいかぬと言はれた、それを弟子達が覚えて居て、後学のもののために記したのでありますが、それが大変な数になつたのでありまして、一番少ないのが五戒でありますが、この五戒も誰にでも出来ぬのであります。ともかく自分の身を深くつつしむのであります。  「云何修行忍門所謂応忍他人之悩心不懐報亦当忍於利衰毀警称誠苦樂等法故」  いかにして忍辱の修行をするか、たとへ人のために自分が悩まされることがあつても返報する考へを懐かない、又利が自分をうるほしても、損をしても、過ち以上にそしられても、徳以上に褒められても、苦しみ樂しみも忍ぶ、つまり腹立てる心をおさへつけるために忍耐して修行するのであります。  「云何修行進門所謂於諸善事一心不懈怠立志堅強遠離怯弱当念過去久遠巳来虚受一切身心大苦無有利益是故応勤修諸功徳自利利他速離衆苦」  そのつぎが進門、これは一生懸命努力することをいふのであります。つまり精進でありますが、それをだんだん意味をせまくとりまして、魚を喰はぬことを精進といつたりしますけれども、精進とは努力することであります。  「復次若人雖修行信心以從先世巳来多有重罪悪業障故為邪魔諸鬼之所悩乱或為世間事務種種牽経或為病苦所悩有如是等衆多障碍是故応当勇猛精勤晝夜六時禮拝諸仏誠心懺悔勸請隨喜廻向菩提常不休廢得免諸障善根搨キ故」  これは精進のことをくはしく説明したのでありますから、この通ほりで読めばわかるのであります。  そのつぎは止観であります。  「云何修行止観門所言心者謂止一切境界相隨順香摩他観義故所言観者謂分別因縁生滅相隨順鉢舍那観義故云何隨順以此二義漸漸修習不相捨離雙現前故若修以止者住於源処端坐正以意不依気息不依形色不依於空不依地水火風乃至不依見聞覚知一切諸想隨念皆除亦遣除想以一切法本来無想念念不生念念不滅亦常不得隨心外念境界後以心除弓心心若馳散即当摂来住於正念是々正念者当知唯心無之外境界即復此心亦無自相念々不可得若從坐起去来進止有所施作以於一切時常念方便隨順観察」  止観門を修行するといふことはどういふことか。著摩他といふのは寂靜のことであります。止とは一切の境界の相をとどめて寂靜の世界にやる、つまり人間の心にいろいろの相が出て来るのを一切やめること、はたらきの意味をなくすことを申すのであります。昆鉢舍那というのは正見のことで、事柄を正しく見る。因縁生滅の相を分別する。つまり、心がいろいろ樣々にはたらく、その散乱する心をとどめ、観によつて正しいものの相を見る、正しく観察する、それが止観であります。要するに一切の事柄をよくわきまへてゆくことを申すのであります。隨ふといふのはどういうことをいふのか、この二つの義をもつて、即ち止によらねば心が乱れる、親によらぬば心がはたらかぬ、とかう定と慧とがならんであらはれるといふ意味であります。  止を修行するるのは静かな所に居つて坐禅して、体をととのへて心を正しくして、邪な心をまじゆることのないやうにして修行しなくてはならぬ。しかし声聞発覚の黎のやうに気息を考へたりすることはいらぬ、無常観もいらぬ、空を観ずることもいらぬ、地水火風を考へることもいらぬ、見聞覚知もいらぬ。ただ法と心と共に離れる、それを止といふのである。一切の法は無念無意であるといふその真如の理にしたがつて修行するのである。ただ心の外の境界をほろぼしてしまふことをいふのである。正念といふのでただ心であつて相はない。念々不可得といふのは、念には何ものがないといふことであります。いづれの場合にも止といふことを念じて不生不滅の道理に隨順して観察せよといふことであります。  「久習淳熟其心得住以心住故漸漸猛利隨順得入真如三味深伏煩悩信心搨キ速成不退」  久しく修行して止が熟すると心が動かぬやうになり、遂には真如の道理にしたがつて煩悩がおさへつけられて正定聚の位にゆく。  要するにこの五つの修行によつて、信心といふ心の世界にゆけて、これで修行信心といふことが出来る、かう説明がしてあるのでありますが、これはただ説明をしたのであります。ともかくこれをだんだんとやつて居ればある一定のところまでは進むでありませう。進めば結局如に至る、さうして我々の不生の念慮をやめてしまふことが出来るのでありませう。  「唯除疑蔵不信誹謗重罪業障我慢懈怠如是等人所不能入」  この修行をすれば誰でも正定聚にゆけるが、ただしかし、いかないものがある。それは疑惑の人と信じない人と法を謗る人と法を犯して悪るいことをやる人と、その心のはたらきがどうしてもさういふ方にすすめない人、我慢の人、怠りて修行をうまくやらないもの、さういふものは得入することが出来ない。この意味は宗教のことを考へれば当り前のことであります。人間の心というものはもともと真如から出たものであるが、念慮がはたらいて居ると真如がわからぬ、あるにはきまつて居りますけれども念慮がつよくはたらくと真如がかくれる。その念慮の中で最もつよく出て来るのは、疑ふといふこと、信じないこと、わるいことをする、法を得るためのわるいことをすること等であります。さうしてそれ等は即ち入ることが出来ないと申すのであります。真如と念慮とは一とつのの中にあるが、我々はその念慮の方だけ考へて居るのであるが、仏に成るのはそれだけであつて、それ故に誰でも修行すれば真如が出て来ると申すのであります。  第十五講  「復次依是三昧故則知法界一相謂一切諸仏法身与衆生身不等無二即名一行三昧当知真如是三昧根本若人修行漸漸能生無量三昧」  三味と申すのは、心を一と所にとどめて動かさぬことであります。真如三昧に入るが故に、法の世界は全く一とつの相であるといふことがわかる、一切諸仏の体と衆生の体は平等無二であると知ることを一行三昧といふ。真如は三味の根本である。若し人々が修行をすれば、たくさんの三昧が得られる、すべての三味が得られる。要するに一切衆生と仏とはおなじやうな真如がもとであるから、心をしづめて煩悩をとつて考へると、法界は一とつの相であつて差別のないことになる、それが一行三味である。さうしてそれがすべての三昧のもとであつて、この三味を修行するとすべての三昧が得られるといふ考へであります。さうしてこの考へがすべてのもとであると申すのであります。  「或有衆生無善根力則為諸魔外道鬼神之所恐乱若於中現形恐怖或現端正男女等相当念唯心境界則滅終不為悩」  真如三味に入ればすべての三昧が出て来るのであるが、しかしながら衆生の中に善根の力のないものもあるから、さういふのはもろもろの魔や外道、外道といふのは考への違つたものであります。それに鬼神などのために惑はされる。さうして或は坐禅のところに悪魔があらはれておどかしたり、美しい男女のすがたをあらはして迷はせる。それ故にただ一心に唯心を念じる唯心を念じると申すのは、心の外に何ものもない、心の外のものは夢幻の如しと念じると、外の境界がなくなるから悩まされることがない。  「或現天像菩薩像亦作如来像相好具足或説陀羅尼若説布施持戒忍辱精進縄定智慧或説不等空無相無願無怨無親無因無果畢竟空寂是真涅槃或令人知宿命過去之事亦知未来之事得他心智弁才無磯能合衆生貪著世間名利之事又令使人夏咲数喜性無多常準或多慈愛多睡多宿多病其心懈怠或卒起精進後便休廢生於不信多疑多慮或捨本勝行更修雑業若著世事一種種牽纏亦能使弘人得諸三昧少分相似」  迷はされる相をくはしく説いたのであります。或は天の神様の像、菩薩の像をあらはしたり、亦如来の像の相をそなへたものをつくつたり、或は陀羅尼陀羅尼といふのはお経のことでありますが、多くの場合は咒文のことを申すのでありまして、呪文といふのは総持、すべての道理をちやんと保つて失はないことで、そのお経の一番短いのを咒文と申すのであります――を説いたり、六度の行を説いたり、或は世の中は平等空であつて、相なく、願なく、怨なく、親なく、因なく、果なく、つまり空なのが涅槃であると説く。或は衆生をして過ぎ去つた宿命のこと、未来のことを知り、他心智と申すのは人の心を知る、人の心を知つて弁舌自在ならしめ、衆生をして世間名利のことに貪著せしめ、しばしば怒り、しばしば喜び、常軌をみだし、或は慈愛に溺れ、或は睡眠にふけり、病に犯され、その心を懈怠ならしめ、或は突然精進の心をおこすけれども又すぐやめる、信心があるかと思ふと人すぐ凝ふ、或はすぐれた行をやめて雑行をする、或は世間のことにしばられる、亦いささか三味に似たやうなことをやることもある。かういふやうに修行して居るものに善根の力がないから、いろいろの魔がさしたり外道の考へにあやまられる。人間が一生懸命努力しやうとするけれども、力が足りないといふのであります。  「背是外道所得非昇三味或復令人若一日若二日若三日乃至七日於定中得自然香美飲食身心適院不飢不渦使人愛著或令人食無分齊乍多乍少顏色変異」  さういふことは皆考へのちがつたものの所得で真の三味ではない。或は人をして、一日とか二日とか三日とか七日とか禅定に入つて、自然のうるはしい飲みもの食ひものを得て――これは禅三昧に入るとうるはしい飲みもの、食ひものを得たとおなじになるといふ意味であります――自分の心体愉快になつてその心境に愛著せしめ、或は人をして食に分量なく、多く食つたり少く食つたりして、身体を衰へしめる。  「以是義故行者常応智慧観察勿令此心障於邪網当勤正念不取不著則能遠離是諸業障」  悪魔といふものは、さういふ風に我々の心を誘惑して惑はすことが甚しいから、真実の行をおさめるのには、常に智慧観察して此の心をして邪まに堕せしめないやうに、つとめて正念に住し、外の境界に執著することがなければ、もろもろの業障を離れて真如三味に入れる。  「応知外道所有三味皆不離見愛我慢之心貪著世間名利恭敬故」  さういふ外道の三味は、皆貪愛我見つよく、自分をたかぶる心を離れず、世間の名聞利に貪著して真如三味に入ることが出来ない。  「真如三味者不住見相不住得相乃至出定亦無懈慢所有煩愉漸漸微薄」  真如三昧の場合には、考へる心と考へられる法とがおなじである、主観と客観とが一とつであつて、見やうといふ心もない、又見られる法ない、定を出て懈慢がない、さうして有つて居るところの煩悩がだんだん少なくなる。  「若諸凡夫不習此三昧法得入如来種性無有是処以修世間諸輝三昧多起味著依子我見繋三鷹三界一与外道共以若離善知識所護則起外道見故」  若し諸の凡夫が真如三昧を修行せずして、仏に成るといふことがあればそれは間違いである。普通の世間の禅は禅に執著するから我見を離れず、多く執著して、三界にしばられて緊縛を脱することが出来ず、外道とおなじことである。それを脱するには、よくものを知つた人の保護を要するのである。正しいからといつてそれに執著するともう邪しまな心である。よいことをしたと思つたらもうよくないのでありまして、実に微妙な問題であります。宗教の考へでは、自分でよいことをしたと思つたらもうわるい心持であるとするのであります。  「復次精勤尊心修学此三昧者現世当得十種利益云何為以十一者常為十方諸仏菩薩之所護念二者不為諸魔悪鬼所恐怖三者不為九十五種外道鬼神之所蔵乱四者遠離誹謗又甚深之法重罪業障漸々微薄五者滅以一切疑惑諸悪覚観六者於諸如来境界信得搨キ七者遠離愛悔於生死中勇猛不怯八者其心柔和捨於驕慢不為三他人所悩九者雖未以得定於今一切時一切境界処則能減損煩督不樂世間十者若得三味不為外縁一切音声之所驚動」  また次に、真如三昧の修行を一生懸命にやると、この世で十種の利益を得る。これはその人の心の感ずる相をいふのであります。宗教の意味は、心のひらけたその人がどういふ感情をもつかといふことであります。  何々を十とするか。一つには十方諸仏菩薩のために護念せられる。二つには、諸魔悪鬼のために恐怖せられない。三には九十五種の外道鬼神のために惑はされない。第四には深甚の法――仏法のことであります――を誹謗することをはなれて、重い罪やさはりがだんだん微かになる。第五には一切の疑ひと悪覚観――悪るい法を観察することであります――とを滅する。六には如来のさとりの境界に対する信を増す、つまり如来のさとりを信ずることがつよくなる。七には、心配や後悔がなくなつて、生死の中に於て勇敢になる。八にはその心がやはらかになつて驕慢を捨て、他人のために悩まされない。九には心がすつかりしづまるわけでなくても、一切の時と一切の場合、いつでも煩悩が減つて世間普通のたのしみを樂はない。十にはこの三昧を得れば外の境界の一切の音声のために驚き動かされることがない。要するに真如三昧の功徳をといたのであります。  「復次若人唯修於止則心沈没或起懈怠不樂衆善遠離大悲是故修以観」  今までは止観といふことの止の説明でありましたが、さういふ風に止といふことだけの修行をして観の修行をしないときは、真如の一面だけが見える、差別の相である現在のことが見えず、或は怠つてもろもろのよいことをすることをねがはず、大慈大悲の心がなくなつて、もろもろの人によくすることをねがはない。それ故に観も又必要であると申すので、即ち差別の相を見ねばならぬと申すのであります。  「修習観者当観一切世間有為之法無得久停須奥変壞一切心行念々生滅以是故苦応観過去所以念諸法悦忽如夢応観現在所念諸法猶如型電光応観敦未来所以念諸法猶如於雲妖爾而起」  観を修行するものは、一切世間の有為の法はおなじところにとどまらず、刹那に変つて壊れ、一切の心や行は念々に生滅するから、我々の世界に苦しみであると観ずる。過去に念ずる諸法は夢の如く、現在念ずる諸法は電光の如く、未来に念ずる諸法は雲の忽ちに起るやうなものである。つまり無常を競じ、苦しみを観ずるといふことであります。  「応観世間一切有身悉皆不浄種種穢汗無一可樂」  仏教では、第一無常観、第二苦観、第三無我観、第四不浄観とわけて居るのでありますが、これはその不淨観であります。一切世間のものは悉く皆不祥であつてねがふべきものはないと観じよといふのであります。  「如是当念一切衆生從無始時来皆因無明所薫習故令一心生滅巳受一切身心大苦現在即有無量逼迫未来所苦亦無多分齊難捨難離而不覚知衆生如是甚写以可惑」  是の如く念すべし。一切の衆生は無始よりこのかた皆無明に薫習せられて心を生滅の世界にゆかしめて一切の身と心の苦しみを受け、現在も又未来もくるしみが限りない、捨て難く、離れ難い覚束ない境界であるのに、一切衆生はこれを知らずに居る、まことに愍むべきであると。  「作是思惟即応勇猛立大誓願願令我心離分別故偏於十方修行一切諸善功徳尽其未来以無量方便救抜一切苦悩衆生令得涅槃第一義樂」  かやうに観念の法を修行するのは勇猛に大誓願を立つべし。我心をして分別を離れしめるが故に、十方に編く一切の諸善功徳を修行して、其の未来を尽して、無量の方便を以て、一切苦悩の衆生を救ふて、涅槃の樂しみを得せしめる。  「以起如是願故於一切時一切処所有衆善隨己堪能不拾修学心無懈怠唯除時尊念於止若余一切悉当観察応作不応作」  これが精進観であります。かういふやうに大きな願を起すから、一切の時と処とに於て、もつて居る衆善を自らの堪能にしたがつて捨てず、怠けるといふことがない。  ただ坐して禅定をやつて居る間は別であるが、その他の一切の場合はたとへいかなる場合でも真如にしたがうて、まさになすべきこと、まさになすべからざることを観察して修行しなくてはならぬと申すのであります。  第十六講  「若行若佳若坐若臥若起皆応三止観?行」  前に止観のことを申したのでありますが、そのつづきであります。行住坐臥いつでも止と観とをともに行はなければならぬといふことであります。  「所謂雖念諸法自性不生而復即念因縁和合善悪之業苦樂等報不失不壊雖念因縁善悪業報而小即念性不可得若修止者対治凡夫住著世間能搭二乗怯弱之見若修観者対治二乗不起野大悲狭劣心過遠離凡夫不修善根」  諸法は不生不滅であると念ずると共に、因縁和合してそれによりてよしあしの業が起り、苦しみ樂しみの業が起り、失せず壊れずと念ずる。因縁善悪の業報を念ずると共に、自性はどうすることも出来ぬと念ぜねばならぬ。これは止と観とは共に行ぜねばならぬといふ説明であります。  若し止の修行をすれば(止と申すのは前にも申した通ほり精神の乱れることを止めることであります)世の中の事柄に愛著して貪欲の心を起すものを退治して、二乗即ち声山濠oの輩の弱い者へを捨てて、さうして真如自性の境に到達することを得る。もし観――ものの真理を観察することであります――を修すれば、二乗の大悲、大悲というのは自他の区別なく一切のものに慈悲をたれる心持であります、その大悲を起さない狭い劣つた心の過ちを退治して、凡夫の善根をおさめない心を遠ざけることが出来る。  要するに、我々がこの修行の方法によりて、止といふ修行をすれば愛著の心を断して真如の理に到達する。又観の修行をすれば一切のものをあはれむ心が起きると申すのであります。  「以是義故是止観二門共相助成不相捨離若止観不具則無能入菩提之道」  さういふわけであるから、この止と観との二つの事柄は共に助けあふので、どちらも離れ捨てらるるものではない。若し止と観とが別々ならば菩提の道に入ることが出来ない。これで止観についての説明が終つたのであります。  「復次衆生初学宝是法欲求正信其心怯弱以住於此娑婆世界自畏不能常値諸仏親承供養以謂信心難可成就意欲以退者当知如来有野勝方便摂護信心」  また次に、衆生がこの大乗の法を学ばうと思つて、正しい信を欲し求めるが、しかしながらその心が弱くして前に説いた修行が出来ない。娑婆と申すのは印度の言葉で支那に翻訳すれば忍土、いろいろな苦しみを外から受け内からは煩悩が涌いて苦しみを重ねるが、それは自分の心でつくつたものであるから我慢しなければならぬといふので、我慢すべき処といふ意味でありませう。この婆婆世界に住して居るから、自ら畏れる、それは常に仏に値うて親しく供養しその教を受けることができない。それで信心が成就し難いであらうと憧れてどうしても進むことが出来ないものには、如来にすぐれた方便があつて、信心を護つて下さるから差支ないと、まさに知るべし、といふのであります。つまり前に説いた大乗の法はまことにむづかしい、この法をはじめて学んで正しい行をしやうとしてもとても、駄目であるものは、如来に方便があつて、信心をまもつて下さるからといふのであります。  「謂以專意念仏因縁隨願得生他方仏土常見立於仏永離悪道」  そこで如来の方便があつて、かやうな意志の弱い人々を専ら如来が摂取してたすけられるのであるから、その如来の方便に帰命して、ただ一心に仏を念じるときは仏の国に往生することが出来る。さうして常に仏を見、長く悪道――悪道といふのは、俄鬼、畜生、地獄であります、それを離れる。  前に説かれた大乗の法はむづかしいから、要するに問題は、意を専らにして仏を念ずることであります、つまり大乗の修行をすることの出来ない力の弱いのに対して意を専らにして仏を念じろと、かういふのであります。  意を専らにして仏を念じるとはどういふことかといふと、つまり念仏であります。念仏といふことには浅い意味から深い意味まであります。文字のとほりでは仏を観念することであります。仏を思ふことであります。心のはたらきでありますから、その順序から申しますると、はじめは観相の念仏であります。観相の念仏とは仏の相を思ふ、仏の体から出て来る光明が十方に滿ちて居るとか、仏の慈悲とか、或は仏の徳を考へることが親相の念仏でありまして、これが念仏のはじめの階級であります。ところが深い念仏は法身の念仏であります。諸仏は一切の法に於て碣りなき自在なりといふ仏を念じる。もう一歩すすんで実相の念仏は、ありのままの相を念じる、つまり我々の分別の考へを除いてしまつた場合が実相の念仏であります。ここに申してある念仏はまあこの辺のところでありませう。  しかしながら、親鸞聖人の念仏はこれではなくして本願の念仏であります。本願の念仏は称名念仏であります。前に申した実相念仏に致しましても、法身念仏に致しましても観仏であります。仏を見るのであります。ところが本願の念仏は仏名を称へるのであります。只今普通に念仏と申すのはこの称名念仏であります。  「如修多羅説若人專念西方極樂世界阿弥陀仏所修善根廻向願求生彼世界即得往生常見仏故終無有退若観天彼仏真如法身常勤修習畢竟得生住正定故」  修多羅といふのはお経のことであります。お経に説くやうに、若し人が專ら西方極樂世界の阿弥陀仏を念じて行ふところの善根をさし向けて仏の世界に生れんことを願ひ求めれば、即ち仏の世界に生るることが出来る、さうして常に仏を見るが故に退くことがない、又彼の仏の真如の法身を観じて常につとめて修行すればつひに生れ得て正定に住する故にといふのであります。  「大乗起信論」は実に衆生に都合のよいやうに説いてあるのであります。いくら真如の内薫の力があつても外縁がなくては駄目である、内薫の力の足りない場合は外縁をつよくしなければならぬと申すのであります。自分一人では到底出来ぬことは明らかでありませう。どんな人でも、この法を学んで正信を願ひ求めるならば、自分の心の弱いといふことを感じなければならぬのであります。さうしてその内薫の力の弱いことを感じた場合には外の縁をつよくしなければならぬでありませう。  一生懸命に修行をしてとても出来ないといふことを自慢した人であれば、そこに仏の力があらはれるといふのでありませう。その自覚するのが即ち自分が自分をわるいと知るのは仏の力であります。自分ではとても自分のわるいことを知ることが出来ないといふのが仏の力であります。かういふことを宗教の言葉でいひあらはしたのは、親鸞聖人であります。「善人なほ往生すいはんや悪人をや」といふことを、普通の心持で考へますのは、宗教のことばを理解せぬからであります。理屈としましては誰でも修行の力によりまして信心を得ることは明らかであります。わるい心をやめればよい心になるでありませう。しかしながら、たとへば施といふこと一とつでも我々にはほんとうには出来ないのであります。戒でも忍耐でもすべてさうであります。それをやらなくてはいけないといふのは道徳であります。けれども実際にはさういふことは出来ないのでありまして、その自覚が強くなればなるほど如何ともすることが出来ないのであります。さうしてそれは仏の心が動いて居るのであります。自分の罪の深いことを歎くのは仏の心であります。それを見るのが仏を見るのであります。自分の心に仏の心のあらはれて来て居るのを見るのであります。不生不滅の心に真如が出て来るのを見るのであります。さういふときには仏と共に寝ね、仏と共に起き、といふのとおなじことでありませう。その仏を持つて居る人が宗教人であります。  「巳説修行信心分野次説勸修利益分如是摩訶衍諸仏秘蔵我巳総説」  すでに修行信心のことを説いたから、次には信心の利益のあることを示して人々にすすめやうといふのである。是の如く大乗の法は諸仏の秘蔵である、自分は巳に総て説いた、といふのであります。  「若有衆生欲於如来甚深境界得生正信遠離誹謗入大乗道当下持此論思量修習以究竟能至無上之道若人聞是法巳不生怯弱当知此人定紹仏種必腐諸仏之所授記仮使有人能化三千大千世界備中衆生令行十善不如有人於一食頃正思此法過前功徳一不可為喩復次若人受持此論観察修行若一日若一夜所有功徳無量無辺不可得説仮令十方一切諸仏各於無量無辺阿僧祇劫歎其功徳亦不能嘉何以故謂法性功徳無有尽故此人功徳亦復如是無有辺際有衆生於此論中毀謗不信所以獲罪報経無量劫受大苦悩是故衆生但応仰信不応毀謗以下深自害亦害他人断絶一切三賞之種以下一切如来皆依此法得涅槃故一切菩薩因之修行得入仏智故当知過去菩薩巳依此法得成濘信現在菩薩今依此法得成群信未来菩薩当依此法得成浄信是故衆生応勤修学」  「諸仏甚深広大義我今隨順総持説廻評此功徳空法性普利一切衆生界」  上の段で「大乗起信論」は説き了つたのでありますが、この最後の一段は、この法は非常に大切な諸仏の秘蔵であつて、一切の如来はこの法によつて涅槃を得、過去現在未来の一切の菩薩もこの法によつて浄信を成じ仏智に入るのであるから、恐れず惑はすこの法を信ずれば、必らず仏種を紹いで仏になることが出来る。それ故にもしこの法を信ぜず誘つたならば、自ら害し他人を害し、一切三寶の種を断絶することになるから、大罪を得ると云ふことを述べられたのであります。文章は読めば分りますから、これで「大乗起信論」のお話は畢ります。  菜根譚講話  本篇は、昭和十三年三月より同十四年七月まで、雑誌「精神文化」に掲載せられたるものである。  菜根譚  「菜根譚」は支那の明の代の洪自誠といふ学者が著はした書物ある。儒教と道教と仏教との思想をよく咀嚼し、これを自分のものとしたものを典麗の文章としたものである。その文句は断片的であるが、句句奇麗で、短い中に、人情の機微を穿ち、単刀直入的に道を説き、又言外に意を含めて含蓄の味が多く、全篇然く処世の訓とし、内観の姿とすべきものである。むかし支那の晋の代、今から凡そ二千六七百年前には老子の教即ち道教が盛に流行し、世間の座を厭ふて山林泉石の間を逍遙して俗を脱したるものが互に往来して談話を樂しむで居つた、これを清談と名づくるのである。唐の時代になりて詩文が盛になり、それから朱の代となりて儒学の徒が理義を談することが流行して仏教と道教とは排斥せられた。さうして清談は漸次に廢絶した。しかるに仏教は隋より唐に至りて大いに盛に行はれ、宋代になりては儒教の徒名仏教を学ぶものが多くなり、明の代に至りては仏教と道教と儒教との精華を探りて一種の文章を成したものがあらはるるに至つた。これが即ち清言と名づけられるものであるが、これは全く晋の時代に行はれたる清談と同じやうなものである。ただ清談は談話にして清言は文章であるのを異なれりとする。今この「菜根譚」は全くこの清言の一種に属するもので、その内容から見れば全く儒教と道教と仏教とが融合したものである。  菜根の語は宋の注信民といふ儒者が「人常に菜根を咬み得れば百事倣ふべし」と言ひたることに本づくものである。菜は野菜の菜、根は野菜の根、粗末なる食物を指すのである。人が若し大根や蕪のやうなまづい食物にて辛棒するだけの気慨があればどむなことでも出来るといふ意味である。宋の儒者の朱子は「小学」の外編の終にこれを挙げて大いにこれを賞談し「今の人は菜根を咬むこと能はず、因てその本心を失ふ」と言つて居る。今の人々は菜根を咬むことに堪えぬから、軽佻佻浮薄に流れ、目前の利益のみを追つて居る。まことにこれは自分の本心を失つて居るといはねばならぬ。  実際、「菜根譚」は著者自身の清苦歴練に本づき、これを自分の心の中に栽培して得たる結果を叙述したものでそれが人生の根抵に觸れ、現実の虚仮を看破したものである。それ故に、この書を読むときはその一語一語が直ちに銘々の内観の種となり、自分の醜い心に対して鐵槌が下されるやうな感じがする。ここに宗教の感情が自からにして発起する所以が存するのである。  道徳棲守  「道徳に棲守するものは一時に寂寞たり。権勢に依阿するものは萬古に凄涼たり。達人は物外の物を観、身後の身を思ふ。寧ろ一時の寂寞を受くるも萬古の凄涼を取ることなかれ。」  道徳を守りてそれを自家の棲家として安むじて居るのは往々世に用ひられずして貧困の中に一生を終ることがある。これ一時に寂寞たりといふべきである。道徳は仁義道徳と使ふ言葉にて、道は人の進むべき道である。  この道を進むときは、人間相互の関係が円滿に保たれ、自分にも他人にも損害や苦痛が無いのが徳である。他人にも又自分にも損害のないやうに謹慎して道を行ふのが棲守である。  さういふ人は、その生活はさびしいが、しかしその人格のひらめきは萬古に照り輝くのである。これに反して權成や勢力のあるものにおもねり、詔ふところの小人は所謂成功をなし、立身出世したにしてもそのとき限りで、徳澤が人に及びて居らぬから忽ち忘れられて其名も伝はらず、萬世の後に於ける其跡は荒獲して、まことに憐むべきものである。これ萬古に凄涼たりと言ふべきことである。  この道理に通達したる達人は、金錢や、財貨や、位階爵録などの眼前の物に目を著けず。眼前のものは消えてなくなるものであるから、その消えてなくなる物の外に千古に無くならぬ物に眼をつける。すなはち道徳である。  又現在の身に心をとめず、現在の身は早晩必ず死するものである。死むで無くなる身の外に萬世に無くならぬ身がある。それに心をとめて居るのが達人である。姓名徳業などの後世に伝はりて不朽なるものなどに心をとめることをいふのである。  しかるに、小人俗物はこの物外の物を見ず、身後の身を知らぬから、生前には富貴榮華を極むるも一代限にて消えてしまふ。君子達人は物外の物を見、身後の身を思ふから、生前は貧困でも萬世にその生命を保つて居る。この萬世不朽の生命を保つのが人の人たる所以である。たとひ一時の寂莫に遇ふてそれは決して丈夫の血とはならぬが、萬古の凄涼を取れば人に生れた甲斐がない。それ故にむしろ一時の寂寞を受くるも萬古の凄涼を取ることなかれといふのである。  かやうに、物外の物を観、身後の身を思はねばならぬと教へられるにつけても、我々が深くかへりみねばならぬことは自分は果してどういふものであるかといふことである。仏教の説によれば、世の中の一切のものはすべて真如からあらはれたものである。我々もまたその本は真如から出たものである。今この真如をば大生命として世界の中に満ちて居るものとすれば、我々の生命はその大生命の一部として銘々に世界の大生命を別所有して居るのである。さうして、我々が生命として居るところのものは、自分がさう自覚する間のことで、その自覚が生から死までの間の一生涯続くので、これを自分の生命と考へて居るのである。しかしながら、自分の小生命が世界の大生命の一部である以上、それは自分が自覚すると、せざるとに関せず、苟も一界の有らむ限り何処までも永久に継続して消滅することは無い筈である。たとへて言へば、我々の生命は曠劫のむかしから続いて居るところの一本の線として伝はつて居るものであるが、それを自覚するときと自覚せざるときとがある。生れてまだ間ない赤坊のときには生命を自覚せず、それより以前、母の胎内にあるときも無論自分の生命を自覚することはない。しかしながら生命の自覚をなすべき一本の線は有つたに相違ない。今現に我々が生きて居るといふことを自覚する場合はその一本の線が本となりて、その上にいろいろの精神のはたらきが起つて来るのを自分と知り、それによりて自分の生命といふべきものを自覚するのであるが、その自覚が無くなつたときはすなはち死むだのである。しかし死むだと言つてそれは生命の自覚が消えただけのことで、その生命の一本の線は決して消えて無くなるものではない。  そこで、このことを道徳的に考へればこれを業といひ、我々は業の相続をして居ると言うべきである。さうしてこの業の相続をするといふことは、これを言ひかへれば、人間として生れ、人間として生き、さうして人間として死ぬるといふことである。しからば我々は何が故にかやうに業の相続をするのであるか。それは恐らくは世界の大生命の一部としての我々が、世界の目的として、発展向上を期するがためであらう。いよいよ進むで円満の境地に至ることが世界の目的であるべく、我々人間はその世界の目的を自分の目的としていよいよ努力して円滿の境地に至ることを期すべきであらう。  その円滿の境地を指して仏とするならば我々は仏になるがために、この世に生まれ、さうして仏になるがためにはたらく。しかもそのはたらきが十分でないために仏に成ることが出来ぬので、生れかはり、死にかはり、人間となりてその業の相続をするのであると考へねばならぬのである。かういふ自分をかへり見れば、我々は一朝の榮躍榮華を求むるがためにこの世に生れたのではない。たとひ一旦の榮華が得られてもそれは一代限りのことである。身後の身はどこまでも人間として我々の自覚となるべきものであるから、我々は眼前の物に目をつけず、たとひ一時に寂莫たるも萬古に凄涼たるやうではならぬのである。  朴魯疎狂  「世を渉ること浅ければ点染も亦浅し。事を歴ること深ければ機械も亦深し。故に君子はその練達よりは朴魯に若かず、その曲謹よりは疎狂に若かず」  世を渉るとは世の中を経めぐることである。点染とは世の中の悪風にかぶれることである。世事になれず、浮世の風にあたつたことの比較的に少ないものは世の悪習に染むことが浅い。これに反して事件に出遇つたことが多く、すれからしになつたものは何事も機械が多い。機械とはカラクリのことで、權謀術策が多く、小材がきいて萬事に切れ味がよい。しかしながらさういふものは人柄が深酷である。それ故に君子は世事に通じて、少しも拔目のないのよりは、むしろ質朴で、つけかざりがなく、魯直ですなほな方がよい。曲謹とは曲は委曲、禮容のあること、謹は謹厚の意である。禮義でもあまりに遠慮深く、丁寧に過ぎるよりは疎狂と言つておほまかに、あつさりとした方がよいと言ふのである。  体儀作法をわきまへず、勝手次第に振舞ふ方が善いといふのではない。人に対しては相当の禮義を致すべきことは無論である。しかしながら、その鄭寧が度に過ぎ、辞退せずともよいところにも辞退し、却つて人に迷惑をかけるやうなことは善くない。「菜根譚」に載せてある他の語の中に  「むしろ渾?を守りて聰明を黜け、些の正気を留めて天地に還す。むしろ紛華を謝して、澹泊に甘んじ、個の清名を遺して乾坤に在り」  とあるが、これも同じ意味の言葉である。渾?といふのは朴略明直の義、朴訥にして外師のないことをいふ。むしろ朴訥を守り、利口なることを斥け、それで多少の正気を常に我身に留め置きて死ぬるときにこれを天地に還す。又むしろ目ざましく賑はしきことを拒絶して、あつさりと清潔なることに甘んじ、一個の清き名を死後に殘し天地に留めるがよい。世俗の所謂賢明なるよりは寧ろ愚直なるべく、世俗の所謂富裕なるよりは寧ろ清貧なるべく、生前は正気を存し、死後は永く清名を殘すべしと教へられるのである。  君子心事  「君子の心事は天青く日白く、人をして知らざらしむべからず。君子の才華は玉つつみ珠蔵るる、人をして知り易からしむべからず」  君子の心は公明正大にして青天白日の如く、少しもつつみ隠すことなく、かりそめにも、あの人はどんな心か、さつぱり分らぬといふやうに思はしてはならぬ。これに反して君子の才の美しいところは玉が石の中につつまれ、珠が沙の中に蔵れて居るやうに容易に人に知られないやうにして置かねばならぬ。人の心事がはつきりして居らねば自から陰険となり、人々は安心して交はらず、又その才華があらはれると、自からこれを衒ふものとせられて他から忌まれるものである。  しかるに、小人は心事の善くないところはなるべく人に知られぬやうに包み蔵し、才華の美しいところはなるべく人に知らさうとしてこれをほのめかすのである。たとひ心事の善くないことを人に知らさないやうにしやうと思ふても、それは隠しても隠しきれるものではない。それ故に青天白日の如く、誰に見せて裏も表もないやうな公明な心でなければならぬ。又君子の才華は玉つつみ珠蔵るるで、外から見えぬやうに、深くおさめて居るのが奥床しい。豊後の儒者の三浦梅園が「戯示学徒」の中に一学問は飯と心得べし、腹を満たすがためなり、掛物のやうに人に見せるためにあらず」といひ、又「学問は置き処によりて善し悪し分る。臍の下よし、鼻の先あし」と言つてあるが、いかにも学問は深く腹に貯へて自分のためにするものである。これを鼻の先きにぶら下げて人に見せるべきものではない。人の智恵才覚もその通ほりで、深くして自から衒ふやうなことがありてはならぬ。  君子はそれと交はりて親しめば親しむほど奥床しいものであるが、小人はこれに反して交はりて近づけば近づくほどいやな気のするのである。それは全くかやうな心事の如何によることである。  志行高潔  「勢利紛華は近づかざるものを潔となし、これに近づいて染まざるものを尤も潔とす。智械機巧は知らざるものを高しとなし、これを知りて用ひざるものを尤も高しとなす」  勢利とは權勢名利のことである。紛華とは物の多くして美しきことで豪奢と同じ意味である。富貴豪奢と權勢名利とは人の欲するところで、これに近づくことを望むことは人の常であるが、それは兎角人を俗化し、甚しきは行を汚し徳を損せしむるものである。それ故にそれに近づかぬのが潔白の人である。しかしながらそれは未だ至らざるもので、たとひそれに近づくとも、その悪風に染まぬのが一層すぐれて潔白である。  勢利紛華に染まぬやうにとこれを避けることは或は容易のことであらう。權勢を離れ紛華を避けてそれに染まざることは固より善いことであるにしても、さういふ場合、權勢に近づき紛華の中に入れば、すぐにそれに染むことであらう。悪風を避けてそれに染まぬことを固より貴ぶべきことであるとしても、悪風の中にありながら些もその悪風に染まぬことこそ更に一層貴ぶべきことであると言はねばならぬ。むかし支那の儒者に程明道と程伊川といふ兄弟が居つた。あるとき人の招待によりて兩人揃つて安會に赴いた。その席には我邦でいふ芸者のやうなものが侍つて宴席を周旋して居つた。弟の伊川はそれを面白く思はず、断然その席を辞して帰つた。兄の明道はその儘その席に居つて馳走になつた。翌朝弟の伊川は兄の明道を訪ねて、「昨夜ああいふ汚れた女が居つたのに何故に兄上はお帰りにならなかつたか」といふと、明道は「いや、昨夜の席にはさういふやうな女が居つたやうであるが、自分の心には居らなかつた。今は席にも居らぬのにまだお前の心に居るのか」と言つたと伝へられて居る。近づいてる染まない心境に至るのは真の潔白といふべきである。我国にもさういふ話がある。むかしある高僧が川を渡るにこまつて居つた妙齢の婦人を自から背に負て渡してやつた。後で隨從の弟子が「あなたは高徳の僧侶であるのに、なぜああいうことをせられるか」と言つた。高僧はそれに対して「お前の心にはまだ婦人を負て居るのか」と笑つたといふ。何れにしても物のために転ぜられて、物を使ふことの困難なる我々の心であるから、汚悪の境にありて汚悪に染まぬといふことは容易でない。  又よくないことを知らぬといふことも善いことには相違ないが、知ればよくないことをするかもわからぬ。それ故に知つてこれを用ひざるが更によいことであるとせねばならぬ。一例を挙げて言へば、我が親鸞聖人の教を奉ずるものは、日の吉凶、方角のことなどは一向に知らぬ、所譜門徒物知らずであるが、それが日の吉凶や方角のことなどを聞くと、すぐにそれを用あるのである。日といふものは人間が勝手につけた一定時間を区分したもので、その名前に吉凶の差別がある筈はない。自分の勝手で悪るければ悪るい、善ければ善いとするまでのことである。それをその日に吉凶がありとするのは、言ふまでもなく迷信である。方角も同じことである。円るい地球の表面にありて東といふ、西というも、その居るところからの方向を指すもので、決して一定したる位地を指示するものではない。東京より西の方といる大阪は神戸より言へば東である。それ故に大阪は西でもあり、又東でもある。さういふやうに、一定して居らぬ方向を指して東西などといふはただ便宜のためである。それに善悪などの差別のあるべき筈は決してない。それ故に、かやうな日の吉凶や方角のことなどを知らぬことは善いが、しかしそれを知つてこれを用ひざることが更に善いと言はねばならぬ。  智械機巧とは智慧によるからくり算段といふことで、權謀術数の意である。それは全く人を欺いて己を利するものであるから低級の心術である。それ故にそれを知らざるものが高尚である。所謂掛引のない人は気高いものである。しかしそれは少しも融通のきかぬ頑固一点張りでは仕方がない。これを知つて用ひぬのがすぐれて気高いのである。  何かの場合にあたりて、かうすれば善い、ああすれば出来るといふやうなことを知つて居つても、からくり算段をせず、自分を護りて智械機巧を離れるのが尤も気高い。自分の小さい智恵才覚を頼むでいろいろの權謀をなすことは宜しくない。奥田頼杖の「心学道の話」の中に、この智恵才覚のことを説いて居るが、それによると、人は一切の物にすぐれて結構なる智恵といふものを生れ得て居るがこの智恵を儒道にては良智、本智、大智といひ、仏法にては摩訶般若、仏智大同鏡智妙観察智といふ。これは神仏の智恵であるから、人と神仏とは何も還つたものではない。しかし人にはその骸の気のはたらく智恵の才といふものがあつて、本当の智恵はすべて一樣であるにも拘らず、才は種々で、たとへば智恵は旦那で、才は家来であるといひ、盗人が盗をする例を挙げて、「才の家来が我儘して智恵の旦那を押し込めるので実に小さかしい大馬鹿といふものじや。その訳は、そのものも始めからそのやうなことするを悪るい事と知らぬのではないのじや。智恵の旦那は悪るいことじやと知つてとめるに違ひはないが、才の家来が罷り出て、それはさうではあるけれども、止めてはこつちの勝手がわるい。そこをかうしてかうまげて、かういふところはこれでかくす。ああしたところはあれで黒めると、おのれが才気につかはれてつい本心の智恵をくらます。    智恵ありと思へる智恵にさへられてあはれまことの道をうしなふ 是等がみな、小賢しい大馬鹿じや」  かやうに説いて居る。  言ふまでなく智恵才覚は人間の精神作用の高等なるもので、これを除くことは出来ぬ。しかしながらその智恵才覚をたのみて、何事もこれによりて始末がつけられると考ふるところに大いなる誤が生ずるのである。  進徳修行の砥石  「耳中常に耳に逆ふの言を聞き、心中常に心に拂るの言を聞く。纔にこれ進徳修行的の砥石なり。若し言言耳を悦ばし、事事心を快くせば、便ち此生を把て鴆毒の中に埋在せむ」  平生耳に痛いやうな忠言のみを聞き、其上思ふが儘にならぬことが胸の中にあれば決して自堕落に流れるやうなことはない。それが徳を進め行を修むるの砥石となるのである。これに反して富貴榮華、心の儘になり、言ふことが耳を悦ばすやうなことで、為すことが心に快いといふやうであれば、この身を鴆毒の中に投げ入れると同じく、まことに痛ましいことである。  これと同じやうな意味のことが「菜根譚」の第百四十七章に載せてある。曰く  「己に反するものは事に觸れて皆薬石と成る。人を尤むるものは念を動かせば即ち是れ戈矛、一は以て衆善の路を開き、一は以て諸悪の源を溶くす。相去ること霄壊なり」  自己を反省する人は萬事に觸れて事々皆身を養ふ薬石となる。これに反して人を責むるものは、念を動かせば念々悉く身を傷ぶる矛戈となる。一方はますます善行をなすの益があり、一方は諸悪の源を深くし悪事を募らす。その利害の相距ること天と地との如くである。  「御一代聞書」に蓮如上人の言葉が挙げてある中に  「何ともして人になをされ候やうに心中を持つべし、我が心中をば同行の中へ打出してをくべし。下としたる人のいふことをば用ひずして必ず腹立するなり、あさましきことなり。ただ人になをさるるやうに心中を持つべき義に候」 とある。自分の悪しきことをば人に直されるやうに心がけねばならぬ。  「人のわろきことはよくよく見ゆるなり。我身のわろきことはおぼえざるものなり。我身に知られて、わろきことあらばよくよくわろければこそ身に知られ候と思ひて、心中を改むべし。ただ人のいふことをばよく信用すべし。我わろきことはおぼえざるものなるよし仰せられ候」  まことに自分の悪しきことは自分にはわからぬのが常であるから、人に直して貰ふやうにせねばならぬ。忠言は耳にさからへども行に利あり。良薬は口に苦けれども病に利のあるが常である。  「人の言ふことはただふかく用心すべきなり。これにつけてある人相互にあしきことを申すべしと契約候ひし処に、すなはち一人のあしきさまなると申しければ、我は左様に存ぜざれども人の申す間左様に候と申す。さればこの返答あしきとの事に候」  むかし支那の或人が殿の紂王を許したる言葉に「智は以て諫を拒ぐに足り、辨は以て非を飾るに足る」とあるが、凡そ国を亡ぼし、家を敗るほどの人は、一向愚昧なるにはあらず。諫を拒むほどの智慧がありて人の忠告するところを聴かず、自分の非を飾るほどの辨舌がありて当座を言ひぬけるのである。  要するに、多くの人々はすべて驕慢に引かれて知らず知らず人の諫を拒き己の非を飾るやうになるのである。我々が深く戒むべきことはこの驕慢の心である。  喜神  「疾風怒雨は禽鳥も戚々たり。霽日光風は草木も欣々たり。見るべし、天地に一日も和気なかるべからず。人心に一日も喜神なかるべからざるを」  暴風雨のときには禽獸も心配さうに憐れなる様をする。天気晴朗のときは草木も喜びて樂しさうに見える。して見ると、天地の間には一日も和気がなくてはならぬ。人の心の中にも常に樂しい心がなくてはならぬと知らねばならぬ。  心学の書物の中に栗の幾つかを食ふた話が載せてある。一方はその栗の甘い方から食ひ始めたので、そのすべてが甘いといふ言葉にて言ひあらはされた。これに反して一方はまづい方から食ひ初めたのですべてがまづいといふ言葉にて言ひあらはされた。同じものを同じやうに食ふても一方はすべてを甘いといひ、一方はまづいといふ。されば甘いと喜ぶ心も、まづいと喜ばぬ心も全く同じ心であると言はねばならぬ。  「二狂談」といふ書物に愚痴の婆さむの話が載せてある。それはその婆さむが兄弟二人の子を持つて居り、兄の方は下駄屋で弟の方は草履屋を営むで居つた。そこでその婆さむは雨の降る日には弟の草履が賣れぬことを心配し、天気のよい日には兄の下駄が賣れぬことを心配し、毎日毎日ただ心配のみして暮して居つた。そこで或人が婆さむの無智を戒め、天気のよい日には弟の草履が賣れることを喜び、雨天には兄の下駄が賣れることを喜ぶべきことを教へたとある。  喜神のある人であれば、日が照れば好い天気と喜び、雨が降ればよいおしめりと喜ぶ。若し喜神がないものであれば日が照れば暑いと苦情をいひ、雨が降れば欝陶しくて仕方がないと歎くのである。  喜神のない人は物の蔭の方面を見て苦情を言い、喜神のある人はこれに反して物の表面の明るい方を見て何事にも善意の解釈をすることが出来るのである。「安心よろこび草」に  「今生の善悪を過去の宿業とかたづけ、往生の大事は如来の御うけ前と任せたれば、今生につけ、後生につけ、何か一とつ心にかかる曇なし。胸の内のあつかひふつとやみてひまになりたれば、あけくれ御たすけの御恩をたふとび、よろこぶより外なきなり。これを蓮如上人は安心とは心のはて場なり。兎角はからひなきが有無を離れたるなりと仰せられたり。はて場とは相撲芝居のはて場の如く、太鼓の鳴るを聞きて、相撲がはてた、芝居がはてたといふなり。今も亦しかなり。無始より以来、出離を欣求し、習ひつる自力迷情の長芝居の果くちが口にあらはれて御たすけの御恩ありがたや、南無阿弥陀仏」  かやうな宗教の心があらはるれば、常にその人に喜神があらはれて和気藹藹たるやうになる。かやうにして人人の生活は極めて安樂なることを得るのである。  至人是常  「?肥辛甘は真味にあらず、真味はただこれ淡。神奇卓異は至人にあらず、至人はただこれ常」  酒の濃きこと、肉の肥えたること、蕃椒の如くに辛きこと、砂糖の如くに甘きことは、真の味とすべきものではない。真の味は淡泊にしてたとへば米飯の如く特別の味なくしてしかも厭くことのないのが味の極致である。これと同じく世間並にはづれて奇異のこと多きは至人にあらず、道に達したる至人の真なるものは世間並である。格別の特徴なく、完全円滿に発達したもので、つまり至人は大なる凡人である。親鸞聖人が煩悩具足の凡夫たることの自覚の上に、多くの愚痴の人々と共に念仏して極めて平穩晏然たる生活を遂げられたことは決して常人を超越したる聖者としての態度ではなかつた。固より高処に居て人を教ふるやうな所作は毛頭なかつた。その言はれるところにも又その行はれるところにも常人に比して相異するところは認められなかつた。僧侶と名づくる特別の階級に居る身分とも考へられなかつた。非僧非俗を標榜し、愚禿と名乗られたことも敢て奇異をてらはれたのでなく、当時の仏教者の態度に反して深く自己の内部を省みられたためであつた。何と言つてもただ至大なる凡人であるといふことが認められるところに親鸞聖人の真価が存するのである。  天地寂然・受用・心神養得  「天地は寂然として動かず。しかも気機息むことなく、停まること少なし、日月は晝夜に奔馳し、しかも貞明は萬古にかはらず。故に君子は闔桙ノ喫緊的の心思あることを要し、忙処に悠闢Iの趣味あることを要す」  天地は常に寂然として動かぬものであるが、その不動の中の天地の気は始終活動して少しも休息することはない。気機とあるは気は陰陽の二気、機はその活動を指して言ふ。天地は寂然として、一寸見たるところでは、少しも動かぬやうであるが、陰陽二気の消長は休むことなく、停まることなく、常に一定の規律に従つて働いて居るのである。日と月とは晝夜その軌道を走りて少し遅滞することなく、日が入れば月が出で、月が沈めば日が昇るといふやうに少しもじつとして居ない。さうしてその日月の光明は始終同じやうに輝いて萬古少しもかはらぬ。貞明の貞は女子がその操を守つて、始終かはらぬといふ文字であるが、ここでは日月の光明が萬古にわたりて何時もかはることがないといふのである。  自然に対して此の如き態度を取ることは東洋の思想の特徴で、天地が人間を生みて育てて呉れるので、自然は人間の父母であるから自然に親しみ、自然を愛し、又自然に学ぶのである。かういふ所から天地自然の道はすなはち人間の道であるといふことが考へられる「山の色溪のひびきもみなながら我が釈迦牟尼の声と姿と」といふ古歌も明かにこの事を示したもので、山の色も川の響きを皆釈迦牟尼仏のあらはれで、ここに自然の説法があるとまで考へられるのである。  かやうに自然界の様子を見て、静中に動あり動中に静あり。動静の一方に偏せず。動靜二つながら兼てその作用を調摂して行くのが宇宙の根本の法則であることを知れば、そこに天地日月の妙があるので、人間もこれを手本として行かねばならぬ。しかるに、小人は闔Uの時には何事もなさずして遊び放題、繁忙の時には月も花も其虎退けという有様である。これに反して、君子は天地は寂然として不動である、しかも気機は始終活動して少しも休息することがないといふことから割出して工夫をなし、闔Uなるときにも自堕落に身を持ち崩さず、火急の変に応ずるだけの心がけがあることを要する。又忙しいときでも除裕綽々として外境のために転倒狼狽せぬことを要するのである。  これと同じやうな意味を有する言葉が「菜根譚」の中の外の処に挙げてある。すなはち第八十五章に  「闥に放過せざれば忙処に受用あり。靜中に落空せざれば動処に受用あり。暗中に欺隠せざれば、明処に受用あり」  とある。受用といふのは他に応じてなすところの活用で、対他的の行動を指すのである。閑暇無事のときにも空しく遊び暮すことなく、用意して置けば他日繁忙のときに臨みて自由に働くことが出来る。暗い処は見えぬからと言つて人を欺き己れが悪事をかくすやうなことを為さず、常に公明正大であれば他日光明の場所に臨みて自由にはたらくことが出来るのである。  放過とは空しく過ごすことをいい、落空とは心の活動がやみて枯木死灰のやうになることをいふ。暗中とは人の見ない処、明処とは白日青天に千人萬人の中に立つときをいふ。闔Uのときに空寂無心にして枯木寒灰の如くならず、常に活動的の転機があれば、事あるときに臨みて少しも騒がず、自在の動が出来るのである。夜中自分独り居るときなど、人が見ないから人には知れまいと思ふて内、己を欺き、外、人を欺き、正しからぬことをして人に隠して置くやうなことをすれば、何時かは路顕して人前で恥をかくことがある。それ故に人間は独を慎しむことが大切であるといふことに帰著するのである。  又「菜根譚」第百七十五章に  「無事の時は心昏冥なり易し。宜しく寂々として照らすに惺々を以てすべし。事あるの時は心、奔逸し易し。宜しく惺々として主とするに寂々を以てすべし」  無事で、ひまなるときは心が沈み込むで、くらくなり易いものである。かういふ場合には宜しく寂々と、ものしづかに気を落ちつけて、はつきりと心を持つて居らねばならぬ。若しさうでないと、心が昏冥となりて、事の起つたときに敏捷にこれを処置することが出来ぬ。又多事で忙しいときには心が荒れ馬のやうに奔り出で易いものである。それ故に、心をはつきりと持つて、じつと物静かにして居らねばならぬ。若しさうでないときにはうろたへ、あはてて事を仕損ずるものである。つまるところ、靜中にありて動を忘れず、動中にありて静を失はぬことが大切であると示されるのである。  「忙裡に閧偸まんと要せば須らく先づ闔桙ノ向つて個の?柄を討ぬべし。閙中に靜を取らんと要せば須らく先づ靜処より個の主宰を立つべし。然らざれば未だ境に因りて遷り、事に隨て靡かざるものあらず」  これは「菜根譚」第百八十草に出でたる言葉である。世話しく忙しい中にありて、無理にも閑暇を求めやうと思ふならば、先づ閑暇のときにそのつかまへどころを尋ねて行かねばならぬ。?柄とは刀のつかのことであるが、ここではつかまへどころというほどの意味である。平常無事のときにしつかりとした心の置処を立てて置かねばならぬ。又喧騒の中にありて静寂の境界を取らうとするには先づ静寂の処に居る中に、萬物を支配する主宰を立てて置かねばならぬ。すなはち自己の心をしつかりとして萬物の主宰たるべき位置に立てて置かねばならぬ。若しさうでないときには境遇によりて心が遷り事件に随つて身が靡くことを免れないのである。平成多忙に苦しみ、且つ事務多端のために心が落ちつかぬやうな俗物はこの言葉に鑑みて、闔桙ノ心を修養して置くことが肝要である。  「菜根譚」後集の第二十六章に  「忙処に性を乱さざらんとせば、須く闖に心神を養ひ得て清かるべし。死時に心を動かざらんとせば、須らく生時に事物を看得て破るベし」  多事繁忙で目が廻るといふやうなときに、少し本性を乱さず、悠然として事を成するやうにするには、不生濶ノのときに精神を修養して十分に清浄潔白にして置かねばならぬ。又今や死せんとするときに臨み本性が動乱せぬやうにしやうとしてもそれは出来ることでない。若し死に臨みで毫も本心を動かさず、従容として死に就くやうにするには、生存中に事物の真相を十分に看破して置かねばならぬ。しかるに、世人の多くは不生無事のときは放逸に暮して、少しも精神の修養をせぬがために一朝事あればその心が動乱することを免れぬのである。  今日は非常時といはれて居り、実際非常時として專ら心を修むることを必要とするのであるが、しかもこの非常時に対応して行くといふことには平生の用意を第一とするのである。平生の覚悟が無くて、ただ非常時であると騒いだとても何の役にも立たぬことであらう。  独坐観心  「夜深く、人靜かなるとき、独り坐して心を観ずれば、はじめて安窮まりて又ひとり露はるるを覚え、毎に此中に於て大機趣を得む。すでに真現じて妄の逃れ難きを覚ゆれば、又此中に於て大慚忸を得む」  夜半に及びて人も寝靜まり世間の物音もしづまりかへつて、萬福寂として声なしといふやうなときに、独り坐して心を観ずるとき、始めて妄心が尽きて真心が独り露はれる。独り一室の中に静坐して、内省を深くし、客観的に自分の心を観察するときに、始めて浮世の事に関する熱望よりあらはれるところの種々の妄想がその跡をおさめて、天より受けたる本然の心があらはれて来るやうな心持がするのである。  凡夫には真心と妄心との二種がある。真心とは清潔白なるもので、仏の心と同じやうなものである。妄心とは見聞覚知するところの事物に対して妄動するところの心である。この妄心は対応するところの事物によりて常に移動して少しも定らぬものであるから妄心と言はれるのである。たとへて言へば真心は天上の明月の如く、妄心は雲霧の如きものである。雲霧が大空に横はつて居れば明月の光はあらはれないで、天地は真暗であるが、雲霧が晴るれば明月は皓々として清光を放つものである。丁度それと同じく凡夫は妄心のためにその心が蔽はれて居るから仏のやうに光明を放つことは出来ず、外界の事物に対して常に妄心が動くのである。  朝から晩まで世の中には種々の事物に接する、その度毎に妄心が起りて、喜ぶこともあり、哀しむこともあり、或は苦痛を感じ、或は愉悦を覚え、或は種々の事を心配したりするのである。しかるに夜が深けて人も世も靜かになりたるとき、一室の内に独り坐して自分の心をかへり見れば、晝の中にさまざまと起りたる妄心は消えて、今迄隱れて居つた真心があらはれて来る。この境界に到れば晝の中の煩悶にひきかへて何ともいふことの出来ぬ靈妙の趣味を感ずる。これを毎に此中に於て大機趣を得るといふのである。  既に真心があらはれて来ればこれまでの妄心の相がいよいよ明かになりて種々さまざまに煩悶して居つたことがいかに愧かしく感ぜられる。此中に於て大慚忸を得るといふ境地に達するのである。  かやうな精神の修養が熟したることを仏教にては見性悟道といふのである。上段にこれをわかり易くたとへて真心とは明月と雲霧とのやうなものであると言つたが、しかし本来から言へば、真心と妄心とは兩者全く相異なれるものでなく、その外形は異なれども本性の相同じきことは水と波とに同じやうである。平時の水面は澄みたたへて鏡の如くであるが、一朝暴風の起つたときは怒浪が競ひ起りて大船も微塵にくだけてしまう。その外観は全く別物の如くであるが、しかしながら水を離れて波なく、波の外に水があるのではない。それと同じく、真心を離れて妄心なく、妄心を除きて真心があるのではない。この道理を悟りて、自分の心の広大無辺にして宇宙の原理を備へて居ることを知り、大悟徹底の活機に觸るることが出来るのである。 第百五十章に  「水波立たざれば則ち自ら定まる。鑑は翳はざれば則ち自ら明なり。故に心は淨くすべきなし。そのこれを混ごらすものを去つて而して清自ら現はる。樂は必ずしも尋ねず、その之を苦しむるものを去つて而して樂自から存す」とあるのもここに挙げたる言葉と同一の精神であると言はねばならぬ。  波が立たざれば水は自から定まるのである。波が立ちて水が動くのも、波が無くして水が定まるのも、風が有ると無いのとによるものである。鏡は自から明なるものであるが、翳はるれば雲るのである。翳はれて明を失ふのであるから、翳はれざれば、自から明なるのである。鏡が明を失ふのも翳はれたので、その本来の明は失はれるのではない。それと同じやうに我々人間の心も、それを濁らすものがあるので、清かにないのである。その濁らすものを除くときは、清かなることは自から現はれるのである。  煩悩は我々の心を濁らすものである。この煩悩を除き去れば我々の心は自から清かとなるものである。しかしながら、それは理論として当然のことで、実際には煩悩と真心とは本と同一のもので、決して別々のものではないから、煩悩を除けば其心も無くなるのである。それ故にその濁すものを除くといふことも、それをその儘に見ることによりてその価値を無くすることによりて始めて真心に到達することが出来るのである。ここに道徳の意味を離れて宗教の心のはたらきがあらはれるのである。  得意と不遇  「恩裡由来害を生ず、故に快意のとき須らく早く首を回らすべし。敗後或は反て功を成す、故に拂心の処、便ち手を放つこと莫れ」  恩裡とは人から寵愛を蒙むり、恩恵を受けて居る内のことである。かやうに恩恵を受けて居る間は意の快きものである。しかし福と禍とは必ず表裏になつて居るもので、寵愛して呉れる人がどうかすると、これほどに目をかけてやつてゐるのに彼は忠勤を尽さぬと思ふことが起り、又は同輩の中に、彼ばかりが恩寵を擅《ほしいまま》にして居るのは癪にさわると思ふ心から、有りもせぬことを虚構して諌言などをするによりて、主人又は上位に居る人がそれを用いるとひどい目に遭ふことがある。恩理由来害を生ずるとはこのことである。  これ故に快意の時に早く首を廻らす。得意の折に早く引退するがよいといふのである。又失敗は不快であるが、しかしながら一たび失敗したる後はよく思案すれば、以前の失敗が善い経驗となり、却つて成功を致すことがある。それ故に失敗して心に拂るやうなことがあつて、不快を感ずるときにも、決して短気を起してその事に手をはなして止めて仕舞つてはならぬ、一層の勇気を奮つて進むときは必ず成功する。  すべての事が思ふやうにならぬと歎くのは畢竟自分の心を強く見るからである。それ故に若しそれが思ふやうにならぬときに失望するのである。我々にして若し真に自分の謗劣であるといふことを知れば、思ふことが成らずとして落膽することなく、いよいよ奮励してその事に從ふことにつとむべき筈である。  志採気節  「藜口?腸のものは氷清玉潔多し、袞衣玉食のものは婢膝奴顔を甘んず。蓋し志は澹泊を以て明かに、而して節は肥甘より喪ふ也」  藜アカザ、?はヒュ、和物、浸物、葵物などにするが、あまりうまいものではない。衰衣は君王の衣服、玉食は結構なる食物である。藜の浸物にて舌打をなし、真の吸物にて腸をふくらして居るものは飲食は粗末でも其心は清浄で、氷の玲瓏なるが如く、その志は潔白にして玉の咬璧なるが如くに、立派なる人物が多い。  これに反して美服に身をかざり、美食に腹を肥して居るものに婢膝奴顔のものが多い。それは婢が常に膝をついて主婦の前に頭を下げ、奴がいつも顔を和らげて主人に追從するやうな、みだりに人の髭の塵を拂ひ、ただこれ名利を求むることに汲々として、その根性の下劣なるものが多い。  それはどういふわけであるかといふに、人の志操は、澹泊にして名聞利養を求むる心がなければ、他人に対して無暗に頭を下げ、膝を屈し、追從これ事とすることが無いから自然に氷の如く清く玉の如く潔である。それ故に志は澹泊を以て明かなりといふ。しかるに名聞利養を求むる心があれば人に対して媚びねばならず、追従してその意をむかへねばならぬ。丈夫の気節はそれによりて無くなりて仕舞ふ。それ故に節は肥甘より喪ふといふ。美衣美食を求むるの念があれば気節はどうしても無くなるのである。清貧に安んずる人はその志操が澹泊で、名利を求むるの念がなく、気節は凛然として威武もこれを屈すること能はず、富貴もこれを淫すること能はずといふ勢である。  身後的恩澤  「面前的の田地は放ち得て寛きを要す、人をして不平の欺なからしむ。身後的の恵澤は流し得て久しきを要す、人をして不匱の思あらしむ」  面前とは眼前と同じことである。田地は百穀を造り出すところ、心も種々の事を作り出すから田地に譬へたのである。面前的の田地とは生前の心地といふほどの意味である。此世に生存して居る間は心を寛大に開け放ちて賢も愚も誰も彼も嫌なく包容するやうにすべきである。さうすれば人をして不平の歎を起さしめることが無い。  身後的の恩澤とは生前に施して置いて死後まで得るところの恩徳である。この恩徳はなるべく後世に長く伝はるやうにすべきである。さうして置けば人をして不匱の思ひあらしめる。不匱とは十分なることで、詩経に孝子不匱とある。不匱はとぼしからずといふことである。凡そ人に恩恵を施すにも種々の別がありて、金銭や物品などを恵んで遣るのも固より恩恵であるが、これを恵みやう、遣りやうによりては只眼前の利益となるのみで永久の利益とはならぬ、又自から求むる心がありて為したる恩恵は小恵にして君子の為さざるところである。  かやうな恩恵でなく、なるべく永久に傅はるやうな恩恵を施すべきである。さうすれば人々が何時までもそれによりて幸福を受けて匱しからず、不足の思を起すことが無い。  謙譲  「径路窄き処は一歩を留めて人に与へて行かしめ、滋味濃的は三分を減じて人に嗜を讓る。これは是れ世を渉る一の極安樂法なり」  径路とは田畠の間の小さい路である。道のせまい処は二人併びて通ほることは困難である。無理に併びて通ほると危険である。それ故に自分は踏み止まりて人を通ほすことが大切である。又味のよい食物は自分のたべるのを十分の三ほどを減し人の嗜むに譲るやうにする。これが世間を渉るにつきて安樂の法である。  これと同じやうな話が「菜根譚」の第十七節に出て居る。すなはち  「世に処するには一歩を讓るを高しと為す、退歩は即ち進歩的の張本たり。人を待つに寛なること一分、これ人を福利するもの、実は利己的の根基なり」  世間を渉るのに、一歩を譲ることは高い。一寸考へれば退歩のやうであるが、実は進歩の張本である。張本とは足場といふことで、まへおき、伏線、予め後来の地をなすといふ意味である。我れ争へば人も亦争ふ。さうして千たび争ふと雖も一も得るところは無い。我れ讓れば人も亦讓る、千たび渉ると雖も一を失はず。「易経」に「天は盈つるを欠いで讓るに益す」とある。人を押しのけても自分が先に進みて人の分まで横取するやうなことをすると一時は自分の利益になりても何時かは不利益となる。他の人を押しのけて自分のみが進むで行くのは結局自分のためにもよくないから、ヘり下りて人に一歩を譲るのがよいと説くのである。  この教は儒教のみでなく、道教にも同じやうに説かれて居る。老子は慈と倹と譲と、この三つのものを三寶と名づけて居る。いつくしむ、つつましく倹約してでしやばらぬことが大切であると説かれて居るのである。世に慮するといふことは世間をわたることで渡世即ち生活をして行く上には謙譲を徳としてこれを遵奉することが大切であると説かれるのである。言ふまでもなく、我々人間は社會的生活をなして居るものであるから、自分のためはすなはち人のためであるといふことを考へねばならぬのである。我邦にて儒教が通俗化せられて公衆的教育として專ら行はれたるものは所謂石門心学であるが、これにも謙譲の徳が説かれて居る。「心学道の話」の中に次のやうに通俗的説明がある。  「惣じて、世界の交りは、相たがひに力をつくして、助け合はねばならぬ世界ゆゑ、人といふ字を御らうじませ。相互に、すがり合ふて立つた文字じや。其心を読むだ古歌に   晝間より友よばう声のあはれなる巳のみやはあさる雁がね賣人は買人の御蔭でたすかり、買人は賣人の御かげでたすかり、かね持は貧乏人の御かげでたすかり、道中の雲助は、毎日駕籠を昇いで足のよわい旅人をたすけるゆゑ、また足のよわい旅人は、駕籠に乗つて足の達者な雲助をたすける。旅籠屋は御客をたすけ、お客ははたごやをたすけ、按摩取は足痛をたすけ、足痛は按摩とりをたすける。なんとおもしろい世界じやないか。   木の実をば猿に喰せて猿にまた此身喰はせて貰ふ猿引  さう見ると、此世界に、どうしても、我一人立たうといふことは出来ぬゆゑ、孔子様も、夫、仁者は、おのれ立たんことを欲すれば、人を立つ、おのれ達せんことを欲すれば人を達す。能近く譬を取るを、仁の方といふべきのみ、と御弟子の子貢へ、御しめしなされました。世の交りは、何事も我身のうへを規矩にして、人の身のうへをおもひやり、どうぞ人のためになるやう、世界のためになるやうにと、精出して、人をたすける事をするがよい。さうさへすれば、いつの間にやら、我もちやんと助つて居る。それを、たとへていふて見ると渡守のやうなもので、多くの人を、むかふの岸へ、渡す渡すとおもふうちに、いつの間にやら、我もちやんと渡つて居る。なんとようしたものじやないか。さういふ、ありがたい菩薩世界へ生れながら、人を突倒しても、金を仕てやらうの、世界の妨げして居ながら、我一人助からうのとおもふは、チト尾籠なたとへじやけれど、結構な茶の湯の席へ呼ばれて、床に珍らしい古筆の掛物をかけ、墟にはよい香ひの煮物して、扱、行儀正しう茶の手前でもある所で、大きな屁を放るやうなものゆゑ、後には、誰も相人にするものはないやうになる。それじやによりて、昔から諺にもいふとほり、人を呪咀ば穴二つで、人に損でもかける気がおこつたら、わが損することを思ふがよし。人を陷す気がおこつたら、我身の陷ちることを思ふがよい。」  これは謙譲の徳が人間の生活の上に極めて大切のものであるといふことを説いたのである。しかしながらかやうな意味の謙譲の心は、驕慢なる自分の心を抑へつけて他の下に立たしめるところの道徳である。自分の驕慢なる心を抑へつけて他の下に立たしめることは努力を要するものである。曹洞宗の開祖の道元禅師は「愚人謂らく、利他を先とすれば自らの利そがぬべしと、然かにはあらざるなり、利行は一法なり、普ねく自他を利するなり」と説いて居られるが、宗教の心の上から言へば、固より利行は一法である。自分を利することと他を利することは同一である。仏の法を行ずることによりて自利・利他の效果があらはれるのである。さうして、それには道徳的の謙譲の心でなく、宗教的の謙譲の心があらはれることによりて始めてその目的が達せられるのである。宗教的の謙虚の心とは我々が執著するところの「我」といふものが無くなりて、如来の法のままに自分の心がはたらくのをいふのである。  かういふ宗教的の謙虚の心があらはれて、初めて我々はみだりに人と争はず、かべてを人に譲りて、しかも自身には一とつをも失うことのなき境地に住することが出来るのである。  矜と悔  「世を蓋ふの功労や一個の矜の字に当り得ず。天に弥るの罪過ち一個の悔の字に当り得ず」  将軍ならば敵国を撃ち亡ぼして、天下を平かにしたとか、宰相ならば君主を助けて海内を統一したとかといふやうに、一世を蓋ひかぶせるやうな大功労をした人でも、これは自己一人の力でしたものであると、自慢する心が起ればその功労は忽ちにして消ゆるものである。それ故に、一個の矜の字に当ることが出来ぬといふ。国家総体の上に大功労をなしてもたつた一字の衿の字には敵することが出来ぬ。それは何故かといふに一世を蓋るほどの功労でも決して一人の力で出来るものでなく、一将功成りて萬骨枯るといふ古語がある通ほりで、如何なる英雄豪傑でも決して一人の力で出来るのではない。しかるにそれを自分一人の力で為したと思ふ自慢の心が起れば萬人の怨を受け、それまで受けて居つた尊敬も忽ちに消えてしまふのである。それ故に自慢は成功の禁物である。  右のやうな次第であるから、人は世を蓋ふやうな大功を立てても決してこれに矜ることなく、謙譲の徳を全ふすることをつとめねばならぬ。  天に弥るの罪過、尋常一様でない大罪を犯して、一旦慚愧して実にすまぬことをした、これからは如何なることがありても再び犯すまいと後悔するときは、それほどの大罪も忽ちに消えてしまふ。これを一個の悔の字に当ることが出来ぬといふのである。「雑阿含経」四十七巻に「世に二つの妙法ありて、間を擁護す。慚と愧となり、若しこの二法なくんば世に父母、兄弟、妻子、知識、師長、尊卑を別たず、転倒し、渾乱して畜生の如くならん」とあるが、「大般涅槃経」に耆婆が阿奢世王に向つて言つた言葉を挙げて「大王よ、諸仏世尊は常に仰せられます。二つの善法がありて衆生を救ふ。一とつは慚、一とつは愧である。慚とは自分で再び罪を造らぬやうにする心、愧とは他人をして再び罪を造らぬやうにする心である。又慚は自から内心に省みて恥づる心であり、愧はその心が外に露はれて他人に対して愧づることである。又慚とは人前を恥ぢ、愧とは天に恥づる心である。その慚愧の心なき人は人でなくして畜生である。慚愧の心がありて始めてよく父母師匠を敬ふ心も起り、兄弟姉妹の秩序が結ばれるのである」と言つてある。要するに慚愧は罪過の終である。悔の一字は悪を消すために非常の力を有するものであるとせられるのである。  独り任ぜず  「完名美節は宜しく独り任ずべからず。些を分ちて人に与へ以て害を遠ざけ身を全ふすべし。辱行汚名は宜しく全く推すべからず。些を引て己に帰し、以て光を韜み徳を養ふべし」  完名美節とは完全なる名譽、立派なる手柄である。一点の?ない完全の名譽や、立派なる手柄は決して自分一人で成し得らるべきものではない。必ず自分の股肱腹心となりて働いて呉れるものがありて始めて成し得らるるものであるから、その名譽手柄には自分一人で任じてはならぬ。若し自分一人でこれを得やうとするときは必ず腹心股肱として働くものが不平の心を起し、遂に此方を怨みて害をするやうになる。それ故に我一人にてこれを引き受けましてその一二分を分けて他人に与へるやうにするがよい。さうすれば謙譲の徳が愈々明かにして他の嫉妬を受けることなく、他人の迫害を遠ざかつて一生無事にその身を終ることが出来る。  恥となる醜行や、汚はしき悪名も十が十まで他人に推しかぶせず、たとひ自分に関係がなかつたにしても一二分はこれを引き受けて同じく恥を受け責を分つがよい。さうすれば、才徳を包み蔵して人の目にも立たず、且つそれがいよいよ道徳を修養する機會となりて決して損の無いことである。若しこれに反して自分一人が善いものとなり、辱行汚名を全部、他人に塗りつけて仕舞へば、そのときは善いやうであるが、後になりて思ひもよらぬ禍を受けることがある。それ故に、その辱行汚名の幾分を自分に引き受けて、さうして一時自分の光明をつつみかくし、道徳を修養するがよい。さうすればその時は世人から悪みそしられても、後になりて自分の徳光が一層明かになりて益々尊敬せられるやうになるのである。  真仏真道  「家庭に個の真仏あり、日用に種の真道あり、人よく誠心、和気、愉色、婉言、父母兄弟の間をして形骸兩ながら釈け、意気交も流れしめば調息歡心に勝ること萬倍なり」  家内中の心が誠で、気が和らいで、常ににこやかな顔、やさしい語で、父母兄弟が互に思ひやりを深くし、其間にすこしの立て隔てなく、人々形骸がとけ合い、個々気合が打ち揃て年中樂しく暮すことが出来れば、即ちこれ真の仏が家庭に有り、真の道が日々の生活に存するのである。かやうな仏が家庭にあり、かやうな道が日常に存して居れば、坐禅して息を調へ、心を鎮めるなどの工夫をなすには及ばぬといふのである。。  元来、仏教にて仏と称するものは無上正偏智を獲得したる心境を指して言ふのである。所謂覚者が仏であるから、さういふ心境に達するには、必しも坐禅をして息を調へ、心を観ずるなど、種々の工夫を積むことを要せず、若し明かに自分の心の相を観ることが出来たならば、誰人にも仏の心は感知せられるのである。さうして此の如くにして仏の心を感知したるものの心は誠で、気が和らぎ、常ににこやかな顔とやさしい語とで、人々が互に思ひやり、一同打ち揃ふて年中樂しく暮して行くことが出来るのである。それ故にかやうに内観して宗教の心をあらはすことは調息や観心などのやうな修行をするよりもその効果は萬倍ほどよいといふのである。  意見と聴明  「利欲は未だ尽く心を害せず、意見は乃ち心を害するの?賊なり。声色未だ必しも道を障へず、聴明乃ち道を障ふるの藩屏なり」  名聞利養の欲心は道を障害するものに相違ないが、しかしながらそれは生きとし生けるものが皆持つて居るもので自分一人にのみ限つたものでなく、又一概に悪るいとはいはれぬのである。意見とはその人一個に限つた心的傾向で、学問の修行が積もりて思慮分別の深いものが持つて居るところの正智正見でなく、その人が有するところの一種の見解で、しかもこの見解を有して居るものは自からこれを無上のものと心得て、萬事をこの見解に基いて処理しやうとするのであるから、それは自己の心を害し延いて他のものを惑はすものである。それ故に意見は心を害するもの、?賊なりといふ。?は稲の根を食ひ枯らす虫で、?賊の二字は人の心を根本から害するものであるといふ意味をあらはすのである。  声色とは好い声、美しい色といふ意味で、すなはち女色のことである。女色はよいものでないが、しかしながら必しも道に入るの障となるのではない。それよりも明といふのが道を障へるところの藩屏である。藩とは?のこと、屏は門の蔽ひで、共に外のものを内へ入れぬやうに防ぐものであるから、この二字は人の道に入ることを防ぐところの大なる障碍物であるといふことに用ひたのである。声色即ち男女相慕ふは人情で、さほど摂るべきものではないが、しかるに聡明といふものは、仏教にて言ふところの我見の一種で、天下に我よりすぐれたるものは無いといふやうな考へをあらはして、人の道に入ることを妨げる藩屏である。これは世の人が利欲と声色とは一概に善くないもので、これを断ぜざれば道に入ることが出来ぬやうに思ひ、又意見と聡明とは善いもので、これが無ければ道に入ることは出来ぬやうに考へるのが大いに誤であるといふことを説いたのである。  施恩  「恩を施すものは内、己れを見ず、外、人を見ざれば、即ち斗粟も萬鍾の恵に当るべし。物を利するもの、己の施を計り、人の報を責むれば、百鑑と雖も一文の功を成じ難し」  恩を施すものが、内に自分が施すといふ念なく、外に人がその施を受けるといふ念なく、全く自他の見を離れ、人我の相を見ずして施すときは、その善根は広く法界に行き渡るのであるから、僅に一斗の栗を施する萬鍾の恵に相当する。鍾とは量の名で、六餅四斗、八解乃至十解をいふ。これに反して物を利濟するものにして、自分がこれはどの物を施したによりて、彼はどれほどの返報をするであらうなどと計算をしてかかるときは、たとひ百鎰大金を施してもびた一文の功にもならぬ。鎰は衡の名で二十兩乃至三十兩をいふ。前の方は慈悲から出たる施であるが、後のは欲情から出た施である。その名は施でも実は商賣根性に出たものであるから何の功もない。  元来、釈尊が布施の法を説かれた趣意はこれを修行することによりて貪欲の心を退治せしめむとせられたのである。それ故に布施は生死の苦海を渡りて涅槃の彼岸へ到るべきための修行の法、すなはち六度として布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧が挙げられて居る。さうして、釈尊が迦葉に対して説かれたことが「涅槃経」に載せてあるものを見ると  「迦葉よ、菩薩が施を行ふのは畏怖のためではない。名譽と利益のためではない。他を欺くためではない。それ故にこのために驕慢を生じたり、又返報を望んだりしてはならぬ。之を行ふときには己を顧みず、又それを受けるものを擇んではならぬ。諸の衆生に対して慈心平等であつて子の想をせなくてはならぬ」右のやうに説いてある。又「華厳経」にも  「菩薩は大施主となつて一切のものを衆生に施して悔ゆることなく、果報を望まず、名誉を求めず、勝処に生ぜんことを求めず、利益を求めず、但一切衆生を救護せんことを欲し、衆生を摂取し饒益せんことを欲し、諸仏の本行を学ばんと欲し、諸仏の本行を受持せんと欲し、諸仏の本行を顕現せんと欲し、一切をして苦を離れ樂を深めしめんと欲す」  何れにしても、智人が施を行ずるは憐愍の心のあらはれで、他をして安樂を得しめ、又諸の煩悩、殊に貪欲の煩悩を破壊せむと欲するがためである。それ故に若し貧窮の人ありて財の施すべきものが無いならば、他の人が施を修するの時に随喜の心を生ぜよ、隨喜の福報は施と等しきものであるとまで説かれて居るのである。まことにこの語は人に物を施すといふことは悲愍の心ありて始めて其事が具足するのである。若し恩を施すことによりて何等か期待するところがあり、又これによりて利益を得やうとするやうなことがあれば、その功徳は全く無くなるものであるといふことを示したのである。「優婆塞戒経」に曰く  「一には先に多く発心して後に少なく与ふ。二には悪物を選擇して以て人に施す。三には己に施を行じをはつて心に悔恨を生ず。此三事は淨き施にあらず」  又先づ父母に供養すること能はず、妻子を悩まして以て困苦して布施するは仮名の施にして義施と名づけずといふやうなことも説かれて居る。それはその施が憐愍なく、報恩を知らざるがためである。  心地乾淨  「心地乾淨して方さに書を読み古を学ぶべし。然らずんば一の善行を見ては竊みて以て私を濟し、一の善言を聞ては仮て以て短を覆ふ。是れ又寇に兵を籍し、而して盗に粮を齎らすなり」  心の上に粘著する名利の塵垢をさつぱりと洗ひ淨めて後に書を読み古を学ぶべきである。若し心地を洗ひ淨めることなくして書物を読み古人に学ぼうとすると、書物の中で一とつの善行を見つけるとき直ちにそれをぬすむで自分の私怨を遂げむとする。又一の善言を聞きつけると、直ちにそれを仮りて自分の短慮を覆ふとする。それは丁度寇敵に兵を籍し、盗賊に粮をやるやうなもので、学問が却つて悪事をなす媒介となるから、戒慎せねばならぬことである。  口頭の禅  「書を読みて聖賢を見ざれば鉛槧の傭となる。官に居て子民を愛せざれば衣冠の盗となる。学を講じて躬行を尚ばざれば口頭の禅となる。業を立て種徳を思はざれば眼前の花となる」  書を読むことは何の為にするのであるかといへば、古聖賢人の精を捉へて修身齊家の道を知らむとするがためである。しかるに、その古聖賢人と相見ることなくして徒らに章句の義理を知つたばかりでは鉛薬の傭となるのみで、読書の甲斐はない。鉛薬の鉛は鉛華とて胡粉のこと、槧は簡機のことで、いろいろの事を書きつけるものである。書物の精神を見ずして只徒らにその文意のみを理解するのは丁度手帖に書き取るために胡粉で塗つたり消したりすることに傭はれたやうなものである。学問の詮のないことである。官に居りてその管轄する人民をば愛撫せずして唯俸禄のみを取つて居つたならば、それは衣冠を著けて居るところの盗賊であると言はねばならぬ。学を講ずるにしても、知り得たる善言懿行を実践躬行することが無かつたならば、いくら高尚深遠なる理屈を説いてもそれは口頭の禅たるに過ぎず、少しも学を講じたる所詮はない。業を立てるにしても唯目前の利を貪ぼるのみで、その事業の内に徳を蒔いて後世子孫のためを考へなければ、それは瓶の中にさしたる眼前の花のやうなもので、一時は奇麗であるが何の效果を結ぶことはない。  心体光明  「心体光明なれば暗室の中に青天あり。念頭暗味なれば白日の下に視Sを生ず」  心体光明なれば暗室の中に青天がある。心体とは心の本体のことで、大学に明徳と言つてあるものである。明徳は人間が天から稟けて居るところの明徳即ち本然の性をいふ。この本然の性は日月の光明が玲環として照らさざるところなきが如くである。しかるに人間には一方に気質の性がありて、種々の妄念妄想をあらはして本来の光明を蔽ひかくして闇黒の屈の中に堕ちて自から苦しむのである。若しその本然の性が一点の曇なければ、光明のために暗黒が打ち消されて仕舞ふから、白日青天の中に居るも同じである。若し本来の心体に雲が無かつたならば如何なる逆境にありてもその苦悩を感ぜず、自由に活動して少しも障るところが無い。昔から君子が一朝禍に逢て誤つて牢獄に入れられて少しも苦痛を感ぜず、悠々として居つた例が多いのは皆この光明のためである。これに反して念頭に妄想がありて本来の光明が薇はれて居るときは、白晝に眠をあけて居りながら夢を見て居るのであるから視Sがあらはれるのである。世間の罪人が怨靈に襲はれたといふやうな話は皆その念頭が暗黒であるがために起るものである。  善路と悪根  「悪を為し、而して人の知るを畏るるは、悪中猶ほ善路あり。善を為し、而して人の知るを急ぐは善処即ちこれ悪根なり」  悪るい事を為しても、人に知られはしないかとびくびくして居るのは、その悪事たることを知つて、人に知られることを慚づるといふ心が存するのである。それ故に、悪ながらもなほ善に向ふ路がある。これに反して、善事を為して早く人が知つて評判して呉れればよいがと、人の知ることを急ぐのは自分の名利のために善事を為すのである。それ故に善事を為す所が却つて根性の悪るい所である。決して善事のために善事を為すのでなくして、善悪の概念は無いものと言はねばならぬのであるから、たとひ行為は善であるにしても、内にさもしき悪心を存するのである。世の中に貧困のために人の物を盗むものもあるが、その行為は固より悪むべきものである。しかしその裏情はむしろ憐むべきもので羞悪の心はなほ存して居るから、善に向ふ路はあると言はねばならぬ。しかしながら世の中には慈善を街ふて貧窮のものに金錢などを与へて、それを宣伝したり、或は信仰の美名の下に神仏に奉納して氏名を書き附けたりするものもあるが、それが善処即ちこれ悪根である。その為すところは善い事であるとしてその心は甚だ卑しむべきものである。  幸福禍災  「福は徼むべからず、喜神を養ひ、以て福を召くの本となすのみ。禍は避くべからず、殺機を去り、以て禍に遠ざかるの方となすのみ」  幸幅は自から微めても得らるべきものではない。それ故に、不平の念を起すことなく、常に機嫌をよくして喜神を養い以て幸福を招くの本とするまでのことである。しかるに、人々がその根本たる喜神を養はずしてひたすら幸福をもとむることは間違つて居る。喜神とは喜ばしき心のことである。心が喜ばしきときは日が照れば天気と喜び、雨が降ればよいおしめりと喜ぶ。これに反して喜ばしい心が無ければ日が照れば暑いと苦情をいひ、雨が降れば欝陶敷て仕方がないと歎く。かやうに喜神があれば如何なる事でも幸福と感ぜられるのであるから、畢竟するに、幸福といふものは其人の心に感ずるのが主で、第三者が外から見て幸幅とするところのものが、必しもその人のためには幸福とせらるるものではない。若しその人に喜神が存するときはたとひ外方からは不幸に思はれてもその人には幸福とせられるのである。何処まで幸福といはるるものはその人の主観の状態である。それを客観的に表現して福はもとむべからず。喜神を養ひ以て福を招くの本と為すのみといふのである。又禍災は自らこれを避けたとて免かれることの出来るものではない。それ故に殺機とて他を害する心を除き去りてなるべく禍災にかからぬやうにすることが肝腎である。この文句の意味は禍福は天運で人力にてはどうすることも出来ぬものであるから、ただ心を修養してこれに当たり、福は招き、禍は遠ざけるやうにするのが肝腎であるといふのである。しかしながら深く考へて見れば、幸福と禍災とはその人の主観によりてあらはるるもので、幸幅とか禍災とか、きまつたものが世の中に存するのではないから天運であるとは言はれぬ。その人の心の状態によりては実際幸福であるものを幸福にあらずとすることもある。又その人のためには何かの幸福をもたらすものをも禍災とすることもある。それ故に、彼も此も皆運命であるからと言つて、自分の心の上のことを考へぬのは大いなる間違である。若し喜神が養はれて居れば世間で幸福と云はれ、禍災とせられることにも同じやうな和な心にて接することが出来る、平和の生活をなすことか出来る。これがすなはち真実の宗教の心である。  天理と人欲  「天理の路上は甚だ寛し、稍々心を遊ばせば胸中便ち広大宏朗なることを覚ゆ。人欲の路上は甚だ窄し、纔かに迹を寄せば眼前倶にこれ荊棘泥塗なり」  天理の路上とは天然自然の道理にかなふた筋道といふほどの意味である。この筋道は甚だ寛いものである。この処に心を置て見れば胸中自から広大にして、ひろく朗かに、何処に行つて何事をしても自由自在で、少しも障碍が無い。これに反して天理に背いた人欲の路は甚だせまいものである。それ故に、少しにてもこの人欲の路に足を踏み入るれば、眼前は悉くいばらからたちや、泥道などで一歩も進むことが出来ず、又退くことも出来ず、非常の困難に陥るものである。それ故に、人欲の邪道に踏み込まずして天理の正路を履むで行くやうにせねばならぬ。文句通ほりにこれを解釈すれば、廃悪修善の教であるから、道徳の規範が示されて居るのであるが、廃悪修善の教がその通ほりに実践の出来ぬ自分の相を内観するとき、我々自身の力としては如何ともすることの出来ぬといふことを明かにするによりて、全く自分のはからひを離れて、そこに我々が進むところが天理の路上であると知らねばならぬ。この路こそは広大にして何等の障碍もない。「歎異鈔」に「念仏者は無得の一道なり」とあるが、真にその通ほりであると言はねばならぬ。  心の虚実  「心虚ならざるべからず、虚なれば則ち義理来たり居る。心実ならざるべからず、実なれば則ち物欲入らず」  人の心中は私心を貯へず、常に空虚でなければならぬ。空虚なれば正義真理が這入る。しかしながら又、人の心は実せしめて置かねばならぬ。充実して居れば物欲が這入らぬ。心が虚であるといふのは気質の性の絶無なるをいふ。気質の性とは、人間が生れてから精神のはたらきが段々と発展して、喜怒哀樂やら思慮分別などのいろいろの心のはたらきを起すのを指していふ。親鸞聖人が自力のはからひと簡単に言はれるのがそれである。心が実であるとは本然の性が十分にあらはれることをいふので、本然の性とは此の如き私心を離れたる天然生れつきの心、仏教にていふところの仏性がすなはちこれである。人間の私心を捨て、自力のはからひを止めるときには正しき道理がそこへ這入つて来る。仏性は何れのものにも生れつき備はつて居るものであるが、それが私心のために覆はれて常の場合にはそのはたらきがあらはれぬのである。しかるに私心が除かれてその心が虚しくなつたときにはすぐ仏性があらはれて真実を取るのであるから、則ち義理来たり居るといふのである。さうして、かやうにして私心が除かれ仏性があらはれて来れば心は常に充実して物欲が侵入することが無い。  貪私  「人ただ一念貪私なれば、便ち剛を銷して柔となし、智を塞いで昏となし、恩を変じて惨となし、潔を染めて汚となす。一生の人品を壞了す。故に古人は貪ぼらざるを以て寶となす、一世に度越する所以なり」  貪欲の念は恐るべきものである。貪欲利己の念が一寸でも起ると、忽ちにして剛毅の気象もとろけて柔弱となり、智慧るも塞がつて其用を為さず、全く道理もわからぬ昏愚となり、恩恵の心も変じて惨酷となり、廉潔の行も染まつて汚穢となり、遂に一生涯その人の品格を破壊してしまふ。されば古人も「食らざることが我が寶である」と言つた。これが一世に立ち越えて衆人から尊敬せられる所以である。「左伝」に「宋人玉を得てこれを司城子罕《まれ》に献ず。子罕受けず。玉を献ずるもの曰く、以て玉人に示せしに玉人以て寶となす、故に献ず」と。子罕曰く「我は貪ぼらざるを以て寶となし、爾は玉を以て寶となす。若し以て我に与へなば皆寶を喪ふなり。人ごとに其寶を有せむに如かず」(本と漢文)とあるが、この事は「韓非子」にも載せてあり、「蒙求」にも引いてある。ここに古人といふは司城子罕を指したのであるが、まことにその通ほりで、食らざることが寶である。かくてこそ一世に立ち越へておのれ独り高尚に、やがて衆人の尊敬を受けるのである。  内外二賊  「耳目見聞は外賊たり。情欲意識は内賊たり。ただ是れ主人翁、惺々不昧にして中堂に独坐せば便ち化して家人とならむ」  耳で美しい声を聞き、目でよい色を見てそれに執著して種々の妄想を起すから耳目見聞は外から来る冠賊である。情欲意識は耳目にて見聞したものを、これは善いあれは悪るいと分別して、それから妄想を起すのであるから情欲意識は身内の寇賊とすべきである。しかしながら此の如き内外の寇賊がありても主人たる本心がはつきりとして惺々とさとり澄まし、不昧と心の本体の光明が照して中堂たる身内に端然不動にして、善悪是非を分明に辨別して行けば内外の寇賊も忽ち化して家人となり、此方を害せざるのみでなく、却つて此方の助けとなるものである。仏教に「煩悩即菩提」といふ言葉があるが、元来我々の心は迷妄の甚しきもので、これを煩悩とすることは当然である。しかしながら煩悩としてこれを排斥し去るべきではない。煩悩の奥底に潜める仏性の心を明かにしてよくこれを見れば煩悩はすなはち菩提である。本心がしつかりとして居れば内外の寇賊は閉口して家来となり、我が命令に從ふやうになるのである。  放過と落空  「闥に放過せざれば忙処に受用あり。靜中落空せざれば動処に受用あり。暗中に欺隱せざれば明処に受用あり」  濶ノ無事の時にうつかりと放心して光陰を送らずに用心して居れば、多忙繁劇の時に臨んでもまごつくことなく、自由に他に応じて活動することが出来る。受用とは他に応ずる活用、すなはち対他的に行動することをいふのである。幽靜なる所に居ても心を空々寂々にすることなく、常に引き締めて置けば他日動変の場合に方りて少しもさはがず、自由に対他的行動をなすことが出来る。落空とは空寂無心にして枯木寒灰の如くになつて居ることをいふ。若し闥に放過し静中に落空し、他日に対する用心を欠ぐときは、「泥坊に遇ふて縄をなふ」の諺の如くに為すことが間に合はぬのである。暗中とは人の見ない処である。人が見ないと思ふて人に知れないと考へ、内に己を欺き、外に人を欺き、正しからぬ事をして人に隠して置くといふやうな事があれば、何時か思ひ寄らぬ処でそれが露顕して恥をかくといふことがある。さういふやうに暗中に欺隱することが無ければ白日青天に多数の人の中に立ちて俯仰天地に愧ぢず、堂々として自由の行動をなすことが出来る。要するに靜かなるときにも消極的に止らず、常に積極的の工夫をなして他日動くときの用意をして居らねばならぬ。又君子は常にその独を慎しむといふことが大切であることを示すのである。  己を舍つ  「己を舍つるにはその疑を処すること勿れ。その疑を処すれば即ち舍つるところの志多く愧づ。人に施すにはその報を責むること勿れ。その報を責むれば施すところの心を併せて倶に非なり」  献身的に事を為すには自己の利益を舍ててかからねばならぬ。さういふ場合に方りて、それが自己の損耗になりはすまいかと疑が起つてもその疑にかまはず直ちに実行すべきである。若しかかる疑のために躊躇し、いよいよその疑をかたづけてから著手しやうとすれば、折角自己を舍てて事を為すといふ献身的の貴さが失はれ、自己の利害を本とした利己的の事となるから、自己を舍てて為さうとした当初の志に対して愧づべきことが多いであらう。又人に金錢物品などを施しても、それにつきて他日の報酬を催促してはならぬ。若し報酬を催促すれば折角の施が施でないことになり、その初め、施さうと思ふた慈悲の心までが利己的の心になつてしまふのである。「華厳経」に「菩薩は大施主となりて一切のものを等しく衆生に施して悔ゆることなく、果報を望まず、名誉を求めず、勝処に生ぜむことを求めず、利養を求めず、但し一切衆生を救護せむことを欲し、衆生を摂取し饒益せむことを欲し、諸仏の本行を学ばむと欲し、諸仏の本行を受持せむことを欲し、諸仏の本行を顕現せむことを欲し、一切をして苦を離れ樂を得せしめむことを欲す」とあるが、元来釈尊が人に施すことを一とつの行法として説かれたのは憐愍の心を主として、人をして安樂を得せしめ、又人をして施の心を生ぜしめるがためで、それは要するに人をして貪欲の妄心を離れしめむがためであつた。それ故に人に施すといふことはその施さうとする慈悲の心が大切で、それを受くるものに求むることがありてはならぬ。若し人に施してその報酬を責むることがあればそれは全く利己的の心によるというべきもので、さういふ善くない心であれば施さうとしたことまでも同じく善くないことである。  天に対して身を慎む  「天、我に薄くするに福を以てすれば、吾れは吾が徳を厚うして以て之を?《むか》へむ。天、我を勞するに形を以てせば、吾れ吾が心を逸して以て之を補はむ。天、我を阨するに遇を以てすれば、吾れは吾が道を享《とほ》らしめて以て之を通ぜむ。天、且つ我を奈何せむや」  若し天が意地悪るく、我に福分を薄く与へて呉れたとすれば、我は我が徳を厚く積むでどうして福が厚く来ねばならぬやうにしてこれを迎へる。また天がこの厄介な形体を与へて我に労苦をかければ、我は自己の心を安逸に保つてその補をなし、逸を以て勞を差引くやうにする。又天がまはり合せを悪るくして、すること、なすことを皆失敗に終らせて我を惨々な目に合せれば、我は我が道を飽くまで行つて、その塞がつて居る道を通ほりぬける。かやうにして天の運命にさからはず、又これに閉口せず、これを左右して行くときは、天は如何に意地悪るくとも我を如何ともすることが出来ない。かやうに人の吉凶禍福は天帝がこれを支配して居るとするのは儒教に説くところで、巳に前にも言つたやうに、主観の事実であるところの吉凶禍福を客観に打ち出しての考へであるが、それに対して自分の心の態度を正しくし、その所謂天運を左右して行くべしといふのは、これを要するに、客観に投げ出したものをその根本の主観に反してよくこれを修めよと教ふるのである。  円満寛平の心  「此心常に看得て円滿なれば、天下自から欠陷の世界なし。此の心常に放ち得て寛平なれば、天下自から険側の人情なし」  「華厳経」に曰く「心は工なる画師の如し。よく諸の世間を画く。五蘊悉くよりて生じ、法として造らざるはなし」と。世間の一切のものがすべて我々の心の造るところであると説くのが仏教の考へである。それは我々が生れたときに持つて来たものは空寂たる本性で見るべからず、聞くべからず、丁度幻のやうなものである。それが我々のはからひによつて種々の想が起り、それによりて苦又は樂、善又は悪、美又は醜と、いろいろの差別の相を生ずるのである。さういふやうに考へれば世の中の事物は皆これ自己の心のあらはれであるから、この心が少しの不平不足なく円滿であらば天下は悉く円滿で、何れの処へ行つても坦然平正にして欠げ陷ちたところは無い。又自己の心が寛大平穏であれば天下は悉く自然に寛大平穩の天下となりて、何処へ行つても険悪なる人は無いやうになる。自己の心が平和でなければ「人を見れば泥棒と思へ」と言はねばならぬ。これに反してその心が平穩にして不足が無ければ「渡る世間に鬼はなし」と言ふことが出来る。同一の人でも、相手の心によりて或は鬼ともなり、或は鬼にあらずともなるのであるから、この世界は全く自己が造るところの世界に外ならぬものと言はねばならぬ。かやうにこの世界は自己の心によりて造るものでありとすれば、自己の心を明朗にして、明るい方をよく見て暗い方を避けるやうにすることが肝腎である。さうすれば天下自から欠陷の世界なく、天下自から険側の人情なき筈である。さういふことこそまことに望ましきことである。  逆境と順境  「逆境の中に居れば周身皆鍼?薬石、節を砥き行を礪いで而かも覚えず。順境の内に処れば満前尽く兵刄戈矛、膏を銷し骨を靡し、而して知らず」  逆境とは貧窮困苦の境界をいふ。貧窮困苦の中に生活して居れば、自身周囲のものが、すべて鍼?薬石となる鍼は金の針、?は石の針、薬石は病を療するものである。逆境の中に居るときは、すること、為すことが、悉く皆薬となつて、自身の節義品行を礪いで行くから自然に有為の人となり、しかも自身にはそれを覚えぬのである。順境とは富貴安樂の境界をいふ。富貴安樂の中に生活して居るものは目前の事物が悉く刄となりて、覚えず知らず自身の膏を銷し、骨をただらかすがために自然に軟弱で役に立たぬものとなる。順境にありてはすべてが都合よく行き、萬事思ふが儘になるのであるから、その場合には誰人も得意になるのである。これに反して逆境になると萬事意に任せず、元気沮喪、意気銷沈するのが人々の常である。しかしながら、順境必しも喜ぶべきでなく、又逆境とて必ず憂ふべきでない。却つて順境のために自身の眼前のものがすべて兵刄となりて自身を攻めるものとなり、逆境のために周囲のものが悉く病をなほす薬品となるのである。それ故に、逆境に居れば何事にも自分が試練せられるといふ心になつて、それによりて知らず知らず節を砥き行を礪くことが出来ることを喜ばねばならぬ。  熊澤蕃山は    憂きことのなほこの上につもれかしかぎりある身の力ためさむ  と歌つたと伝へられて居る。全体人間は周囲からの種々の刺戟に遭遇してそれと闘つて行くところにその身も心も共に美しく発達するものである。同じ「菜根譚」の後の方に「横逆困窮は是れ豪傑を?煉する的の一福の鑢錘なり。能くその?煉を受くれば則ち身心交々益す。その?煉を受けざれば則ち身心交々損す」とあるが、金銀銅鐵等は鍛冶匠の鑢錘にかかつて?煉せられて種々の道具となりてそれぞれの用をなすのである。豪傑も横道逆境に困窮し、九死一生の間に出入し、千辛萬苦を経て始めて偉大の功名をなすことが出来るのである。それ故に、横逆困窮に遇ふてその?煉を受くれば身も心も共に利益を得るのである。しかるに多くの人は順境にありて逸樂を專にすることを願ひ、逆境にありて困窮することを厭ふのであるが、それでは鑢錘の?煉を経ざる金銭のやうなもので用に立たぬのである。それ故に順境は必ずしも喜ぶべきものにあらず、逆境も亦必ずしも厭ふべきものではない。要は順境にしても、逆境にしても、此方の受け方如何によりてその価値が定まるのである。逆境にあるときは困苦に屈せずして精進すべく、これに反して順境にあるときは常に懈怠を戒むべきである。  生命の尊重  「天地に萬古あるも此身は再び得られず、人生は只百年、此日最も過ぎ易し。幸に其の間に生るるものは、有生の樂を知らざるべからず、亦虚生の憂を懐かざるべからず」  天地はまことに悠遠なので、幾千萬年の間も存在して居るのであるが、人間の身は再び得らるるものではない。それに人間がこの世に存在して居る間は最も長くとも只僅に百年に過ぎぬのである。人生七十古来稀なりといふ古句もある通ほりに人間の多くは七十に達せずして此世を辞するのである。さうしてこの六七十年の日月も夢のやうに過ぎ去るのである。それ故に、幸にこの間に生まれたものは生きて居るといふことの樂しみを知りて真によくその樂を享けねばならぬ。それと共に大切なる一生をばうかうかと暮して何事をも為さず、酔生夢死の状態にて一生を空しくすることのないやうにつとめねばならぬ。この世の中に、生きとし生けるものの多い中に人間と生れて智慧のはたらきを具へ、書を読み道を学ぶことが出来るのは最も大いなる樂しみであると云はねばならぬ。しかるにこの有生の樂を知らず「飽まで食し、飽まで眠り、或は雑念に引かれて時を移し、或は雑話を述べて日を暮し、衆のために墓なき益をもなさず、寺のために仮にもたすけにならず、明けぬ暮れぬと過ぎ行きて、何もせざる」は畜生の徒者となつたのであると明恵上人が言はれた通ほり、人間として此世に生れたる意義を虚しうするものである。それ故に、生あるものは常に虚生の愛を懐ふて、生存の意義を失はぬやうにつとめねばならぬのである。  仏教の考へから言へば、私共は無始より以来、諸仏の許にありて仏と成るための修行をしたのであるが、根機羸弱で、修行の功が足らず、前の世までには仏と成ることが出来なかつた。しかるに、どうかして仏に成るやうにたすけてやらうとはたらく仏の慈悲は私共を又もこの世に生れ出でさせられたのである。「人身受け難く、仏法遭ふこと稀なり」であるから、折角、仏に成らしめむとの慈悲の力にてこの世に生れ出づることの出来た私共は生存の意義が仏に成るための修行にあることを知りて身を修め心を治むることに精進せねばならぬのである。さうして、かやうに私共がその生存を意義あらしめるやうにするには又此身を大切にすることを忘れてはならぬ。盤珪禅師が老年になりて、毎日食事をするのに、飯の分量を定めて、八釜敷言はれるので、或人が「そんなに飯の分量を八釜敷言はれるのは命が惜しさうでおかしいではありませぬか」と言つたのに対して、盤珪禅師は「いや、さうではない、わしの命は粗末には出来ぬ。君子一日生きれば一日世に利あり、無駄には死なれぬ」と答へられたといふ。まことに仏に成るための修業をするがために生を此世に享けさして貰つた恩徳を思へば、この生命を大切に保護して、その恩徳に報ゆることを怠らぬやうにせねばならぬのである。  まゐらせ心  「意を曲げて人を喜ばしむるは躬を直くして人をして忌ましむるに若かず。善なくして人の譽を致すは悪なくして人の毀を致すに若かず」  人を喜ばすといふことは固より悪るいことではない。しかし自分の意志を曲げてまでして人を喜ばすといふことはよくないことである。人に忌はれるといふことも善くないが、しかしながら自身の躬の行を正直にして居て人が忌むのは忌むものがよくない。それ故に、自身の意志を曲げて人を喜ばすよりは、自身の躬の行を正直にして居て人に忌まれることの方が善い。自身に善い行が無いのに人に誉められるのは不当である。人に殴られるといふことは善くないことであるが、しかしながら、自身に悪るいことが無いのに人が毀るのは毀るものの方が不当である。それ故に、自身に善い行が無いのに人に誉められるよりは、自身に悪い行が無いのに人に毀られた方が善いと言はねばならぬ。  「蓮如上人御一代記聞書」に「仏法にはまゐらせ心わろし、是をして御心に叶はんと思ふ心なり。仏法のうへは何事も報謝と存ずべきなり」と蓮如上人が言はれたことが書いてある。意を曲げて人を喜ばしめるといふことは、自身には非理と知つたときでも他人の説に賛成し、その人を喜ばしめるのである。人の気に入らむとするのであるから、正しいこととは言はれぬ。超然師の「里耳談」に「古き武士若き子を奉公に出せしに、主君の気に入らんとすべからず、ただ気に違はぬやうにせよと教へしとぞ。この言萬事にわたりて味ふべし。孟子誠子孝を問ふに、孔子無遠と答へられし面影なり。忠孝は一致なり。その道にかなふに於て異ならざることを知るべし。気に入らんとするはた順に似たれども己れに賢しとして主の意を取るべしといふ侫媚の気なり。されば思如く主人の気に入れば我がふるまひよければこそ、主人の意にかなふべしといふ傲慢の処に至るべし。気に違はぬやうにするは主を重んじ命に従ふの意にて謙恭の気なり、されば主の寵眷を受るほど尚ほ己をつつしみ心たのしく唐の渾域が上不疑我といへる風情にうつりゆくべし」。ひとり仏に対してのみならず、人に対してもまゐらせ心は善くないのである。  短を以て短を攻む  「人の短処は曲《つぶ》さに弥縫をなすことを要す。もし暴《あら》はしてこれを揚ぐれば、これ短を以て短を攻むるなり。人頑的あれば善く化誨をなすことを要す。もし忿りてこれを疾まばこれ頑を以て頑を濟《な》すなり」  人の短処を見れば随分念を入れて丁寧に程よくこれを取り繕ふてやること、丁度衣服のほころびを取りつくらふやうに致すべきである。もし人の短処をさらけだして人前に掲げるならば、これは己の短処を以て人の短処を攻撃するのである。それは言ふまでもなく、自分の徳性上の短処であるから、自から慚ぢねばならぬことで、決して人を裁くべきでない。又人に頑固なる行がありて気にくはぬならば上手にこれを教へさとすべきである。しかるに腹を立てて其人を憎めば、自分も徳性上頑固のものがあるので、取も直さず、己の頑を以て人の頑を助長してこれを成し遂げしむるものである。むかし伊藤仁斎は江戸時代中期の古学の大家であつたが、某といふ儒者が「適從録」を著はしてこれを駁したので、仁齋の弟子が其書を仁斎に示して弁駁《べんばく》の文を作りたまへと言つた。しかるに仁齋は笑ふて答へなかつた。そこで弟子の曰く「人書を著はして恣に己を議す、まことによろしくないことである。苟《いやしく》も辞塞がらずんば黙して巳むべきでない。先生にして若し答へたまはざれば私が代てこれを折かん」と、仁齋の曰く「君子は争ふ所なし。もし彼が果して是であり、我が果して非ならば、彼は我に於て益友である。若し我が果して是であり、彼が果して非であるならば、他日彼の学問が長進したときにすなはち当さに自からこれを知るであらう。学問を為すの要は、ただ虚心平気、己のためにするを以て先となすべきである。何ぞ彼な毀りて我を立て、徒らに多口を増すことをせむや」と弟子を戒めたといふ。他の短処を弥縫する心の美しさはこの一話にても窺はれることである。  美醜汚潔  「妍あれば必ず醜ありてこれが対をなす。我れ妍に誇らざれば誰かよく我を醜とせむ。潔あれば必ず汚ありてこれが仇をなす。我れ潔を好まざれば誰かよく我を汚がさむ」  妍とは美しきことである。仇とは対者である。天下の事はすべて相対的で、美しいといふことがあれば必ず醜いといふことがありてこれが対をなすのである。妍醜は相対の上にあるのであるから美しいといふことが無ければ醜いといふことも無い。それ故に我に於て美しいといふ人に誇る念が無かつたならば人が我を醜いといふであらうとの心配は無い。これと同じく潔白といふことがあれば汚穢といふことがこれに対してある。それ故に若し、我が潔白とか汚穢とかといふことを超越すれば人が我を汚すことは無い。妍醜も汚穢も畢竟、我が相対的の心念から起るものであるから、我に於てこの心念が無ければ兩方ともに無くなる筈である。  荘子に「萬物は一なり。その美とするところを神奇とし、その悪とするところを臭腐とす。臭腐復た化して神奇となり。神奇復た化して臭腐となる。故に曰く天下を通じて一気なり。その異なるものよりこれを観れば肝臓も楚越なり、その同じきものよりこれを観れば萬物皆一なり」といふ。萬物を相対的に見ず、これを全く絶対的に見て善悪、美醜の区別を抹殺すべしと説くのが老子や荘子の根本主義である。理論の上からしてはさういふことが正しいことと言はれるであらう。しかしながら、我々の現実は味噌を糞と同一に見ることの出来ぬ世界である。美醜善悪をば一如として差別の思想を離れ、平等の観の上に立ちて世間を見ることの出来ぬ世界である。それ故に、この世界にありて相対的の心の中に住しながら、一概に差別の観念を棄てやうとするときはすなはち実際矛盾の世界を造ることになる。むかし源信和尚が幼童であつたとき、ある小川のほとりにて多くの児童と遊むで居られたとき一人の禅僧が来りてその小川にて手を洗はむとしたので源信和尚は彼処に清浄の水があると深切にて教へてあげられた。時にその禅僧は「浄穢不二」と言ひ放ちてその小川の水にて手を洗はむとした。そこで源信和尚は「浄穢不二ならば洗はぬでもよいではないか」と言はれたと伝へられて居る。何と言つても我々は相対的に物を見て、しかもそれを自分の勝手に考へるのであるから、実際萬事転倒の世の中を作り上げて居るのである。人々はすべて死ぬるといふことを嫌ひ、甚しきは死といふ言葉をも避けやうとする。それにも拘らず、毎日死につつあることをば苦にせず、却つて無事であつたと喜ぶのである。かういふ心の世界に住する我々は現実と理論との矛盾に苦しむのが常である。つとめて反省せねばならぬことである。  人情の通患  「飢ゆれば則ち附き、飽けば則ち?《あが》り、燠なれば則ち趨り、寒ければ則ち葉つ。人情の通患なり」  人が貧窮に陥りて糊口に困るといふときには此方に附き從ふものであるが、衣食に不足を感ぜざるやうになればここよりもよい処があるなどと言つて離れてしまふ。丁度烏が飢えたときには人に附き従つて食を求め、食に飽くときは羽ばたきをして飛びあがつて去るやうに、此方の処を去つてしまふ。又此方が富貴で懐があたたかであるときは頻に門内に趨り込で、やたらと追從世辞を言ひ、その陰によつて利禄を得やうと走り寄つて来るが、一旦此方が素寒貧となつて懐が寒くなると、直ちに棄てて顧みず途中で逢ふても見ぬ振をして通ほり過ぎるやうになる。これは古今東西を通じて異ならざる人情の欠点である。  支那の「史記」の中に、隹公という人が廷尉であつたときに賓客門を填む、廢せらるるに及びて門外雀羅を設くべしといふことが記してある。人の權勢に依附して自分の利益を増さうとする人の心はかやうにあさましきこと古今東西皆同じやうである。隹公が後に復た廷尉となつたとき、また客が往かむと欲したので、隹公はその門に大署して曰く「一死一生、廼知交情、一貴一賤、廼知交態」と。まことに人間は死生を共にするといふところに交情の厚いことが知られ、貴賤によりて訪問の態度が相異するところに人の心のあさましいことが知られるのである。  信と疑と  「人を信ずるものは、人は未だ必ずしも尽く誠ならず、己れは則ち独り誠なり。人を疑ふものは、人は未だ必ずしも皆詐らず。己れは則ち先づ詐る」  人を信ずるものは、人は必ずしも悉く誠実なるものでは無いが、自分は独り誠実であるから、人もさうであると思ふてすべて人を信ずるのである。人を疑ふものは多くの人がすべて誰でも詐るものであるといふことは無いのに、自分が先づ詐る根性を持つて居るので、邪推してすべて人は誰でも欺き詐るものであると思ふのである。  浮世の真相を看破し、人情の飜覆をさとることは処世の上に必要のことであると説かれて居る。無暗に人を信用して、飼犬に手をかまれたと嘆かねばならぬことがある。さればとて人を見れば泥坊と思へとあるから、戒慎して人に接せねばならぬとすれば世間は甚だ窮屈のものである。しかしながら若し真に自分が誠実の心から推して他の人の言ふことを信じて馬鹿を見るやうなことがありても、それは決して自分のために不利となるものではないといふことを知らねばならぬ。むかし播州太田の妙好人宇右衛門が不正直な馬子にだまされて雪の降る日の夜にその馬子の家の報恩講に行つたのに、報恩講を営むとは全くの虚言にて、宇右衛門はそれにだまされて雪の降る夜にはるばるとその馬子の家を訪ふて、だました馬子の心の悪るいことはすこしもとがめず、そのお蔭で開山聖人の雪に降り込められて路傍に一夜をあかされた辛苦のことを想ひ、念仏してその御恩を謝する思に住したことをありがたく感じたのであつた。かやうな場合に、人にだまされて馬鹿を見たといふのは普通の人の心であらう。しかしながらそれは必ずしもすべての人に起らなければならぬ心ではない。宇右衞門にありてはその内観の深かつたために起りたる宗教の心のはたらきによりて、かやうな場合でも人にだまされて馬鹿を見たと思はず、却つてその馬子のお蔭によりて仏の恩を思ふことが出来たのはまことにありがたいことであると報謝の心を喜むだのである。  利害得夫  「事を議するものは、身、事の外にありて、宜しく利害の情を悉くすべし。事に任ずるものは、身、事の中に居りて、まさに利害の慮を忘るべし」  ある事を評議してその事が是か非かといふことを決定するものは、自己の一身をその事の外に置いて、虚心平気に、その利害の事情をよく調べて決定すべきである。これに反して、ある事を実行するの任に当るのは自己の一身をその事の中に置いて、さうして利害の念を打ち忘れて一心不乱にその事に当るべきである。  身を事の外に置いて利害の情を尽すといふことは話に岡目八目と言ふことの意味である。これは棋を囲むにあたりてその局に当るものよりは局外にありて観るものは八目の強さがあるといふのである。勿論これはその人の思慮分別を本としての観察につきて言ふことで、人間が周密なる観察によりて利害得失を十分に見きはめるべきことをいふのである。しかしながら、さういふ人間のはからひが果して正常であるとせらるべきか否かといふことは疑問である。進みて宗教の上から言へば、さういふ人間のはからひを離れたところに真実のものがあると言はねばならぬ。さうしてその真実が真の真実で、人間が真と偽とを別けて相対的に言ふところの真実とは相異したものである。それ故に我々が真に利害の情を明かにしやうとするならば、常に我々の兎角のはからひを止めてそこにあらはるるところの真実の心の赴くままに隨順すべきである。  身を事の中に置いて利害の処を忘るといふことは諺に「断じて行へば鬼神もこれを避く」といふ意味である。懈怠の心に使はれることなく、常に精進努力すべきことを大切とするといふのである。  命を立つ  「己れの心を昧まさず、人の情を尽さず、物の力を竭さず、三つの者は以て天地の為に心を立て、生民の為に命を立て、子孫の為に福を造すべし」  外物のために自己の本心をくらまさず、本心の命ずるままに処置して一点も私を容れてはならぬ。自分のために他人の情を尽す、すなはち自分のために他の人が堪へられるだけの苦痛をさせるといふやうなことをいたしてはならぬ。又自分の欲望を充たさむがために物の力を竭す、すなはち牛や馬を使ふにも、それが倒れるまで使ひまはすとか、或は金錢や物品でも、有るにまかせて有るだけを使ひ尽すといふやうなことをしてはならぬ。この三つのものをよく守つて行くことが出来れば天地のために自分の本心の虚靈不昧なる本性を発達せしめることが出来る。夥多の生民のために命を立てて、難儀せず安穩に暮して行かしむることが出来る。又子孫のために幸福を造つて殘し置くことが出来る。若しこの三つのものが守られぬときは内は自心を欺き、外は人を苦しめ、物を消費するのであるから、一時は權勢によりて榮華をいたすことがありても、必ず不幸に遭遇するか、死後にその子孫が難儀をするやうになる。これを平たく言へば、己れの仁心を全くし、他のものを冷遇せず、萬物の力を保護して行くことが大切である。これがために自己は固より一般人民、さては子孫に至るまで、工合がよくなるといふのである。我々日常の事にて最上至極とすべきは倹約に過ぐるはないと言はねばならぬが、倹約と言つても自分のために物事を吝むべしといふのではなく、世界のために三つ要る物を二つにて済むやうにするを倹約といふと石田梅厳が説いたやうに、世の中の物を無益に費すことを避くることが大切である。天下のために物を節して、無暗に人をつかはず、又牛馬の類を虐使せず、ただ物品や金錢のみでなく、すべての物を節して用ふべきである。  道義に隱る。  「利を好むものは道義の外に逸出す、その害顕はれ而かも浅し。名を好むものは道義の中に竄入す、その害隱れ、而かも深し」  利欲を好むものは最初から人の履むべき仁義道徳の外に飛び出して悪事を働くのであるから、その害毒はよく顕はれるのである。しかも人がそれに注意するによりて人を害毒することは浅いものである。これに反して名譽を好むものは常に仁義道徳の中にもぐり入りて、表面には仁義道徳を立てて内密に悪事をするがために、その害毒は世に隠れて、人が注意することが無いによりて人を害毒することが却つて甚大である。世の中には詐偽・竊盗《せつとう》などの罪を犯すところの小人は尠なく無いが、それは仁義道徳の心に?ぐるところが有りて此の如き悪事をなすので、固より悪るいには相違ないが、それよりも仁義道徳の仮面をかぶつて私かに悪事をなすものの害は隠れて顕はれぬから、その害毒は却つて深いのである。それに世の中には著るに衣なく、休むに家なく食するに米なくして、善くないこととは知りながら刑法に問はれて罪人となるものがある。それにはむしろ憫むべきものがある。これに反して、衣にも食にも住にも、何等不足のないもので、一己の名聞利養のために、悪事を企て、人を苦しめながら法に問はれず、それを善い事にして傲然として天下を横行し、憶面もなくして生活をつづけて居るものがある。その害を致すことは小人竊盗などに比すべくあらぬことである。  人情の刻薄  「人の恩を受けては深しと雖も報ぜず、怨は則ち浅きも亦これを報ず、人の悪を聞いては隱るると雖も疑はず、善は則ち顕はるるも亦これを疑ふ。これ刻の極、薄の元なり、宜しく切にこれを戒むべし」  人から恩を受けたときは、それが深い恩であつてもなかなか、報いやうとはせず、これに反して人から害を受けて遺恨の心が起れば一寸したことでもこれに報いる。それから又、人の悪事を聞けばその事が隱密でしかとわからぬときでも信じてこれを疑はず、これに反して、人の善事であれば、それが顕著のことでも直ちにこれを信ぜず、これは普通小人の態度で、不人情の極、浮薄の甚しいものである。されば十分心に戒めて、かりにもかやうな態度をしてはならぬ。  言ふまでもなく恩とは我々が生きて行くために周囲から与へられるところの力のはたらきを感じてこれをめぐみとするのである。我々をこの世に出して下された父母の恩、それから社會的共同生活をなして行く上に受るところの衆生の恩、この世を不安にして樂々として生きて行くことが出来るやうにして下さる国王の恩、それに我我をして真実に生きて行くやうにとたましひをそだてはぐくむためにはたらくところの仏、法、僧の三寶の恩、かやうに恩はまことに広大のものであるが、我々はこれを知ることすら容易でない。ましてそれに報ゆることはすこしも心にかからぬのが常である。しかしさういふ深遠なことでなく、平生我々が恩徳を感じて、ありがたいと感謝する心が起るにしても、それに報ゆることをせぬのが常である。それも自分に都合が善いと感ぜられたときにこれを恩と感ずることが多いのであるから、ただありがたいと感ずる心のみにて何等報ゆることがなくても自分に満足が出来るのである。これに反して怨を感ずるのは自分に都合が悪るいときであるから、どうしてそれに報ゆることをしなければ、自分の気がすまぬのである。それ故に怨は殘しといへどもこれを報ゆることをすることが必常である。これと同じやうに自分の勝手を主とする心は人の善事は十分確乎に見えて居るときでもこれを信ぜず、これに反して人の悪事は十分の証跡がないときでもこれを信じて疑はないのである。これは人に対しての心が刻薄なるがためであるから起ることである。我も人も共に深く自から反省せねばならぬと説く。  俗に混じ俗に汚されず  「世に処しては宜しく俗とともに同じふすべからず、亦俗と異なるべからず、事を作すには宜しく人をして厭はしむべからず、亦宜しく人をして喜ばしむべからず」  世間を渡るには、世俗と全然同じやうではよろしくない。しかし出間普通の人と全く反対に出ても不可である。世俗はもとより平々凡々であるから、それと同じやうにすれば自分も共に平々凡々となつてしまふ。さればと言つて、相手はいづれ俗人であるから、その俗人と異なりては世俗から除けるのにせられて孤立せねばならぬ。それ故に世俗に流れず、世俗と異ならず、よくその中間に立つて行かねばならぬ。  又事業をなすには、一切の人をして厭はしめてはならぬ、さればとて一切の人をして喜ばしめてはならぬ、その故は、何事でも自分一人では成就せず、多くの人を相手にせねばならぬ、しかるに人に厭がられては決して事を成すことは出来ぬ、さればとて一切の人を喜ばせやうとしては人の気ばかりはかつて居らねばならぬから、決して有益の事業を成すことは出来ぬ。俗に混じてしかも俗に汚がされぬことが秘訣である。  晩年精神百倍せよ  「日既に暮れてなほ烟霞絢爛たり、歳まさに晩れむとして更に橙橘芳馨たり、故に末路晩年は、君子更に宜しく精神百倍すべし」  一日は朝から晝を経て夕方に至り日は巳に暮れて太陽は西山に没してる、なほ烟霞は絢爛として鮮かに空にたなびいて、まことにその色彩が美しい。一年も春夏秋と経て冬に至り、もはや路晩にならうとするとき、更に橙橘の類が熟して芳しき馨を放つのである。かやうに自然の現象もその終に至りて甚だ振つて居る。君子もまた、その最後に臨み更に精神を百倍にして、あつぱれ死花を咲かさねばならぬことである。  多くの人は少壮のときには勢力も強く志気も盛であるが、晩年になれば勢力も衰へ、志気も沈み易いものであるからそれを衰退せしめずして益々精神を激励せねばならぬと戒めたのである。むかしから四十歳を初老といひその頃になれば家督を息子に譲つて、活きたる社會とは交渉を絶つといふやうな風習であつたが、それはよろしくない。  むかし曹洞宗の開祖の道元禅師が修行のために支那に渡つて天童山に居られたとき用和尚が、庭前に苔を晒して居られたのを見られた。時に炎熱灼くが如くであつた。そこで道元禅師は用和尚に向ひ「お年はいくつですか」と聞かれた。用和尚「六十八になりますわい」と答へられた。そこで「そんなことは若い方におたのみになつては如何でございますか」と道元禅師が言はれたのに対して、「はあ、他人のしたことは自分のしたことにはなりませぬわい」と用和尚は言つた。そこで「なるほど、しかしこの暑さでは御難儀でせう、すこし御休息ありては如何」と道元禅師が言はれた。それに対して「はて、一たび去りて再び来らぬこの時を過ごして、また何れの時を待たうと言はしやるか」と答へられた。道元禅師はこの言葉を聞いてますます行持の大切なることを知られたということである。後に道元禅師は百丈禅師の語に「一日作さざれば一日食はず」とあるを引きて「一日重かるべきなり、いたづらに百歳生けんとうらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり」と言ひて行持を尊ばれたのであるが、それは老年に至りても尚ほ壯年の時と同じやうにつとむべきである。  昔の人の造りたる老人六歌仙といふものに、老人の身体や精神の衰ふる樣を述べて居る。  皺がよるほくろが出来る腰かがむ頭ははげる毛は白ふなる  手はふるふ足はよろめく歯はぬける耳はきこえず目はうたふなる  くどうなる気短になる心はいがむ身はふるふなり  身にあるは頭巾えりまき杖めがね数珠と温石しゆびん孫の手  聞たがる死にとむながるさみしがる出しやばりたがる世話やきたがる  又しても同じ話に子をほむる達者自慢に人はいやがる  年齢の増加すると共に身体が漸次に衰ふることは固より生理的のことで、これを避くべきではないが、一旦受け得たる生命を尊重し、修養怠らなければ老て益々钁鑠《かくしやく》たることが出来る。さうして老て益々钁鑠たる身神をもつて、出来るだけ道のために尽すことは老年のものの当さに為すべき務である。  倹譲の徳  「倹は美徳なり、過ぐれば則ち慳吝となり、鄙嗇となり反て雅道を傷ぶる。讓は懿行なり、過ぐれば則ち足恭となり、曲謹となり、多くは機心より出づ」  倹約はつづまやかにして行くことで、人の行ふべき美徳である、しかしその程度を越えると物惜みするやうになり、吝嗇にして反て風雅の道を損してつまらぬものになる。いかに倹約が善いとて家族に食事をも滿足にせしめず、夜分は早くから消燈し、客がありても茶や菓子を出してもてなさず、途中雨に遇へば履物を拔で跳足であるくといふやうなことは倹約がその度を過ぎたもので、吝嗇の甚しきものである。風雅は贅澤では出来のことであるが、吝嗇のものでは風雅も追ひつかぬことである。  謙譲はひかへめにすることで、人の守るべき善行である。しかしあまりに謙譲が過ぐれば足恭となる。足恭とは恭に過ぐるのである。曲謹は細かに謹しみ過ぐるのである。足恭曲謹は自己の本心から出るのではなくして、機心とてわざとたくみたる心から出るものであるから、甚だ卑しむべきものである。何事にても過ぎたるはなほ及ばざるが如しである。  苦樂  「世人は心の肯がふところを以て樂となす、却て樂心にひかれて苦処にあり。達人は心の拂とるところを以て樂となす、終に苦心のために樂を換へ得て来る」  世間の人は多く、自分の気に入りて好むところを樂しみとして居る。それでその樂心に引ぱられて却つて苦痛の境界に陥るのである。これに反して達見の士は自分の気に入らぬところを以て樂しみとする。そこで終には苦心の結果として真実の樂しみが得られる。美しき家に住み、美しき衣を著け、美しい食を取るといふことは多くの人の心に肯ふところであるから、それを樂しみとする。しかるにそれがために財産が蕩尽するか、借金が出来るか、さうでなければ身体の健康を害するやうなことがあればそれは苦しみの種である。これに反して自分の心にもとるところを樂しみとするときは、苦心の結果として真実の樂しみが得られるのである。  すべて我々人間の欲望は得手勝手のもので、若し得手勝手のものでないときにはこれを肯ふことは出来ぬものである。それ故に、その欲望が達せられたときには必ず満足の心が起る。それを樂とするのであるが、しかしそれはそのとき限りのものである。そのときを過ぐれば欲望は更にあらはれてそれによりて更に新しい樂を求めて巳まぬことはそれ自体が一とつの苦である。それ故に、ただ無暗に快樂のみを貪ぼる心には終に真実の快樂が得られぬものであると言はねばならぬ。  小民畏敬  「大人は畏れざるべからず、大人を畏るれば則ち放逸の心なし。小民も亦畏れざるべからず、小民を畏るれば則ち豪横の名なし」  自分の上に立つ高徳の大人君子は畏れ敬まはねばならぬ、大人君子を畏れ敬へば自然に放逸の心が起らぬ。自分の下にある小民も亦畏れ敬はねばならぬ。自分の下にある小民は侮り易いものである。侮れば専横の行をしてこれを虐げるやうになる。さうなれば豪横の悪名を取らねばならぬ。  親鸞聖人の「唯信鈔文意」に「いまこのよを如来のみのりに末法悪世とさだめたまへるゆへは一切有情まことのこころなくして師長を軽慢し、父母に孝せず朋友に信なくして悪をこのむゆへに世間出世、みな心口各異、言念無実なりとおしへたまへり」と述べてあるが、まことに我々の心にまことの無いことは父母に孝せず、朋友に信なきことは論なく、畏敬せねばならぬ師長を畏敬せず、これを侮り軽んじて平気ですまして居る。師長は畏敬すべきものとして居るにして自分より下位のものはこれを畏敬すべきものとは考へて居らぬ。これも要するに人我の区別を立てて、しかも自是他非の心が強いがためであると言はねばならぬ。同じやうに真如からあらはれた真の心は人にも我に同じやうである。それに思慮分別が銘々にあらはれて他と我とを全く相離れたものにするがために、自分より上のものは兎も角も、自分より下のものは畏敬するには及ばぬといふことになる。さういふ心が放逸の本となり、専横の行となり従つて人間として人間らしい生活をすることが出来ぬのである。  忙者自促  「歳月本と長し、而して忙しきもの自から促る、天地本と寛し、而して鄙しきもの自から隘し、風花雪月本と閧ネり、而して勞攘のもの自から冗なり」  歳月は本来長久なるものである。しかしながら、多忙なるものは朝から晩まで彼此と奔走して、いつの間にか歳月が立ちて長き年月を自分で促るやうにするのである。さうして人の一生は夢の如くに短かいものであると言ふ。天地は本と寛調のものである。人間が潤歩するに何の差問もない。しかるに心の鄙しきものはこの寛闊なる天地にありて自から活歩することの出来ぬやうな境界をつくりて、世間はせまいと愚痴をこぼす。春には美しい花が咲き、夏には涼しい風が吹き、秋には明月、冬は白雪と、天地は本より悠閑にして何人も勝手にこれをながめることが出来るのである。しかるに日夜あくせくと東西を馳せ廻はりて労働奔走するものはこれをながめることが出来ず、自分でいそがはしくして世を過して居るのである。  又一方から言へば、歳月は悠久のものである。これまで何萬年と続いて来たのであるが、これから後も何萬年と続くことであらう。しかるに、人間はこの悠久の歳月の間にありて悠々として暮すことが出来ず、忙しくその日を送らねばならぬのは、生れてから死ぬるまで僅に五十年百年の間を自分の生命として考へて居るがために生きて居る間に彼もしやう、此もしやうとあせるがためである。  仏教にては、此の如く永久の歳月の間にあつて、我々人間は生れては死し、死しては生れることを幾百千遍も繰返すと説くのである。多生といふのはこの意味であるが、しかも多生の間にして、死しては生れ、生れては死すといふことは一とつの変化に過ぎなのである。死するといふことは丁度、日が暮れるやうなもので、幾時間の後には夜が明けるということが期待せられる。たとひ今生の縁が尽きて死亡するも、再び生れることが期待せられて、たとへば七生報国のやうな勇ましい希望の中に樂しく死に就くことが出来るのである。かやうに、永久の歳月を通じて人生を見れば我々の生命が永遠のものであるといふことが知られ、それを尊重せねばならぬことも明かになる。それ故に我々は現在の生活を更に善良として、後に伝ふべく努力することを肝要とする、決してそれを夢のやうな短かい生命としてあくせくと忙しく暮すには及ばぬ。どこまでも我々は自身の生命を尊重することに心掛くべきである。  夢中の夢  「靜夜の鐘声を聴いて夢中の夢を喚び醒ます、澄潭の月を観て身外の身を窺ひ見る」  悠久無限ともいふべき宇宙の間に精々百年の壽命を有する人間の一生はまことに夢のやうなものである。さうしてその夢の一生の中に吉凶禍福、泣いたり笑つたりして居るのはまことに夢中の夢に外ならぬものである「唯識論」に「未だ真覚を得ず、常に夢中に処す、仏説いて生死の長夜となす」とあるが、まことに我々は生死の長夜に夢を見つつ暮して居るのである。高尚院超然師の「俚耳談」に「この世は夢の中とは仏の寝言、胸に手を置いてつくづく案ずればああ恐ろしの夢の世の中、目開いて夢みる故、その言ふところは皆煩悩の寝言、まことの寝言は独言なれども、煩悩の寝言は、夫がおしひと言へば妻はほしひと答へて、父子兄弟かけ合、寝言をいふ、これが皆地獄の種、あら恐しの迷の夢、あげくの果は火の車」然るに世間世事に追はれて彼此に奔走して居るときは、此事につきて、別に何の考へも起らぬのであるが、夜が静まり、人が定まりて萬箱寂とし声なきといふやうな時には、ごーんと撞き出す遠寺の鐘の声を聴いて忽ちにこの夢を醒めて、この身が夢中の夢の中に生活して居るといふことを恐ろしく感ずるのである。  又この身はただ五尺の?だけであると思ふて居るが、よく活眼を開いて見れば、天地萬物が悉く我が身の全体であるといふことが知られる。それも平生勾忙として居る間は気がつかぬのであるが、潭水の澄みきつた所へ天上の月が映つたその影を見るときには月は天上にばかりあるのではなく、水中にあるといふことを知ると同時に、我が全身もこの五尺の?のみでなく、到る処に我が身があらはれて居るといふことを悟る。これすなはち身外の身を窺ひ見るのである。肉体上の我といふものがありて、この月に似て、天地に行き渡らぬ隈もなく、我と宇宙とは同一体であるといふことが悟れるのである。かやうな悟りを得たものが真の達人であると言はれる。  塵中の塵  「山河大地既に微塵に属す。しかるを況や、塵中の塵をや、血肉身?且つ泡影に帰す、しかるを況や影外の影をや、上上の智にあらざれば了了の心なし」  仏教にては世界の成・住・壌・空の四劫といふことを説くのであるが、それはこの世界の初めは空虚である。その空虚の中から天地萬物が出来る。その時を成劫といふ。劫といふのは永い時といふことである。天地萬物が出来ればそこに人間や畜生などが出来る。その時を住劫といふ。かやうにしてあらゆる物が出来上つてしまへば大水、大火、大風などが起つて世界が破壊して微塵となる。これを壊劫といふ。すべてが破壊して何物もない空虚となる時を空劫といふ。さうしてその空虚の中に又新に世界が出来る。出来て又破壊する。破壊して空虚となつた後に又成生する。成・住・壞・空。成・住・壊・空とぐるぐる循環して窮まることのないのが世界の状態である。さうすれば、現在の山河大地がいかに広大でも早晩必ず破壊して微塵となるにきまつて居る。山河大地のやうな広大なものでも、微塵となるべきことにきまつて居るとすれば、ましてその山河大地の間に存在して居るところの塵中の塵といふべき萬物は無論微塵になることは知れて居る。又皮肉や血液より成れる我々の身?も百年を待たずして泡影の如くに消えてしまふのである。まして影外の影ともいふべき富貴榮華などが悉く消えてしまふことは言ふまでもない。かくの如く、諸行無常は世界の常で、宇宙の事物は一として永久不滅のものは無いのである。それ故によくこの理を悟れば世の中に毫も執著すべきものはなく、洒洒落落として安心立命すべきである。しかしながらかやうな甚深の妙理は上上の明智ある人でなければ明了に悟ることは六ヶ敷い。「金剛般若経」に「一切有為法、如露亦如電、応作如是観」とあるはこのことを示すのである。  蝸牛角上の争  「石火光中に長を争ひ短を競ふ、幾何の光陰ぞ。蝸牛角上に雌を較べ雄を論ず、そくばく大さの世界ぞ」  石と石と打ち合つて火が出て又すぐに消える。この火光のやうな短かい瞬間に、彼は短かいの、我は長いのと互に長短を競ひ争ふて勝つて見たところで幾何の年月の間続くべきか。又この世界は蝸牛の如くに狭い場所の上で雌雄を争ふて勝つた所でどれほどの世界であるか。白居易の詩に「蝸牛角上争何事、石火光中寄此身」とあるに本づいたのである。「荘子」の難篇に蝸牛の左角に一国がありて觸氏といひ、右角に一国がありて蛮氏といふ。この觸と蛮とが互に土地を守ふて戦をなし、屍骸が数萬に及ぶといふことが書いてある。これは固より寓言であるが、凡人の眼より見れば小なる者のも大なりと見へ、達人の眠より見れば大なるものも小なりと見へるのであるから、達人は天下をも一蝸牛と同じやうに見る。そこで天下の英雄が互に雌雄勝敗をふの恰かも蝸牛角上の蛮觸二氏の戦争のやうなもので、どちらが勝つても敗れても、どれほどの世界を占領すべきか。まことに馬鹿気た事である。かやうに宇宙を看破することが出来れば一切世間の得失につきて徒らに心念を労することなく、悠々として一生を送ることが出来るのである。これは要するに人は区々たる世上の競争事とせずして超然独立その天命を全うすべきことを説いたのである。  出世の道  「出世の道は即ち世を渉る中にあり、必ずしも人と絶ち以て世を逃れず。了心の功は即ち心を尽す内に在り、必ずしも欲を絶ち以て心を灰にせず」  出世の道とは世間を出離することをいふ。世間は五欲六塵の巷であるから、これに溺れては種々の妄想や煩悶が起りて常に苦しまなければならぬ。それ故に、これを出離し、世外に超然として安樂の境界に立つがために種種の修行をするのである。仏教はこの出世の道を教ふるのであるが、その修行の実際の方法としては捨家棄欲が主とせられた。それ故に、仏門に入るものは先づ頭を剃り、妻子を捨て、一物を持たずして深山幽谷に住みて世間と離れることが出世の道であると考へられた。平安朝時代に持経者といひて、妻子眷族を始めて一切の所有を捨て、甚太瓶一とつをも持たずして、山の中に入り、専ら法華経を読誦し、以て世間を出離しやうとした連中を始め、その後、何れの場合でも、苟も宗教生活に入らむとする志を起したのに全くその家庭生活を捨てることを第一としたのである。これは出世の道は世間の外にあるものと誤りて、元来社會的生活を営むのが人間の本性であることを忘れて、木石のやうな生活を遂ぐることをつとめて以て世間を出離しやうとするのである。しかし仏教にて説くところの出世の道は、かくの如く、世間の生活を厭ひ、世間の交際を棄て、山の中に入りて孤独の生活をなすことによりてその目的が達せられるものではない。出世の道は全くこの世間を渉る中にあるので世間の中にありて世人と交はり、しかも世間に溺れず、世俗に染まず、超然として世上に卓立するところに出世の道が存するのである。たとへば蓮が泥の中に生じ、しかもその泥に染まずしてその上に卓立して美しき花を開きて清香を放つと同じやうに、泥の中に居りて泥に染まず、必ずしも人間の交際を絶ち世間を逃げることを要せずして出世の道は得られるのである。了心とは自己の心性を明了に悟ることをいふ。悟道明心の工夫は心を究め尽すところに存するものであるが、心を究め尽すといふは、我が心これ何物ぞと、微細にこれを詮索して明了にこれを見得することである。たとへば名聞利養を求むる心はまことに善くないものであるが、しかし名聞利養の心があるによりて人間は学問其他のことに志して、その結果の善いことを致すのであるから徒らに名聞利養を求むるの心を排斥せずしてむしろこれを尊重せねばならぬこともある。それ故に了心の功は即ち心を尽す内にあるから、必ずしも欲を絶ちて以て心を灰にすることを要せぬのである。然るに妄想煩悩が情欲より起るものであるからと言つて、耳目口鼻、飲食見聞一切の情欲を絶ち、是非得失一切の念慮を断ち、身を枯木の如くにし心を死灰の如くにして、それを悟を得たもののやうに思ふのは大いなる誤である。  是非得失につきて考ふる念慮は人間の本性として当然あらはるべきものである。これを断ち去るとせば人間としての価値は無くなる。実際、是非得失の念慮を起すことをやめやうとすることはすなはち人間をやめやうとするのである。さういふことは決して我々がつとむべきものではない。仏教が出世の道を説くのも決してさういふ非理的のことをすすめるのではなく、是非得失の念慮が盛に起りて、それに苦しめられることを知る者、それから離れることを勧めるのではなく、常にあらはるるところの是非得失の念慮に対して、十分に修めたる心を以てこれに接し、すこしもそれに纒縛せられぬやうにと教へるのである。  聖境自ら臻る  「物欲に羈鎖すれば吾が生の哀むべきを覚ゆ。性真に夷猶すれば吾が生の樂むべきを覚ゆ。その哀むべきを知れば則ち塵情立ろに破る。その樂しむべきを知れば則ち聖境自から臻る」  物欲に羈鎖するといふは貪欲の煩悩に束縛せられるといふことである。外物を貪ぼるところの欲心にとざされて居れば世の中が哀れに思はれる。「大無量壽経」に「此の劇悪極苦の中に於て、身の営務を勤め、以て自から給済す。尊となく、卑となく、貧となく、富となく、少長男女共に錢財を憂ふ。有無同然なり。憂思まさに等し。屏營愁苦して念を累ね、慮を積み、心のために走せ使はれて安き時あること無し。田あれば田を憂ひ、宅あれば宅を憂ふ。牛馬六畜奴婢錢財衣食什物も復た共にこれを憂ふ、思を重ね息をつみて憂念愁怖す。横さまに非常の水火盗賊怨家債主のために焚漂劫奪せられ、消散し磨滅す。憂毒松松として解くる時あることなし、憤りを心中に結びて憂悩を離れず、心堅く意固くして適ま縦捨することなし。或は推碎に坐して身亡び命終ればこれを棄捐して去り誰も從ふものなし。尊貴豪富も亦この憂あり、憂懽萬端にして勤苦此の若く、もろもろの寒熱を結びて痛みと共に居る。貧窮下劣にして困乏常に無し。田無ければ亦憂へて田あらむと欲す、宅無ければ亦憂へて宅あらむと欲す、牛馬六畜奴婢錢財衣食什物なければ亦憂て之あらむと欲す。適ま一あれば復た一を少ぐ、是あれば是を少ぐ、齊等に有らむことを思ふ。適ま具さに有らむことを思へば便ち復た糜散す。是の如く憂苦して、まさに復た求索すれども時に得ること能はず、思想益なく、身心?に労れて坐起安からず、憂念相随ひて勤苦すること此の如く、亦もろもろの寒熱を結びて痛と共に居る」とある。まことに我々人間は薄情なる風俗にて、煩悩に束縛せられ、欲心のために使はれて一生涯安穩なることを得るの時がなく、痛苦と同居して各自の業務に服事して活計を立てて居るのである。物欲に束縛せられて求める心が強く盛であるのに、この欲望は常に達することが出来ぬのであるから世の中は哀れに思はれるのである。しかるに、その哀れに思はれるところで、真に世の中は無常である、有為転変、少しもたのむべきものでないといふことを知つて見れば外物を貪ぼる糜情は立ちどころに破れてなくなるのである。  性真に夷猶するとは自己の心性を徹見してたゆたふことと、心を悠々と持つて居ることである。我々の真性が常住不変であるといふことを知り、貪欲の煩悩を離れて見れば人生の樂しむべきことがよくわかる。さういふやうに心が開けて来れば神聖なる境界が自然に現前するのである。  何れにして、世の中は自己の見解如何によりて相異するもので、功名富貴等外物に対する貪欲のためにこの身と心とが束縛せられるときは窮屈で、人生はまことにかなしむべきものであると考へられる。しかるに、若し人間の本然の性を知りて、束縛から離れ、悠々として居れば人生はまことに樂しむべきものである。かやうにして貪欲に縛られて居るとかなしむべきであるといふことを悟れば世間の欲望はたちまちに消えてなくなる。それから本然の性を知るときは樂しいといふことを悟れば、神聖なる心の境地が自からにして到来するものである。  無念無想  「今人は専ら念なきを求めて而かも終に無かるべからず、ただ是れ前念滞らず、後念迎へず、ただ現在的の隨縁を将つて、打発し得て去れば、自然に漸々無に入らむ」  我々人間が煩悩のために苦しまねばならぬのは、念とか想とかと言はれる心のはたらきに本づくものである。それ故に、道を求めるものは專ら無念無想になることを期すべきであると説かれるのである。釈尊が出家の始め阿羅選仙人に就て道を問はれたとき、仙人は「色想を離れて空処に入り、有対の想を滅して識処に入り、無量の識想を滅し、唯一識を観じて無所有処に入り、種々の想を離れて非想非非想処に入る、ここを名づけて究竟の解脱となす」と言つた。しかるに釈尊はこの言を聴きて「その知見する所、究竟の処にあらず、これ永く諸結煩悩を断ずるにあらず」と思惟せられたといふ。釈尊の意にては非想非非想の処はよく我と我想とを除きて一切を尽く捨つるときにあらはるるもので、これをこそ真の解脱となすとするにあつたのである。誰人にしても自分に思慮分別の心のはたらきがあるためにいろいろの煩悩が起るのであるといふことを知れば無念無想になりたいと願ひ求めるであらう。しかしながら思慮分別の心のはたらきは元来、人間に備はつて居るのであるから、いくら念を無くしやうと思つても念はどうしても無くなるものではない。それに元来人間の本性たる思慮分別を無くするといふことはむしろ人間の価値を無くしやうとするものでほめらるべきことではない。  しかしながら思慮分別のはたらきは、いろいろの煩悩を起して我々をして苦しましめるものであるから無念無想を願ふべきことは当然である。それにしてもただ徒らに念慮の止むことを望むでその目的が達せらるることはない。それ故に、さういふことを求むるよりは、ただ前念が起つたときは起つたままにしてそれにかかはらず又後念が起つて来るのを迎へることなく、前念にも後念にも関せず、ただ現在の縁に従つてはたらいて行くときは、自からにして漸々に無念無想の境界に入ることが出来るのである。盤珪禅師の法語に「いかり腹立や、おしや貧やのおこるを止めふと思わしやつて、それを留めますれば一心が二つになります、走るものを追ふがごとくでごさる、起る念を止めると、たしなみましたぶんでは、永代起る念と止めふと存ずる念が、たたかひましてやまぬものでござる。たとひふと思はず知らずに瞋ることござるとも、又おしや貧やの念が出来ませうと、それは出来次第にいたし、其念を重ねてそだてず、執著いたさず、おこる念を止めふともやめまいとも其念にかかはらされば、自から止まひではかなひませぬ。たとひ色々の念が起りますと、その起り出しました当座ばかりにて、重ねて其念にかかはらず、うれしきにも永く念をかけず、一心を二心にいたさぬがようござる。常に心持をかやうに思はつしやれば、あしき事をも、善き事を思ふまひの、やめふのと、思はつしやらねば、おのづから止まひではかなはぬ」と説いてあるが、実際その通ほりで、煩悩の心から離れやうとせず、煩悩の心を捨てやうとせず煩悩の心をその儘に直視するところに煩悩のはたらきは止むものである。  我を以て物を転ず  「我を以て物を転ずるものは、得も固より喜ばず、失も亦憂へず、大地尽く逍遙に属す。物を以て我を役するものは、逆は固より憎を生じ、順も亦愛を生ず、一毛便ち纏縛を生ず」  我を以て自由に天地間の萬物を運転使用するものにありては、富貴功名を得たからとて有頂天になりて喜ぶやうなことはない。又これを失ふたからとて落膽して心配することはない。得失窮通によりて心を動かすことがないから大地に立ちて常に自在に逍遙することが出来るのである。これに反して萬物のために我が身を使役し、常に外物のために転ぜられるものは、功名富貴の奴隷となつて居るのである。それ故に、逆境はこれを憎み、順境には愛著して、一本の毛ほどの事もその身心を束縛して、それがために苦しめられるのである。  人々が若し私心を棄てて、世の中の一切の物に対し、その物自身に備はるところの価値を認むるときは我を以て物を転ずることが出来る。たとへば旅行しやうとする折に生憎雨が降る、私心から言へば雨のために苦しまざるを得ぬ。これまさに雨のために使はれたのである。若し私心の勝手を捨てて、降雨そのものが自然の法則として世界に住める人々のために生存のために、必要なる飲料を供給することを考へれば降雨のために心を苦しめずしてすむ。これまさに我を以て物を転ずるのである。萬物を自由に運転使用すると言ふべきである。それ故に得ることも喜ばず、失ふことも憂へず、常に大地の上に立ちて自由自在に横行闊歩することが出来るのである。慧能禅師の語に「心迷へば法華に転ぜられ、心悟れば法華を転ず」とあるのは全くこの意味を示されたので、「法華経」は固より転迷開悟の法門を説いたものであるが、それにしてもそれに対する人の心が迷へば法華に転ぜられるのである。西行法師の歌に「心にて心に物を思はせて身を苦しむる我身なりけり」とあるのも物を以て我を役する心のあさましきことを誡めたのであらう。  執相破相  「真空は空ならず、執相は真にあらず、破相も亦真にあらず。問ふ世噂如何か発付する、在世出世、欲に狗《したが》ふは是れ苦、欲を絶つも亦これ苦なり、吾儕の善く自から修持するを聴け」  天地間の萬物はそれぞれその形相がはつきりと種々にあらはれ居るが、しかしこの形相は諸種の因縁によりてあらはれて居るもので、決してその実体とすべきものは無い。たとへば一軒の家は柱や屋根や石やなどが集まりて出来て居るもので、その実体として家と名づくべきものはない。人間の体も同じことで、それは骨や筋や皮や毛やなどが集まりて身体は出来て居るので、それを一とつ一とつに分解して見れば別に身体といふべきものはない。むかしの人の考へでは人の身体は地・水・火・風から出来て居るといひ、仏教では五蘊(色、受、想、行、識)の集合によりて生がある、それが分散すれば死であるといひ、人間の身と心とに実体とすべきものは何もないと説いたのである。それ故にすべての物に形相はあるが実体は曾て存在しないといふのである。「般若心経」に「色即是空、空即是色」とあるが、色とは形相のことである。形相は前に言ふ通ほりで実体がないから空である。しかしその本体は空にしても形相はいろいろと我々の眼の前にあらはれて居るから空すなはち色である。色とは形相のことで、萬有といふも同じことであるから萬有は空、空は即ち萬有と言つてもよい。空と言つても有を離れた姿で、何にも無い虚無ではない。故に真空は空ならずである。しかし形相を執つて書に存在するといふは真でない。破相と言つて形相を排斥することも真ではない。空と有との一方に偏することはよろしくない。しかるに釈尊はその意見を述べらるるかと問ふに、世間にありても、世間を超出して居るにしても、欲にしたがふのは苦である。さればとて欲を断ち去ることも苦である。たとへば火に觸るれば燒け死ぬるのであるが、さればとて火に離るれば凍へて死ぬる。それ故に觸れず、離れず自由にこれを用いて行くべきである。それと同じく、人欲にしたがへば執相に陥り、人欲を断てば破相に堕つる。共に真でないから苦悩の種である。それ故に、執せず、破せず、したがはず、絶たず、自由にこれを用ひて行くのがよく修持するといふべきである。古の歌に    有と無とのあひを流るる阿弥陀川しがらみ絶えてかかる瀬もなし  とあるはよくこの妙理をさとつたものと言ふべきである。  心と境  「理寂なれば則ち事寂なり、事を遣つて理を執するものは影を去りて形を留むるに似たり。心空なれば則ち境空なり、境を去りて心を存するものは羶を聚めて蚋を却くるが如し」  理と事とは形と影とのやうなものである。それ故に理が空寂であれば事も空寂である、丁度形が無ければ影も無いやうなものである。しかるに事だけを捨てて理のみを固く執つて居るならば、それは影を去りて形を留めて居るやうなもので何にもならぬ。事を執するは迷であるが、理を執するのも同じく迷である。心が空虚であれば境も自から空虚である。しかるに境を去りて心を存するものは、丁度なまぐさいものを多く集めて置いて蚋や蠅をそこに寄せつけぬやう追ひ却けると同じことで終に駄目である。心に酒色を求むる念が無ければその境地は酒肆淫房でありても決して酒色のために身心を悩乱せられることは無い。酒色の境地は存して居つてその心が空であればその酒色の境地もまた空である。しかるに、境を去りて心を存するとき、即ち酒肆淫房を離れて深山幽谷の中に居つても酒色を思ふ心が依然として胸中に存在するならばそれはなまぐさいものを多く聚めて置て蚋や蠅を追ひしりぞけるやうなもので結局駄目である。しかるに世間の多くの人は境遇が専ら人の心を移すものであると思ひ、不良の境遇を去つてこれに近づかぬやうにして其心を全うせむと思ふて居るが、これは本末を誤つたことである。そのやうな心ではたとひ山林の中に移るもその心は依然俗界に彷徨して居るに相違ない。  物外に超ゆ  「試みに未だ生れざるの前は何の象貌か有ると思い、父既に死するの後は何の景色をか作すと思はば則ち萬念灰冷し、一性寂然たり、自から物外に超え、象先に遊ぶべし」  試みに此身の未だ生れぬ前は如何なる象貌であつたかと考へて見よ、固より大小妍醜の見るべき貌象は無いことが知れるのである。又既に死むだ後は如何なる景色であらうかと考へて見よ、英雄豪傑も佳人才子も齊しく独機となつて仕舞つて少しも辨別がつかぬことがわかる。妍醜、貴賤、貧富もただ五十年か七十年かの存生中のことである。それ故に未生以前にも既死以後にも何等の区別はないといふことが知られるときには、焔の如くに燃え起つて居る千萬無益の妄念も忽ち冷灰の如くに消え失せて一片の真性のみが寂然として動かぬ。かやうにして萬物の外に超越して差別の世界に遊ぶことが出来る。象先とは「荘子」に出でたる言葉で現象のいまだ起らぬ処、物の始とか実在界とかといふやうな意味で無差別の境界といふほどのことである。多くの人は専ら生死を苦にして居るのであるが、かやうに生前と死後とを思へば畢竟無より出でて無に帰するのであるが、心のみは宇宙と一体で、永久不滅のものであるといふことがわかる。さうすれば富貴を得たいとか、貧乏が厭ぢやとかといふやうな種々の妄念は忽ち消えて死灰の如くなり本性のみが殘り、これにより萬物の外に超越することが出来るといふ「荘子」の思想を伝へたものである。  禍福超越  「病に遭ふて而して後に強の寶たるを思ひ、乱に処して後に平の福たるを思ふは蚤智にあらず。福を倖ひ而して先づその禍の本たるを知り、生を貪ぼり而して先づその死の因たるを知るはそれ卓見なるか」  病気になりてから後に無事息災はまことに有難いと思ひ、乱世に処して困難を感じて後に太平無事の世は仕合であると思ふのは誰にでも出来ることで先見といふべきではない。これに反して、福をこひねがふに方りて、どつこい待つた、福は畢竟福の根本である、福が来ればやがてその反対に禍が来ると思ひ、又生を貪ぼつて長生をなさむと欲して、いや待て、生を延ばさむとして仙薬を飲むだりなどするのは却つて命を縮め死を早める原因であるといふことを悟り、禍福生死を超越して全くこれを忘れて仕舞うのは尋常の人には出来ぬことである。これはまさしく卓見とすべきものである。  観心齊物  「心に其心なし、何ぞ観にあらむ、釈氏心を観ずと曰ふは、重ねて其障を増す。物は本と一物なり、何ぞ齊ふするを待たむ、荘生物を齊ふすと曰ふは、自から其同を割く」  自己の心の中に種々の妄念が無くば特に観心といふことを為すの必要はない。観心を要するは種々の妄念が存するがためである。無常観とか不浄観とかとふて、観心の法が説かれるのは一切の物は常住なりとして之を執著し、一切の物は清浄なりと誤まつて之を執著するからこの執著を除くために観心の法を説くのである。若し此の如き妄念が無ければ観心の法を修するに及ばぬのである。しかるに我々の心に本来此の如き妄念があるかと言へばそれは決して本来固有のものでなく、ただ時々に起るものである。それ故に、仏教では人は誰でもその心を観ぜねばならぬといふが、これは愚人に向つては尤のことであるかも知れぬが、達人に向つては不要で、若しこれを真実に受けて其心を観ぜむとあせれば却つて煩悩の障りを増すのである。それから萬物は、これを絶対の上から見れば相通じて一となりて居るから、何も是非善悪の区別を抹殺してこれを齊ふするには及ばぬ。粒子は齊物論を作つて是非善悪を去れと言つたが、これは萬物の一なることを悟りたる人に取りては不必要のことである。巳に一なることを悟つたのに又これを一にせよといふのは自己の考へが間違つて居たかの如くに思はしめ、折角同一にしたものを又割つてしまふやうになる。仏教の観心、荘子の齊物、共にその説に拘泥することのよくないことを言つたのである。  喜寂厭喧  「寂を喜び喧を厭ふものは往々人を避け以て靜を求む。知らず意人無きに在れば便ち我相を成す。心静に著せば便ち是れ動根。如何ぞ、人我一視、動靜兩忘的の境界に到り得む」  寂しいことを喜び、騒がしいことを厭ふものは往々人間を避けて深山幽谷の裡に独居して、さうして寂靜を求めるが、これは人の居ない処に居たいといふ意がありて、人を邪魔にするのであるから、我を立てて居るのである。すなはち我相といふもので無我相とはいはれぬ。又その心が静寂に執著して居れば取りも直さず動乱の根本である。何故なれば我といふのは人に対して立ち、静は動に対して起るものであるから、どちらにしても一方を執著すれば必ず他の一方も自から起らねばならぬ筈である。人間を避けて静寂を求めて居るものは此理を知らぬ。どうしても人我を一体に見て、動静二つながら忘れてしまうといふ安樂の境に至り得ることが出来ぬのである。人も我も同一に見ることが出来るやうになれば人を邪魔にする念も起らず、動も靜も共に忘れて、それ以上に超越してしまへば別に静寂を得たいといふ念も起らぬのである。  念想  「人生の福境禍区は皆念想より造成す。故に釈氏云く、利欲熾然なれば心ち是れ火坑、貪愛に沈溺すれば便ち苦海と為る。一念清浄なれば烈焔も池と成り、一念警覚すれば船彼岸に登る。念頭稍々異なれば境界頓に殊なる。慎まざるべけむや」  人生の幸福なる境界と、災禍なる区域とは、皆人々の念想から造り出されるものである。それ故に仏教にては利欲を求むる念が熾なれば此世から焦熱地獄に落ちたもので、貪愛の情に溺れ沈むものはすなはち苦海といふものを造り出すのである。これに反して、自己の一念が清浄であればこれまで燃え立つて居つた烈焔も忽ち変じて清涼の池となる。又從来無明長夜の迷の夢が一念覚めて見れば煩悩生死の苦海に漂ふた船も直ちに常樂の彼岸について居るのである。ただ自己の心念が少しく異なればその境界が頓にかはつて来るのである。一念の持ちやうで苦界も生じ、業界も起つて来るのであるから、深く慎しまねばならぬ。  嗜欲ゆ天機  「風月花柳なければ造化を成さず。情欲嗜好なければ心体を成さず、只我を以て物を転じ、物を以て我を役せざれば、則ち嗜欲も天機にあらざるはなく、塵情も即ち是れ理境なり」  天地の間に風月花柳がなければ実に寂莫たるもので造化の技工も完全でないと言はねばならぬ。これと同じく人間にも喜怒哀樂の情欲や、耳目口鼻の嗜好が無ければ実に無味乾燥で、殆ど枯木の如くにして人間の心体を成さぬと言はねばならぬ。ただ我を以て物を転じ、自己が主となつて萬物を自由に運転して行くときは物は皆悉く妙工をあらはすのである。しかるに凡俗の人は兎角、物のために自己が使はれてしまふから、紅塵萬丈の境を離れ情欲嗜好を抑制するの必要がある。しかるに若し我よく物を転じて物のために使はれることさへなくば、嗜好も情欲も皆天然の妙機でないものはなく、塵情も理想の妙境でないことはない。  富貴思貧賤  「富貴の地に処しては有賤的の痛癢を知らむことを要す。少壮の時に当りては須らく衰老的の辛酸を念ふべし」  富貴の地位に居るものは財産もあり、權勢もありて、自身に不自由を感ずることなく苦痛といふことを知らぬものであるが、世の中は富貴のものばかりではなく、貧賤のものも居る。一面から言へば貧賤のものが居るので、富貴のものがその地位を保つて行くことが出来るのである。それのみならず、有為転変は浮世の常であるから、何時自分が貧賤の身となるやも知れぬことである。それ故に、富貴の地位に居るものは貧賤のものの不自由、苦痛はいかやうであるかといふことを知りてそれに対して同情することが肝要である。又少壮の時代は血流が盛で身体が健かであるから風雨寒暑もさほど苦にならず、歩行なども自由に出来るが、年老て身体が衰弱すると、少壮の時のやうには行かぬ。中々苦しいものであるから、人は誰も何時までも少壮であるものではなく、必ず老衰するものであるということを考へて少壮の時代に於て老老したときの苦労を予め心得てその覚悟をせねばならぬのである。老後に家なく、食なきが如きことのないやうに心がくることは勿論、不幸にして夫や妻にさきだたれ、親しき友に別れてなほ孤独に歎くことのないやうに予め用意することが肝要である。  迹用と神用  「人有字の書を読むことを解して無字の書を読むことを解せず。有絃の琴を弾ずることを知り、て無絃の琴を弾することを知らず迹用を以てして神用を以てせず、何を以て琴書の趣を得む」  世間の人は、ただ文字を以て書かれたる書籍を読むことを知りて、文字を以て書いてない書籍を読むことを知らぬ。「我法一心、不立文字」と達磨が言つたとありて宇宙の理法は文字に書けぬといふことから、文字によりて思想を解することは出来ても、文字を以て書きあらはさない宇宙の理法を試み破ることは出来ぬといふのである。又紘の張りてある琴を弾ずることを知りて絃の張りてない琴を弾ずることを知らぬ。陶淵明の伝に「淵明音律を解せず、しかも無絃琴一張を蓄へ、酒適する毎に職ち撫弄して以て其意を寄す」とあるが、すべて世間の人は形体上の用のみを事として、これを超越したる精神上の用をなすことが出来ぬ。迹用とはその物の形体を用ふること、神用とはその物の精神を用ふることである。若し活眼を開いて見れば宇宙の萬象、百般の人事、悉く無文字の書であるが、ただ文字にあらはしたることばかりを読みて、この無文字の活書籍を読むことを知らぬ。世間の人はただ有絃の琴を弾ずることを知つて居るが、無絃の琴を弾ずることを知らぬ。それといふのも、ただ物のあとかた即ち形相のみに取りついて、その精神を捉へてこれを用ふることが出来ぬからである。かやうなことでどうして琴書の趣味を會得することが出来ようぞ。兎角物の形相ばかりに取りついて居りてはその真味は解されぬ。その精神を捉へねば用には立たぬといふことを知らねばならぬ。  泉石膏肓  「富貴を浮雲にするの風あり。而して必しも岩棲穴処せず。泉石に膏肓するの癖なく、而して常に自から酒に酔ひ詩に耽る」  孔子の語に「疏食をくらひ、水を飲み、眩を曲げて之を枕とす、樂亦其中にあり、不義にして富み且つ貴きは我に於て浮雲の如し」とある。この語は「論語」に出てゐるが、富貴を以て浮雲のやうに、有るが如く無きが如くに思ふといふことは高潔なる気風であるが、しかし世間がうるさいからと厭ひ離れて山中に逃れ、岩石の裡に棲みて、猿や狸などと同様の生活をすることは人間としての価値がない。それ故に、富貴を浮雲の如くに思ふといふ高潔な気風がありて、しかも仙人のやうに岩棲穴処せず、世間にありて社會のために尽すことを肝要とする。酒に酔ひ詩に耽るものは多く世事を放棄して泉石に膏肓するやうになり易い。膏肓とは病膏肓に入れば必ず死するとて死病のことである。彼の隠遁者と称する輩は世間を逃れて山林に入り、泉石を愛してこれを離れることが出来ぬ。それは一種の病人で人間の世界には無用の長物である。さういふ悪癖なくして、常に酒に酔ひ詩に耽るといふやうな悠々たるところが無くてはならぬ。要するに世間に卓立して世間と違はず、何事も一方にかたよることなくその中庸を守らねばならぬのである。  不誇独醒  「競逐人に聴せてく醉ふことを嫌はず。恬淡巳に適して独り醒むることを誇らず。これ釈氏の所謂、法のために纏せられず、空のために纏せられず、身心兩つながら自在なるものなり」  世人が功名利達を得むとして競争驅逐、互に我れ劣らじと追ひ廻はすことは、達人から見れば狂気じみたことで、その仲間に這入つて競逐することは固より真面目なものの出来ることではない。しかしながらこれは世間の人人の常態であるから、世人の為すがままに聴《ま》かせ、自由にさせて置くべきである。世人が尽く酔ふて騒ぎ廻るのを嫌ふには及ばぬ。しかし自分はものしづかに、あつさりとして功名利達を追ひ求めず、悠々として自分の意に適するやうにすべきである。さればとて、世人は尽く名利の酒に酔い潰れて居るが吾は独り醉はぬとて人に向つて誇りちらすには及ばぬ。楚の屈原が至つて潔白の人で、世人は皆醉ふて居る、我れ独り醒めて居ると言つて、世人から離れ、後に泪羅江に身を投げて死むだやうに中々苦しいことであるから、世人の就逐は競逐するままに自由にさせて、その醉へるを嫌はず、自分は独り醒めて居つても、その醒めて居ることを人に示すには及ばぬ。つまり酔はず、醒めず、その中間に立ちて自由に世を渡ることが肝要である。これが仏者のいはゆる法のために縛ばられず、空のために縛ばられず、身と心とが自由であるといふのである。世の人々が世の事物のためにあくせくとして居るためにその身と心とが縛られて居るのであるが、これに反して世間一切の事物は悉く空であると悟つて枯木死灰のやうになるのは空に縛られたので、兩方共に自由の境地ではない。そこで醉はず、醒めず、醉と醒とを超越すれば物のためにも又空のためにも纏縛せられず、身心共に自由なるものであるといふのである。  延促と寛窄  「延促は一念に由り、寛窄はこれを寸心に係く。故に機閧ネるものは一日も千古より遙なり。意広きものは斗室も寛きこと兩閧フ如し」  延促は長短をいひ、寛帯は広狭をいふ。月日の長いと短いとは月日そのものにあるのではなく、ただ我々の一念によりて長短の差があるのである。それ故に心機の悠閧ネるものただ一日でも千萬年の長きよりも遙かに長いものである。これに反して心機の忙しきものは百年の長きも一日より猶ほ短かいものである。時間の長短のみでなく、卒閧フ広狭も同じやうに一心より起るもので、一心の模様によりて広狭の差があるからこれを寸心に係くといふのである。それ故に意のひろびろとして居るものは斗《ます》のやうな小さき室に居ても天地の広大の如くに思はれる。これに反して意の狭いものは天地の広大なる処にも膝を容るる処がないやうに思はれる。何事も我心次第である。多忙のときには一日が短かく、濶ノのときには一日が長い。窮屈の客となりては大なる家屋にも頭がつかへるやうに思はれ、九尺二間の小屋でも自分の家は広く思はれるのである。  知足  「すべて眼前に来たるの事は足ることを知るものは仙境、足ることを知らざるものは凡境。すべて世上を出づるの因は、善く用ゆるものは生機、善く用ゐざるものは殺機」  すべて我々の眼前に来るのは衣食住を始めその他、何事でも、これで十分であると満足するものは如何なる場合にも苦痛を知らず、浮世の風塵を離れたる仙人の境界に在るやうな心地である。これに反して、足ることを知らぬものは、如何なる境遇に満足することの出来ぬ凡夫の境地に在るものである。これに就て釈尊の教が「遺敦経」に載せてあるが、それには「汝等比丘もし諸の苦悩を脱せむと欲せば当に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富樂安穩の処なり。知足の人は地上に臥すと雖も猶ほ安樂なりとす。不知足のものは天堂に処《お》ると雖も亦意に称はず。不知足のものは富めりと雖も、しかも貧し。知足の人は貧しと雖も、しかも富めり。不知足のものは常に五欲のために牽かれて知足のもののために憐愍せらる。是を知足と名づく」足ることを知れば身は仙境に居て凡俗を脱するが、賛澤を旨として足ることを知らざれば世俗の凡境を脱することは出来ぬ。又すべて世間を超越して卓然として風塵の上に立つことの出来る原因は、ただ眼前の事を善く用ふると、悪く用ふるとに外ならぬもので、善く用ふれば生機となつて人を益し物を利する機用となるものであるが、悪く用ふると殺機として世を害し物を殺す機用となるのである。たとへば一とつの事業を起すにも自己を利する心にて興せば、ただ自分の利益にさへなれば他人の災害となりてもかまはぬといふことになり殺機といはねばならぬ。若し世のため国のためとなるやうにとの心からのことであばそれは生機となるのである。  それ故に、人は自から奉ずることに就ては分に安んじ、足ることを知るべく、事を為すに方りては他を利するといふことを忘れてはならぬ。しからざれば自然に常に足ることを知らずして、その為すことは自他に害あるのである。  冷心  「冷眼にて人を観、冷耳にて語を聴き、冷情にて威に当り、冷心にて理を思ふ」  人の思考には何時でも感情がその奥に動いて居る。若し感情が強く動いて熱狂的になるときは聞けども聞えず、見れども見えず、すべての事につきてその真実を知ることが出来ぬ。それ故に、常に感情を冷かにし、冷眼にて人を観、冷耳にて語を聞き、冷静に思考して萬事を処理することが必要である。言ふまでも無く、人間の智能はすべての事物を有りの儘に見たり、聞いたり、考へたりするものであるが、しかしながらそれが我々の心のはたらきとしてその態度となり、又それが身体にあらはれて行為となるには必ず感情のはたらきが主となるものである。さうしてこの感情のはたらきは智能とは相異して快とか不快とかといふやうにあらはれるものであるから、それが快感となりてあらはれるときは動もすれば理を非に曲げ、自分の心に快しとすることが多いのであるから事実の真相を誤まることが多い。それ故に常に心を冷かにして理を思ふことが必要である。  無過は功  「世に処しては必ずしも功を邀《もと》めざれ。過無きは便《すな》はち是れ功なり。人に与へては徳に感ずることを求めざれ、怨なきは便はち是れ徳なり」  人間といふものはその位置に高いものと低いものとがある。その職業にもまたいろいろの差別があつて決して一様ではない。さうしてその位置と職業との相異はその人の分限であるから、人々はその分限を守り、その職務に十分の力を尽すべきである。必ずしも外に向つて功をもとむるには及ばぬ。しかるに現在の位置よりして外に向つて強て功を立てやうとして無暗に事業を為すときは思はざる過を生ずることがある。若し過が生ずればたとひその事業を成し遂げたにしても功と過とが半々になりて、それは徒らに功を立てたいともがくに過ぎぬことである。それ故に、過のないのがすなはち是れ功であるといふことを知らねばならぬ。  又人に対して特に恩徳を施してその人に自分の恩徳を感じさせたいとすれば必ず思ひよらざる怨を買ふことがある。怨を買うとすればたとひ徳を施したところが徳と怨と半々になる。それ故に徳を与へたいとあせるには及ばぬ。怨のないのが、すなはち是れ徳であると知らねばならぬ。  功を立て徳を与へるといふことは善い事に相違ないにしても、過と怨とがそれに附いては、その功徳を打ち消すばかりでなく、却つて悪るいことになつてしまふ。それよりは過を犯さず、怨を買はぬ方がよほど善い訳である。消極的の考へであるが、しかし実際的処世の教訓であると言はねばならぬ。  自心を降せ  「魔を降すものは先づ自心を降だせ。心伏すれば則ち群魔退き聴く。横を馭するものは先づ此気を馭せよ、気平かなれば則ち外侵さず」  魔とは本と梵語で魔羅といひ、訳して殺者といふ。「智度論」に「魔羅、秦言能奪命、死魔実能奪命、余者能作奪命因縁、亦能奪智慧命、是故名殺者」とある。人に障害をなす鬼の類、又人の心を乱す邪神をもいふ。悪魔を降伏せむと欲せば先づ己れの心を降伏するがよい。己れの心にも様々の妄想や煩悩がありてそれがために道ならぬことを為すのであるが、これも魔の一種である。道歌に「心こそ心まよはす心なれおのが心にこころゆるすな」とあるが如く、人をまどはし人を苦しめるものは外物ではなく自己の心である。凡夫は物に対し事に臨むで迷ふから事物そのものが人を迷はすと思ふけれども、事物そのものは全く何の意図もないものである。花が散るのも人をして惜ましめやうとの意図ではない。雑草の生えるのも人をしていやがらしめやうとの心ではない。しかるにこれを惜しみ、これをいやがるのは人々の心である。一切萬物皆その通ほりであるから、自己の心の内の魔さへ降伏してしまへばその余の外魔は何ほど多くとも皆悉く後に退いて本心の命を聴くものである。釈尊の降魔成道といふこともこの心魔を降伏して大道を成就せられたのである。又外横著を制取して安樂の身とならうと思ふものは先づ自己の気質の性を制服するがよい。自己の気質の性さへ制馭して、平かにして無鐵砲のことをせぬやうにしてしまへば外からの外横著は皆悉く退散して決して自己を侵すものではない。これを要するに、自心の内魔さへ降伏してしまへばその余の外魔は外に退いて本心の命を聴くるのであつて決して我を害することはない。自身の気質の性を制取してしまへば外からの外横著は悉く退散して決して自己を侵すものではないと言ふのである。  群魔といひ、外横といひ、何か外に悪るいものがありて来りて我々を侵すものの如くに思ふのは凡夫の常であるが、その実を言へば、群魔といふも、外構といふも皆我々の心がさう感ずるものである。それ故に群魔外横に当るには先づ自己の心気を修めよと説くので、世間の事を為すには自己の修養が第一である。しかそれがむづかしいことで王陽明の語に「山中の賊を平ぐるは易く、心中の賊を平ぐるは難し」とあるを想ひ出さざるを得ないのである。  進徳修道  「徳を進め道を修むるには個の木石的念頭を要す。若し一も欣羨あれば便《すなは》ち欲境に趨る。世を濟ひ邦を経するには段の雲水的趣味を要す。若し一も貧著あれば便ち危機に堕つ」  道徳を修養するには一個の木石の如き念がありて外物に冷淡であり、富貴に心を移さめやうにすることが大切である。若し一たび他の栄華を見て、これを願ひ羨むところの念慮が起れば忽ち堕落して欲境に走り込でしまふ。孔子がいふところの「剛毅木訥仁に近し」といふやうな心が徳を進め道を修むる上には必要である。又世をすくひ邦を経論しやうとするには行脚坊主のやうな淡泊なる趣味が必要である。若し一たび權勢を貪ぼつてこれに執著する心があれば忽ちにして危い破目に陥り自分の身すら保てないやうになる。  真の憂樂  「人名位の樂たることを知りて、名無く位無きの樂の最も真たることを知らず。人儘塞の憂たることを知りて、磯えず塞えざるの憂の更に甚しきことを知らず」  世人の多くは名誉や位階の樂しいといふことを知つて居るが、名譽も無く位階も無いものの樂しみが最も真の樂しみであるといふことを知らぬ。名誉の盛なるものは人から護を受けて辱かしめられることがある。又位階の高いものが貶されて苦しむことがある。しかれども無位無名のものは決してさういふ心配がない。心配のないのか真の樂しみである。又衣食に乏しくして磯えこごえるといふことの心配であるといふことは知つて居つても、えもせずこごえもせずに居るものの心配は、磯寒の憂よりも更につらいといふことを知らぬ。磯寒の極は死ぬるまでであるが、死ぬにも死なれず、生きるにも生きられずといふ心配は、磯塞の心配よりもなほ一層つらいものである。富貴の輩が日夜煩悶して居るいたましさは貧民の苦痛よりもなほ甚しいのである。これに由りて、天将は重んずべく、これに反して人将は軽んずべきである。又貧賤は富貴より徳性を涵養する機會が多いといふことを喜ぶべきである。  疑を処せず  「名根未だ拔けざるものは、縦ひ千乗を軽んじ一瓢に甘んずるも、すべて塵情に堕つ。客気未だ融せざるものは、四海を澤し萬世を利すと雖も、終に剰技となる」  千乗とは支那の周代の制に、戦争の時に兵車千乗を出だすことの出来る国にして、すなはち大国の王位をいふ。一瓢とは顔回が一箪の食、一瓢の飲とてお櫃一とつの飯、瓢箪一とつの飲物にて自から甘んじて居つたことをいふ。それで名譽を得たいと思ふ心を根本から抜き去らぬものは、たとひ兵車千乗を出すべきほどの大国の王位をも棄て、顔回の如くに一箪の食、一瓢の飲に甘んずるやうな清貧のものでも、なほ俗情に堕ちて居る。それはたとひ富貴權勢を軽んずるにしても、それによりて清康高潔の名を得たいといふ念が頭の中に殘つて居るからである。又客気の念が融けて無くならぬものは、たとひ四海を潤澤し、萬世を利益するほどの功業を成し遂げたにしても、それは無駄な伎倆《ぎりよう》となつてしまふのである。それはおれが腕前を見せて呉れんといふ念が頭の中にあるからである。これを要するに名根がまだ抜けず、客気がまだ融けざる内は、どんなことをしても聖賢君子の行動ではない。それはその頭の中に塵気妄念が存するからである。  偽善  「君子にして善を詐れば小人の悪を肆まにするに異なることなし。君子にして節を改むれば小人の自から新にするに及ばず」  学問を修めて知識ある君子にして、有りもせぬ善行を有るが如くに見せ、或は表面だけに善事を行ふてその実、裏面に於て名聞利益をはかるならばそれは善を詐るものである。たとひその事が善であつても苟も詐るといふことは道徳上の罪過である。それ故に、無学無識の小人が悪事を勝手に為して他人の迷惑を何とも思はぬものと少しも違ふ所はない。又君子は学識あるもので、堅く節操を守つて始終かはらぬやうに行つてゆかねばならぬのであるが、それが名聞利養のために節操を改めて破廉恥の行を為すならば、無学無識の小人が恥を知り自分の前非を後悔して、心を改め行を新にしてゆくには及ばぬと言はねばならぬ。偽善と破廉恥とは君子に取りて此上もない悪徳であると知らねばならぬ。  幻迹と真境  「幻迹を以て言へば功名富貴を論ずるなく、即ち肢体も亦委形に属す。真境を以て言へば父母兄弟を論ずるなく、即ち萬物も皆吾が一体なり。人よく看得て破り、認め得て真ならば、纔に天下の負擔に任《た》ふべく、亦世間の?鎖《げうさ》を脱すべし」  幻迹とは夢幻の如くに仮にあらはれたる形迹といふことである。真境とは本真の実体といふことである。たとへば雨や雪や霜や露の如きは空気の温度の作用によりて仮にあらはれたる姿で、すなはち幻迹である。その真境は水という一体に過ぎない。ただ水の一体から雨、雪、霜、露の幻迹をあらはして居るのである。日月星辰より人畜草木等に至るまで、森羅萬象悉く皆、同一の実体から仮にあらはれたる幻迹に過ぎぬのである。それ故に幻迹の上から言へば功名富貴の如きは勿論、我々の四肢五体といへども矢張委托せられたる形体に過ぎず。委形とは莊子に「吾が身は天地の委形なり」とありて仮の形であるといふのである。現象界に於ける形跡はすべて仮妄のもので決して長へに存在するものではない。しかしながら本真の実体より言へば父母兄弟等血族の関係あるものは言ふに及ばず萬物はすべて自分と一体である。かやうにして人は現象界に於ける虚妄を看破し、真実の本体を認識すれば、即ち道を到達したもので人を濟ひ物を利して天下を一身に背負て立つべく、又外物の累を絶ちて世間の手綱や鎖等、即ち覇絆を脱することが出来るのである。  天地同根、萬物一体といふことは子思の中庸に始まり、儒教にては何れの学派にありても略ぼ相近き説を主張して居る。仏教にありても恵心僧都の「真如観」に「真如の理といふは広く法界に遍して至らぬ所なく、一切の法は其数無量無辺なれども真如の理を離れたるものなし。亦萬法を融通して一切となせば萬法一如の理と名づく」  と説きて、萬法一如の道理を示してある。現象は種々雑多にして異様を示すと雖も、これは我々の心のはたらきによりて造り上げるところの幻迹である。その本体は真如にしてすなはち萬法一如であると説くのである。  苦節独行  「奇に驚き異を喜ぶものは遠大の識なく、苦節独行のものは恒久の操にあらず」  珍らしきことに感服し、尋常に異なりたることを喜ぶものは畢竟するに、遠大なる見識のない平凡人である。次に苦境に居て節義を守り、世に背いて超然独立して道を行つたりすることは偉いには相異ないが、もと非常の変に処する場合に限ることで、決して永久に何時でも此世に行つて差支のない操行とは言はれぬ。  欲路と理路  「欲路上の事は其便を樂しみて姑らく指を染むることを為すことなかれ。一たび指を染むれば便ち深く萬仭に入らむ。理路上の事は其難きを憚りて稍々退歩をなすことなかれ。一たび退歩せば便ち遠く千山を隔てむ」  欲路上の事といふは酒や色などの情欲に関係することで、これは容易に得られるから、それを都合よきことにして、暫時の間であるからと言つて、これに指を染めてその味を嘗めてはならぬ。若し一たび指を染めるときはやがて全然誘惑せられて萬仭の深みに陥る。仭とは八尺のことをいふ、それが萬であるから随分深いところである。そこへ陷つて沈溺の極、一生浮び上がることが出来ぬ。  理路上の事といふは理義の道理に関したることをいふ。それが困難であるといふことを面倒に思ひて少しにても尻込するやうではいかぬ。若し一たび尻込するときは忽ちにして其間に千山を隔てて再びこれに接近することは出来ぬ。欲情は進み易く、道は退き易いものであるから、暫時なりとて気を許してはならぬ、瑣細であるからと言つて油断してはならぬ。  蜀の劉備の遺詔に「悪、小なるを以て之を為すことなかれ。善、小なるを以て為さざるなかれ。唯だ賢、惟だ徳よく人を服す。汝の父徳薄し、これに倣ふことなかれ」とあるも、この條と略ぼ同一の義である。  滿を求めず  「事事個の有余不尽的の意思を留むれば、便ち造物も我を忌むこと能はず、鬼神も我を損すること能はず。若し業必ず滿を求め功必ず盈を求むるものは、内変を生ぜざれば必ず外憂を召かむ」  何事にても事を為すべき權力を十分に用ひ尽さずして少し控へ目にして余地を殘して置くといふ意思があれば造物者も我を忌み禍を加ふることが出来ず、鬼神も我が事にけちをつけることが出来ず、全く無難である。これに反して、事業は必ず一ぱいにやり通ほし、功績も一ぱいならんことを求むれば思はぬ所に思はぬことが起り、内部から変事が起るか、外部から心配事が湧いて来るのである。「易経」に「天道は盈を虧ぎ謙に益す、云云、人道は盈を悪み謙を好みす」とあるはこの意味である。何事も余地を殘して置くことが肝要である。  念頭の濃淡  「念頭濃かなるものは自から待つこと厚く、人を待つことも亦厚く、処処皆濃かなり。念頭淡きものは自から待つこと薄く、人を待つことも亦薄く、事事皆淡し。故に君子は居常嗜好ただ濃艶なるべからず、亦太だ枯寂なるべからず」  念頭とは心念を指していふ。心念のコッテリと濃厚で、念入りの人は衣食住を始め一切萬事、自分に対する上に厚く、人に対する上にも厚い、すべてのことが鄭車で注意周到である。これに反して心念の淡きものは自分の事も粗末にし、人を待遇することも粗末である。それ故に、君子は平生の嗜好をあまりに濃艶にしてはならぬが、さりとてあまりに枯れ寂らかして無味淡泊にしてはならぬ。濃淡厚薄その中を得ることが肝要である。  これは疎放粗雑を以て達徳と誤解するのを戒めたのである。人はある程度までは事物に厚く且つ念入りでなければならぬ。  志一動気  「彼は富み、我は仁、彼は爵、我は義、君子は固より君相の牢籠する所とならず。人定まりて天に勝ち、志一なれば気を動かす。君子は亦造物の陶鋳を受けず」  彼が富といふ人幅を持て居るならば我は仁といふ天徳を持つ。彼が爵といふ人階を持て居るならば我は義といふ天爵を持つ。君子は天徳・天爵を持て居るから君主宰人が富貴を以て社會に立ち、物質の豊かなるによりて社會を利益するならば、我は同情理解の精神即ち仁を以て社會に立つべきである。彼が榮爵地位を以て世に臨むならば我は正義に立脚して進むべきである。すべて君子は人爵を軽んじて天爵を重んずるものであるから、君主宰相などのために籠絡せられてその自由となることはない。それから丈夫が一たび志を決して行へば天に勝つことが出来る。天運は人力にて左右することは出来ぬやうに思はれるが、人心が決して動かぬときは天然に勝つことが出来る。人間の吉凶禍福は天運のやうに思はれるが、精神一到何事か成らざらむ。凶を変じて吉となすことも、禍を転じて福となすことも出来る。  人の強弱は気に由るのであるが、志を一にして修行すれば気を動かすことが出来る。これは「孟子」に「志一なれば気を動かす」といふのを承けたのである。  かやうな次第であるから君子は造物の陶鋳を受くることが無い。陶は瀬戸物を造ること、鋳は金を鎔かして金器を造ること、この二字を集めて萬物を造り出すことをいふ。天地間の萬物は造物者の造れるものであるといふも、君子はその造物者の造れるものを変化する力があるから、その支配を受くることがないといふ意味である。  処世の法  「身を立つるには一歩を高くして立たざれば、塵裡に衣を振ひ、泥中に足を濯ふが如し、如何ぞ超達せむ。世に処するに一歩を退て処らずんば、飛蛾の燭に投じ、羚羊の藩に觸るるが如し、如何ぞ安樂ならむ」  身を立てるには世人に比して一歩高く立ち、高尚に構へなければ、たとへば塵の中にて衣を振ひ、泥の中にて足を濯ふが如く、自分もいつしか俗化してしまふ。  世を渡るには世人に比して一歩退て常に謙譲を以てせざれば、いたづらに人と衝突ばかりして、たとへば火取虫が燈火に投じ、羚羊が柵に角を引かけた如く、進退これきはまりて、安樂に暮すことは出来ぬ。要するに人の此世に処するや、志は高かるべく、行は低かるべしと説くのである。  種の真趣味  「人人、個の大慈悲あり、維摩屠?二心なきなり。処処、種の真趣味あり、金屋茅簷兩地にあらざるなり、ただ是れ欲蔽ひ情封じ、当面に錯過せば、咫尺をして千里ならしむ」  人人は誰にても本質上、大慈悲の心を有して居るので、維摩の如き大徳の居士でも、屠?と言つて、牛馬を屠り罪人の首を斬るやうな賤業者でも、この点に於ては全く同一で、心に二つはない。  何処でもそこに一種の趣味がある。黄金を鏤めた家で、茅葺のあばら屋でも、住めばそれ相応の趣がある。場所に二つはない。  仏教に説かれるやうに世の中は一切平等であるから、富貴につけ、貧賤につけ、すべてのものが安心立命することが出来る筈である。それに悲しいことには貪欲のために本心が蔽はれ、私情のために心が封ぜられて、富貴を願ひ貧賤を賤しむのである。かくて眼前に於て一とつ間違へばその結果は飛んでもないことになつて、やがて咫尺が千里となり、到底安心立命は得られぬのである。  三分の侠気  「友に交るには須らく三分の侠気を帯ぶべく、人と作るには一点の素心を存することを要す」  侠気はオトコ気、義侠の心をいふ。素心は本然の心、「孟子」に「大人はその赤子の心を失はざるものなり」と同一の義である。朋友との交際は只相互に往来して飲食するのみでなく、互に善を責め義を励まし、吉凶禍福を共にし、慶弔を共にすべきである。すなはち三分の侠気を以て人の不幸を慰め災難を救ふべきである。又人物となるには活動を旨とし、如何なる事変に出遇ふても縦横無尽に切り巻くるべきである。しかし心の底には本然の心をばせめては只一点殘して置かねばならぬ。或る程度までは世に和し、人に同じ時に応じて行くべきである。さうしてその外界の事物に応同して行く内に、事物に染まらぬ素心がなくてはならぬ。然らざれば外界の事物のために自分の心が汚されて甚しきは心を持て行かれるやうなことがある。それ故に来物のために染まらず動かざる一点の素心を持つて居ることが必要である。  忘と不忘  「我人に功あらば念ふべからず、而して過は則ち念はざるべからず。人我に恩あらば忘るべからず、而して怨は則ち忘れざるべからず」  自分が人に功を与へて居ることがあらばそれは念頭に置くべきでない。これに反して過をして居つたならばそれは忘れずして何時か償はねばならぬと念頭にかくべきである。人が自分に恩を与へて居るならばそれは忘れずして何時かこれに報いねばならぬと常に念頭にかくべきである。これに反して怨のあることはさつぱりと忘れることが大切である。「史記」の信陵君列伝に、客が信陵君に向つて言つた言を載せて「物忘るべからざるあり、夫れ人、公子に徳あらば公子忘るべからざるなり。公子人に徳あらば願くば公子これを忘れよ」とある。この條の意と同じである。  「人の際遇齊しきあり、齊しからざるあり、而かもよく己をして独り齊しからしめむか、己の情理、順なるあり、順ならざるあり、しかも能く人をして皆順ならしめむか、此を以て相観対治せば亦これ一の方便法門なり」  際遇とは際會境遇をいふ。人の境遇を見るに、その分に応じて何から何まで揃つて居るものもあるが、揃つて居らぬものもある。高貴なれば壽命が短かく、又自分が壮健でも子孫が無いといふやうなこともある。それに自分一人が打ち揃ふやうにしようと思ふてもそれは容易に出来ることではない。  それから自分の心も或時は道理に協ふて居るが、或時は道理に協はぬことがあつて、何時が何時でも完全にはたらくことはない。されば人々をして悉く気に入らしめることは容易に出来ることではない。  この二般の道理を相対照して見るに、世間は互に十分の満足を得べきでないのが普通であるから、我も人も互に忍び合ふのが当然であると合点すべきである。さうして、さばかり人を責めぬのも一とつの便法である。仏教にてはこの世を婆婆と称するのであるが、これは本と印度の言葉にて忍土といふ意味である。忍ばねばならぬ国土といふのである。それは畢竟するに自分で造る苦悩であるから忍ぶより外は無いと説くのである。これを要するに、自分の幸福の円滿であることをのみ望むことなく、又他の人の心意気の正当なるべきことを責めず、多少の割引?酌をして見るべきである。さうすれば無暗に不足を訴ふるの念がなくなるによりて、この考へをすすめて居ることは一とつの方便であると言はねばならぬ。  物欲  「心に物欲なければ即ち是れ秋空霽海、座に琴書あれば便ち石室丹丘を成す」  石室とは洞窟にして仙人の居る処、丹丘とは仙郷にして晝夜常に明なる処。人の心中に物欲の念がなければ丁度秋の日の空の如く、又霽れ渡りたる海の如く、清々として心持がよい。座上に琴や書物の如き俗気を離れたるものがあれば仙人の住むで居る石室や丹丘に居るやうな気がする。すべて人の心は念の持ちやうで、広くもなり、又狭くもなる。それ故に居は気を移すとも言はれる。  外観尊重  「我れ貴くして人これを奉ずるは、この峩冠大帯を奉ずるなり。我れ賤しくして人これを侮るは、この布衣草履を侮るなり。然らば則ち原と我れを奉ずるにあらず、我れ胡んぞ喜びをなさむ。原と我れを侮るにあらず、我れ胡んぞ怒をなさむ」  我が身が貴くなりて世人がこれをあがめ奉るのは我が身につけて居るところの高く大なる冠(峩冠)や大きなる帯をあがめるのである。我が身が賤しくして世人がこれを侮るのは我が身につけて居るところの布衣や草履を見てこれを侮るのである。さうして見れば我れを貴ぶのも我れを貴ぶのではなく、我れの品性を重んずるのではなく、我れが著て居る高き冠や幅の広き帯の立派なるを見てこれを貴ぶのである。故に貴ばれたからと言つて、喜ぶべきわけはないと言はねばならぬ。これに反して我が貧賤にして人から侮られるにしてもそれは我れの品性を侮るのではなく、我が身に著けて居る布衣や草履の粗末なるを見てこれを侮るのであるとすれば、我として何も腹を立てるわけはない。考へて見れば世間の人が人を品評するのは大抵この類である。それ故に人が賞めたからと言つて、自分がえらくなつたわけでなく、侮を受けたからと言つて自分の価値が下つたわけではない。賞められても喜ばず、侮られても怒らず、外物のために使はれることなきやうに心がけねばならぬ。  回光返照  「一燈螢然として萬籟声なし。これ吾人初て宴寂に入るの時なり。曉夢初めて醒め、群動未だ起らず、これ吾人初めて混沌を出づるの処なり。これに乗じて一念光を廻らし、烱然返照せば始めて耳目口鼻皆桎梏《しつこく》にして、情欲嗜好皆機械なることを知る」  半夜人定まり草木も眠るといふ時に天地寂然として声なく、只枕上の燈火のみかすかである。これを一燈螢然と、螢の如くかすかなるといふ。籟は声を発する竅穴、その萬籟が声なく静かである。この時我々はしづまりて眠につき、萬事萬念を亡ぼすとき、即ち宴寂とて安息に入るの時である。暁方の夢さめて萬物の運動がまだ起らず、浮世もまた静なるは我々人類が有耶無耶の境より出でたるばかりの時である。混沌とは元気未だ分れざること、天地の未だ出来ざるとき、混沌として雑子の如しといふことがありて天とも地とわからず、只丸くして混つたものであるが、それが次第に清き気は上つて天となり、濁つた気は下つて地となり、それが次第に山川草木人畜を生ずるといふ。我々が眠つて居る間は身心共に休止して善もなく悪もなく、苦もなく、樂もなく、混沌時代のやうである。しかるに一たび夢が醒めたとはいへ、群動がまだ起らざるときは混沌より出た初にして、是非邪正の区別なく、宴寂に入つたときと、始めて混沌を出たときとは身心共に安息して居るから善悪取捨は起らぬ。  これは深夜早朝に方りて心の落ちついた時に乗じて、心機一転して本然の性が光をめぐらして、まざまざと顕はれて胸の闇を照り返し、豁然として大悟すれば、耳目口鼻等の器官は皆すべて物欲を誘ふ手枷足枷である、情欲嗜好はこの身を堕落せしむる機械であるといふことが知られる。しからば耳目鼻口を絶ち、情欲嗜好を廢して枯木頑石の如くになるがよいかといふに決して然らず。善悪苦樂は本来実有のものでなく、只耳目口鼻情欲嗜好によりて作るものであるといふことを悟れば彼等のために心身を役せられることなく、これを自由に使用することが出来るのである。それ故にこの回光返照の反省をなすことが大切である。  苦樂練磨  「一苦一樂相磨練し、練極まりて福を成すものは其福始めて久し。一疑一信相參勘し、勘極まりて知を成すものは其知始めて真なり」  始から安樂の境遇に居るものは真に安樂の味を知らず。況や一朝その境遇を滑り落ちたるときは復び返ること難し、或時苦しみ、苦樂相交はりて身心を練つての後に幸福を得たものは再び失ふことなく、その幸福は始めて久しきに伝へることが出来る。一途に物を信ずるものは真実に知を得ることが出来ぬ。疑を起すべきは疑を起し、信ずべきをば信じ、疑と信とを參酌勘考してその極に達して後に成就したる知は始めて真正である。  天の真吾  「鴬花茂くして山濃かに谷艶なるはすべてこれ乾坤の幻境、水木落ちて石痩せ崖枯るるもの纔に天地の真吾を見る」  春になりて百花爛漫と咲き匂ひ、鴬は囀づり歌ふて、山の容姿濃かに谷の景色の艶なるは、これぞ乾坤が化粧を凝した一時の幻境である。艶麗なる野山の景色は春の訪れに誘はれて来た天地の幻夢の世界である。秋になりて木葉が落ち、川水浅くなりて岩も痩せ岸も枯れ果たとき、始めて天高く気澄み風冷かに水鳴り、天地の真体のあることが信ぜられる。  人も少壯の時には血色が鮮で、地位があり、財産があり、名譽があるなど色々の装飾がある間は真実の処はわからぬ、あたかも春の艶麗に似て居り、世間から持て囃さるるが、実は人間の幼境である。身体が老衰し、財産が無くなり、地位名譽なども永劫でなく、一切の装飾を脱ぎ捨てて赤裸になりて、始めて真実の処が知られるのである。それ故に仮の姿に目を奪はれず、真実の相を看破せねばならぬ。徳があり、学があり、芸があり、いろいろの附属物がある、それを取り除きて尚ほ役に立つものが真の価値であることを知らねばならぬ。  仕上る  「泛駕の馬も馳驅に就くべく、躍冶の金も終に型範に帰す。只一に優游して振はざれば便ち終身個の進歩なし。白沙云く、人と偽り多病なるは羞づるに足らず、一生病なきは是れ吾が憂なりと、真に確論なり」  泛駕とは駕を泛べること、即ち車を上下に動揺して覆へらしむる義にて、暴ばれ馬を指していふ。躍冶の金とは鎔かして型に入れるとき勝手に躍り出す金属、はやく言へば手にあまる金属のことである。車を上下に動搖して覆へすやうに暴馬でもこれを上手に馴せば自由に驅けさせることが出来る。型から躍り出るやうな厄介なる金属でもこれを上手に取扱へば鑄型に入れて好きなものに作り上げることが出来る。人間も一生優游と、のらりくらりと暮して奪発せぬときは少しも進歩することはない。むかし支那の明の中葉頃に陳白沙といふ学者が居つたが、此人の言に「人と生れて多病なるは格別の羞とするには足らぬ。一生涯少しも心を勞せざるのを深く憂ふべきである」とあるが、まことに確論である。これまさに修養の功を説いたのである。  智巧不足恃  「漁網の設くる、鴻その中に罹る。蟷螂の貪る、雀また其後に乗ず。機裡に機を蔵し、変外に変を生ず、智巧何ぞ恃むに足らむ」  魚を捕へむが為に河網を張て置いて鴻がそれにかかる。思ひがけないことである。蟷螂が蝉をねらつて居ると雀が又蟷螂の後に近よつてすきまをねらつて居る。かくの如く世上の事はからくりの内に又からくりがあり、事変の外に又事変があり、反覆循環、千変萬化、まことにきまりのないものであるから、人間の才智巧術などは一向恃みとするに足らぬ。自分の小さい智恵にて自分の意の如くに萬事を取扱ふて行かうとすれば思はぬ結果を生ずることがある。  智巧無益  「貞士は福を徼《もと》むるに心なし、天即ち無心の処に就てその裏を?《ひら》らく。?人は禍を避くるに意を著く、天即ち著意の中に就てその魄を奮ふ。見るべし、天の機權最も神なるを、人の智巧何の益かあらむ」  貞士はあくまで節義を守りて、格別自己の幸福利益を得たいと願ひ求むる心がない。すると天は却つてその求めやうとしない所に向つて福を与へてその人の中心を満足せしめ、萬事うまく成就するやうにして呉れる。それから陰険なる人は禍を避けたいとばかり思つて居る。すると天は意地わるくもその避けたいと思つて居る所につけ込んで不意に飛でもない禍を下して気絶するばかりに驚かすのである。これを以て見ても、天の機変權謀は神変不思議で、到底人智を以て測り知ることが出来ないのである。いくら智力詐術を尽してもそれは何の功能もないと言はねばならぬ。  正気と真心  「矜高倨倣は客気にあらざるはなし。客気を降伏し得下して而して後正気伸ぶ。情欲意識は尽く妄心に属す。妄心を消殺し得尽して而して後真心現はる」  矜高は自から高ぶること、倨倣は傲慢なること、人に対して矜とり倣つて我より外に人なしといふ風に威張るといふことは客気の然らしむる所で決して正気ではない。正気とは孟子の所謂浩然の気で宇宙の元気である。この正気が常に身内に充ちて居れば利害得失のために動かされず、真に大丈夫の面目を保つことが出来る。客気はこれに反して毀譽褒貶のために動くもので、外から寄留して居るもので附け元気に過ぎぬものである。ところがこの寄留的の客気が時として非常に勢力を振ふて正気を圧倒することがある。猥りに功名富貴を得んとして騒ぎ廻るのは皆客気の業であるが、元来客気であるから一朝失敗するときは忽ち消沈してしまふ。之がために正気を悩ますことが少なくないから、この客気を降伏し尽さねば正気が伸ぶることが出来ぬ。情欲とは欲しい惜しい憎い可愛の念、意識とは是非得失を分別するの心である。この情欲意識は妄心のはたらきであるから善い働きのみでなく悪るい働をするところより、凡夫は妄心を認めて真心と誤まり、妄心のためにだまされて、終身妄心のために妄動してしまう。それ故にこの妄心を消殺し尽さねば真心があらはれぬ。この妄心を消殺し尽して後に、たとへば雲晴れて月のあらはるる如く、心の奥に潜むで居る本然の性が始めて現はれるものである。つまるところ人間は世間に久しく居る結果として後天的の心意作用のために本然の性を損傷して居るから、よく自覚してその真にかへることをつとめねばならぬのである。  一歩を讓る  「世に処するには一歩を讓るを高しとなす。歩を退くるは即ち歩を進むる的の張本なり。人を待つには一分を寛くする是れ福なり。人を利するは実に己れを利する的の根基なり」  世を渡るには徒に人と先を争ふことをせず。人に一歩を讓る方が却つて高くなる。自から一歩を退くのが直ちに自から幾歩を進むる所の張本(足場)である。人を待遇するにはあまり厳酷に失せず、その人がその人の立場に立つて居られるやうに仕向けるのが却つて自分の福である。人を利益するのは即ち直ちに我を利する所以である。「易経」に「天は盈つるを欠いで謙づるに益す」とあるが、人を押しのけてでも自分が先きに進み、人の分までも横取するやうなことをすれば一時は自分の利益になることもあらうが、何時かは自分が不利益を受けるのである。道元禅師の言に「愚人謂らく、利他を先とすれば自からの利省かれぬべし。然かにはあらざるなり。利行は一法なり、普ねく自他を利するなり」とある。又古語に「己れ立たんと欲せば先づ人を立て、己れ達せんと欲すれば先づ人を達せよ」とある。共にこの章の趣旨を敷衍したものである。  隨縁素位  「釈氏の隨縁、吾が儒の素位の四字、是れ渡海的の浮嚢なり。蓋し世路茫々たり。一念全きを求むれば則ち萬緒紛起す。寓に隨ひて安んずれば則ち入るとして得ざるはなし」  釈尊の教に隨縁といふことがある。世の中のことはすべて因縁によるものである。貴賤・貧富・吉凶・禍福等は皆因縁によりて種々樣々と相分れるものである。それ故に、この因縁に隨て自己の身を処して行かねばならぬ。若し其理を知らず、強ひて自己の意の儘に遣り通ほさうとしても決して意の如くに行くものではない。儒教には素位といふことが説かれて居る。「禮記」に「君子素其位不顧其外」とある。これは君子は自己の居る位置を守り、その外の事を顧みぬといふことで、すなはち自己の身分に安んじてその境遇に逆はぬことである。釈尊の隨縁といふものと略呼同意である。世間は浮き沈みありて、丁度海を渡るやうなものであるが、海を渡るに浮嚢を持つて居れば安全であるが如く、隨縁・素位の四字を守つて居れば海を渡るに浮?を持つて居ると同じやうに、順逆・苦樂の大波小波の世間の波に遇ふても決して不幸に沈むことはない。世間といふものは茫々として窮まりのないものであるが、若し一念で言完全無欠といふことを求むる心が起ればそれからそれへと千萬無量の欲念が競ひ起りて糸の乱れたやうに始末のつかぬものである。これに反して寓に隨ひて安んずる、すなはち自己が現在居るところの境遇に安んじて不足の念を抱かず、分外の福利を求めず、隨縁・素位の四字を実行するときは何処にあるも自己の安樂を得ぬことはない。順境に居ても逆境に居ても少しも不平、不足の心の起ることはない。  これを要するに、因縁は如何にしても去ることが出来ず、分外の幸福は福の本であるから、人はすべてその境遇に安んじてその上の完全を望まぬやうにせねばならぬ。さうすれば境遇の順逆は眼中になく、必ず安心立命の境地に達することが出来るのである。  淫邪の淵藪  「淫奔の婦は矯《あが》つて尼となり、熱中の人は激して道に入る。清浄の門常に淫邪の淵藪となること此の如し」  矯とは鳥などの高くはねあがることで、激は水が石に強くあたりて?しることをいふ。情が激しく起りて、極端に走り常規を外れたる行をすることを矯激といふ。淫奔なる婦人は多情であるから動もすればはねあがりて淫欲をば全く断つべき比丘尼となる。物事に熱中する人は多感なるが故に往々激して仏道に入りて僧となることがある。寺院は元来、世欲塵情を離れたる清浄の門であるのに、却つて淫婦邪人がみだりに入り込む所となるのである。淵藪は巣窟に同じく、物の多く集まる所をいふ。清浄の地が却つて悪物の集會所となるといふのである。これはまことに一面の観察で從来仏教にいふところの心がさういふ風にあらはれたことが多いといふことを挙げたのである。しかし、宗教といふものが、かやうな意味に於て罪悪の避難所であるべきものでないことは言ふまでもないことである。  雲電風燈  「動を好むものは雲電風燈、寂を嗜むものは死灰槁木、須らく定雲止水の中に鳶飛び魚躍るの気象あるべし。纔《わず》かに是れ有道的の心体なり」  心がせはしくしてしばらくもぢつとして居ることのならぬ人がある。これを動を好むものといふ。かやうに動を好むものは雲電風燈で、雲間にぴかぴかと光りかがやく電や、風前にちらちらとちらついて居る燈の今光つたかと思へばすぐに消え、今消えたかと思へば又忽ち光るやうなものである。これに反してさわがしいことが嫌ひで人にも逢はず世に交らず、ひたすら閑静を樂むで居るものがある。これを寂を嗜むものといふ。これは死灰槁木で、火の消えて冷たくなつた灰が一点の暖気もなく、枯れ果てた木の一片の生気もないやうなもので、全く死物であるから活動の世界には用をなさぬものである。人たるものは活動一方でもよろしくない。静寂一方でもよろしくない。動かざる雲や、止まりて流れざる水の如く、何事も働かずに居るその中に自から鳶の空中に飛び舞つて居り、魚が水中に刎ね躍て居るが如き活動の気象がなくてはならぬ。かくの如くなりてこそ始めて真個に道を行ふ人の心の体といふべきである。  世間の俗物はすべて、たとへば雲電風燈の如く、又所謂世捨人は死灰槁木の如く、共に道の中を得たのではない。有道者は平生道を修め徳を養つて、蓬蒿の間に引込んで居るが、そのときに際すれば忽ち起つて震天動地の大事をなすだけの素養と準備とが無ければならぬ。  初心を原ぬ  「事窮まり勢蹙まる人は、まさにその初心を原ぬべし。功成り行滿つるの士は、その末路を観ずることを要す」  成す事に失敗して勢力蹙まり、二進も三進も行かぬやうになつた場合は、その事に始めて手を著けた時の心を考へて見るべきである。さうすれば今までの遣り方に違算があつて、かうなつたのも当然であると自から悟るであらう。それから功成り名遂げて事業を十分に果し終つた人は、盈れば欠ぐる世の習ひ、その儘にして居れば最後はどうなるかといふことを考へて、よい加減に切り上げ、その位置を退いて長く名譽の地位に居られやうにするがよい。さすればその終を全うして千歳の後にも人から羨まれるに相違ない。  貧賎其行  「富貴の家は宜しく寛厚なるべくして、しかも反つて怨刻なり。是れ富貴にして其行を貧賎にするなり。如何ぞ能く享けん。聡明の人は宜しく歛蔵すべくしてしかも反つてR耀す。これ聡明にしてその病を愚?にするなり。如何ぞ敗れざらむ」  富貴の家では物に不足がないから、他人に対して寛大にして且つ手厚くすべき筈であるのに、多くの場合、それと反対に猜忌甚しく且つ無慈悲で矢鱈に小作人から搾取するやうなことをする。これは富貴であるが其行は貧賤のもの同様の遺り方をして居るのである。それでは必ず天怒人怨交も到りて、決して安んじて福禄を受けることは出来ぬ。それから聰明の才子はその才芸を深くおさめて奥床しくすべき筈であるのに、世間普通に才子といへばおのれが長所を矢鱈に人に見せつけたがつて、自然の勢、人を馬鹿にするのであるが、これは聡明でありながら愚人同様の行をして居るのである。それでは人から憎まれ到る所に敵を作り、その為す所は必ず失敗すべくどうせ碌なことはないと言はねばならぬ。  知多言之躁  「卑きに居て後に、高きに登るの危しとなすことを知り、晦に処して後に、明に向ふことの太だ露はるることを知り、靜を守て後に、動を好むことの勞に過くるを知り、默を養て後に、多言の躁たることを知る」  高い地位に居るときはその地位の危いことには気がつかないが、身を卑い地位に置いて、高い地位に居る人の身の上を見ればその危いことが知られる。顕要の地位に居る間はその地位の晴れがましいことに心がつかぬが、跡を山林にくらまし、静寂を守つて見れば顕著の地位に居る人の身の上が危いといふことが知られる。暗い処に居て後に明るい虚に向ふときはそれがあまりに晴がましいことが知られる。山林に隠居して見れば世間的の事挙を旨とし活動を好むのはあまりに骨折に過ぎて生を養ひ壽を長くする所以にあらざることが知られる。閑居独処、沈黙を守つて後に言語多きはあまりに騒がし過ぎて心性を養ふ所以にあらざることが知られるのである。これは人の時に遇はず世に容れられぬとき、徒らに妄動せず静かに其身を守るべきことを示したもので、いつでも後すざりばかりして居るが善いといふのではない。  小人と君子  「小人を待つは厳に難からず、而して悪まざるに難し。君子を待つは恭に難からず、而して禮あるに難し」  小人はその行作が整はず、過失の多いものであるから、これを取扱ふに、厳しくしてその過失を叱責することは何の造作もないが、彼も亦人で、性来愚劣なるが故にさうであると思ひ、その行を悪くむもその人を悪くまず、我が心を寛くしてこれを善い方に導いてやるといふことは困難である。それから君子は才徳を備へて、まことにゑらいものであるから、それに対して我からへり下り鄭重にすることは誰でもすることであるが、過不及なきやうに禮を尽すといふことは六ヶ敷い。「易経」に「君子以て小人を遠ざけ悪くまずして厳にす」とある。又「論語」に「恭にして禮なければ労す」とある。共に同一の意味である。要するに、世間の人は小人を憎むに過ぎ、君子を崇めるに過ぎて居るのである。  奢と儉・能と拙  「奢るものは富みて足らず。何ぞ儉者の貧にして余あるに如かむ。能者は労して怨を集む、何ぞ拙者の逸して真を全ふするに如かむ」  奢るものはいくら富裕でも費す方が多く、いつでも不足がちであるから、節儉を守るものが、貧乏でも萬事につづまやかで余あるには及ばぬ。よく何か出来るものは八方に手を広げて何でもやり、そのために常に骨を折りながら人の利益を侵害して怨をあつめるから、むしろ萬事不調法のものが格別手だしもせず、安逸にして天真を全ふする方がいくら善いかも知れぬ「仏遺教経」に「汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せむと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富樂安穩の処、知足の人は地上に臥すと雖もなほ安樂となす。足ることを知らざるものは富むと雖も貧し。足ることを知るの人は貧と雖も富む。足ることを知らざるものは常に五欲のために牽かれ、足ることを知るものの憐憫する所となる」とある。少欲知足の法が正しき生活をなす上に必要であるといふ意味を伝へたものである。  真廉と大巧  「真廉は廉名なし。名を立つるものは正に貪たる所以なり。大巧は巧術をし、術を用ゆるものは乃ち拙たる所以なり」  真箇に清廉の人は決して清廉潔白の名を立てぬ。廉潔の名を立てる人はまだ廉潔の名の必要がありてこれを立てるのであるから、それが直ちに貪欲なる所以の証拠となる。又偉大なる巧妙者は決して巧妙の術を用ひぬ。巧妙の術を用ふるものはまだ巧妙の術の必要がありてこれを用ふるのであるから、それが直ちに拙劣なる所以の証拠である。とこれは老子が「大弁は訥の如く、大巧は拙の如し」といへる思想に本づいたのである。  天の機緘  「天の機緘は測られず、抑へて伸べ、伸べて抑ふ、皆是れ英雄を播弄し、豪傑を顛倒する処。君子は只是れ逆に来るを順に受け、安に居て危を思ふ。天も亦その伎倆を用ゆる所なし」  天意は茫々として知るべからず。天の機緘は人智を以て測ることが出来ぬ。はじめ抑へて後にこれを伸ばし、はじめに伸べて後にこれを抑へることがある。これは英雄をおもちやにし、豪傑を七転八倒するのである。しかしながら君子は予めこれに備へ、天運が逆に来れば此方は順を以てこれに対し、平安無事の時に於て危難困窮に処する方法を考へて置くから如何なる事変に遇ふも決してまごつくことなく、いつでも天運に打ち勝つて行くことが出来るから、流石の天も君子に対してはその神変不思議の手並を用ふることが出来ぬ。要するに英雄豪傑は野心があるから運命に翻弄せられるが、君子は野心が無くて周到の注意を怠らぬから順逆縦横、窮達自在である。  後悔  「未だ就《な》らざるの功を図るは巳に成るの業を保つに如かず。既往の失を悔ゆるは将来の非を防ぐに如かず」  未だ成し遂げざる功績を図ることよりも、巳に成就して居る事業を保守することの方がよい。過ぎ去つた過失を後悔することよりも是から後に罪悪をせぬやうに防ぎ止めることの方がよい。後悔が悪るいといふのではないが、ただ後悔したばかりでは何の甲斐もないことである。それよりは向後は過失を再びせぬやうに注意することが肝要である。仏教に懺悔といふことは既往の過を悔ゆると同時に将来はその過を再びせぬと誓ふことである。  祖宗の徳澤  「祖宗の徳澤を問はば吾が身に享くる所のものこれなり。まさにその積累の難きを念ふべし。子孫の福祉を問はば吾が身の貽す所のものこれなり。その傾覆の易きを思ふことを要す」  先祖の遺徳余澤は何であるかといへば、今日吾が身に享けて居る幸福がすなはちそれである。我が今日享けて居る幸福の根本たる徳澤を祖先が積み累ねられたことの一方ならず困難であつたことを念はねばならぬ。又子孫の幸福は何であるかといへば、今日我が身が貽《のこ》し伝へる余慶がすなはちそれである。今日我が貽し伝へる幸価の基本たる余慶を十分にして置かねば、子孫に至りて直ちに家運が傾むき覆つてしまふから、よくよく注意して子孫の代になりて傾覆せぬやうに致して置かねばならぬ。つくつぐ思ふに、自分が今日現に得て居るところの幸福は先祖が幾多の辛苦を尽して積みかさねられたものである。決して不足に思ふてはならぬ。又自分から子孫に遣すところのものは道徳にしても財産にしても、傾費し易きものであるといふことを思ふて、その多きに誇つてはならぬ。  人心の一真  「人心の一真、すなはち霜飛ばすべく、城隕すべく、金石貫くべし。偽妄の人の若きは、形骸徒らに具はるも、真宰巳に亡ぶ、人に対しては則ち面目憎むべく、独居は則ち形影自から魂づ」  人の真心から出た精誠の一念は天地を動かすものである。都衍といふものは燕王に事へて忠を尽した。左右にこれを纔するものがありて王はこれを獄に繋ぎしに、衍は天を仰いで哭し、五月、天ために霜を下したといふ故事がある。杞梁が戦死したときその妻哭して曰く「上には父なく、中には夫なく、下には子なし。生人の苦至れり」と、すなはち声をあげて泣く。杞の都城これに感じて頽づれたといふ。古語に「陽気発するところ、金石も亦透る、精神一到何事か成らざらむ」とある。これに反して、内、心を欺き、外、人を偽るところの人は、ただ形骸が人並に具つて居るだけで、その主たる真心は亡くなつてしまつて居るのであるから、人に対してはその人相顔つきからして、いかにも憎むべきであり、自分ひとりで居るときは、自分の形や影に対しても自分ながら慚愧に堪へぬ心がするであらう。良心を欺くといふことは、つまり精神的自殺をすると同様である。呂東薬の言に「欺て受くるものは身寄せらるると雖も、しかも心はもとより自若たり。かの人を欺くものは身、志を得ると雖もその心もとよりすでに劉衰して余なし」とあるはこれと同意である。  善悪の隱顕  「悪は陰《かく》るるを忌み、善は陽《あら》はるるを忌む。故に悪の顕はるるものは禍浅く、隱るるものは禍深し。善の顕はるるものは功小、隠るるものは功大なり」  悪事は兎角、陰に潜むことを嫌ふものであり、善事は兎角陽に出ることを嫌ふものである。それ故に、悪事の外にあらはれて人の目につくものはその禍は浅い。しかし悪が隱れてあらはれざるものはその根柢の深いもので、これに引懸ればその禍も甚しいものである。これに反して善事の外に顕はれたものはその功が小である。隱れて人の知らぬ善事はその功も大なるものである。泥棒などのやうに悪が外にあらはれて居るものはその禍が浅いものであるが、聖人面をしてその心と口とが異れるものは悪が隠れて居つてその禍は深いものである。  萬事皆薬石  「己に反するものは事に觸れて皆薬石となる。人を尤むるものは念を動かせば即ちこれ戈矛なり。一は以て衆善の路を闢き、一は以て諸悪の源を闢き、一は以て諸悪の源を闢く、相去ること霄壌」  自から反省すれば、為すことすること、一々につけてその過失を自覚して戒めるが故に、すべてが身の薬となる。これに反して自身を顧みずして人の過失を咎めるものは、その心が動くごとに自己の徳性を害し、品格をそこなひ、さながら兵器を以て自分で傷をつけるやうなことになる。前者は反省の結果、智徳を養つて衆善の路を開くものであるが、後者は咎を人になすりつける結果、心性を害して諸悪の原因となるのである。兩者の相去ることの甚しきは天地もただならぬほどである。  行を謹しむ  「徳を謹しむは須らく至微の事に謹むべし。恩を施すは務めて報ぜざるの人に施せ」  行を謹しむといふことに就て、重大の事なれば誰人もその重要なることを知つて居るから、さしたる間違はない。しかし些細の事に就ては多くは気がつかず、或はこの位のことはどうでもよいと思うものであるが、それは間違つたことである。些細の小事に於て不道徳のことをせぬといふやうでなければ真実に徳行を謹しむといふべきでない。恩恵を施すにも、務めて恩恵を受けながら報恩せぬ人に施すべきである。若し相手の報恩を当にして施すならば、それは商賣的の行為で決して恩を施すといふべきものではない。恩を施してその報をもとめるといふことは実に恩を施す精神に背くものであるから、恩を受けて報ゆることを知らぬやうなものに務めて恩を施すべしと教へられるのである。  勤倹の意義  「勤なるものは徳義に敏し、而して世人は勤を借て以て其貧を濟ふ。倹なるものは貨利に淡し、而して世人は倹を仮て以て其客を飾る。君子身を持するの符、反て小人私を営むの具となる。惜いかな」  勤勉は徳義を実行するに敏活なることであるが、世人は勤勉を誤解してせつせと働いて貧乏をすくふこととして居る。節倹は財貨利益に冷淡なることであるが、世人は節倹といふ名を悪用して吝嗇を弁護する口実として居る。勤といひ、倹といひ、木来は精神的・道義的のものであるが、世人は物質的名利的のものとして考へて居る。それ故に、君子が其身を保つための霊符、反つて小人が私利を営む道具となつてしまふのである。まことに惜しむべきである。  真文章  「人心に一部の真文章あり、都て殘編断簡に封錮し了らる。一部の真鼓吹あり、都て妖歌艶舞に湮沒し了らる。学者須らく外物を掃除して直ちに本来を覓むべし、纔に個の真受用あらん」  人の心はまことに靈妙のもので、その中には一部の真文章が備はつて居る。それで自己の心をよく読めばまことの学問が得られるが、かなしいことにはこの真文章は役にも立たぬ古書の殘篇断簡のために閉ぢ込められて居る。又人の心の中には一曲の天籟ともいうべき美しい真の音樂が本来備はつて居る。鼓吹とは鼓吹吹奏するものをいふので、つまり音樂である。しかるに惜しいことにはこの真の音樂が芸術や俳優の妖歌や艶舞のために湮没せられてしまつて居る。これを要するに、人の心には真文章や真音樂が備はつて居つて、何もわざわざ他に求めるには及ばぬのであるから、学者たるものは外物の誘惑を掃ひ除けて、先天的の文章や先天的の音樂を求むべきである。此の如くにして始めて文章の真味、音樂の妙趣を玩味することが出来るのである。  苦中の樂  「苦心の中に常に悦心の趣を得、得意の時に便ち失意の悲を生ず」  苦心は人の厭ふところで、得意は人の願ふところである。しかしながら人の心を悦ばしむるところの薬は悉く苦の中より湧いて来るものである。又人の心をいたましむる悲しみは悉く樂中より生じ来るものである。それ故に、萬事が思ふやうにならず、しきりに苦悩を感ずるときでも気の持ちやう一とつで、その中に於て常に心を悦ばしむる趣味を得るのである。たとへば貧賎の中にありて風流を樂しむの類である。それから、得意のときにありても人に知れぬ不平不満がありて、失望したり悲しむだりすることがある。たとへば高官にあるものがその上官に対して気苦労をするの類である。苦中に樂あり、樂中に苦ありと知りて苦中にありても失望せず、樂中にもあまり有頂天になりて得意がらぬやうにせねばならぬ。  富貴名譽  「富貴名譽は道徳より来たるものは山林中の花の如し、自から是れ舒徐繁衍す。功業より来るものは盆檻中の花の如し、便ち遷徒廢与あり。若し權力を以て得るものは瓶鉢中の花の如し、其根植ゑざれば其萎むこと立つて待つベし」  ひとしく富貴名譽と言ふも、これを得たる原因によりて種類を異にするのである。さうしてその耐久力にも程度の差がある。第一に道徳を行つた結果として自然に得たる富貴名譽はその根抵が固くしてたとへば山林中の花の如く、根も深くして枝葉は十分に延びひろがり、さうして見事に繁茂して幾百年の壽を保つことが出来る。第二に功業を成した結果として得たる富貴名譽は人そのものに附いたものでなく、根抵が浅くしてたとへば植木鉢や花壇の中の花の如く、外へ遷すことも出来、又盛になつたり衰へたりして、決して安定したものでない。第三に權勢威力を以て得たる富貴名譽、今日いはゆる成金者の富貴名譽といふものは最も下等のもので、たとへば花瓶の中の花の如く、始めからその根が無いのであるから、枯れ萎むことは立つて待つべく、その壽命は数日を出でぬのである。富貴名譽は誰人も欲しいものであるが、しかしこれを得る手段が肝腎で、自然的でなければならぬ、若し無理に得た富貴名譽であれば決して永く保たれることのないものである。  近思録講話  本篇は、昭和十四年八月より同十五年七月まで、雑誌「精神文化」に掲載せられたるものである。  はしがき  「近思録」は支那の南宋のとき、淳熙三年に朱熹と呂祖謙の兩人が編集したもので、全部十四巻、周茂叔、程明道、程伊川、張横渠の著書の中から、大体に於て日用に切なるものを撰び、道体、為学、至知、存養、克己、家道、出処、治体、治法、政事、教学、警戒、辨異端、観聖賢の十四部門に分類したものである。南宋の淳熙三年は我邦後白河法皇の御代、平清盛執政の頃で、今から凡そ七百六十一年前のことである。この時代支那にありては、それまで久しく振はなかつた儒教が道教及び仏教の刺戟によりて俄に勃興して、天下の思想界は再び儒教のために支配せらるるに至つたのである。近代の儒教は固より孔子と孟子との流を汲むことは勿論であるが、しかも古代の儒教とはその趣を異にして、哲学的の傾向を帯ぶることが甚しかつた。南宋の時代に至りて儒教は此の如く革新の気運に乗じ、その思想も著実となつたが、周茂叔、程明道、程伊川、張植渠などはその最も俊秀なるものであつた。朱熹は普通は朱子と言はれて居るが、周茂叔と程伊川と張横渠とを祖述して遂に聖道の宗を得たと称せられ、その学派を朱子学と名づくるに至つた。さうして其学は程伊川を承くること多きがために一に程朱学とも称せられた。  かやうに朱子によりて支那に於ける古来の学説が打つて一團とせられたことは、まことに驚嘆すべきことで、その学は我邦にも古く伝へられ、己に南北朝時代にありて朱子の学は我邦に知られて居つたが、江戸時代の始の頃に至りて漸く盛に行はるるに至つたのである。さうして、この朱子学によりて伝へられたる儒教思想が今日まで幾百年の久しき間、一切の社會を通じて日常生活の基礎をなしたことは、言ふまでなく非常の効力にして、今日及び将来にありても同じく此の如き儒教的の思想が、我々の日常生活の基礎を為すべく、否むしろ此くあるべきことを望まざるを得ぬのである。  「近思録」は前にも言つた通ほりに、朱子学の開祖たる朱熹が呂祖謙と共に周茂叔、程明道、程伊川張横渠四子の書から、初学者のために入る所を知らしめるために、その綱要を摘録したものであるが、此の如き古典を取りて、これを今日の日新の世の中に紹介することに就ては、これを骨董的として実際に何の益もないと一概に反対する人もあらうと思ふ。しかしながら、実物につきて研究を進めて行くところの学問の書物に異なりて、思想的の内容を有するところの古典にありては、これを読む人の賢愚老少に応じてそれぞれそのたましひの栄養をなすと言つても差支なく、しかも千種萬様の解釈を容れて尚ほ余裕綽々たるだけの妙趣を存するものである。今私は「近思録」を読みて私の心におさめ得たるものを、卒直に叙述して諸彦の参攷に供へやうと思ふのである。  論語の中に「切問而近思」という語がある。切に問ふて近く思ふとは、学問したことはこれを己の身に近く当てはめて誤りのないやうにつとめるの意である。「近思録」と題してある点から見ても、この書の内容の如何は略ぼ知られることであらう。この書中すべての部門にいろいろの語が学げてあるが、今私はその内から、わかり易いものを撰び隨意に排列して、私の意見によりてそれに註釈を加へることにするのである。註釈と言つても字句の末にかかりて煩瑣なる説明をするのではなく、所説の内容につきて、要領を挙げるのである。  道体類  喜怒哀樂  「伊川先生曰く、喜怒哀樂の未だ発せざる、之を中と謂ふ。中とは寂然として動かざるものを言ふ。故に曰く、天下の大本なりと。発して皆節に中る、之を和と謂ふ。和とは感じて逐に通ずるものを言ふ。故に曰く、天下の達道なりと」  先づ道の体統につきての語を集めたるもので、ここに挙げたるものは伊川先生の語である。伊川先生は程氏で名は熙、字は正叔、南宋の大儒で、兄の明道先生の程願、字は伯淳と共に、所謂程氏学派一家を成した人である。  伊川先生の言に「喜怒哀樂の未だ発せざる、これを中と謂ふ」とあるは、それはひつそりとして動くことなく左傾もせず、右傾もせず、すこしも偏倚せざるものであるから、これを中といふのである。これが天下の大本である。それから、この中が発して喜怒哀樂の情となるとき、その情が節にあたりて常に正しく公平であればこれを称して和といふのである。和は常に正しく、行く所として可ならざるは無く、天下一としてこれに悖《もと》るものなく、天下すべて皆これに由るものであるから、これがすなはち天下の達道である。達道とはすべて何事によらず一として塞がり窮する所のない道であるといふのである。  この事は「中庸」にくはしく出て居ることで、儒教の根本の精神とするところである。朱子(朱熹)はこれを説明して「喜怒哀樂は情なり、その未だ発せざるものは性なり、偏倚する所なし、故に之を中といふ、発して皆節に中るは情の正なり、乗戻するところなし、故に之を和といふ、大本は天命の性、天下の理皆これによりて出づ、道の体なり、達道は性に循ふの謂にして天下古今の共に由る所の道の用なり」と説いて居るが、「中庸」に説く所によれば「天の命之を性と謂ひ、性に率は之を道と謂ふ」とあるから、天が此理を以て人に命じたるによりて人が此理を稟けたるものが性である。この性は心の中にありて、寂然として動かざるもので、それが発するときは喜怒哀樂の情を起すものであるが、未発の時の心には喜びもなく、怒ることもなく、哀しみもなく、樂もなく、渾然として一方に偏倚することが無いからこれを中と称するのである。しかるに外部の刺戟に応じて喜怒哀樂の情が起るときはそれは必ず一方に偏倚するものである。固より性といふものは天の命により天からこれを稟けたものであるといふ以上、自から人間に具はつて居るのであるから、誰人の心の中にも未発の中が存する筈である。それでこれを天下の大本といふのである。しかるに凡愚の人にありては、物に感じ情を発するときにそれが節に適はず、常に過不及がありて、和を失ふによりて、人も物も皆安らかにその生を逐くることが出来ぬのである。  此の如くにして、我々人間に生れつき具つて居るところの性といふものは寂然として動かざるものであるが、それが動くときは喜怒哀樂の情となりて性とは言はれず。さうしてこの情の動くことが常に正しくして公平であれば天下一としてこれに悖ることなく、すべてのものが皆これに由るのである。それ故に和は情の天理に背かざるものにして、天下古今に通じて悖ることなき達道であると言はねばならぬ。尚繰返して言へば、我々人間が天より稟くるところの性がいまだ動かざるときは中にして、中は性の徳として萬事萬物に具はつてその根本を成すものである。この中が発して情をあらはすとき、それが過不及なく、皆当然の節に適ふをば和といふのである。すなはち寂然として動かざる本体の性が感じて逐に天下の事に通ずるのである。  言ふまでもなく、儒教は孔子を祖宗とするもので、元来孔子の教は実際を主とし、先づ自己の徳を修め、その一身を以て天下の儀表となり、之を以て家を斉へ、国を治め、天下を平にせむとするにあつた。しかるに当時老子の一派がありて宇宙の本態から説き及ぼして、本態が無為自然であるから人間も亦無為自然でなければならぬと説き、それに続きて種々の理論を唱へるものが出て来たので、孔子の孫の子思が「中庸」を著はして孔子の教を体系的に説明したのであると言はれて居るのである。この事は仏教にありても同様で、その開組たる釈尊は、多くの人々に対して苦悩を脱するの道を実際的に説かれたものであるが、これを聞くものが漸次にそれに就て理論的に考へるやうになりて、遂に「大乗起信論」に説いてあるやうな哲学的の説明をするやうになつたのである。さうしてその説明によれば、我々人間の心は不生不滅のものと、生滅のものとの二つから成つて居るのであるが、その不生不滅のものは真如と言はれるもので、見ることも出来ず、説くことも出来ぬもので、本来平等無差別のものである。それを本としてあらはれるところの生滅の心はすなはち我々の平常の心で、所謂煩悩具足のものである。喜怒哀樂の心がこれである。この喜怒哀樂の情がいまだせざる前に中と言はれるものは性にして仏教にて真如と称せられるものに比すべきもので、心も及ばず、言葉も断えたのであるが、それがして喜怒哀樂の情となればすなはち煩悩の心である。それ故に、煩悩もその本体から言へば真如と併びて存するものであるから、よくよく考へれば煩悩は即ち真如である。よくよく煩悩の心を内観することによりて真如に達して煩悩を離れることが出来ると説かれて、それが修行の方則とせられて居るのである。儒教にありても人間の心を説きて中と和との理を示し、君子はその見ざる所に戒愼し、聞かざる所に恐懼して喜怒哀樂の情のいまだ発せざる前に修養の工夫を積みて、寂然不動、不偏不倚、よく中を推し極め、又愼独の工夫を熟せしめて、外物に応じて誤まることなく、よく和を推し窮めることをつとめねばならぬと教ふるのである。  性善・下愚・自暴自棄  「人の性はもと善なり、革むべからざるものあるは何ぞや。曰く、其性を語れば則ち皆善なり、其才を語れば則ち下愚の移らざる有り]  孟子の説に人の性は善であるといひ、爾来それが、儒家の定説となつて居るのであるが、しかし世間には小人の如何にしても革むることの出来ぬものがあるが、それでも尚ほ人の性は善であると言ふことを得るか。この疑問に対して曰ふ。性には善ならずといふものは無い。しかし才といふものは性の能力として理と気とを合せて成るもので気質と称するものである。この気質には昏明と強弱との別があつて、その昏明の極度のものを下愚とする。下愚には移らざるものがある。  「所謂下愚に二あり、自暴なり、自棄なり、人苟《いやしく》も善を以て自から治むるときは則ち移るべからざるものなし。昏愚の至と雖も皆漸磨して進むべし。唯自暴のものは之を拒むで以て信ぜず。自棄のものは之を絶つて以て為さず。聖人と与に居ると雖も化して入ること能はず。仲尼の所謂下愚なり」  下愚と言はれるものに二類ある。自暴のものと、自棄のものとである。自暴とは孟子の語で、人の性は善なるに拘らず自からその性の善を損するものである。自棄とは孟子の語で、性の善なることを知れるに拘らず、怠りて善徳を行はざるものである。人は生れつき善性を有して居るのであるから、常に善徳を行ひて毫も違背なからむことを期すれば、自から偏倚して居るところの気質も中正に帰するもので、善性に立ち帰ることの出来ぬものはない。しかるに、自暴のものは性の善なることを信ぜずして極力、善を拒むため、又自棄の人は生れつき性の善であることを知りながら怠りて善を治めない。この二類の人は性の善なることを知ると、知らざるとに論なく善性に立ち帰らむとする意志がないのであるから、たとひ聖人と日常、その起居を共にして居つても、感化を受けることは無い。仲尼(孔子)が下愚と言つたのはかかる人を指すのである。  「天下自暴自棄なるもの必ずしも皆昏愚なるにあらず。往往強戻にして才力人に過ぎたるものあり。商辛これなり。聖人その自から善を絶つを以て、之を下愚といふ。然してその帰むくところを考ふるに則ち誠に愚なり」  自暴自棄のものがすべて道理のわからぬものであるといふのではない。何か為す毎に自暴でありながら、才力は普通のものに比して大いにすぐれたものがある。商の辛といふ人、即ち殷の紂王《ちゆうおう》の如きはそれである。帝辛は殷第三十世の王で、暴虐無道にして天下之を紂といふ。紂とは殘忍義を捨つるの義で、夏の桀王と併称して桀紂と言はれた。紂王は資辨捷疾、聞見甚だ敏、材力人に過ぎ、手づから猛獣を格した。その智は以て諫を拒ぐに足り、言は以て非を飾るに足る。酒を好みて淫薬を事とし、婦人を嬖して姐己を愛した。それから賦税を厚くして民を苦しめ、又多く野犬飛鳥を取つて沙丘の苑臺に置き、酒を以て池となし、肉を懸けて林となし、男女をして裸にして其間に相逐はしめて、長夜の飲を為した。そこで百姓怨嗟して諸候反くもの多きを以て紂王は刑辟を重くし、炮烙の法を行ふた。庶兄微子しばしば諫むれども從はずして之を去つた。比干が死を以て諫めたのを怒つて「吾れ聞く聖人の心に七窮あり」と言ひ、比干を殺して之を剖き其心を観た。周の武王兵を興して紂王を討つに及び、紂王は牧野に拒ぎたれど大敗して火に赴きて死亡した。此の如く紂王は人にすぐれた人で、才もあり、力もあり、智慧もあり、まことに天資英邁の偉人であつたと伝へられて居る。しかるに紂王といへば夏の桀王と併びて暴君の代表者とも言はるべきものとなつたのは、全くその自暴のためで、その性の善なることを信ぜずして極力善を拒み自から進むで天性に悖るところの行を敢てしたのである。すべての人は生来善性を有して居るものであるから、克巳策勵して常に善徳を行ひて毫も違背することのないやうに努力すれば、偏倚したる気質も自からにして中正に帰るものである。「善を以て自から治むるときは則ち移るべからざるものなし」と言はるる通りである。しかるに、その性の善なるものを自から損ふのであるから、それを指して下愚と言はれたのは当然である。しかしその赴く所の結果よりして考へて見ると、紂王の如き、いかにその天資は英邁でありても、その行動の結果よりして言へば、矢張下愚と言はれねばならぬほどの愚物である。  分を尽す  「明道先生曰く、天地の物を生ずる、各不足の理なし、常に天下の君臣父子兄弟夫婦の多少分を尽さざる処あらんことを思ふ」  明堂先生は程氏で、名は、字は伯淳、南宋の大儒にして、弟の伊川先生と共に経術を以て諸儒の首座であつた。この語は程氏遺書に載せてあるが、その意味は、天が萬物を生ぜしめた時には理に於て欠げて居る点は無く、すべてそれぞれの物に応じて最も正しくよろしき理を与へてある。しかるに人が物に対する場合にはその理を尽さず十分に為すべきことを為さぬことが多い。常に君臣父子兄弟夫婦等の道に於て、その為すべき本分を少しでも欠いで居る点はないかと反省靜思して悔ゆることのないやうにしなければならぬといふのである。  明道先生の説に拠れば、天地の二気によりて萬物が生ずるのであるが、深く考へれば地中の生物は皆天気である。天地はもと一物、地も亦天である。或は又いはゆる地は只天中の一物であるとするのである。かやうにして物が生ずるのに理といふものを欠ぐことはない。しかるに、人が物に対するときにはその分を尽さざるところがある。分とは天理当然の則で、すなはちそれぞれの為すべき本分をいふ。すべての物が生じたるとき理が欠げて居ることは無いが、君臣父子兄弟夫婦等の道に於て其心を尽霊さざるときは理に当らぬものである。これすなはち天理当然の分を尽さぬものである。それ故に君子はこれを精察してよく力行することを貴ぶのである。  程氏の説く所は此の如く天が物を生ぜしめたときには必ず自然の理と称すべきものを備へしめて居る。さうしてその起源からして言へば天地も人間もその他のもの皆一物で、それは天地自然の理に則とるべきものであるが、人々がその心を尽さざるときは理に背きて種々の正しからぬことがあらはれると説くのである。これは言ふまでもなく、儒教に於ける哲学上の考へであつて、仏教にありても、哲学的に考へるところは略ぼこれと同樣で「一色一香無非中道、己界及仏界衆生界亦然」とありて、草木瓦礫、山河大地、大海虚空等の一切萬物(一色一香)は中道にあらずといふことは無いと説くのである。さうしてその中道といふものは或は真如といひ、或は法身といひ、或は実相といひ、多くの異名があるが、宇宙の本体として考ふるもので、真如といふ名が最も広く行はれて居る。恵心僧都の「真如観」に「法界に遍する真如、我体と思はば、即ち我法界にて此外にことものと思ふべからず、悟れば十方法界の諸仏、一切の菩薩も皆我身の中にまします。我身を離れて外に別の仏を求めむは我身則真如なりと知らざる時の事なり、真如と我と一とつ物なりと知りぬれば、釈迦弥陀薬師等の十方諸仏も、普賢文殊観音弥勒等の諸菩薩も皆我身をはなれたるものにあらず」とあるは此理を平易に解釈したものである。それ故に、この真如のあらはれを仏性として見るときはこの天地自然の理はすべての人々に存するもので、それは決して欠ぐるものでないと言はねばならぬ。  しかし我々がかやうな哲学上の考へから物に対してその心を尽すことによりて、その分を守り以て日常の生活を美しくすることは宗教の心によりて始めてこれをよくすることが出来るのである。さうして宗教のその心のはたらきはさういふやうな思考の上にあらはれるものではなく、我々が生後にあらはすところの情を否定するときに必然的に起りて来るものである。鎌倉時代に西行法師が撰むだ「撰集鈔」の中に高野の空観房のことが書いてゐるが、それは西行法師が空観房がすぐれたる道心者であるとの評判が高いので、何となく床しく覚えて訪問したのである。「方丈の庵に阿弥陀仏の三尊うつくしく立ちならべて、花香あざやかにそなへて、彼の御前にたて静かに念仏したまひき。見奉るに貴く侍る。さて後世のつとにはいかなる御務か侍るとたづね申し侍りしに、我に仏性あり、かれとこしなへに明瞭なり。この故に我が為すところみな彼の仏界より等流せり、しかあれば四儀の振舞、居て思ひ、起きて思ふこと皆仏法なりと、この思をなして観念し侍ること日毎に怠るときなし、又心仏及衆生是無差別とて心仏衆生はなれざるに侍れば、人を憎みあざむくこと侍らず、をのづからの善を修しても悉く自他の法界に廻向するに侍りと、のたまはせしに、伝へ聞き侍りしよりも貴く侍りて随喜の涙袂をうるほし侍りき」と西行法師は感歎して居る。西行法師は心と仏と衆生と、この三つのものは差別なしといふことはまことに貴きことなれども「思ひかけぬに、草むらより?の出で侍れば心さはぎて逃げまどふことのかなしさよ、今より後はたとひ頭にかかり侍るともさはぐ心は侍らじと思い定めて侍る」と言つて居る。まことに人の心はさういふ状態であるのが常にして、たとひ高尚の理であるとも、その理に從ふて動くやうにと道徳的に心を進めることは容易でない。宗教の心の場合にありては、さういふ無差別の心が自から現はれて、我と他と彼と此とを区別せず、従つて自を是とし、他を非とし、此を高くし、彼を卑くするといふやうなことが自からにして起らぬのである。  不仁  「医書に手足の痿痺するを言ひて不仁となす、この言最も善く名状す。仁者は天地萬物を以て一体となす、己にあらざるは莫し、己たることを認め得れば何ぞ至らざる所あらむ、若しこれを有せざるときは己と相干《あづか》らず、手足の不仁なるが如し、気己に貫かずして皆己に属せず」  医書に手足が痿へ痺れる場合を指して不仁と言つてある。それは自分の手足でありながら少しの感覚もないがために自分の手足か他人の手足かわからぬのであるが、この状態を不仁と言ふのはまことによく形容した語であると言ふべきである。それは何故ぞと言ふに、仁は人の天性でありて、これなければ天地萬物も共に生育することの出来ぬものである。そこでこの仁が如何なるものであるかをよく辨へ得た人は、天地の萬物と自己とは一見別物の如くに見えて居りながら、その根本に於ては決して別物でなく、共に天より与へられたる理によつて生育するのであることを知得する。さうして、この萬物と我とは遂に一体であることを知得したものは、如何なる場合と雖もよくその天理をして違背することは決してない。若し萬物と自己と同一体なるを知らざるときは萬物と自己とは何の関係ないものとなつて、お互の間に何等の気も通じないので、あたかも手足の痿痺した様な状態となりてお互に自滅するやうな結果となるのである。故に仁者は天地と共に榮え、不仁者は遂に自滅するのである。  元来仁といひ、愛といひ、共に人間の精神が同類のものを結合するがために極めて重要のものであるから、儒教にも仁愛を説くことには心を用ひて居るのであるが、孟子が惻隠の心は仁なりと言つたので、後の学者はこれに基づきて愛を以て仁と為すに至つたのである。しかるに明道先生はこれに反して、愛は自から是れ情にして仁は自から性である。決して愛を以て仁と為すことは出来ぬ。孟子の言には惻隠の心は仁の端なりとあるから、既に仁の端なりといふ以上は之を仁といふべきでない。又韓退之が博愛これを仁と言つたのは当を得ぬことである。仁者は固より博く愛するがしかし博く愛することが仁であるといふは非である。明道先生は此の如くに説いて仁は性にして天より稟けたる自然の理で、愛はこれに反して陽気の発するところのもの即ち情であるとするのである。從前の学者が仁と愛とを混同して性と情との区別を知らざることを説いて、比の如くに仁は愛の性であり、愛は仁の情であるといふことを示したのは程氏である。  「故に博く施して濟ふこと衆きは乃ち聖の功用なり。仁は至つて言ひ難し。故に止曰く、己れ立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す、能く近く譬を取る、仁の方と謂ふべきのみと。是の如く仁の体を得べからしめんと欲す」  前に言つたやうな次第であるから、博く民に施してよく衆を濟ふといふことは仁といふものを体得したる聖者の引用である。それは仁そのものではなくして、仁が人のはたらきによりて表現せられたる現象に外ならぬ。仁といふのは口では容易に言ひ現はすことの出来るものでない。それ故に、子貢が孔子に問ふて博く民に施して衆を濟ふことあらばこれを仁と言ふべきかと言つたときに、孔子はただ次のやうに言つて居られる。己を以て人に及ぼすのが仁者の心である。仁者の人を見ることはあたかも己の如くで而かも人を先にする。ある位を見て己れが立たんと思はば人をして立たしめ、又巳れが達せんと思うときには人をして達せしめる。かやうに己れの欲する所を以て人を推して行き、己れの欲する所を推して人に及ぼすのが恕への道であるが、かやうに行へばやがて自己の私怨に打ち勝つて公正なる天理を完ふすることが出来る。これがすなはち仁の方術である。孔子が此の如く誓を取りて仁の方術を説かれたのは、子貢が仁といふことを言つてしかも仁の本体を知らぬのを教へて、人の欲は己の欲と異なることなく、人に施すのも亦己れに施すが如しと、これを身に取りて人に警へ、仁を求むるの方術を知らしめて以て仁の本体を知らしめるやうにせられたのである。  これを要するに、天地萬物は我と同体のものであるが故に、人々の心に私蔽なきときは則ち自然に愛してしかも公である。これが即ち仁と言はれるものの本体である。しかるにこの理が明かならずして私意のために隔てられるときは即ち我と非我との区別が出来て、それが少しも交渉せぬやうになること、たとへば手足の痿痺するが如くである。博く施し濟ふこと多しといふは全く事物の上にあらはれたる仁の現象にして、仁の本体は心の上に天地萬物が一体であるから、自己をば自己以外の萬物と一体のものとするやうに性の本質をよく知るときに始めてよく認識せられるものである。実際的に言へば人の性といふものは、天の理として認むべきもので全く無我のものであるが、この性に率ひて渾然、無念無想の心に住して私蔽を去るときに始めて仁の体といふものが知られるのである。さうしてこの心境にあるときは名利の念なく、人我の別なく、すべての事物に対してあらはるるところのものが仁に本づくところの愛である。さうしてそれは仁の功用であるからその本が立てば末は自から行はるるものである。しかるにこの仁の体は動もすれば人心のために蔽はれて、その本来の面目を発揮することが出来ぬやうになるのが常である。前にも言つたやうに孔子は「己れ立たんとすれば人を立て、巳れ達せんとすれば人を達す」と説かれたが、この語を表面的に理解して己を立てんと欲して聖人の行跡を身にうつしてもそれは更に甲斐のないことである。石門心学の祖たる石田梅岩はこのことにつきて「此語を只今までは人に譲ることのみと思ひ、その誤る所に仁ありと唯軽く思ひ候へども、今度発明を以て見るとき、己れが欲する所を人に達する計と心得るは浅し、己れとは我心なりと心得て、その我をば退けて、人を立つるときは天下のことなり、然るに己れを立つるより人の賢を蔽ひかくし、己れ天下にはびとらんと思ふは大に似て小さき心なり、僅かの此身を立てず、人を立つるときは巳れ則ち天地に滿つる、然るに己れを捨てずして天下の妨をするは不仁の甚しきなり」と言つて居るが、まことに至言であると言はねばならぬ。  性善  「凡そ人の性を説くや、只是れ之を継ぐものは善なりと説く。孟子が性善を言ふ是なり。夫の所謂之を継ぐものは善とは猶流れて下に就くがごとし、皆水なり流れて海に至りて終に汗るる所なきなり、此れ人力を煩はすことを之れ為さんや、流れて未だ遠からず、固より巳に漸く濁るあり、出でて甚だ遠くして方さに濁る所あるあり、濁の多きものあり、濁の少きものあり、清濁同じからずと雖も、然れども濁るものを以て水となさずんばあるべからず」  人の性は靜かなるものでこれを説くことは出来ぬ。それ故に人々が性のことにつきて論じて居るのは天道を継ぎて行ふものは善であるといふことである。孟子が性は善なりと言つて居るのも矢張その意味に外ならぬものである。それで天道を継ぎて行ひ天道の消長する所以に則とりて行ふことが善事であるというのであるが、たとへば水が上流より流れて末は海にまで流れて行く時の状態と同じである。流れ始めてから海に入るまで少しも濁らず、汚されない水もあるが、これは人が横からしてその水を清らかにしやうなどと努力を加へることの必要は少しも無いものである。又流れ始めて幾らも行かない内に巳に濁つてしまふ水もある。又遠くへ流れて行つてから濁るものもある。又濁り方の多いものもあり、少いものもあるやうに、いろいろの水があるが、澄んだのが水であり、濁つたものは水でないと言ふことは出来ぬ。濁つたものも矢張水である。これと同じく、人がその性を具有する状態も始めは善であつたが、世に続して行く内には種々の誘惑などによりて悪といふものが出来て来る。しかし悪といふものが出来たからと言つてそれは性でないとは言はれぬのである。  孟子が性は善であると説くのも、要するに人の形気の中にあるものが善でなければならぬという意味に外ならぬものである。明道先生の説に拠ると、人が此世に生れ出づるやが固まりて形を成し、理が因りて備はるのであるが、それを名づけて性といふのである。固より人の気稟に善悪があることは理論的に然るべきであるが、性の本体につきて言ふときはただ善のみで、性の中に善悪の二種が元より併び存するものではない。しかるに人は幼より善なるものと、幼より悪なるものとがある。これは気稟《きひん》の然らしむる所である。凡そ人が生れて猶ほ静かなるときは人物未だ生ぜざるものでただそれを理といふべきで、性と名づくべきではなく、天にありて命といふものと同じであるが、巳に性といふときは人が生れてから後のことで、この時には理が巳に形気の中にありて決して性の本体ではない。性の本体は気にして常に善なるものであるが、それが人の形気の中に含まるるに至れば自然のままに善なるものもあり、又悪たるものも出来るが、悪というものももとより悪ではなく、或は過ぎ、或は及ばずして天理に背くものに外ならぬのである。  貝原益軒の大和俗訓に「人の性はもと善なれど、凡人は気質と人欲に妨げられて善を失ふ。気質とは生れつきをいふ、人欲とは人の身の耳目口体に好むことのよき程に過ぐるをいふ。生れつき悪しければ人欲行はれやすし。さればすべて人たるものは古へのひじりの教を学んで人となれる道を知り、気質のあしきくせを改め、人欲の妨を去りて本性の善にかへるべし。是れ学問の道たり。故に古の聖人教を立て天下の人に学ばしめたまふに、人の性皆善なる故に学んで善にかへる道あればなり」とあるは、右の道理を示したものである。儒教の説に從へば人皆良知あり、教へざれども幼少より親を愛し、長じては兄を敬ふのである。人皆生れつき仁心あるが故にたとへば人の河川へ落ちたるを見てあはれむ。人皆義理あるが故に、節にあたりては愚なる下男といへども命をおしむことなし。乞食にて食物を蹴散らして与ふれば食はず。これ人の性の善である証とすべきである。聖人の教は天下の人の生れつき備へて居らざることを知らしめてこれを行はしめんとするのではない。生れつかざさることは教もなし難し。その人にもとより生れつきたる善心があるのを本として導き開きて、これを推し広めむとするのである。天下の人は皆其性が善であるから、その善なるに本づきて導くのが聖人の教である。それ故に儒教に説く所の教は、即ち其人に生れつきたる善心を本として、これをそだて養道なれば、教を造り出して別の道を持ち来りて、人に教ゆるのではない。しかれば天下の人おしなべて此道を以て導かば、凡て血気ある人類は何の国の人にてもこれを尊信して從はずといふことなかるべしと説くのである。ここに説く所はこの事につきての原理である。  真実無妄  「無妄之を誠といふ、欺かざるは其次なり」  誠といふのは真実無妄を指して名づくるのである。一念一動みな天地自然の理にかなひ一とつとして偽のないのが誠である。無妄とは実理の自然にして一毫の偽妄なきをいふのである。「中庸」に「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」と説いてあるやうに、儒教の考へによれば天人合一、物我一体で、天地自然の理として春夏秋冬の四時が順々に行はれ、萬物が生じ、それが萬古にわたりて息むことが無いのが天の道で、すなはち誠である。我々人間はこの天地自然の誠を以て我が性として居るのであるから、その性の儘であれば真実無妄であるべき筈である。しかるに我々凡夫は人欲の私に蔽はれて真実無妄なることは出来ぬ。  欺かざるといふのは、天地自然の誠のまさに然るべきことを知りて自から欺くことをせぬのである。無妄は天地自然の誠で一堂の偽妄なきものであるが、欺かざるといふことは我々が真実無妄なることが出来ぬといふことを知りて、力めて真実無妄ならむことを欲するのである。それ故に、実理自然の誠に対して其次に位するといふ。親鸞聖人が「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのことみなもてそらごと、たはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにおはします」と言はれたことも、この意と同じきものであらう。  仁  「仁を問ふ、伊川先生曰く、此れ諸公自ら之を思ふに在り、聖賢の仁を言ふ所の処をもつて類聚して、之を観て、体認して出し来れと、孟子の曰く、惻隠の情は仁なりと、後人逐に愛を以て仁となす、愛は自ら是れ情、仁は自ら是れ性、豈専ら愛を以て仁となすべけんや、孟子曰ふ、惻隠の心は仁の端なりと、既に仁の端といふ、則ち之を仁といふべからず、退之は博く愛する、之を仁と謂ふと言ふ、非なり、仁者は固より博く愛す、然れども便ち博愛を以て仁となすは則ち不可なり」  仁とは如何なるものであるかといふ質問に対して程伊川先生は答へて次のやうに言つた。仁は天地自然の理であるから、諸君は自から心に深く認識して実践躬行するより至方はない。すなはち古の聖賢が仁につきて説いたことをよく考へ、あらゆる方面よりこれを考察して身に体してその真理を認めるべきである。孟子は惻隠の心すなはち他の不幸を見て起すところのあはれみの情の切なるものを仁とすると言つて居るが、しかしながらこのあはれみの心を指してすぐに仁であるとすることは出来ぬ。このあはれみの心は仁の一端緒に過ぎぬもので、仁の一端が人の心を通じて現はれたものに外ならぬと孟子も言つて居るのである。しかるに孟子のこの語を聞いて、後の人は軽く考へて、遂に愛する、あはれむといふことを仁であるとするやうになつた。しかし、人を愛する、あはれむといふことは情といふもので性といふものではない。仁は性であつて情ではない。それ故に、愛を以て仁となすことは出来ぬ。孟子は又、惻隠の心は仁の一端であると言つて居るが、惻隠の心として動いて居るものも亦一とつの情であつて、これを仁といふことは出来ぬ。ただこの愛の情の中に仁があるといふべきである。又韓退之は博愛を仁と言つて居るか、これもよろしくない。仁者は仁に本づきて博愛の情を有することは確かであるが、それは情であつて仁といふべきものではない。  要するに、程氏の説は、仁は性にして、天より稟けたる天地自然の理であるが、愛はこれに反して陽気の発するところのもの即ち情であるとするのである。仁と愛とは明かにこれを区別して互にこれを混同すべからずと言ふのである。  「問ふ、仁と心と何ぞ異なる、曰く心はたとへば穀種の如し、生の性はすなはち是れ仁、陽気の発する処はすなはち情なり」  程氏は、学者が性と情との区別を知ることなきを慨嘆して、愛の情は仁の性にあらずといふことを唱道したのである。すなはち仁は愛の性であり、愛は仁の情であると説くのであるが、それならば仁と心とはどうするかと問へば穀種を以て心に喩へて、生の性はすなはち是れ愛の理である。陽気の発するところはこれ惻隠の情であると言ふ。  性即理  「性は即ち理なり、天下の理、その自るところを原ぬるにいまだ不善あらず、喜怒哀樂の未だ発せざる、何ぞ嘗て不善あらん、発して節に中れば則ち往くとして善ならざることなし、故に凡そ善悪を言へば皆善を先にして悪を後にす、吉凶を言へば皆吉を先にして凶を後にす、是非を言へば皆是を先にして非を後にす」  性は即ち理なりといふことは孔子よりして後、程伊川始めてこれを説き尽したものである。その考へによれば、性はすなはち天理であるから悪なる筈はない。喜怒哀樂の未だ発せざるものは性であり、理であり、気が加はらぬから不善なる筈はない。その性が発しても常に正しく節に中たるときは不善なるものは無い。その不善なるものが出て来るのは気の迷ひが後に加はるからである。それ故に、気が加はらず、靜かなる天理として存する場合にはすべて正しく、善ならざるものは無い。かやうな次第であるから、善悪を言ふときには皆善を先にして悪を後にし、吉凶を言ふときには皆吉を先にして凶を後にし、是非を言ふときには皆是を先にして非を後にするのである。  心の善悪  「問ふ、心に善悪ありや否や、曰く天に在りては命となし、物に在りては理となし、人に在りては性となし、身に主としては心となす、其実に一なり、心はもと善なり、思慮に発しては則ち善あり、不善あり、若し既に発すれば則ち之を情と謂ふべし、之を心と謂ふべからず、譬へば水の如し、只之を水と謂ふべし、流れて派となり、或は東に行き或は西に行くが如きに至りては、却て之を流と謂ふなり」  天地自然の道が萬物に命といふものを賦興するのであるが、萬物は萬殊にして、それに各々天地自然の則がある。それをすべて名づけて理といふのであるが、人がこの理を得て以て生ずる、これを性といふ。さうしてこの性の存する所、虚靈知覚、一身の主宰をなす、これを名づけて心といふのである。そこでこの心に善悪が有るかとの間に対して答ふるところは次の通ほりである。  萬物を成立せしめる所以のものは天でありて、この天に在る場合の道を称して命といふ。天下の事物はいろいろと殊別の態に別れて居るがこれ皆、天然の法則によつて居る。この萬物に具はるところの天然の法則を総称して理といふのである。人も亦この理によりて生じて居るものであるが、この理が人の中にあるものを性といふのである。さうしてこの性が人の中に入るときは人の身体を主宰することとなるので、それは性と言はずして心と名づけるのである。かやうな次第であるから名称は場合によりて相異してその実は同じものである。それ故に心もその本をたづぬれば天命であるから本来は善である。しかるにそれが思慮となりて現はれるときは善もあり又不善もありて区別が生ずるのである。しかしかやうに外に発して来るものは之を心と言はずしてこれを情といふのである。丁度水のやうなるのである。如何なる場合でも、水は水に相違ないが、東や西や、いろいろの方向に流れ出してからはこれを流れといふやうなものである。流れと言つてもその本然のものは水である。さういふ訳であるから悪のあるやうに見えるのは心の本然ではなくして情となつた場合である。心の本然はいつでも善なるものである。  萬物の一源  「性は萬物の一源にして我の得て私すること有るにあらず、ただ大人よく其道を尽すとなす、この故に、立つとき必ず倶に立ち、知るときは必ず周ねく知り、愛するときは必ず兼ね愛し、成ずるときは独り成ぜず、彼れ自から厳塞して吾理に順ふことを知らざるときは則ち亦、これを如何ともすることなし」  性は天に本づきてすべての人が同じやうに得て居るものである。しかもよく自分の性を尽すことは聖賢のものにして、始めてこれを能くするものである。若し既に自分の性を尽すときは則ち人の性を尽するのである。性にはもと二つは無いのであるから自分が立てば必ず他の人と倶に立つのである。自分に知る所があれば他人をして周ねく知らしめるのである。愛するときは兼ね愛して人をして皆愛する所を得せしむるのである。成ずるときは独り成ぜず、人をして皆成ずる所あらしめる。この四つのものは聖賢の人の心に存する所のもので、立は禮の幹である、知は智の用である、愛は仁の施である、成は義の途ぐるのである。禮に立つことより義に成ずるに至るまでこれ即ち、学問の始終である。しかるに、人が目から蔽塞《へいそく》して通ぜず、理に順ふことを知らざればこれを如何することも出来ぬのである。  為学類  志と学と  「廉溪先生曰く、聖は天を希ひ、賢は聖を希ひ、士は資を希ふと、伊尹顏淵は大賢なり、伊尹は其君の堯舜たらず、一夫も其所を得ざるを恥づること、市に撻るるが如し、顔淵は怒を遷さず、過を貳《ふた》たびせず、三月仁に違はず、伊尹の志す所を志し、顏子の学ぶ所を学ばば、過ぐるときは則ち聖、及ぶときは則ち賢、及ばざるときも則ち令名を失はじ」  廉溪先生というのは周惇頤字は茂叔、道州営道の人であるが、晩年廉溪といへる村落に住居せしが故に世に廉溪先生と言つた。南宋時代の大儒であつたが、この人の言つたことに、聖人は天と一体となるべく希望してこれを務め、賢人は聖人となるべく希望し、士人は賢人たるべく希望して、人は各その分に応じて漸次に向上すべく勉むるものである。殷の賢大夫伊尹はその君を自から輔佐して堯舜の如き聖君たらしめむとし、一夫と雖もこれに職を与へて国を泰平に治めむとした。それ故に其君にして凡君であり、又その適当なる地位を得ざる一夫でもあれば、あたかも市で撻たるるやうに恥辱としたほどであつた。顔淵は怒るべき時に怒り、怒るべからざる時には怒らず。又一たび自分の不善を知るときは直ちにこれを改めて決して再びその過ちを犯すが如きことなく、一挙一動常に仁によりて行ひ、決して仁道に違背することの無かつた大賢人である。それ故に、我々後輩のものは伊尹の志せしところを自分の志としてつとめ、又顔淵の学びしところをその儘に学むだらよいのである。若しこの二賢人を学むで、それ以上に習得したときは聖人となり、又それと同等にまで達するときは賢人となるのである。たとひそこまで達することが出来ないとしても、その善き名は必ず得られるのであるから、何れにしても間違なく立派なる人物となることが出来るのである。  思ふに、周子は世の人が名利の欲に騙られ人に媚び世に阿ねり、ただ自分のことのみを図ることを恵んて、伊尹の志す所を志すと言つたのである。又周子は人が聞見を広くすることをのみ好み、文詞を巧にし、智能に矜り世間のために何の益にもならざることを思ひて、顔淵の学ぶところを学ぶと言つたのである。  実践躬行  「聖人の道は耳に入りて心に存し、之を薦めば徳行となり、之を行へば事業となる。彼の文辞のみを以てするものは?し」  聖人の道は耳より入れてこれを心にてよく習得し、これを積み重ねて外に現はしては徳行となし、又之を行つては国家萬民のためになる事業として博く天下を濟ふのでなければ駄目である。往々有るが如き文章のみによりて種々の理屈をならべて事足れりとせるものはその心事まことに?しきもので、勿論聖人の道に反するものである。要するに、人は真に道徳の重きことを説いたのである。古の語に「小人の学は耳より入りて口に出づ、その間僅に三寸のみ、実ぞ五尺の?を沽《うるほ》すに足らむや」とあるも、要するにこの言葉と同じく、徒らにこれを口舌に弄びて、実践躬行を顧みざることを戒めたのである。  学の道  「学の道は必ず先づ諸《これ》を心に明かにして養ふ所を知り、然して後、行ふて以て至らむことを求む。所謂明かなるによりて誠なるなり。これを誠にするの道は道を信ずること篤きに在り。道を信ずること驚きときは即ち之を行ふこと果なり。之を行ふこと果なるときは則ち之を守ること固く、仁義忠信心に離れず、造次にも必ず是れに於てし、顛沛にも必ず是れに於てし、出処語默必ず是れに於てす。久しうして失はざるときは則ちこれに居ること安く、動容周旋禮に中りて邪僻の心自から生ずることなし」  諸というのは天理であるところの性である。心に明かにするとは心中に悟るのである。性を養ひてこれを失はず、自然に從ひていよいよ生長せしむべきである。およそ学問する方法は先づ天理の如何なるものなるかをよく心中に悟り、又如何にせばこれを養ひていよいよ発達せしめ得るかを研究して明かにすることが第一必要である。かくして天理を辨へ、これを発達せしむることが出来れば力めてこれを行ふて窮極にまで達するやうにしなければならぬ。かやうにして、人がその天賦の明徳を明かにして然る後に始めて誠なることを得るのである。又この自己の行動言語をすべて誠にするの方法は、天理によりて定められたる人の行ふべき道を厚く信じて疑ふことが無ければ、これを行ふに方りても果敢であることが出来るのである。さうして、果敢にこれを行ふほどに信じて居れば固く之を守りて、この道より離れるが如きことは無い。言葉を換へて言へば、仁義忠信の道が片時も心より失はるることなく、如何に倉卒の際と雖も、又如何にあはただしい時でも、必ずこの仁義忠信によりて行ふやうになり、平常の起居言語すべてが仁義忠信の道であるやうにするのである。かやうにして、久しく道を失ふことが無ければ、やがては道と我とが同一体のものとなりて、仁義忠信を行ふに方りても別に仁義忠信たることを意識せずして之を行ふことが出来るやうになるのである。さうすれば道即我の境地に達するのであるから、邪僻の心が生ずる間隙が出来ることは無いと説くのである。  己れに求めよ  「後人達せずして以謂らく、聖はもと生れながらに知る、学んで至るべきにあらずと、而して学を為すの道逐に失し諸《これ》を己に求めずして、諸を外に求め、博聞強記、巧文麗辞を工と為し、其言を榮華にして、道に至ることあるもの鮮し、則ち今の学は顏子の好む所とならず」  顔回はそれ故に、禮にあらざれば観ること勿れ、禮にあらざれば聴くこと勿れ、禮にあらざれば言ふこと勿れ、禮にあらざれば動くこと勿れの教を守りて、天理の節文たる禮を行ひ、若し禮を守らざることは私欲の天理を害するものとして厳にこれを戒めたのである。しかるに後世の人は道に達せずして、思ふやう、聖人は生れながら世の有りとあらゆることを知悉して居るもので、学びて後に達し得るものでは無いとして、さうして学問する方法も誤つて居る。元来、学問の道といふものは古聖賢の言をよみ習つて自己の心中にある天然の性を再生せしむるのであつて、要は自己が本となつて居るものである。徒らに他人の文章を読み、又他人の言語を聞くのみで自分の性に対して何の考慮をもせず、自己を反省しないのは外に求むるものである。それ故に、ただ徒らに古書を漁つて見聞を博くすること、文解を巧にしてその形容を美はしくして喜むで居るのみで、その得た知識を以て自己修身の材料にしやうと考へぬやうでは道を辨へることは出来ぬ。要するに後世聖学伝ふることなく身に反りて徳を修むることを知らず、記問詞章を以て学とするので、顔回が為せしところとは、相異したものである。  外物に累さる。  「横渠先生、明道先生に問ふて曰く、性を定むれども未だ動かざること能はず、猶ほ外物に累《わづら》はるるは何如と、明道先生曰く、所謂定まるとは動にも亦定まり、靜にも亦定まり、将迎なく、内外なし、苟も外物を以て外となし、己を牽いて之に從ふは、これ己が性を以て内外ありとするなり、且つ性を以て物に外に隨ふとなすは則ちその外に在るときに当りて、何物をか内に在りと為さむ、是れ外誘を絶つに意ありて、性の内外なきことを知らざるなり、既に内外を以て二本と為すときは又、烏んぞ遽に定まることを語るべけむや」  横渠先生といふは姓は張氏、名は載、字は子厚、大梁の人である。この人が明道先生に問ふて曰ふには、自分は自分の性を定めて不動の道を得むと思ふのであるが、鬼角外物に心を引かれて、その希望が達せられない、これはどうしたものであらうかと。明道先生はこれに答へて曰く、性の定といふのはあなたが今言ふが如き意味のものでは無い。元来性といふものは萬物に共に具有せるもので、我々がその性を発した場合に、これが節に当つて和であれば、これは性の定まれるものである。又心を慎しみて毫も失ふことのないのも亦定まれるものである。かやうに、動の時にも節に当り、静の時にも道を失はないのが性の特質である。さうして、天地の萬物はそれぞれ形態技能等は異なつて居ても、しかも我々と同じ天理にて生ぜられて居るもので、自分も他も皆同一の理を具有して居るのであるから、将迎とか、内外とかといふやうな区別がつけられるものではない。それで自己内外のものを外物と称し、己れがこれに引かれて道に進めないなどと言ふのは性の如何なるものかを辨へて居らぬので、性に内外の区別があるなどと考へて居るがためである。しかもその場合、外物に引かされると言へば、外物のために自己の件がすつかり自分から脱け出して行くやうなことを言つて居るのであるが、そんな愚なことはない訳である。それは外誘に惑はされないやうに努力はして居るが、性の本質に二つの区別をつけて居る以上、その努力は報いられないのである。我も他も共に同一の理によりて成立せるものであるといふことを知り、又その性は静にも動に定まれるものであることを知れば、自然道に達することが出来るのである。  私心に蔽はる  「人の情、各々蔽はるる所あり、故に道に適くこと能はず、大率患《わづらひ》は自から私して智を用ふるところに在り、私するときは則ち有為を以て応迹となすこと能はず、智を用ふるときは則明覚を以て自然となすこと能はず、今外物を悪くむの心を以て無物の地を照らさむことを求むるは是れ鑑を反して照らさむことを求むるなり。」  人の情といふものは私心に蔽はれて居り、公正なる性を失つて居るのであるから、道に達することは出来ぬ。人の患は常に自分に都合のよいやうにと思ふ心、即ち私心我執を以て智を用ふる所に在るのである。それで私心を抱いて居れば、事に応じて有為の行をすることが出来ず。又私智を用ふれば本然の明覚によりて是非を判別することが出来ない。今外物を悪むといふのは自他の性に区別があると考へて居る誤りで、その心を以て外物の累なき境地に於て明覚を逞しうせむとするのは、あたかも鏡を裏向にして物を照さむとするやうなものである。それ故に、外を非とし、内を是とせむよりは、内と外とを二つながら忘れることが肝要である。その兩方を忘れることが出来ればすなはち澄然として無事であり、無事であるときは則ち定まる。定まるときは明かである。さうすれば外物が累をなすことは無い筈である。  聖人の喜怒  「聖人の喜は物の当さに喜ぶべきを以てす、聖人の怒は物の当さに怒るべきを以てす、是れ聖人の喜怒は心に繋らずして物に繋ればなり、是れ則ち聖人も豈に物に応ぜざらんや、烏んぞ外に從ふものを以て非となし、而して更に内に在るものを求むるを是となすことを得むや、今自私用智の喜怒を以て聖人の喜怒の正しきに視れば如何とせむや。」  聖人の喜びは物を主とするもので、他の物が常に宜しき状態にあるを見て喜ぶのである。聖人の怒は他の物が当に怒るべき不善の状態にあるときに怒るのである。この喜怒は決して自分の心を主としたものでなくして、他の物の状態によりて定まるのである。此の如く、聖人には私心なくすべての物を公平に見るのである。かやうな事から考へてよくわかるやうに、自分以外のものを悪しといひ、自分のものはすべてよろしといふべき筈はない。普通人の私心によりて喜怒する心と、聖人の公正なる心とを比較して見ると、その差異があまりに大きくして、如何とも致し方のないほどである。  怒の情  「夫れ人の情の発し易くして制し難きものはただ怒を甚しとなす、ただ能く怒るときに於て、遽に其怒を忘れて、理の是非を観れば、亦外誘の悪むに足らざるを見るべく、道に於ても思ひ半ばに過ぎむ」  人の情の中で最も起り易く、又制し難いものは怒の情である。この怒の情のために人はよく失敗をするのである。自分が怒つたとき直ちに公正なる心を取り返して、私心による怒を忘れて真に怒るべきときか、然らざるときかをよく観察して見れば、自己の怒を誘出せしめたものも決して悪くむべきものでないことがわかるであらう。道を得むとする場合も、この要領で考へて見れば自から悟ることが出来ることが多い。  聖賢の言  「聖賢の言は巳むを得ざればなり、蓋し是の言あれば則ち是の理明かなり、是の言なければ則ち天下の理に闕ぐることあり、彼の来?陶冶の器の一も制せざるときは、則ち生人の道足らざることあるが如し、聖賢の言巳まんと欲すと雖も得んや、然してその天下の理を包涵し尽し亦甚だ約なり」  聖賢は言はずとも善いことを言はず、その言ふところは悉く言はずして巳むこと能はざるものである。来?は鋤の類にして柄を来といひ、先を?といふ。陶は土を範にするをいひ、治は金を鑄るをいふ。聖賢は世人が道を失つて進退に迷つて居るのを見るに見かねて何とかしてこれを救ひたいといふ念願からして巳むなく言つて居るのである。故にこの言ありて天理が明かになり、世人もその進退を明かにすることが出来るのである。若しこの教が無ければ天下の理も闕げて人々をして迷はしむるのである。丁度農具とか金物とかといふやうなものは、一とつでも造らなければ人民の生活上に不足を来たすと同じやうである。来?陶冶が生活の必要品であるが如くに聖賢の言も又人民の必需品である。しかも聖賢の言は天下の理を包含して極めて短かく要領を得たものである。その寡き言の中に理がそなはらずと言ふことがなく、亦多言を以て貴しとせざるものである。  無用贅言  「後の人始めて巻を執るときは則ち文章を以て先と為す、平生の為す所、動もすれば聖人よりも多し、然れども之あるも、補ふ所なく、之なけれども闕ぐる所なし、乃ち無用の贅言なり、ただ贅あるのみならず、既に其要を得ざれば則ち真を離れ正を失ふ、反つて道に害あること必せり」  後の人とは聖賢に対して後世の一般の人を指していふ。後世の人は徒らに文章を作ることを務めて理を明かにすることを忘れて居る。平生作る所の文章も聖人よりも多いが、しかしその文章は世に存して居ても何の益するところなく、又それが無いとても別に不自由を感ずるやうなことは無い。して見ると、これは全く無用の贅言であるといふべきである。無用の贅言といふだけにてすめばそれでよいとしても、それは贅言であるといふに止まらずして、真理を誤まり正道を外づれたのであるから正しき道を害することは必然である。解脱上人の「愚迷発心集」に自分の心の愚迷の相を告白して「無益のことを囂しくすと雖も出世の事を談ずることなく、他人の短を芹し居れども身上の過を顧みず、自から人の目を慎しむと雖も全く冥の照覧を忘る」とあるが、この言葉の真実の意味は常に無益のことをしやべりながら真実の理を語ることはせぬことを嘆きたるもので、この本文に言ふところの教と同じやうなことである。  主敬守義  「君子は敬を主として以て其内を直しくし、義を守りて以て其外を方にす、敬立ちて内直に、義形れて外方なり、義外に形る、外に在るにあらず、敬義巳に立ちて其徳盛なり、大なるを期せずして大なり、徳孤ならず、用ひて周からざる所なく、施して利ならざる所なし、就れか疑ふことを為さん」  敬を主とするときは則ち動静の間、心に戒謹を存し、自然に端直にして邪曲の念がない。義外に見はるるときは則ち応酬の際、事その則に当たり、截然として方正にして寸毫の私なし。かやうにして敬が十分に行はるればその内は正しく、義があらはれてその外が正しくなる。さうして、義なるものは外にあるものではなくして内に在るのであるから、之を求むるには常に自己の内面を正しくし、敬を守つて居なければならぬのである。敬と義とが十分に備はりて始めて其徳が盛大となりて来る。盛大なることを欲せずとも自然にして盛大となるのである。徳孤ならずといふ語はこの意味である。その徳が盛大となれば如何なる場合に用ふるとも必ず公平にして闕ぐる所なく、如何なるものに施すとも必ずよく順応するものである。かくの如くその効用が大となれば君子の行を誰か疑ふものがあらう。  蘊蓄  「人の蘊蓄は学によりて大なり、多く前古聖賢の義と行とを聞くにあり、跡を考へて以て其用を観、言を察して以て其心を求む、識りて之を得て以て其徳を蓄成す」  人の徳が蓄積するのは学問によりていよいよ大となるものである。その学問とは如何なることであるかと言へば多くの古の聖賢の言行を聞いて自分の参考とするのである。それは古の聖賢が行ひたる事蹟をよく考察して聖賢の人は如何なる行をなして、民に幸福を興へたるかを知り、又古の聖賢の言つたところをよく研究して、それ等聖賢が如何なる心を有して居つたといふことを知り、それによりて古の聖賢の真面目をよく認めて、之を自分のものとして以て自分の徳を蓄へるやうにすべきである。  古の聖賢の言行を聞きて、その義と敬との存する所を知り、それを師範として以て自分の心行を養ふべきといふは、古往今来、身を修むるための教として、常に説かれるところのものである。しかしながら、徒らにこれを外に聞いて、内に得るところが無ければ、それはただ善い教を知るのみで、自分のためには何にもならぬことである。古の聖賢の言行を聞いて、それに感心して徒らに讃仰することをせず、古の聖賢の真心篤行をば自分の心をうつし見るところの鏡として、常にそれに面して自分の至らざるところを知るところに、常に訓箴としての意味が存するのである。  省身修徳  「君子の艱阻に遇ふや、必ず自から身に省みる、失して之を致すことありや、未だ善ならざる所あれば則ち之を改む、心に歉《あきた》ることなければ則ち勉を加ふ、乃ち自から其徳を修するなり」  君子は艱阻の事に遇ふとき必ず自身をかへりみて、自分の心に不善なるものが有りてかくの如き事となつたのではないかと、我と我身を反省するのである。その結果我身に不善の点があれば即時これを改める。又多少なりとも心にあきたらぬことがあれば勿論、不滿の点はなくもいよいよ勉勵努力してその徳を積むやうに心がけるのである。これが徳を修むる方法である。  学問修業  「古の学者は己れのためにす、之を己れに得むと欲するなり、今の学者は人のためにす、人に知られむことを欲するなり」  古の学者は自己一身のために学問修業をしたものである。これ自己に聖賢たるに足るだけの徳を得むとしたためである。しかるに、今の学者は人の為に学問修業をして居る。それは多少とも学問をなし、善徳を行つて人に知られて善き名声を博せむとするのである。古の学者は自己のために学問修業をして居るのであるから、いかに長き月日を要しても、又その歩が如何に遅々としても倦むことなく、たとひ人が自分を認めぬからと言つて別に不平の心を起すやうなことは無い。今の学者は人に知られやう、人から賞められやうとして修業して居るのであるから、その行ふことがすべて偽善であり、人が認めて呉れないとて不平を起して自暴自棄となり、遂に修徳の目的を達することが出来ないのである。  獲を後にす  「仁者は難きを先にして獲ることを後にす、為にするありて作するものは、皆獲ることを先にす、古の人はただ仁を為すことを知るのみ、今の人は皆獲ることを先にするなり」  仁者といはれるものは為し難き事も善事なれば務めて之を行ひて己に克ち、その効を得る事は後にして居るのである。何か他に目的を抱いて善を行ふが如きは善を善として行つて居るのではなく、その効のみをねらつて居るのである。仁者の行ふ所はさうでない。古の聖賢は仁が天道であることを知つて、何の利欲の心なく、ただその天道を行つて居るのである。今の人は利益を得やうとすることが第一の目的で、道そのものを善とし信じてこれを行つて居るのではない。  致知類  思を致す  「思ふに睿をいふ、思慮久しうして後に睿自然に生ず、若し一事の上に於て、思ふて未だ得ずむば、且つ別に一事を換へて之を思へ、專ら這の一事を守著すべからず、蓋し人の知識這裏に於て蔽著すれば強ひて思ふと雖も亦通ぜざるなり」  「書経」に、理を思考するに方つてはこれを窮極にまで及ぼして遂には天下の理通せざるなきまでに至らねばならぬ。これを容といふ。容はアキラカと訓ず。極微の点にまで通ずるのである。さうして睿も尚ほこれを窮むれば遂に聖の域に達するといふことが出て居る。人の思慮といふものも深く思を致し理を窮むれば、その本然の明徳に達することが出来るのである。若し一事の上に於て思ふて得ざることがあればしばらくそれを措きて、別の一事を思ふべきである。人の知識といふものは何かに蔽はれて強ひて思ふても通ぜさることがあるといふことを知らねばならぬ。  理に通ず  「思ふに睿をいふ、睿は聖を作す、思を致すは井を堀るが如し、初めは渾水あり、久しうして後に稍清めるものを引き動かし得て出で来たる、人の思慮も始は皆滅濁し、久しうして目から自から明快なり」  思を致すときは則ち能く理に通ずるものである。それ故に明睿が生ずることによつて遂に聖域に入ることが出来るのである。しかしながら、思を致すの始めは、疑慮がいろいろにあらはれて溷濁《こんだく》を致すものである。それにも拘らず思を致すことが久しければ疑慮巳に消滅して自然に明快となるのである。  近思  「問ふ、如何ぞ是れ近思、曰く類を以て推すなり」  思慮は泛く且つ深遠のものであるから、序に循ふて漸次に進まざるときは則ち心を労して得る所がない。そこで自分が知るところのものに即して、類を以て之を推すときは則ち心路は通じ易く、思に條理が有るものである。近思といふことは即ちこれである。先づ一事を理會することが出来て、分曉透徹するときは、此の如く理會し続けて相次でこれを窮むることが出来るのである。自分が理會し得る所よりして推して思惟するときはそれは隔越せざるものであるが、これに反して若し遠く去りて尋討するときは則ちそれは己に切ならざるものである。  舊見を溜ふ  「義理疑あるときは則ち舊見を溜ひ去りて以て新意を来たせ、心中開く所あれば則便ち剳記せよ、思はざるときは則ち還りて之を塞ぐ、更に須らく朋友の助を得べし、一日の間意思差別ならむ、須らく日日此の如く講論すべし、久しくして則ち自から進むことを覚えむ」  義理にして疑はしき点があるときは、自分が從来抱へて居つた考へを捨てて、新しい考へを以てこれを研究すべきである。從来の考へを堅く持つて居るときは、心がそれにとらはれて、何の発達を期することは出来ぬ。若し心中に少しでも理に達することが有つたときは直ちに之を輯録するやうにせよ。輯録してもそれにつきて隨時思考せねば再び義理を失ふやうになる。此の如く思考して輯録し、輯録して又思考する。その上に朋友と共に研究して行くときは一日の間に於ても朝よりは晝、晝よりは夜と、段々進歩することであらう。かやうにして日日その研究を怠ることなくば、自然とその知の進めることを自覚するであらう。  成敗を料る  「先生史を読む毎に、一牛に到りて便ち巻を掩いて思量し、その成敗を料りて、然る後、却て看て、合はざるところあれば又更に思を精しくす、其間多く幸にして成り、不幸にして敗るるあり、今の人、ただ成る者を見て便ち以て是となす、敗るる者は便ち以て非となす。成る者はなはだ不是あり、敗るる者はなはだ是底あることを知らず」  伊川先生は史書を読む毎に、少しく読みて巻をとぢて、更中に現はるる成敗の事情につきて考へる。さうしてなるほどと合点が行けば再び史を読みつづける。若し少しでも合点の行かぬ点があると、更に精思して合点の行くまで考へるのである。古今の史書に現はれたる種々の事相の中には幸にして成功し、不幸にも失敗して居るものがある。しかるに今の人は成功したものを見ると、深く考へずして直ちにこれを是として称し、失敗せるものは直ちにこれを不是と考へるのであるが、これは誤まれるものである。すなはち成功せるものの中にも不是があり、敗るるものの中にも是とすべきものの有ることを知らぬのである。  読書と正心  「書を読むこと少きときは則ち考校して義の精を得るに由なし、蓋し書は以て此心を維持す、一時放下すれば則ち一時の徳性解ることあり。書を読むときは則ち此心常に在り。書を読まざれば則ち終に義理を看れども見えず」  ここに書といふは尚書を指して言ふのである。尚書を読むこと少きときはよく考へしらべて義理の極致に達する方法が無いと言つてよい。思ふに尚書といふものは二帝三王を始め数多の王の徳政を載せてあるから、我が正心を維持することが出来るものである。一時でも尚書を読むことをすてればその間、我が徳性はそれだけ懈怠するのである。尚書を読むで居るときはその中の徳性によりて自分の徳性も亦存在することが出来るのである。これを読まざれば如何に義理を看やうとしても終に見ることが出来ぬ。要するに、尚書を読むときは正心を維持して放逸すること無からしめるのである。  存養類  言語飲食  「言語を慎しみて以て其徳を養ひ、飲食を節にして以て其体を養ふ、事の至近にして繁るところ至大なるものは言語飲食に過ぎたるはなし」  言語謹しまざるときは徳を破り、飲食度なきときは身を破る。それ故に、言語を謹しむは自分の徳を取らざるためで、よく言語を慎しみて、妄語せざるやうに心がけ、又適度に飲食して自分の身体を養ふて行くといふことは人の日常生活の上に欠ぐべからざる注意である。しかもこの事は最も卑近な事でありながら、節度あるか否かによりてその結果は非常に大きいものであるといふことを考へねばならぬ。  下学上達  「聖賢の千言萬語、ただ是れ人、己に放つの心を以て、之を約にして、反復して身に入り来らしめむことを欲す。自から能く尋ねて向上し去らば、下学して上達せむ」  聖賢が述べ置かれたる千言萬語の教はその目的とするところは只一とつである。即ち外に馳せて内を省みることを忘れたる一般の人の心をして緊約して再び吾に復《かへ》らしむることである。人々はその教に從ふて自から内を省みて向上するならば、所謂下は人事卑近の事より、上は高遠なる天理にまで達することが出来るのである。  交戦の驗  「人あり、胸中常に兩人あるがごとし、善を為さむと欲すれば悪ありて以て之れが間を為すが如し、不善を為さむと欲すれば又羞悪の心あるがごときもの、もと二人なし、此れ正に交戦の驗なり。其志を持して気をして乱るること能はざらしむ、此れ大いに驗あるべし。之を要するに、聖賢は必ず心疾に害せられず」  胸中に常に二人の人が住むで居るやうな人がある。かかる人は時に善を為さむとすれば胸中別に悪なるものが有りてこれを邪魔するやうに思はれて、遂にその善を遂行することが出来ぬのである。又不善を為さむとすれば別に善なるのが有りて之を責めてはづかしむる心あるが如くに思はれてその不善を成すことが出来ぬ。かやうな例は中々多いのであるが、元来人の心の中に二心が存する訳はなく、これはその人の持つて居る志と気とが戦つて居る証拠である。それ故に、この心のゆく所のものを常に正しく持して物に感応して動くところの気によりて、その心を迷はしめないやうにしなければならぬ。この志を持して気のために乱れしめぬやうにすることを務めるときは大いに益があるのである。古より聖賢といはれる人はこのやうな憂を少しも持つことのない人である。すなはちその志をば常に正しく持つことの出来る人である。  心を定む  「人思慮多くして自から寧きこと能はざるは只これ他の心主に做れて定めざればなり。ただこれ事に止まる。人の君となりては仁に止まるの類なり。舜の四凶を誅するが如し、四凶巳に悪を作す、舜從ふて之を誅す、舜何ぞ与らむ」  人は彼や此やといろいろに慰ることのみ多くして自から安むずることが出来ぬ。それは他人の言ふ所や行ふ所をまねして自分の心を定めないからである。若し自分の心を定めやうと思ふならば自分に与へられたる任務を遂行することをつとめて、それ以外に出ないやうにしなければならぬ。たとへば人の君となりては仁道を体得するやうなことである。具体的に言へば舜は君主となりて、四人の兇悪なるものを謀して天下の害を除き、人民をして安堵せしめたが、これは四兇が悪をしたので天理の命ずるがままに舜が之を殺したのである。殺される原因は四兇が自から作つて居つたのであるから、舜個人としては何の関するところもない訳である。かくして天下は舜に畏服したのであるが、此の如くにして始めて事に止まると言ふべきである。  独を慎む  「子川の上に在りて曰く、逝くものは斯の如きか、晝夜を舍てずと、漢より以来、儒者皆この義を識らず、此れ聖人の心純にして亦巳まざるを見る、純にして亦巳まざるは天徳なり、天徳ありて便ち王道を語るべし、其要はただ独りを慎むに在り」  孔子は川の流れの息まざるを見て、逝くものも亦此の如きかと歎じたのであるが、漢以後の儒者は皆この孔子の言葉の意味を解せぬやうであるも、この孔子の言葉から、孔子の心は何の雑気なく、天理と合一して常に流行して巳まぬものであるといふことがわかるのである。純にして巳まずといふのは語を換へて言へば則ち天徳である。この天徳あるものにして始めて王道を語ることが出来るのであるが、この天億を得むには心を常に敬に存してその閑居するときもその心を怠慢すべからず、かやうにして始めて天徳を具有するに至るのである。  敬以直内  「敬は只これ一を主とす、一を主とすれば則ち既に東に之かず、又西に之かず、是の如くんば則ち只これ中、既に此に之かず、又彼に之かず、是の如くんば則ち只これ内、此を存するときは則ち自然に天理明かなり、学者須らく是れ敬以て内を直うするをもつて此意を涌養すべし、内を直うするは是れ本なり」  故といふことは心を一にすることを主要とするのである。一にするときは心は東に向つたり、西に向つたりすることなく常に定まつて来るので、これは中である。即ち動容周旋必ず理に適ふやうになるのである。かくして彼や此やと他に動くことのないやうになりて吾心をして常に存せしめることになる。この心を存すれば天理は自然に明かになる。それ故に学問するものはこの教を以て、自己の中心を直くして、この意を養ふて行かねばならぬ。内を直くするといふことが何事を為すに当りてもその基礎となるものである。  形体怠惰  「間ふ、人の燕居するや、形体怠惰すれども心慢ならずんば可なりや否やと。曰く、安んぞ箕踞して心慢ならざるもの有らむや。昔呂与叔六月中に?氏より来り間居せる中に、某嘗て之を窺ふに必ず其儼然として跪坐するを見る、敦篤といふべし、学者須らく恭敬なるべし、但し拘迫ならしむべからず、拘迫ならば則ち久しうし難し」  人が何事もなく、安らかに休みて居るとき、たとひ身体を怠けしめ、姿勢を崩すことあるも、心がしつかりとして居つたならばそれでよろしいかとの問に対して、次の如くに答へたのである。箕踞とは足をのべて坐することであるが、さういふやうな姿勢をする人は、その心が巳に怠慢して居るのである。心が緊張して居れば足を投げ出して身体を怠らしめ得るなどといふことは不可能である。むかし呂与叔が六月中に?氏から来たことがあつた。その時何の仕事もなく、独り休むで居つたので、如何なることをして居るかと、ある人がそつと伺ふて見ると多用の時と同様に、儼然と正坐して居つたといふ。これは誠にその心を誠にした人といふべきである。学問をする人はかやうに、心志を恭敬にせなければならぬ。しかしながら無理に恭敬にしやうとしてもそれは又不可能のことである。知を窮めて徳を行い、天理を得るに從ふて自然と心も行も恭敬となり得るものである。すべて自然でなければならぬ、無理なことをしてはならぬ、若し無理をすれば永くそれを保つことが出来ぬ。  克己類  養心  「廉溪先生曰く、孟子曰く、心を養ふは欲を寡くするより善きはなしと。予謂へらく、心を養ふは寡にして存するのみに止らず、蓋し寡にして以て無に至る、無なれば則ち誠立ちて明通ず。誠立つは賢なり、明通ずるは聖なり」  周廉溪先生が云ふには、孟子は心を養ふは欲を寡くするより善きはないと言つたが、自分はもう一歩進めて心の欲を全然無にしてしまはなければいかぬと思ふ。全く欲といふものが無くなればその意は誠となる。誠になるといふのは自己が内容の点から見て安らかにして定まつたので、これは賢であり、又かくして天命を知り通じて、迷はざるやうになればこれを明通といふので、すなはち聖人なのである。孟子が謂ふところの欲は耳目口鼻四肢の欲にして、これは人の無きこと能はざるものである。しかれども欲が多くして節なきときは、すなはち心の害をなすものである。周子が欲といふのは心の欲に流るるのを指すので、これはすなはち有るべからざるものである。孟子は肉体上の欲を言ひ、周子は心の欲を言ふので、指す所に浅深の不同があるにしても、孟子の欲を寡くするといふことによりて周子の無欲の意味を尽すことが出来るのである。  克己復禮  「伊川先生曰く、顏淵克己復禮の目を問ふ、夫子の曰く、禮にあらざれば視ること勿れ、禮にあらざれば聴くこと勿れ、禮にあらざれば言ふこと勿れ、禮にあらざれば動くこと勿れ、四つのものは身の用なり、中に由りて外に応ず、外に制するは其中を養ふ所以なり」  程伊川先生は次の如く言はれた。顏淵がかつてその師の孔子に、己れの私欲に克ち、天理の正しきに就くにはいかなる條項を必要とするのであるかと問ふた。さうすると孔子は、視ることも聴くことも言ふことも動くことも必ず禮にかなふことを要すと言はれた。視聴言動の四つのものは身のはたらきであるが、それは中心のままに我々の行動にあらはれて来たものである。この四者を制して放縦に流れしめざるは、すなはちこれによりてその中心を正しくせんとするものなのである。  義理と客気  「明道先生曰く、義理と客気と常に相勝つ、只消長分数多少を看て君子小人の別をなす。義理得る所漸く多ければ、則ち自然に客気消散し得て漸く少きを知り得、消尽するものは是れ大賢なり」  程明道先生が言はるるには、義理は天賦のものにて如何なる人も必ず之を有するものである。又私欲より生じて往来の客の如くに常に定まるところの無い客気も、一般の人には有るので、この二つのものは常に其人の心中にて相牽制し合ふて居るものである。それでこの二つのものの強弱或は多少を見て、客気の多いものを小人といひ、客気の少ないものを君子と別けて居るのである。心を養ふて義理の得るところが次第に多きときは、客気はその義理の力に負けて段々と消散して行くのであるが、それが消散してしまつたものが大賢である。  他山の石  「堯夫は、他山の石以て玉をみがくべきことを解す、玉は温潤の物なり、若し兩塊の玉をもちて相磨するときは必ず磨きて成らず、須らく是れ他箇の?礪底の物を得て、方に磨き得て出すべし、譬へば君子と小人と処るが如し、小人のために侵陵せらるれば則ち修省畏避す、心を動かし、性を忍んで揄v予防す、此の如くなれば便ち道理出で来る」  堯夫とは邵康節といふ人で、此人は他山より出づる粗悪なる石を以て玉を磨くはたらきがあるといふ言葉の意味をよく知つて居る人である。玉といふものは元来濕潤なるものであるから、これを磨くに二個の玉を持ち来りてすり合はせ、いくら磨いてもその本来の面目を発揮させることは出来ないが、他のきめの粗悪なる石を持ち来りて磨いたならば、必ずその本来の光をはなたしめることが出来るであらう。その状態は丁度君子と小人とが共に事をなすに方つて、君子たるものは日々小人のために侵されてその持てる徳を段々に失ふやうになるので、よく其身を反省して必ず謹しみ、小人を畏避して、必ず厳格に我身を処し、心を動かして安逸を貪ぼるが如きことなく、性の命ずるが儘にして軽々しく事を為さず、自から能はざる所をつとめて能くするやうにして、その未だ至らざる所はこれを予防して行くときは、徳は日に進み、理は日に明かとなる。即ち小人もこの場合は君子修徳の一資料となるわけである。要するに、他山の石以て玉を磨くべしとはかかる意味なのである。  舍己從人  「己を舍てて人に從ふことは最も難事となす、己は我の所有なり、痛く之を舍つと雖も、猶ほ己を守るものは固くして、人に從ふものは軽きを懼るるなり」  己の我意を捨てて人の善を取りて、自己を修養するといふことは最も大切なることではあるが、中々に困難なることである。我意は悪徳であるとは言へ、これも矢張自己の所有にかかるものであるから、決心を以て之を捨てたやうに思ひても中々捨てられるものでなく、矢張我意を守りて人の善に從ふことはおろそかになりがちのことである。  不仁を悪む  「不仁を悪くむ、故に不善未だ嘗て知らずんばあらず、徒らに仁を好みて不仁を悪まざるは則ち習ふて察せず、行ふて著しからざるなり」  人のよく不仁を悪むものは己を察することが精しいものであるから、如何なる不善も必ずこれを悪むことを知るのが当然である。しかるにただ漫然と善をよしとするのみで、不仁を悪むことを知らざるは、習ふ所のものがまだ称しからず、又行ふ所のものがまだ達して居らぬからであり、此の如きは真の君子ではないのである。  仁の道  「仁の成り難きこと久し。人々その好むところに失す、蓋し人々利欲の心ありて学と正に相背馳す、故に学者は欲を寡くすることを要す」  仁の道が立派に成立せられたことはない。それは何が故であるかと言ふに、人々はその自から好むところの私欲を固持して居る。これは天理の公なる学則ち仁とは全く相反するものである。いくら学んでも仁と正反対の私欲を持つて居つたのでは仁道が成立する訳はない。それ故に学者は欲を少くすることが第一の急務なのである。  仁を輔  「人の朋友あるは燕安のためならず、其仁を輔佐する所以なり、今の朋友はその善柔を擇んで以て相与みし、肩を拍き袂を執りて以て気合へりとなす、一言合はざれば怒気相加はる、朋友の際はその相下つて倦まざらんことを欲す、故に朋友の間に於て其敬を主とするものは日に相親与し、効を得ること最も速なり」  人に友達があるといふことは何もその友達によりて安逸を樂しまんがためではない。互にたすけ合ふてお互の仁道を成立せしめんがための友達である。しかるに、現代に於ける友達なるものは皆、己に媚びる人々を擇んで仲間となり、肩を指き合つたり、手をつなぎ合つたりして、真実に気が合つて居るやうに思つて居るが、これは大なる誤である。元来が私欲のために斯くして居るのであるから、一言でも気に逆つたことを言はうものなら忽ちにして喧嘩となるのである。かかることでは何のための友達なのか訳がわからぬ。それ故に、友達のつき合ひといふものはお互に自分の私欲を去つて相手の善に倣《なら》ひ、その交際が永久に続くやうにしなければならぬのである。それ故に、朋友の交際に於て敬を主として行つたならば、日のたつに從ふてその親密の度は濃くなり、その友達としての目的即ち其仁を輔佐するといふ目的も早く達せられるのである。  家道類  余力学文  「伊川先生曰く、弟子の職は、力余りあるときは則ち文を学ぶ、其職を修めずして文を先にするは己の為にする学にあらざるなり」  人の弟たり子たるものの為すべきことは即ち孝悌の道に外ならぬ。孝悌の道を行つて余力があれば始めて、学問をなすべきである。孝悌の道は天道自然の道で、学ばずしてよくするものなのである。この職を十分に為し遂げられぬ内から、学問をしやうとする人があれば、その人の学問は自己の道を修めんがための学問では無くして、人に譽められやうとか、名利を得やうとかといふ考へのもので、決して正しい学問といふことは出来ぬ。  剛立の人  「人の家に処りて、骨肉父子の間に在りては大率、情を以て禮に勝ち、恩を以て義を奪ふ、ただ剛立の人は則ち能く私愛を以てその正理を失はず、故に剛を以て善となす」  一般に家庭生活に於ける親子兄弟の間がらというものは、中正の心を失つて私情にほだされ、天理の禮義を無視するやうな結果になるのである。しかしながら心の剛健中正の人のみは、私心によりて盲愛して、愛せられる人をして道に反せしむるが如きことは無いのである。それ故に、古より剛といふことを以て人間の善徳の一とするのである。  親心を安ず  「親の故舊よろこぶ所のものはまさに力を窮めて招致して以て其親を悦ばしむべし、凡そ父母賓客の奉に於ては必ず力を窮めて營み辨ぜよ、亦家の有無を計らざれ、然れども養を為す又須らくその勉強労苦を知らざらしむべし、苟もその為すこと易からざるを見せしむれば則ち亦安んぜず」  親に孝行をするにあたりては単に親に美食を与へるだけでは駄目である。その親の心をよろこばさなければならぬ。それで親の前からの朋友があれば誠心誠意これを招いてその親の喜ぶやうにしなければならぬ。一般に親や又親の喜ぶ賓客に仕ふるにあたりては自家の財産の有無に拘らず必ず力を極めてこれを優遇すべきであるが、それは子たるものとして非常の努力と苦労とを要することであらう。しかしながらその努力と苦労とを親や賓客に知らしめてはならぬ。さうでないと親はその子弟にかかる労苦をさせることを喜ばないから、折角の孝行は親の心を安んぜしめず結局無益に終つてしまうのである。  出処類  尊徳樂道  「伊川先生曰く、賢者の下に在る、豈自から進むで以て君に求むべけむや、苟も自から之を求むれば必ず能く信用せらるるの理なし、古の人必ず人君の敬を致し、禮を尽すを待ちて而して後往く所以のものは、自から尊大を為さむと欲するにあらず、蓋し其徳を尊び道を樂しむの心是の如くあらざれば、与に為すことあるに足らざればなり」  伊川先生の語に賢人が臣となつたときに於て、自から進むで仕を求め、善悪に拘らず君の意を迎へむとするときは君に信用せられることはない。軽卒にそんなことをするならば君はこれを侮り、重く用ふることのあるべき理はない。古の賢人がよく謹しみ、よく禮を知る人君でなければこれに仕へなかつたのは、自から尊大にかまへるためではなく、人君が徳行を貴び、道を樂しむの心が無ければ、これを輔佐して共に世に功業を立つることが出来ぬといふことを知つて居つたからである。  自守  「君子の時を需《ま》つや安静にして自から守る、志須《ま》つことありといへども、而かも恬然として身を終らむとするが若し、乃ち能く常を用ふればなり、進まずと雖も志動くものは異常を安むずること能はざるなり」  君子が自分の道を世に行はむとするの時を待つに方りては、飽くまで自分の心を安靜にして、その道を守り、少しもあせるやうなことはない。何事をか為さむと、よき時機をまつて居るときも誠に静かで、そのまま身を終らむとするものの如くに不群である。これは常にして変することなく、流行して窮することなき道を守つて居るからである。それに反して何事をも為さざるときから志が動いて一定ならざるものは自から守ることを知らぬのであるから、その常の道を持することは出来ないのである。  正道にて合ふ  「不正にして合ふは、いまだ久しうして離れざるものあらざるなり、合ふに正道を以てせば自から終に?むくの理なし、故に賢者は理に順ふて安んじて行ひ、智者は幾を知りて固く守る」  不正なる道によりて合ふものは久しき間にわたりて離れないといふことはない、さういふものは必ず離れるのが常である。正道によりて合ふものはその動機が正道であるから、それが離れるといふことはない筈である。故に賢人は常に理に從ふて、あせらず、あはてず、安らかに之を行ひて正道より離るることなく、又明智の人は物には必然の機運のあることを知つて固く正道を守りて離れ難いものである。正しからずして合ふるのは久しき間には必ず乖く、正しくして合ふものは終に乖くことなし。故に賢者は理の当然に順ひて行ひ、智者は機の必然を知つて守るのである。  防慮の道  「君子の困窮の時に当りては、既にその防慮の道を尽して免るることを得ざれば則ち命なり、当にその命を推し致して以て其志を逐ぐべし、命の当然を知るときは則ち窮塞禍患も以て其心を動かさず、吾が義を行ふのみ、苟も命を知らざれば則ち険難に恐懼し、窮厄に隕穫し守る所亡ぶ、安んぞ能くその善を為すの志を遂げむや」  君子たるものは困窮するの時もすでにそれが防慮を尽した後であれば天命であるとして、困窮に甘んじてしかも撓むことなく、その善を為さむとするの志を遂げるのである。防慮の道とは困窮患難の来るを防ぎとどめむとするの道である。天命には決していつはりはなく、来たるべきときには来る理由があるのであるといふことを知つて居れば、いかなる困窮に遭ふても、その心を動かすことなく、ひたすらに吾が善行を行ふべきである。もし天命のいかなるものなるかを知らざるときは険難を恐れ、窮厄に挫折して守るところの道を失ふてしまうのであり、善を為さむとする志なども勿論成し遂げられるものでない。  正に安んず  「寒士の妻、弱国の臣、各々その正に安むぜむのみ、苟も勢を擇びて從ふは則ち悪の大なるものにして、世に容れられざらむ」  貧しき士の妻となり、弱き国の臣下となれりとも、偏に其正しき道に安むじ、二心なく仕ふること專一なるべきである。勢ひや旗色を見て牛を馬に乗り替へむとするものは、遂に世に疎んぜらるること其例甚だ多きことである。  其位を出でず  「君子は思ふごと其位を出でず、位とは処るところの分なり、萬事おのおの其所あり、其所を得るときは則ち止まりて安し。まさに行ふべくして止まり、まさに速かなるべくして久しく、或は過ぎ或は及ばざるが如きは皆其位を出づるなり、況や分を踰え拠るところにあらざるをや」  君子は自分の位以外の事を考へることは無いと言はれて居るが、その位とは何かといふに、それは自分に与へられたる当然の分をいふのである。世間の萬事すべて与へられたるところが有るもので、その所即ち分に安んじて居れば心が定まつて安らかである。行くべきにも拘らず止まり、速かなるべきに拘らず遅く、又あるときは過ぎたり、あるときは及ばぬといふのはすべて其位に反したことである。自分の分を邱へ、拠る所にあらざることを為すが如きは、何更よくないことである。君子は自分の位以外のことを思はぬやうに自から反省すべきである。  泰然処理  「人の患難に於ける、ただ一箇の処置あるのみ、人謀を尽すの後は却て須らく泰然として之に処すべし、人あり一事に遇ふときは則ち心々念々肯て捨てず、畢竟何の益かあらむ、若し処置し了りて放下するにあらざれば、便ち是れ義なく、命なきなり」  人が患難に遭遇した場合には義の是非を辨へて、一義を以て之を処分して、その後はよろしく安らかなる気持にて天命を待つべきである。一箇の事件に遭遇して事々物々、その時々にただ心配して居るやうなことでは結局何の得るところもないであらう。それ故に、人は人事を尽して、後は念頭におかず、天命を待つといふことを會得しないものは、これ即ち義も天命も知らざるものであると言はねばならぬ。患離に遭ふたときはただこれに処するの道を審にすることをつとむべし、これを処置して欠く所なしとせば其上は安んじて天命を待つべきのみ、それに何時までも心に忘れかねて、煩悶しても、いささかも益するところは無い。既に相当の処置を為して後に尚ほ捨て置くことの出来ぬのは義を辨へず、命を知らぬ愚者であるといふの外はない。  自己の分  「人苟も、朝に道を聞けば夕に死すとも可なりの志あれば、則ち肯て一日も安んぜざるところに安んぜざらむや、何ぞただ一日のみならむ、須臾《しゆゆ》も能はざること、曾子の簀を易ふるが如きは、須らく此の如くなるを要して乃ち安んずべし」  朝と夕とは一日中の意にあらずして極めて短時日なるをいふ。実は寝臺の上に敷く敷物である。曾子が病革まるときその臥したる簀が大夫のものなることを聞きて強いて之を易へしめて、未だ安んぜざるに死亡した。凡そ人たるものが道を聞いて、未だ幾ばくならずして死すとも厭ふ所でないという志を得たならば、一日にても安んずべからざるところに安んずるといふことはない。一日のみならず寸時といへども止まるべからざる所に止まるが如きことは出来ぬのである。曾子はその死するときに当りて自分の床が自分の身分不相応のものであつたといふことを知り、強ひて之を易へしめたといふが、これこそ自分の分をよく辨へて居るといふべきである、かくの如き志を持つて、安んずるといふことを知るといふことは最も必要なることである。  義と利  「孟子の舜跖の分を辨ずること只義利の間にあり、間といふは相去ること甚だ遠からず、争ふ所毫末なるを謂ふのみ、義と利と只、箇の公と私となり、纔《わず》かに義を出づれば便ち利を以て言ふなり、只那の計較は便ちこれ利害あるがためなり、若し利害なくば何ぞ計較を用ひむ、利害は天下の常情なり、人皆利に趨りて害を避くることを知る、聖人は則ち更に利害を論ぜず、ただ義のまさに為すべく、まさに為すべからざるを看る、便ち是れ命其の中にあり」  孟子は、大聖の舜と大盗の跖との相違は、それぞれの志す所僅かに義と利との相違あるのみで、孜々《しし》としてこれ努むることは兩者相同じと言つた。すなはち舜は義を取り、跖は利を取る、その差異は利害の間にあるといふのであるが、この間といふのは相離るることが左ほど大なるものでない。又その目的とするものの相違も極めて僅かであるといふのである。この義と利との区別は言葉をかへて言へば、一方は公のものであり、一方は私のものである。さうして少しにて名義を離れてしまふと直ちに利を念頭に置くことになるのである。かく事に臨みて兎や角とはかり較べるのは人々に利害の念があるためである。若し利害の念がないときは何も一々較べ計ることを必要とせぬのである。しかしこの利害の念といふものは、天下衆人の等しく持ちて居るものである。利のつくべく、害の避くべきことは皆知つて居るが、この情が悪るいのである。聖人はこの念を去りて、一意、義に照らし合せてまさに為すべきことか、為すべからざることかを考へるのである。かくして始めてその行為の中に天命がある。すなはち天命を完行して居るといふことが出来るのである。  計窮力屈  「人多く貧賤に安んずるといふ、その実はただ是れ計窮まり力屈し、才短にして營画すること能はざるのみ。若し稍、動かし得れば恐くは未だ肯てこれに安んぜず。須らく是れ誠に義理の利欲よりも樂しきことを知らば乃ち能くせむ」  人はよく貧賤に安んずるといふことを言つて居るが、その真実の心持はあらゆる計画をしても駄目となり、自分の力が最早及ばずなり、自分の技量では如何ともすることが出来ず、巳むを得ずして口から出す言葉である。真に道を樂しみて貧賤に安んじて居るものではないのである。それ故に少しでも自分の手にて為し得ることが出来たならば、決して貧賤に安んずると言つてその境遇に安住することはない。又々種々と画策して再び失敗して困窮に陥るのである。されば人たるものは義理といふものが利欲よりも貴いものであり、又樂しいものであるといふことを知りて後に、始めて真に、貧賤にも心からして安んじて居ることが出来るものであると知らねばならぬ。  治体類  天下を治む  「廉溪先生曰く、天下を治むるに本あり、身の謂なり、天下を治むるに則あり、家の謂なり、本必ず端《ただし》くす、本を端しくするは心を誠にするのみ、則は必ず善くす、則を善くするは親を和するのみ、家は難くして天下は易し、家は親しみて天下は疎ければなり」  廉溪先生の語に、天下を治むるに本となるべきものがある。本とは即ち吾身である。吾身が正しくして始めて天下を治むる資格があると言ふべきである。又天下を治むるに当りて観て以て法となすべきものがある。その法となすべきものは何であるかと言へば家である。即ち家が治まらなければ天下を治する法を知らぬと言うべきである。吾身は必ず正しくせねばならぬが、その身を正しくするにはその心を誠にするより外には方法はないのである。又則は必予善くなければならぬのであるが、則を善くするには如何にすれば善いかといふに、それは一族に親しむことである。家は治め難く、天下は治め易いものである。その理由は、家は親愛を以て立ち、情義行はれ易く、放縦に流れ勝であり、天下はうとくして公義が行はれ易いからである。天下を治むることは其本身にあり其則家に在ることを説くのである。  覇者の事  「明道先生神宗に言して曰く、天理の正を得、人倫の至を極むるものは堯舜の道なり、その私心を用ひて仁義の偏に依るものは覇者の事なり、王道は砥の如し、人情に本づき禮義に出づ、大路を覆んで行くが若く、復た回曲なし、覇者は曲逕の中に崎嶇反側して堯舜の道に入るべからず」  明道先生が宋六代の主の神宗に言上して曰く、最も正しき天理を体得して人倫の極致を行ふのは堯舜の道であり、これを王道といふのである。その私欲をほしいままにして仁義にその名を借るものは覇者の行つたやり方で、これを覇道といふのである。覇者といふことを一般的の意味とせず、齊桓、晋文、秦穆、宋襄、梵荘の五覇の意とするので、覇者の事といふのは五覇の行つたやり方といふことである。王道は平なる砥の如きものである。何故となれば人本来の和せる情を基とし、禮義ある行によりて、之を行ふにあたりては、大道を歩むで少しの曲りのないのと同様であるからである。覇者は仁義を標榜するもその内実は私欲によるもので、幾多の無理を行つて居るので、険難なる小径の中でその進退に不安なるが如き樣子である。これは堯舜の道に入り得る所以でない。その心に利があるからである。  其所を得る。  「夫れ物あれば、必ず則あり、父は慈に止まり、子は孝に止まり、君は仁に止まり、臣は敬に止まる、萬物庶事各々其所あらずといふことなし、其所を得るときは則ち安く、其所を失ふときは則ち悖《もと》る。聖人の能く天下をして順治せしむる所以は能く物のために則を作すにあらず、唯これに止まるに各々其所に於てするがためのみ」  天下に物があれば其物に相当したる則といふものがある。たとへて言へば、父は子に対して慈でなければならず、子は親に対して孝でなければならず、君は仁道を持ち、臣は敬道を持たねばならず。これは其物に相応して備はつて居るものの止まるべき分である。その止まるべき所を得て止まればその人の心は安らかであり、その所を得ざれば心は正道にもとつて常に安らかでない。聖人が天下をよく治める理由は如何なる訳であるかと言へば、天下の萬物に外部より規則を作つてやつたからではなく、天下の萬物各々をしてその止まる所を知らしめ、個々の人民をして自からその行ふべき道を知るやうにせしめたからである。  民を養ふ  「民のために君を立つ、之を養ふ所以なり、民を養ふの道は其力を愛するにあり、民力足りて則ち生養逐ぐ、生養遂げて則ち教化行はれ風俗美なり、故に政を為すは民力を以て重しと為すなり」  君を立つるは民のためにするもので、これによりて民を養ふ所以である。さうして民を養ふの道は即ち民力を涵養することである。民力が涵養せられるときは生産を益し、民に余裕が出来て、十分なる生産をなすことが出来るのである。かくして民に余力が生ずるときは、人の性として自然に教育も感化も十分に行はれるやうになるのである。故に政を為すには民力を涵養するといふことが最も重大である。  三綱正しからず  「唐の天下を有つや、治平と號すと雖も、しかも亦夷狄の風なり、三綱正しからず、君臣・父子・夫婦なし、其原太宗に始まる、故にその後世の子弟皆止むべからず、君をして君たらず、臣をして臣たらざらしむ、故に藩鎮賓せず、權臣跋扈して五代の乱あり」  唐は天下を取りて泰平を致したと称するも、その風俗には夷狄の風があつた。即ち君臣父子夫婦の三綱の道が欠げて居る点があつた。これは唐の始祖がその天下を取つたのが智力により、父子の義に欠くる所あり、又家庭の治まる所も不十分であつたためで、太宗の不徳の後を承けてその後世の子弟もその悪風を享けて綱紀を正すことが出来ず、遂に君は君らしく、臣は臣らしき風に順致することが出来なかつたのである。さうして遂に節度使となりて地方を治むる者のもその君に対して臣道を尽さず、遂に五代の乱をなすまでに到つたのである。  人君の仁不仁  「君仁ならば仁ならざるはなく、君義ならば義ならざるはなし、天下の治乱は人君の仁不仁にかかるのみ、是を離れて非ならば則ち其心に生じて必ず其政に害あり、豈に之を外に作すことを待たんや」  一国は一人を以て本となす。一人は一心を以て本となす。人君をして一念の私邪あらしめば必ず其政に害あるべし。それ故に、天下の治乱は唯、この君の不仁であるか、仁であるかによりて定まるのである。人君にして是を捨てて非を執ることがあれば、その心に非があるといふだけで直ちに其政に不善なるものが現はれて来るのである。行為に現はしたからいけないといふものではなく、内に私心あるのみにして、その弊害が現はれて来るのである。  能く守る  「法立ちて能く守るときは則ち徳久しかるべく、業大なるべし、鄭声倭人は能く邦をおさむるものをして守る所以を喪はしむ、故に之を放ち遠ざく」  法度立ちて之を能く守るときは君徳永く伝はりて功業が大なるであらう。鄭声倭人は人君をして守る所の徳を失はしむる恐れがある。故に必ず放ち捨ててしまはねばならぬ。鄰国の俗淫邪にして、その作る所の詩が音樂にあらはるるものは、その声皆淫靡である。倭人とは口給面談の人、この二者は心を蕩かすの原にして、法を敗り紀を乱るものであるから、之を放ち遠ざけねばならぬ。  「人遠慮なければ必ず近き憂あり、思慮まさに事の外に在るべし」  慮千里の外にあらざる時は則ち患机庵の下に在りと、これは地の遠近を以て言ふのである。又事に先ちて之を図るときは則ち事至りて患なしと、此れ時の遠近を以て言ふのである。しかしその理は則ち同一である。  教学類  君子の徳  「君子は位に在らずと雖も、しかれども人の其徳を観て、もつて儀法と為すを以て、故に当さに自から慎しみ省みてその生ずる所を観るべし、常に君子たることを失はざれば則ち人も望む所を失はずして之に化す、位に在らざるを以ての故に、安然として意を放にし、事とするところ無かるべからず」  君子たるものはたとひ位に在らずとも、一般の人は君子の徳を見て自分の模範として居るのであるから、常に自から慎しみ深く反省して己れより出づる言行を観て居らねばならぬ。かくして常に君子たる所以の徳行を持つて居れば、人もその理想を失ふことなく、その君子に見習ふて遂にはすべてが君子となるであらう。君子はたとひ位に在らずと雖も、その心をだらけさせて心をほしいままにして何事をも行はないやうなことが有つてはならぬ。  聖人の道  「聖人の道は天の如く然り、衆人の識と甚だ殊逸なり、門人弟子既に親炙して而して後、ますます高遠なるを知る、既に及ぶべからざるが若くなれば則ち趨望の心怠る、故に聖人の教は常に俯して之に就く」  聖人の道は天のやうに、常に下を見て、その下にある萬物を離れないやうにするのである。すなはち衆人の見識とは甚しく相違したものである。門人弟子はこれに親しんで行くのである。親しんで行けば行くほどいよいよその道の高遠なことがわかつて来るのであるから、常に衆人をして望み易く企て易いやうにつとめるのである。若し下の方を顧みず下の方と関係を絶つてしまつて、ただ高遠なる所にとまつて居つたならば、衆人は到底企て及ぶべきでないと知つて、これに達しやうという心が無くなつてしまふ。それ故に常に下の方を見て、下のものに接觸するやうにつとめるのである。  憤?  「孔子の人を教ふるや、憤せざれば啓せず、?せざれば発せず、蓋し憤?を待たずして発するときは、則ち之を知ること固からず、憤?を待ちて而して後に発するときは則ち沛然たり、学者須らく是れ深く之を思ふべし、之を思ふて得ず、然して後に他の為に説かば便ち好からん、初学者には須らく是れ且つ他のために説くべし、然らずんば独り他のために曉らざるのみならず、亦人の問ふことを好むの心をも止めん」  憤とは通ぜんことを求めて未だ通ぜざる心の意、啓とは其意をひらくをいふ。?とは言はんと欲して未だ能はざるの貌、発とは其辞を達するをいふ。孔子はその弟子を教ふるに当りて、憤?の状態となつて心にその意を得んとする熱意が強く現はるるにあらざれば、その意を啓きその辞を達せしむことはなかつた。思ふに、憤?の状態となる前に之を教へるときは、之を知りても固からずして直ちに忘れてしまふからである。憤?を待ちて之を発すれば、心誠によく之を体得して、あたかも水の湧き出づるが如く盛なる勢で、その義を取り行ふに至るからである。学問する人はこの事を深く考へなければいかぬ。学ぶものがあることを考へて、その意がわからずといふ状態になりて始めて師たるものは他のためにこれを説いて、それとなく教へてやればよい。初学のものには他のために之を説くのがよい。さうでなければ単に他を曉らぬばかりでなく、その人の持つて居る質問を好むといふ長所までもなくしてしまふものである。  材を尽す  「人を教ふること至つて難し、必ず人の材を尽して、乃ち人を誤たず、及ぶべき処を観て、而して後に之を告ぐ、聖人の明は直に庖丁の牛を解くが若し、皆その隙を知り、刃を余地に投じて全牛なし」  人を教へることは最も難い事である。人を教ふるに方りては、その人の素質をよく研究し尽さなければならぬ。さうでなければ人を観あやまりて人を誤たしめることがある。又その人の企て及ぶべき点をよく観察して之に対して適当に教へて行けばよい。聖人が人を見る目の明るさといふものは、庖丁が牛をきり割いて行くのとよく似て居る。庖丁が刃を使ときは、必ずその骨のない所をよく知つて居て、刃がそのすき間に入り、誤たず之を切り割いて、離れ離れになつてしまふのであるが、聖人が人を見る明も同様で、個人個人についてそれぞれの長所短所を見わけて誤つことはない。  安詳恭敬  「古の小児は便ち能く事を敬す、長者之と提携するときは則ち兩手に長者の手をささげ、之に問ふときは口を掩ふて対す、蓋し稍、事を敬せざれば便ち忠信ならず、故に小児を教ふるには且《しば》らく安詳恭敬を先にす」  この事は支那の古書、曲禮に見えて居るのである。小児が長者と提携する場合には、兩手に長者の手をささげて尊者を扶持する。長者が何か問はるるときはその口を掩ふて答へる。これは尊者に向つて自分の気を屏るためである。すべて事を敬せざれば忠信なることを得ぬのであるから、小児を教ふるには安詳恭敬を先とせねばならぬ。安詳とは気をやすらかに持ち、心を詳かにすることで、安詳なれば躁卒ならず、恭敬とは敬ひ忙しむことで、恭敬なれば傲慢《ごうまん》ならず、これが忠信の本であるといふのである。  正に帰す  「孟子の曰く、人は与《とも》に適《せ》むるに足らず、政は典に間《そし》るに足らず、唯大人のみ能く君心の非を格《ただ》すことを為すと、惟だ君心のみにあらず、朋游学者の際に見るも、彼れ議論異同ありと雖も、未だ深く較べんことを欲せず、唯その心を整理して之を正に帰せしむ、豈に小補ならんや」  孟子は人が悪事を行ふからと言つても、又政治が悪るいからと言つても、その悪行や悪政をそしることはつまらぬことであると言ふ。それは何故ぞと言へば、すべて悪徳といふものはその人の心の反映であつて、心が悪るいから行も悪るいのである。政が悪るいのは君の心が悪るいからである。政は心のあらはれであるから、政が悪るければその政をそしることをせずして君の心を正さなければならぬ。君の心を正すといふ大事は聖賢の人にして始めて成すことの出来るものである。かやうにして、大徳ある人はただその君の心を正すのみでなく、自己の朋友や又学者の間に於て、何かにつけて議論が二派に別れたときに、ただ之を比較して徒らに甲乙の差別をつけるやうなことをせず、その議論をして居る人の心より私心を取り除かしめて正道に立たしめるのである。人の心が正道に立つときは遂に一に帰するものであるから、自然にその事もおさまつてしまふのである。かくなれば益するところは決して小ではない。  政事類  誠意感得  「夫れ鐘怒りて之を撃つときは則ち武く、悲しみて之を撃つときは則ち哀し、誠意の感じて入ればなり、人に告ぐるも亦是の如し、古人齊戒して君に告ぐる所以なり」  この言は「孔子家語」に出たものである。鐘は怒りて之を撃つときはその音も怒の響がする。若し悲しみを抱きて之を撃つときはその響も亦かなしみを含むものである。これは鐘を撃つ人の誠意が感応して、その人の心の通ほりに響くのである。人に何かを告げるときも亦同様である。自分の心が清めるときはその人に言ふ所清く、対者をして感ぜしむる。若し怒りの心を以てせばその怒りは対者を感ぜしむるものである。古人が君に申上げるときに先づ齋戒してその心を清めたのも矢張さういふ関係からである。心誠あるときは気專なり、気專なるときは則ち声応ず、誠ならずして能く感ぜしむることは無い。  好悪の私情  「人心の從ふ所、多くは親愛する所のものなり、常人の情、之を愛するときは則ちその是を見、之を悪むときは則ちその非を見る、故に妻孥の言は失せりと雖も多くは從ふ、憎む所の言は善なりと雖も悪となす、苟も親愛を以て之に隨へば則ち是私情の与する所なり、豈正理に合はんや」  人がその心を用ふるに方りては自己の親愛する所のものを第一とするのである。常人の情として自己が愛するところの人の言ならば、如何なる言もその是なる所を見て、その悪なる点は心にかけず。又自分の憎むで居るものの言に対してはその非なる点のみを見て、その善なる点は取り上げないのである。故に自己の妻子の言に対しては、それが誤まつて居るものでも大抵これに從ひ、自己の憎む人の言ならばたとひ善であつてもこれを悪とするのが常である。かくの如く、自己の親愛の情を以て物に処すれば、それは私情が主として与かつて居るのであるから正理に合ふことは思ひもよらぬのである。人心の從違が多くは好悪の私に蔽はれてその是非の正を失ふことを認めねばならぬ。  自守  「君子の小人と比するや、自から守るに正を以てせば、豈唯君子自からその己を完うするのみならんや、亦小人をして非義に陥らざらしむ、是れ順道を以て相保つてその悪を禦ぎ止むるなり」  君子と小人と列を同じふして相比するとき、君子が自から守つて正道を行ふときは自からその身を正しく守るのみでなく、小人に非義に陥らざるやうにせしむるのである。これまことに君子は正を守るを以て其身を失はず、小人も亦正に近づくを以て敢て悪をなさず、順道を以て相保ちて能くその悪を止むるのである。  少しく過ぐ  「事時ありてまさに過すべきあり、宜しきに從ふ所以なり、然れども豈甚だ過ぐべけんや、恭に過ぎ哀に過ぎ儉に過ぐるが如く、大に過ぐれば則ち不可なり、小しく過ぎて宜しきに順ふとなす所以なり、能く宜しきに從ふは大に吉なる所以なり」  すべて事は程度を過ぎてはよくないものであるが、時として過ぎることがよいこともある。これ固より宜しき道理に從つて過ぐるのであるが、甚しく過ぐればよろしくない。たとへば恭や哀もその度を過ぐれば却て禮を失ふことになり、儉も甚しく過ぐれば鄙しくなるものである。すこしばかり過ぎて行ふものはその正理を失はず、又人の情としてさもあるべきことで、大いによろしいものである。  己を正しくす  「小人を防ぐの道は己を正しくするを以て先となす」  小人を待する道はまさに己を正しうすべし。己正に一なるときは則ち人、姦詐なりと雖も、はた間の乗すべきものがない。其他防患の道は皆、己を正しくするを以て先となすべしである。  誠意の交通  「吾れ人と居るとき、その過あるを見て告げざるときは則ち心に於て安んぜざる所あり、之を告げて人受けざるときは則ち奈何、曰く、之と処てその過を告げざるは忠にあらず、誠意の交通をして未だ言はざる前にあらしめんことを要せば、則ち言出でて人信ぜん」  吾れ人と共に居て、その人に過あるを知つて居りながら之を忠告せざるは、吾が心に何となくやましさを感ずる。しかし之を忠告してもその人が自分の忠告を容れなかつたならどうすれば善いか。曰く、人と共に居てその人の過を告げて忠告せざるは誠の道にあらず。それ故に、お互の誠心がまだ言葉に出ざる内に既に友達に通じて、言はずして自から忠告するというほどにまで交際の親密の度が進んだならば、如何なる場合に於ても人は自分の言うことを信ずるやうになるであらう。  法令に安んず  「今の時に居て今の法令に安んぜざるは義にあらざるなり、治を為すことを論ずるが如き、為さざれば則ち巳む、如しまた之を為さば須らく今の法度の内に於てその当れるものを処得すべし、方に義に合へりとなす、若し更改して後に為すことを須ひば則ち何の義かこれあらん」  「中庸」に、天子にあらざれば禮を議せず、度を制せず、文を考へず。下位に居て上の法令を守るは義なり。」法治の下にありて現行の法令に安んぜざるは義にあらず。政治上の事を兎や角と議するが如きは為さずともよいことである。若し之を為すことあれば現行の法度の範囲内に於て為すべきである。かくして始めて正しいと言ひ得るのである。若し此時に方りて現行の法度を更改して論ずるが如きことあらば、その国家内に於て、義といふものは永久に変化して行はれないことになるのである。  從容義に就く  「感慨して身を殺すことは易く、從容として義に就くことは難し」  一時の感慨が身を殺して顧みざるは匹夫匹婦も猶ほ之を能くすることである。夫の從容として義に就き、死するに其所を得ることは義精しく仁熟するものにあらざれば之を能くすることは出来ぬ。「中庸」に、自刃をば踏むべし、中庸をば能くすべからずとあるは則ちこれである。  世務に通ず  「学者世務に通ぜざるべからず、天下の事はたとへば一家の如し、我れ為すにあらざれば彼れ為す、甲為すにあらざれば則ち乙為す」  学者は世の中の俗事にも通じて居なければならぬ。世の中の事は、たとへば一家内の事と同じで、自分が為さねば人が代つてする。若し甲が為さなかつたならば乙がこれを為すであらう。君子の心を存ずることの正大なるはまさに此の如くならざるべからず。  怠惰と羞縮  「人巳を行ふ能はざる所以のものは、その難きものに於ては則ち楕り、その俗に異なるものは易しと雖も差縮す、ただ心弘ければ則ち人の非笑を顧みず、趨く所義理のみ、天下を視るに能く其道を移すことなし。」  人が自己の志を成し遂ぐること能はざるは、その難きものに対しては之を怠り、又普通とは相違したものに遭遇するときは、たとひそれが善いことで、しかも易く出来ることでありても、羞《はず》かしく思ひてその儘に属さずに終るからである。しかし心が公明であれば人がそしり笑ふる之を顧みることなく、ただひたすらに義理のみを取つて進むで行くことが出来るのである。天下如何なる所に行くもこれに違ふことはない。これを要するに、志立たざれば気充たず、故に怠惰と羞縮とがある。ただその心弘きときは則ち志を立つること遠大である。さうして義理勝つときは則ち気が充つるものである。むかし文公が三年の喪を行ひしに、始め父兄百官皆これを欲せざりしに、文公義理の当さに為すべき所なるを以て哀戚の誠心を発せしに、人亦悦服せざるものはなかつた。患ふる所は我に在り、義理勝たざるときは則ち自から強ふることが出来ぬから、怠惰と羞縮との患が有るものと言はねばならぬ。  治法類  其道を尽す  「古今となく、治乱となく、もし生民の理、窮することあるときは則ち聖王の法改むべし、後世能く其道を尽すときは則ち大いに治まり、或は其偏を用ふるときは則ち小しく康し、これ歴代影灼著明の効なり、もし或は徒に古に泥むことを知りて之を今に施すこと能はず、姑らく名に?はんと欲して遂に其実を廢す、此れ則ち陋儒の見なり。何ぞ以て治道を論ずるに足らんや、然れどももし今人の情皆巳に古に異なり、先王の迹、今に復すべからずと謂ひて、目前に趣便し、高遠を務めざれば則ち亦恐くは大いに為すあるの論にあらずして、未だ以て当今の極弊を濟ふに足らざるなり」  古今に論なく、又治乱に別なく、生民の理に於て窮して通ぜざるときは聖王の法は改めるものである。後世の人よくこの変通自在の道を尽して国を治むれば国はよく治まり、又聖王の法の一部のみによりて之を治むれば少しく泰らかになるのである。この事は古今歴代の朝にて明かにあらはれて来て居るのである。若し昔の明治のみを知りて之を墨守し、今の世に適用することを知らぬときは、古の治法に?はんとしてその名だけを取りその内容を忘れて居るので、現今多くある見識狭き儒者の考へで、それは治道を論ずる資格のないものである。かやうに名目にのみ心を奪はれて、その内容を廃して居るのもよくないが、又現代人の情は古とは大いに異なりて居るので、先王の行はれた立派なる事蹟も今の世に採用することが出来ないと言つて、ただ目前の事相にのみ拘泥して高遠の理想を現出すべく努力をなさぬ人がある。されば大なる功業を立つる意見ではなく、又現在の極めて悪るい弊害をすくふことは出来ぬのである。これは古聖王の治法を論ずるにあたりて名実共に之を廢して居るからである。  古に泥みて今の宜しきをはからず、古に復るの名に?ひて其実を失ふことは固より陋儒の見である。しかれども遂に先王の治法は今に用ふべからずと言つて、苟且卑陋なるも亦世俗の浅識である。此の如くにして以て大いに為すありて極弊をすくふことは出来ぬと言はねばならぬ。  法あるべし  「伊川先生曰く、管轄の人は亦須らく法あるべし、徒に厳なれば事を濟さず、今千人を師ひて能く千人をして時により節に及んで飯を得て喫せしむ、只此の如きものも亦能く幾人かあらん、嘗て謂ふ、軍中夜驚く、亜夫堅く臥して起きず、起きざるは善し、然れども猶ほ夜驚くは何ぞ、亦これ未だ善を尽さず」  管轄の人といふは軍を統率するの人をいふ。法とは事を為すに当りて正しき秩序あるをいふ。周亜夫といふ人、漢景帝のとき七国の乱ありて亜夫をして之を平げしめられたとき、中途にして軍兵が夜驚きて周亞夫の部屋に来り周章狼狽せしも、亞夫は逐に起きず、大将としての十分なる自信と膽力とを有して居つたのである。伊川先生の言に、軍を統率する人はよろしく為すことに標準となるべき正しき理を持つて居なければならぬ。徒らに厳格なるばかりで成功するものではない。今千人の兵士を引き連れて、その千人をして時と場合とに応じてそれぞれに飯を食はしめることは極めて容易のことのやうであるが、中々さうでなく、之を為し得る者の果して幾人あるであらう。軍中夜驚亞夫堅臥不起と言ひ伝へて周亞夫がいかにも名将であつたかの如くに言はれて居るが、亞夫が大将として為すべきことを為し遂げた後であるから、もう断じて起きる必要がないと信じて居る点はいかにも善いが、しかしその部下の兵士がつまらぬ流言などに迷はされて、夜中にさはぎ出すというのは亞夫の威力がまだ部下にまで及んで居なかつたので、将軍としてはまだ完全のものではないとせねばならぬのである。  警戒類  過を聞く  「廉溪先生曰く、仲由は過を聞くことを喜むで、令名窮りなし、今の人、過あれば人の規《ただ》すことを喜ばず、疾を護りて医を忌むが如し、寧ろ其身を滅して悟ることなし、噫。」  仲由とは孔子の弟子の子路のことである、廉溪先生が言はるるには、仲由は自分の過を人から聞かされるのを喜むで、自己を反省し、修養したから、遂に有徳の君子として、その名声が後世まで殘るやうになつたのである。現代の人は自分に過がある場合、人から兎や角と、注意せらるるのをいやがつて居るが、それは自己の疾病を大切に護つて、医者を嫌ふやうなものである。それでは永久に有徳の人とはなれぬのみでなく、遂にはその身を滅ぼすやうな結果になるのである。それでもまだ悟ることが出来ないのはまことにかなしいことである。  盛なる時に戒む  「聖人の戒を為すや、必ず方に盛なるの時に於てす、その盛なるに方りて戒を知らず、故に安富に狃れば則ち驕侈生じ、舒肆を樂しめば則ち紀綱壊れ、禍乱を忘るれば則ち綱壊萠す、是れ浸淫を以て乱の至るを知らざるなり」  驕侈はつねに安富の余に生じ、綱紀はつねに舒肆の日にすたる、寡端禍享はつねに無虚の中にきざすものである。すべて禍といふものはその人の得意の時にきざすものである。それ故に、聖人はその最も順調なるときに必ず自から過を無からしめんとするのである。若しその最も盛るときに戒めることを知らぬときは、富むで安らかな生活になれて漸く驕侈の風が生じ、又何事をなすに方りても早急の事がないので心を弛緩させてつまらぬ喜びに浸淫して、すべての規則が乱れる。又泰平になれて、禍乱の事を念頭に置かぬ時には、禍乱のきざしが己に其中に存するものである。方に盛なるときは実にまさに衰へんとするの漸である。聖人は早きに於て戒をなし以てその長盛を保つべきことを教へるのである。  天下の至公  「理は天下の至公なり、利は衆人の同じく欲する所なり、苟も其心を公にしてその正理を失せざるときは則ち衆と利を同じくして人を侵すことなく、人も亦之を与にすることを欲す、若し利を好むに切にして自私することに蔽はれ、自から益せんことを求めて以て人を損するときは則ち人も亦之と力めて争ふ、故に肯て之を益すること莫くして之を撃奪するものあり」  上に在るもの至公の理を推して、衆とその利を同じくするときは則ち衆も亦之とその利を同じくするものである。若し自私する心を懐きて、ただ己れを利せんと欲するときは、則ち人も各その己れを利せんと欲して、その利とする所を奪うのである。理は天下共通の最も公正なるものである。利は人情すべて之を欲するものである。それ故に、上に在るものが若しその心を公正にしてその理を失ふことなく、萬事理によりて行ふときは、それによりて人民と共に利を受けて、人の分にまで立ち入りて侵すが如きことはない。人も亦その徳を慕ひて自分と共に事を為さんと願ふやうになる。若しその反対にひたすらに利を好んで、私心に目がくらみ、自分の利益のみを考へて、人の分まで侵すやうになれば、その人亦同じく同様の理由で争ふものであるから、人を益することがないのみならず、あらゆる手段によりて人を打ち、利を奪ひ取つてしまふやうになるものである。  剛は欲に屈せず  「人欲あるときは則ち剛なし、剛あるときは則ち欲に屈せず」  剛と欲とは正に相反したものである。剛といふのは能く物に勝ふるのである。それ故に剛なるものは常に萬物の上に伸ぶるのである。欲といふのは物のために掩はれるのである。それ故に、常に萬物の下に屈するのである。  過は類に於てす  「人の過は各その類に於てす、君子は常に厚に失し、小人は常に薄に失す、君子は愛に過まり、小人は忍に傷らる」  君子と小人との分は仁と不仁とにあるのみ、故に仁者の過は常に厚と愛とにあり、不仁者の過は常に薄と忍とにあるものである。  道を知る。  「未だ道を知らざるものは酔人の如し、その酔へるときに方りて至らざる所なし、その醒むるに及んで愧恥せずといふことなし、人の未だ学を知らざるものは自から視て以て欠ぐる所なしとなす、既に学を知るに及んで反て前日の為す所を思ふときは則ち駭き且つ懼る」  未だ道を知らぬ人は、丁度酒に酔つて居る人のやうなものである。酔つて居る人はその理性を失つて居るのであるから、如何なる悪事でも平気で行ふのであるが、その酔がさめたときに、酔つて居つたときの行を反省して非常にはぢても最早追附かない。これと同じく未だ学に熟せざる人は、自分では立派なる人物であるかの如くに考へて居るが、その学が熟して後になりて、前日の自分の心を反省して見れば、自分がいかに愚であり又いかに無謀であつたかが今更ながらわかつて懼れ驚くものである。  経に反る  「孟子経《つね》に反へることを言ふ、特に郷原の後に於てするものは、郷原は大なるものにして先づ立たざるを以て、心中初めより作すことなし、惟これ左右に看て人情に願ひ、違ふことを欲せず、一生此の如し」  経といふは常である。古今不易の常道である。是なるを是となし、非なるを非とすること必ず定理ありて、善を好み悪を悪むことも必ず定見がある。郷原は常に人の意に逆はずして人を喜ばしめ一郷の名声を博して居ても中心、道のあるにあらず、君子に似て非なるのをいふのであるが、これにごまかされるやうな人がありて、中心義理なく、ただ人の情を迎へてこれに逆ふことなく、右顧左眄《うこさべん》してひとへに人に悦ばれんことを求むるやうでは、何事を成すことが出来ぬであらう。必ず経《つね》の道にならなければならぬといふのである。  観聖賢類  堯舜湯武  「明道先生の曰く、堯と舜とは更に優劣なし、湯武に至るに及びて便ち別あり。孟子の之を性のままにして之に反ると言ふ、古より人の此の如く説くなし、只孟子分別し出し来りて便ち堯舜は是れ生れながらにして之を知り、湯武は是れ学んで之を能くすることを知る。文王の徳は則ち堯舜に似たり、禹の徳は則ち湯武に似たり、之を要するに皆これ聖人なり」  これを性にするとは生れながらにして之を知り、安んじて之を行ひ、天性渾全にして修習を待たざるものである。之に反するものは、学んで之を知り利して之を行ひ、身を修め道を体して、以て其性に復へるものである。文王は識らず知らず帝の則に順ふこと生知の性であらう。禹はよく勤め、儉にして矜らず、伐らず、蓋し学んで之を能くするものである。明道先生が言はれるには堯舜は何れが何れとも区別がつけられない有徳の人であるが、湯の武王となれば自から堯舞とは相違がある。孟子は湯武は自己を修養して其性に復へらしめて、かく有徳の人となつたと言つて居るが、古よりかくの如く湯武の堯舜と異なる点を説き明かした人はなかつた。しかるに孟子は之を区別してかく説いて居るが、これによりて堯舜は生れながらにして道の何たるかを知り安んじて之を行つた人であり、湯武は学んで勉めての道を行ひ得たる人であるといふことがわかる。文王の徳は堯舜の徳とその趣を同じふして、禹の徳は湯武に似てゐる。かくの如くそれぞれ相違はあるが、その結局の所は皆、同じ聖人なのである。  孔子・顔子・孟子  「仲尼は元気なり、顏子は春生なり、孟子は秋殺を?せて尽く見る、仲尼は包せざる所なし、顏子は違はざること愚なるが如きの学を示す、後世に於て自然の和気あり、言はずして化するものなり、孟子は則ちその材を露はす、蓋し亦時の然るのみ」  孔子は大聖の資にして、猶ほ元気周流渾淪溥博、涯?あることなきが如し、顔子は亞聖の材にして春陽映比、萬物を発生し、四時の首、衆善の長なるが如し。孟子も亦亞聖の才である。剛烈明辨、整齊厳粛なり、故に秋殺を併せて尽く見るものといふべきである。孔子は道全く徳備はるが故に包まずといふところがない。顔子は違はざること愚なるが如し、聖人と徳を合す。後世その自然の和気を想ふべく、黙して之を成し、言はずして信なるものである。孟子は英才発越するが、これは戦国の時、世道ますます衰へ、異端ますます熾なると、又天子の其上に主盟すること無きが故に、その道を衛るの厳なることと、辨論の明なることとは勢ひ然らざるを得ざるものである。  本巻に收録した四篇の内、「唯信鈔文意」と「大乗起信論」とは、数回又は十数回に亘つて講義せられたものの筆録を整理したものである。「唯信鈔文意」は先師が生前宗教の真髄なりとして終始最も好んで味読せられたものであつて、先師の講筵に列したのが読むときは、かの、自ら語り自ら聞くとでもいふべき先師の法悦の貌が髣髴とするであらう。講録の内容も先師の味到せられた心境の秘奥がまざまざと感ぜられるやうである。「大乗起信論」も亦宗教の考へ方の指南書として生前常に推獎せられたものであつた。この二籍の原稿の整理及び校正に当つては特に遠山諦観氏を煩はしたところが大であつたことを茲に記して謝意を表する。後の二篇「菜根譚講話」と「近思録講話」とは雑誌「精神文化」に先師自ら講義体にして執筆されたものであつて、「譚」「録」共に平素の愛読書で先師の風格の出来上つたのに、蓋しかなりの影響のあつたものではあるまいかと想像する。  これを以つて選集五巻の刊行を了した。この五巻に収めたところは、何れも先師の宗教体驗とその宗教観とを最もよくうかがふことの出来るものであらう。これ等の文字を反復味読すれば、深く且つ広い思想と生活と問題とが展開するやうに感ずるのは、独り生前側近に居た我々のみではないと思ふ。  刊行を了するに当つて、これ等の編輯、整理、校正のことに尽痒せられた所員深澤欣、秋山不二、神保いつよ、牧野睦、松江瑞氏の勞に謝意を表する。印刷に就いては特に長宗泰造氏の厚意によるところが大である。併び記して深甚の謝意を表する。(監修者、桐原葆見記) 昭和十七年九月廿五日印刷 昭和十七年九月三十日発行 中山文化研究所 右代表者永井千 東京市小石川区高田豊川町三七番地 印刷者 長宗泰造 東京市小石川高田豊川町三七番地 印刷所 厚徳 発行所 中山文化研究所 配給元 日本出版配給株式會社